[報告]日本軍「慰安婦」被害者・宋神道さんのドキュメンタリ映画
「オレの心は負けてない」

 在日朝鮮人で元日本軍「慰安婦」宋神道さんの裁判闘争を描いたドキュメンタリ映画 「オレの心は負けてない」の上映会が、10月27日、28日に大阪で行われました。両日で300人を越える市民が足を運び、宋神道さんの半生と闘争に共感し、涙し、怒り、そして笑いました。映画が強烈な印象を残したためか、すぐには言葉にできないという声が寄せられましたが、すこし時間をおいて感想が署名事務局にも送られてきています。順次掲載していきます。
(投稿原稿の表題は署名事務局が付けている場合があります)

2007年11月1日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局




会場に貼られたポスター


展示に見入る


ハルモニたちの顔の彫刻(ウレタン製)





[会場アンケートで寄せられた参加者の感想]


[参加者の感想]


〜何か書きたいが、何も書けないのだ。〜

ドキュメンタリ映画「オレの心は負けてない」

普段なら、映画を観たその日どんなに遅く帰っても、何か書いていた。
27日はどうしても書けなかった。
翌日も観に行った。
でも、何も書けない。
何を書いても、違うような気がするのだ。
この涙は、私の中から何故こんなに流れおちるのか、解明できないのだ。
このハルモニに出会ったことの大きさが、まだ受け止めきれないのだ。
神道ハルモニの人生。
「哀しい」でもない。
「悲しい」でもない。
ましてや「悔しい」でもない。
そんな「言葉」では言い表すことなどできない。
私の貧弱なボキャブラリーの中からは、そうたやすくは出てこない。
自分が、言葉を失ったかのような、そんな感じなのだ。
それでも宋神道という人にまた会いたいとそればかり考える。



ハルモニたちの思いを忘れないこと

 とてつもなく悲惨な過去を持つ人の映画。その悲惨の原因は日本の過去と現在にある事も承知している。天皇制日本軍による性犯罪、戦争犯罪。それを隠蔽し反省しない現在の日本政府と右翼連中たち。過去を清算できない現在に生きる者としては、映画を見るのは一種の刑罰、と言った重い気分で会場に向かった。
 会場入り口には、宋神道さんを紹介するパネルが立ち並び、熱心に見入る若い女性たち。別のコーナーにはハルモニたちの顔が発泡スチロールを使って見事に彫刻され並べられていた。受付には元気いっぱいの女性スタッフが並んでいる。会場は映画が始まる前から熱気があふれていた。
 映画の中の宋神道さんは、戦争に反対する言葉を何度も口にした。自身の悲惨な過去はしゃべる言葉が早口で聞き取りにくいこともあってか淡々とした印象を受けた。しかし私は、映画の中の宋神道さんに次のように迫られているのを感じた。お前は日本軍性奴隷被害者の存在を認めるのか、その被害者だと主張しているこのオレの言うことを信じるのか、お前はオレを裏切らないか、お前はオレのことを書けるのか、オレは負けないがお前はどうなんだ、オレは闘うがお前はどうするのだ、と。
 宋神道さんの鋭い問いかけは「支える会」の支援者にも向けられたものだった。支援者の方々が宋神道さんと共に長年月を闘うことで宋神道さんの疑心暗鬼を信頼に不安を安心に変えていった様子は映像を見るだけでも明らかだった。宋神道さんと支援者は互いに励まし合い理解し合いようやくここまで歩んできた。その粘り強い闘いに尊敬の念が生じると同時に新参者が入り込めない壁も感じた。
 私が出来ることは何なのだろう。まずはもっと知ること。もっと学ぶことなのだろう。既に高齢でいつ亡くなるかも知れないハルモニたちの証言をまずは良く聞くこと。戦争をするな、ハルモニたちのような犠牲者はもうたくさんだ。ハルモニたちの思いを忘れないこと。このように考えた映画会であった。
  (T)


私たちがこれからどう生きるべきかを問う映画

土曜日、映画『オレの心は負けてない』を観た。

 この映画に向けて宋神道さんのことは事前に勉強していたから、神道さんの人となりや裁判の経過については一応知っていた。それでもやっぱり本と映画は違う。この映画を観て、動いている宋神道さんを観て、新たに気付かされたことや感じ入ったことがいくつもある。

 まずなににもまして、あの宋神道さんの存在感、言葉、発声。一世特有の訛りのある東北弁で、辛辣な言葉をマシンガンのように次々と放つ。それは戦後、日本という差別社会で暮らす間に身につけた鎧なのだろう。「針の穴の隙もないほどの鎧を身につけている人」という梁澄子さんの評価が印象的だが、まさに映像を見てもそう思った。「こんなおばちゃんいるな」と思ったが、こんな人と一緒に闘えるのかどうかとなると話は別だ。(支援者の戸惑いや苦労を、改めて思う。)それが10年の裁判闘争の中で、言葉はそのままだが、心が確かに変わっていく。時間の短い映像表現のなかでも、それはありありと見て取れた。
 一審、二審と裁判闘争を重ねるにつれ、マシンガンのような言葉は変わらないが、相手を気遣い信頼関係が醸成されてるのが、その内容や表情から伝わってくる。人間不信が溶け、ひとりの尊厳を持った人間へと生まれ変わっていく。
 神道さんの口から発せられる言葉、声色は、まさに彼女の生き様そのものだ。彼女の存在感、画面を圧倒していて観客の心をわしづかみにしていた。
 二審敗北後の集会で、「いくら負けてもオレは錆びはせぬ」と即興で歌う姿が、印象的だった。神道さんの声と、拾い出した言葉と、節回しが、彼女の存在そのものだった。

 他にも印象的だったシーンはいくつもある。
 神道さんが高校生の前で証言したとき、それはいつものマシンガンのように言葉を放つ神道さんではなくて、本当に可哀想なほどカチコチに固まっていて、自分が中国の慰安所に連れて行かれたのと同じ年齢の少女たちを前にして「懐かしいんだか思い出すんだか」と目を拭う姿に、こちらも涙を堪えられなかった。
 神道さんには、同世代に自分の体験談を信じてもらえるのか分からないという不安もあっただろう。(だから戦争体験者がいると逆に安心する。)でも自分の境遇を、女子高生の前で話さなければならないというのは、自分の体験と目の前の女の子がダブるし、ゴマカシもきかないだろうし、いろんな意味で本当に辛いに違いない。それでも神道さんは自分の思いをぶちまけて(ぶちまけることがないというのが神道さんの印象なのだ)、若い人との心の交流によってカチコチに固まった心が融けた。それはありありと目に見えた。すっごくうれしかったのだろうと思う。講演の最後には、笑う神道さんの姿があった。
 もしあのシーンがなかったら、神道さんと他の被害女性との相違ばかりが目に付いていたかも知れない。生半可でない彼女の傷の深さに気付かなかったかも知れない。
 神道さんは、本当に辛いことは証言しない。上手にはぐらかす。本当に辛いことは証言されないが、されないからこそなかなか気付かない。女子高生の前の神道さんを見て、彼女の傷の深さを思い知らされた。

 また、宋神道さんが訪韓して、望郷の丘に河再銀さんの遺骨を納めたシーンにも泣いた。
 実は私は宋神道さんの河再銀さんに対する気持ちがよく理解できなかった。日本に渡ってきて、傷つき、右も左も分からない宋神道さんを救い一緒に永い年月を暮らしたのが河再銀さんだった。世間的にも外国人登録上も夫婦となっている。でも神道さんは、再銀さんと性的関係はなかったのだという。
 私は信じられなかった。そして支援者も最初は疑っていたのだという。だって、それは普通ありえないだろう?
 でも望郷の丘で号泣する神道さんの映像を観て、それは真実なのだろうと理解した。それまで愛のある性体験を経験したことのなかった神道さんは、敬愛する再銀さんとは、性的関係を持つことは出来なかったのだ。……私は本を読んでそのことを論理的には理解したが、直感的には理解できなかった。でも望郷の丘で号泣する神道さんの姿を見て、何故かスッキリと胸に落ちた。なぜ、どうと言葉で説明するのは難しい。活字で理解できなかった感情――つまり宋神道さんの河再銀さんに対する想いがスクリーンに溢れていた。
 そしてそれはとりもなおさず、それは彼女の傷の深さそのものでもある。被害体験が「愛する」という(行為だけでなく)気持ちそのものを許さないのだ。

 この映画を観て最大の収穫は――今更こんなことを言うのも本当に恥ずかしい話なのだが――被害女性にとってこの問題が、過去ではなく現在の問題なのだということを実感させられたことだ。
 私は被害女性が裁判を起こすことに共感しながらも、どこかで「現行法と現情勢では時効の壁を乗り越えることは難しいだろう」とか、……なんていうんだろう、“アタマでっかち”に考えていたのだと思う。「被害女性が何故今になって名乗り出て、訴えるのか」という批判に対して、「韓国の軍事独裁政権の下で被害者が名乗りでることなどできなかったのだ」とか「死を自覚する年齢になってこそ解きたい恨があるのだ」とか思ってきたけれど、でもそれはみんな“リクツ”だよな。「今だから」とか「今でしか」ではない。そんなのは、全部“リクツ”だ。
 宋神道さんにとって、被害は今の苦しみであり、訴えたのも今が苦しいからであり、決して半世紀以上前のことではないのだ。今こそが問題なのだ。だから時効を適用するなんて、本当にちゃんちゃらおかしな話で、どこまでもあの判決は理不尽でしかない!!!
 これまでこの問題に関するたくさんの書籍を読んできたし、たくさんの被害女性の証言集会にも参加してきたのだが、これまでどうしてこんな単純なことが実感できてこなかったんだろう。そりゃ「今の問題だ」とも思ってはいた。でもこの映画を観て宋神道さんの姿や声、生き様をみて、私の思ってきたことは全部“リクツ”だと思い知らされたのだ。――少なからずショックだった。
 宋神道さんが「在日」だということで、身近に感じられたせいかもしれない。あの「鎧」も強烈な個性も、支援者のようにつきあえるかどうかは別にして、見知ったものではある。何よりも宋神道さんの存在感が私にとってはどこまでもリアルで、リアルで、リアルで……。
 「在韓」であれば心の随まで共感できなくて、「在日」であるから共感できるなんていうのは、己の感受性の狭さを告白するようで本当に辛いのだが……でも多分そういうことだったのだろう。
 私はなんにも分かっていなかったのだなと思う。本当に恥ずかしい。

 さて、私に何が出来るだろうか? 正直よくわからない。でもなにかしなければならないとは思う。
 宋神道さんだからこそ教えられたことが沢山あった。「在日」で名乗り出て、しかも裁判まで闘い抜くという、本当に奇跡のような存在を前にして、これまでの私のままで許されるなんて、そりゃ嘘だとさえ思う。
 日本人の私が、私たちがこれからどう生きるべきか、それが問題だ。

    (D)


「戦争は絶対にやっちゃならない」神道さんの言葉が重く

この映画で、宋神道さんの闘いのすべてが語られているとは思わない。

神道さんは、あまりにも過酷な体験を強いられたことによる人間不信が強く、「支援する会」の人たちとも心が通じるまで相当の苦労があったと聞く。
映画上映後の、「支える会」の女性の挨拶でも、「最初はすごく恐い人だと思っていた」と言われた。

しかし、映画の中で、そうした部分は「支援する会」の人の言葉で語られるだけで、映像での描写はかなりあっさりしている。
確かに「言葉が乱暴」なのは分かるが、あの程度のものではなかっただろう。

また、一審敗訴後、「もうやめる」と言っていた神道さんが控訴を決心する過程でも、実際にはもっと激しく揺れたそうだ。

だから、神道さんと「支える会」の人たちの努力と苦しみは、映画ではかなり割愛されていると思われる。

それでもなお、涙なしには観られなかった。
私は映画を観て、涙ぐむことはあっても、流れるほどの涙が出ることはほとんどない。
でも、今回は違った。

特に、戦後連れ添った河再銀さんの遺骨を、韓国の国立墓地「望郷の丘」に埋葬する場面。
神道さんにとって河さんは、人生の大部分において唯一人信頼できる人だったに違いない。その河さんへの思いが、胸に迫った。

そして、繰り返される敗訴の場面。
悔し涙を流す「支える会」の人たち。観ている私たちも涙を押さえることはできない。
しかし、そんな中で、一番元気なのが神道さんその人なのだ。
二審敗訴後の集会では、珍妙な歌まで歌って、まわりの人に笑顔を取り戻させた。

「戦争は絶対にやっちゃならない」という神道さんの言葉は、とてつもなく重い。
(O)