(翻訳 『ハンギョレ21』第596号 2006年2月14日より) | ||
放射能と暮らしてみようとされますか | ||
核燃料による汚染のために生存まで脅かされる青森県住民たち 迫りくる環境厄災、農産物の注文量減り、漁民たちの憂慮も高まって |
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□六ヶ所村=文:金チャンソク記者 kimcs@hani.co.kr □写真:リュ・ウジォン記者 wjryu@hani.co.kr □通訳:ファン・ジャヘ専門委員 jahye@hanmail.net 六ヶ所村に対する全世界の煩いは、軍事的危険性と国際政治的影響の側面に集まっているが、実際に核施設周辺の市民たちは、環境に及ぼす否定的な影響を心配する雰囲気だ。 青森県民をはじめ全国の住民(*1)を対象として『核燃料サイクル阻止1万人訴訟原告団』を率いている山田清彦(49)事務局長は、「核拡散の脅威や軍事的脅威はむしろ目につくが、放射能の危険は世界的に気づかれていないようだ」としながら、「日本全国から集まる使用済核燃料が3千トンに達するから、もし大事故が起きるようになれば、日本全体に影響を与える厄災的水準の結果をもたらすこともある」と警告した。彼はまた、「本格稼動がなされる前なのに、すでに太平洋の汚染を心配する人々が多い」としながら、「青森県の隣りの岩手県の養殖業者たちが、心配の声を高めるほど」だと付け加えた。 安全なら、なぜ高い排気筒が必要なのか
施設周辺で農業を自ら営む哘清悦(サソウ・セイエツ)(39歳・有限会社みちのく農産代表者)は、『再処理工場について勉強する農業者の会』代表だ。1994年から家族と共に運営するこの会社は、3万坪程度の土地で、米、トマトなどを栽培する。彼は、「何より健康が最も心配」だと言った。 彼はまた、「私たちが栽培する農産物が、放射能に汚染されるという悪い評価やイメージのために、価格が暴落することもありうる」としながら、「会員たちである周辺農民が無農薬で栽培した米を、東京と大阪地域の顧客に直接販売してきたが、再処理工場の話が度々知らされて、今後は買うのを止めようという顧客が出てきた」と伝えた。昨年10月、彼は、周辺農民たちと共に、「風評被害を補償せよ」として日本原燃を相手に損害賠償を訴えた(*2)。彼はまた、青森県で、自分は農産物を安心して食べることができないという比重が次第に高まっていると憂慮した。 彼は、使用済核燃料を再処理した後、大気に送りだす時に使う排気筒の高さが150mにもなる点と、海洋排水管が11kmにもなるのを理解できないと言った。「日本原燃で主張しているように、そんなに安全なら、なぜ排気筒をそんなに高くしておいて、排水管を太平洋まで延長して捨てるのだろうか。150mにしておけば、すぐ下の施設で仕事をする人々は大丈夫かもしれないが、大気中へと広がって、施設から離れた住民は、むしろその汚染物質を呼吸する可能性が大きくなる」。 記者が、「大韓民国では六ヶ所村住民の1人当りの所得が高まるなど、核施設がやって来て以後、生活が良くなったと聞いている」と話すや、彼は、「六ヶ所村住民の1人当りの所得が青森県で最も高いのは事実だが、詳しく確かめてみれば、それは住民全体の所得が上がったというよりは、日本原燃の関連業者の職員たちが、皆近所に住んでいるためだ」と皮肉った。 周辺漁民らの心配も大きい。取材陣が六ヶ所村北側の泊の集落に入るや、「核燃から漁場を守る会」の事務所が目についた。事務所の外に付けられたポスターには、「いのちは放射能が嫌いだ」等のスローガンが書いてあった。太平洋が見渡せるここは、最初に六ヶ所村に核施設がやって来た時から賛成と反対の声が激烈に分れ、家族や親戚の間でも反目ができるほど葛藤の谷が深かった所だという。 渡り鳥の移動経路も変わった 日本原燃側では、再処理工場の稼動がここに影響を与えないと広報しているけれど、住民たちはこうした話を信じられずにいた。ある市民団体が再処理工場の放射能放出口付近(*3)から1万枚の黄色いハガキを流したが、多くが、この漁村に流れてきたという。その後、住民たちの考えは大いに変わった(*4)。しかしながら、現在、日本原燃に勤務している職員たちが多くなり、漁業が衰退し、このような結果に対して組織的な問題提起をする動きは、目立って無くなった。 ここの集落で、『核燃から地域住民を守る会』の会長を引き受けている中村勘次郎(75歳)は、「最初に六ヶ所村に施設がやって来た当時、住民投票手続きも経なかった」と言い、「六ヶ所核燃サイクル施設は、民主主義の原則に全く外れたやり方で推進された所」だと、声のトーンを上げた。彼はまた、「新聞で六ヶ所村関連の記事を読む度に、プルトニウムを取り出すと広告するが、机上の空論であるだけだと思う」とし、「結局、高レベル核廃棄物も、六ヶ所村に埋められるに決まっている」と予測した。
自然と共生する人生(*5)を夢見ながら、杉の木の家で暮らしてきた向中野勇(88歳)は、「毎年冬に飛んできて春にシベリアに帰る渡り鳥を観察してきたが、移動経路が大きく変わった」と言い、「核関連施設と排気筒の側を渡らないようにする」と話した。彼は、暦にびっしりと書き込んだ関連渡り鳥の経路を、取材陣に示した。 核施設周辺で園芸業をしている菊川慶子(57歳)は、「六ヶ所村が住やすくなったとの話があるが、実際その中を詳しくのぞいて見れば、貧富の格差だけが激しくなり、六ヶ所村の生活保護対象者数は青森県で最も多い」と言い、「零細自営業者たちや農民たちの生活の質がそのままなのに加え、今は生存の脅威まで感じるようになった」と話した。日本原燃側が、青森県など地方自治体に出す特別税の使い道に関連して、彼女は、「住民の生活とは関係のない道路を通すのは、県会議員たちがやっている建設業を助けてやる結果だけを持たらすのみ」と断言した。彼女は、「子どもたちの未来を担保に繰り広げられている再処理工場の稼動は、今からでも中止されなければならない」と言い、「根本的な苦悶が必要だ」と強調した。 議会よりも市民社会が前に出るべき 青森県で会った諏訪益一議員(日本共産党青森県会議員)は、「再処理工場の稼動は時間の問題」と予見した。「全議員47人の中で自民党と新政会、公明党、真政クラブ(*6)など核施設推進派が41人を占めて圧倒的で、反対派は社民党3人と共産党2人そして無所属1人だけ」だと明らかにした。彼は、「議会よりは市民社会が前に出ることを希望しつつ、青森県(*7)全域で再処理工場稼動反対を要求する75団体の共同署名を受けているところだ。これから全国的なネットワークを作って、この問題に対応する計画」だと話した。 六ヶ所村の核燃料サイクル施設は、太平洋とシベリアの渡り鳥たちの渡来地として広く知られた美しい尾駮沼を抱え込んでいる。1月30日、取材陣が尾駮沼を訪ねた時も、シベリア白鳥が群れを成して遊んでいた。地域住民と観光客が立ち寄って、菓子の破片を餌として与えてきたためなのか、取材陣を発見して白鳥たちが先を争って集まり始めた。再処理工場の稼動は、彼らの人生にも影響を及ぼすことが明らかに思えた。 (注) (*1)「原文では、青森県の全住民」となっているが、実際に合わせた訳にした。 (*2)原文では、「訴訟した」とあるが、通常の裁判ではない。 (*3)原文通り「大いに変わった」と訳したが、既にその当時運動は退潮期に入っていた。 (*4)原文では、「尾駮湖で流した」とあるが、実際に合わせた訳にした。 (*5)原文は、「生態的な人生」とあるが意訳した。 (*6)原文では、「自民党と新政会、公明党、真政派など」となっているが、青森県議会の会派は、自民党(27)、新政会(7)、公明党・健政会(4)、社民・農県民連合(3)、真政クラブ(3)、日本共産党(2)、無所属[県民クラブ](1)である。 (*7)原文では、「日本全域」となっているが、この署名は県内のものである。 |