(翻訳 『ハンギョレ21』第596号 2006年2月14日より) | ||
原則的にはだめだが、こっそり… | ||
広島のショックをいち早く払い落してしまい、原子力大国になった日本の核政策の二重性 非核三原則を押し立てながらも、核武装を放棄せずに独立のプルトニウム生産に熱を上げ |
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■六ヶ所村=金チャンソク記者 kimcs@hani.co.kr 「普通、私たちが技術について話す時、平和利用であるか軍事利用であるかを問わない。例えばエネルギー源をいう時、石油や石炭や天然ガスを『平和のための石油』や『平和のための石炭』と区別せず、また区別することもできない。鋼鉄の技術や飛行機の技術も同じだ。特別に、飛行機の技術を、平和利用であるとか軍事利用であるとか言って区別することはない。ところで、原子力の場合には、改めて平和利用を強調しないわけにはいかなかった。軍事利用と厳格に区別して、平和利用だと言ってまで、ある種の神話として宣伝しなければならない理由があったのだ。原子力は、最初から、軍事利用すなわち原子爆弾開発のために始まったので、軍事的性格を帯びている。 防衛目的の核兵器は構わない? 世界的な反核運動家で市民科学者である高木仁三郎は、『原子力神話からの解放』(*1)でこのように書いた。彼はまた、「原子力技術は、その歴史や技術実態を見る時、本質的に極めて破壊的な性格を持っている」とし、「技術的に見る時、軍事用に使えない原子力技術と軍事用にだけ使える原子力技術に分けられない」と明らかにした。そのような意味で、アイゼンハワーが1953年国連で行った演説の中に出てくる『原子力の平和利用』(Atoms for Peace)という言葉は、もしかしたら形容矛盾なのかも知らない。その上彼は、世界で唯一、核爆弾を炸裂させた米国の大統領だった。あれこれ考えてみると、核を巡るアイロニーは一つや二つでない。
日本が、核アレルギーからそのように早く回復したという点は、やはりアイロニーの内の一つだ。とにかく日本は、広島と長崎に原子爆弾が炸裂した1945年からまだ10年が過ぎない1953年、核をエネルギー生産に利用しようという米国の提案を受け入れた。当時としては、外交政策目的のために技術的リーダーシップを利用しようとする米国の政治的選択を、日本が受け入れた結果であった。当時米国は、核エネルギーに関する知識と設備の普及が、核兵器の拡散につながるということを認識できなかった。 米-日は、原子力協力協定を結んで、二国間の協力を公式なものにした。米国は、日本に核を平和的に利用するという条件で、軽水炉と関連した技術と共に核燃料として濃縮ウランを提供し、日本はこれを基礎に核のエネルギー利用を始めた。日本は、やはり戦後復興の時期、資源が絶対的に不足した状況で、膨張する電力需要量を充足させるための措置であった。しかし当時、安くて安定した供給が可能なエネルギー源として開発された原子力は、冷戦期が過ぎて、新しい安保脅威要因として浮び上がりつつある水平的な核拡散問題を伴うようになった。 日本は、戦犯国であり、唯一の被爆国家として、「核兵器の生産・保有・搬入の禁止」という非核三原則を『国是』として守りつつ、1968年に核不拡散体制すなわち核拡散防止条約(*2)(NPT)体制(核保有国は、保有核を減らす核軍縮という手段によって、非保有国は、核エネルギーが軍事的に転用されるのを防ぐ非拡散という手段によって行う国際条約体制)の枠組み中に入った。しかし、日本が打ち出す『非核三原則』は、見せ掛けに過ぎないという見解も多い。憲法や法律で明文化したものでもないうえに、核兵器を装着した航空機や空母が日本領内に入ってくることには事実上目をつぶるなど、実際には歪曲されているということだ。 また、対外的には非核体制を指向すると言いつつも、対内的に『核武装合憲論』が絶えなかった。特に1964年に中国が最初に核実験に成功して5番目の核兵器保有国になり、大きな衝撃を受けた日本では、「中国に対抗するために核武装の選択肢を留保しておかなければならない」という核武装論が頭をもたげるようになった。日本政府は、憲法9条が保障した「固有の自衛権のための最小限の軍事力」の範疇に核兵器も包含できるという有権的解釈を下してきた。1970年の最初の防衛白書で、日本政府は、「核兵器保有を政策的に否定するが、防衛を目的にした小規模の戦術核兵器を保有しても平和憲法に抵触しない」と明示した。一言で言えば、「憲法上の保有禁止でなく、政策的判断により保有しない」と言うのである。 非核三原則廃棄→NPT脱退→核兵器開発 こういう状況で、独自の核武装の物理的条件を決定的に早めた事件は、1986年6月の米-日間で成立した原子力協力協定だった。米国は、この協定で、「30年間プルトニウムをエネルギー生産に利用する」という計画に同意することによって、日本が核関連インフラと技術面で米国から抜け出そうとする努力を現実化できる政治的背景を提供した。 1970年代以後、日本の核エネルギー長期計画にしばしば言及される表現が、「核エネルギー利用における自主性の向上」だ。これの政策的表現が、「核燃料サイクルの完成」であり、物理的完成が「六ヶ所核燃サイクル施設建設」であったのだ。8次計画(1992〜97)では、はなから「米-日原子力協力協定を修正し、プルトニウム保存で日本の独立性を増加させる」(*3)と指摘した。六ヶ所再処理工場を通してプルトニウムを大量生産、大量保有するという計画を、すでにその時から公式化していたのだ。 日本は現在、保有原子炉の規模で米国とフランスに続く世界第3位の原子力大国だ。核武装と直接関連したウラン濃縮と使用済核燃料再処理技術は、世界最高水準ということが関連分野の専門家たちの評価だ。1995年、NPTの無条件無期延長の署名を控えて、日本政府はしばらく留保の態度を取り、今一度、日本が核武装の意志を持ったのではないかという論議が行われたこともある。こういう論議が行われる理由は、日本政府が、一方で非核三原則を掲げて平和国家のイメージを打ち出しながらも、もう一方で相変らず核選択権を放棄しないままの二重的態度を取っているためだ。 現在まで知られたことを総合してみると、日本政府の政策が変更されたなら、少なくとも3〜4ヶ月内には、日本が核兵器製造を終わらせることができるというのが関連分野の専門家たちの分析だ。 国際問題研究所の趙誠烈(チョ・ソンニョル)博士は、「日本政府が核武装を決心しても、政治的・外交的費用を負担しなければならないから、直ちに核武装を推進できない」としながら、「日本が取っている核兵器拡散防止政策は、非核三原則、原子力基本法、核拡散防止条約などの三つの柱で構成されているから、いくつかの段階を取るだろう」と予測した。 最初の段階は、国会決議として採択された非核三原則を廃棄し、核の平和的利用を規定した『原子力基本法』を改正したり廃止する。二番目の段階は、第1段階と同時になされたり直ちに取れる措置で、NPT脱退を宣言しつつ、国際原子力機関(IAEA)査察対象から離脱するのだ。三番目は、既存の研究用または商業用核施設を核兵器製造工場に変えるなど、本格的な核兵器開発体制に転換する段階だ。 彼は、核武装問題と関連して、日本の内部で変化が起きる三つのシナリオを想定する。すなわち、△朝鮮民主主義人民共和国の核兵器保有または統一大韓民国の核兵器保有、△米国の核の傘の機能低下または撤回、△政治的危機により極右政党が政権を掌握する場合などがそれだ。彼は、上の三つのシナリオが核武装に連結するかを判断するためには、△国内の反対世論、△周辺国の反発、△国際レジーム(regime)の制約、△軍事費能力の限界など、4種類の変数を考慮しなければならないと付け加えた(表参照)。
『査察優等生』の黒い腹のうち 『日本の核エネルギー政策の二重性に対する分析』という主題で博士学位論文を書いた金ジヨン氏は、「日本は、核兵器開発に必要なすべての条件をそろえた状態で、核兵器開発のカギは政策決定者の判断と、米国がいつまで日本に核の傘を提供するかに懸かっている」としつつ、「米国が日本に対して核の傘を引っ込め、東北アジアでの核兵器開発を含む軍事力の増強を許せば、日本の核兵器開発は深く展開するだろう」と予測した。 彼はまた、「日本の核エネルギー利用は、エネルギー生産に極限されず、核兵器の開発能力につながった」とし、「核不拡散体制が、非核国の核開発を防ぐ十分な心張り棒として作用しない現実と、日本の核の潜在的能力を考慮する時、日本のプルトニウム利用は明白な核拡散の範疇に属し、東北アジアの安保を脅かす要因になり得る」と付け加えた。 核軍備競争で、一方の核軍備増強は、それ自体が自分にブーメランになって戻って来て脅威となる矛盾した状況を作る。実際、ドイツのナチ政権の核武装の可能性のために、米国が最初に核武装をし、米国の核脅威を受けたソ連が続いて核武装をし、ソ連の核脅威を受けた英国とフランスが核武装の道に進出した。 米・ソの脅威を受けた中国が、中国の脅威を受けたインドが、インドの核脅威を受けたパキスタンが、相次いで核兵器を保有した。周辺国の軍備増強に脅威を受けたイスラエルと南アフリカ共和国が、やはり難なく核兵器保有国になった。 日本は、NPT体制で『査察の優等生』とての評価を受けた。IAEAの査察力量の10%以上を日本に投じているという話が出るほど、強い監視体制で核施設を運用してきた。2004年6月14日、IAEAは、日本の原子力利用は核兵器転用の憂慮がないことを認めつつ、核査察回数を既存水準から半分に減らすように決めた。このような点から、日本の核武装の可能性を高く見ない専門家たちもいる。しかし昨年5月、日本政府は、第7次NPT評価会議において、NPT脱退問題に対して非常に曖昧ながらも、自身の内心が一部滲み出る発言をして注目を引いた。 「脱退問題検討のための特別会議の招集は、行政支援の側面で問題があり、主要利害当事国による解決努力を阻害することがある。安保理の介入は、域内協議のような一次的措置が取られた後、最後の解決手段として留保されなければならない。特に脱退問題を安保理に自動移管するのは、安保理の権能を侵害することがあるので、安保理に通知するだけで充分だと思う」。 『プルサーマル』は失敗と判明したが… 同じ会議を控えて、米国の非政府組織(NGO)『憂慮する科学者同盟』(UCS)は、六ヶ所再処理工場の稼動を無期限延期することを日本に要請した。この団体が、4人のノーベル賞受賞者など米国の専門家27人に署名してもらった要請書は、「六ヶ所村の工場は、核兵器非保有国最初の再処理工場だから、計画の通り運転するのは、イランや朝鮮民主主義人民共和国を含んだ他の国々が、再処理施設や濃縮施設を作るのを断念させようとする国際的努力にとって弊害となる」と釘を刺している。 日本政府は、相変らず「核燃料はリサイクルできる」という壊れた神話を捨てられずにいる。高速増殖炉と『プルサーマル』(Plu-Thermal='Thermal Recycle of Plutonium'の日本式造語で、プルトニウムをMOX燃料として軽水炉で消費するという計画)は、環境と安全性の問題によって、すべて失敗作であると判明した。知恵という意味の『文殊』は、高速増殖炉に付けるのではなく日本政府当局者らの胸に刻むべき言葉であるようだ。 (*1)正式名は、『原子力神話からの解放――日本を滅ぼす九つの呪縛』カッパブックス、光文社、2000 (*2)核拡散防止条約は、Nuclear Non-Proliferation Treatyの日本語訳。核不拡散条約とか核非拡散条約とも訳せるが、日本政府は「核拡散防止条約」の語を、大韓民国政府は「核拡散禁止条約」の語を採用している。 (*3)第7次『長期計画』(87/06/22)の第3章第2節(5)項「核燃料サイクルの確立」中の「使用済燃料の再処理は,プルトニウム利用の自主性を確実なものとする等の観点から原則として国内で行う。」を指しているのでは、と思われる。第8次『長期計画』は、94年6月24日に決定されており、時期が合わないのと、該当箇所が見つからない。 |