イラク・シリア国境付近で一瞬にして40人以上を殺りく
“大虐殺の結婚式”
□米軍による結婚式爆撃・虐殺を糾弾する!
□決定的な証拠を前に、もはや居直りは許されない!
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5月19日、イラクのシリア国境付近の村で行われていた結婚式場を米軍は空爆した。多数の子どもや女性を含む42〜45人の尊い命が奪われた。米軍による民間人大虐殺事件である。私たちは、この大虐殺事件を引き起こした米軍に怒りを抑えることができない。
これだけ多くの民間人を殺害したにもかかわらず駐留米軍は、その責任をいまだに認めていない。事件を引き起こした米軍のキミット准将は直後、「攻撃は対空砲火への反撃であり、交戦規定に従ったものだ」と述べ、またシリアの旅券や多額の現金、衛星通信機材の証拠を挙げ、そこに反米武装勢力がいたことを強調した。またマイヤーズ統参議長は21日、「…空爆した場所から武器も見つかった。標的が武装勢力であったことを確信している」と述べた。
しかし、これら全てがウソ・デタラメ、でっち上げであることが明らかになってきた。アルアラビーヤをはじめとするアラブのマスコミが現地に入り、次々と真実を暴き始めたからである。被害現場の調査、被害者からの聞き取りによって、米軍による攻撃が結婚式に対して行われたことを伝えた。そして遂に5月23日、APTNが入手した当日の結婚式の様子を撮影したビデオ映像が全世界に流れたのである。結婚式の祝宴の撮影を依頼されたカメラマンが録った映像が、がれきとなった式場から発見されたのだ。このカメラマンも犠牲になった。ビデオには結婚を祝うイラクの人々が映し出されている。
米軍による説明が、虐殺の責任回避以外の何物でもないことを、改めて裏付けたのである。しかも攻撃はアパッチヘリによる爆撃だけではなかった。攻撃用ヘリコプターに援護された軍用車両から機関銃を使って、逃げ出す人々を狙い撃ちして殺したのである。更には、結婚式場ががれきと化した後も、米兵が一人一人の生死を確認し、負傷してうめいている人々には最後の一撃を加えて回った。これが果たして「誤爆」と言えるのか。到底許すことの出来ない残虐極まりない大量殺戮である。
今回の虐殺事件は、アブグレイブ収容所における米軍の拷問・虐待・虐殺が世界から糾弾され、米によるイラク占領統治に厳しい視線が向けられている最中に引き起こされた。しかし事件は、ブッシュ政権が戦争を仕掛けた当初と同じように、イラクにおいて好き放題に蛮行の限りを繰り返していることを全世界に明らかにしたのである。今なおイラク駐留米軍は、米の占領支配に抵抗する者たちを徹底的に叩きつぶそうと、各地で虐殺行為を繰り広げいている。特に南部においては、サドル支持者を根こそぎにしようと、日々虐殺行為を繰り広げている。また事件が起こったシリア国境付近に米軍部隊を張り付け、徹底した監視体制を取っている。事件は、日々繰り返される駐留米軍の蛮行の一角に過ぎない。
今回の虐殺事件をうやむやにさせてはならない。アブグレイブ収容所における米軍の拷問・虐待・虐殺をはじめとする多くの蛮行とともに、その責任を追及し続けることが必要である。米軍の占領統治下で、数多くの民間人が虐殺されている(下記サイト参照)。米軍による民間人殺戮をこれ以上繰り返させてはならない。
※参照 ○AP:5,558 Iraqi civilians killed
under occupation
Survey of morgues in Baghdad, three
provinces reveals grim toll
http://msnbc.msn.com/id/5045166/
○'US soldiers started to shoot
us, one by one'
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1221658,00.html
翻訳資料
ビデオ画像は、イラクの結婚式を映し出している(AP)
Sunday May 23, 2004
By SCHEHEREZADE FARAMARZI Associated
Press Writer
http://www.guardian.co.uk/worldlatest/story/0,1280,-4124547,00.html
ラマディ、イラク−−日曜日にAPTN(Associated
Press Television News)が入手したビデオテープはある結婚式をとらえている。その後の水曜日の早朝、結婚式は米軍の戦闘機に攻撃され、最大45人が殺されたと生存者たちは語っている。死亡者の中には、カメラマンのヤッサー・シャイカット・アブデュルが含まれていた。彼はその祝宴を記録するために雇われた。祝宴は火曜日の夜、戦闘機による空爆以前に終了していた。
米軍の発表は次の通りだ。すなわち、われわれは攻撃を調査している最中である。攻撃はシリア国境から5マイルほどのモグル・エルディーブの村でなされたが、現時点では全ての証拠は、標的が外国人戦士の隠れ家であったことを示している。
「結婚式だった証拠はない。なんの装飾も楽器も発見されず、結婚式から連想される大量の食べ物や個別に給仕した食べ残しもなかった。」土曜日、マーク・キミット陸軍准将は言った。「ある種の祝宴があった可能性がある。悪い人々も祝宴を持つ。」
しかしAPTNが攻撃の翌日に撮影したビデオは、楽器の破片やポットや鍋、そして祝宴に使われ、爆弾で大破したテントの回りにまき散らされた明るい色物の寝具類を放映している。
その結婚式のビデオテープは、婚礼用の車―カラフルなリボンで飾られた−−をエスコートして砂漠を疾走している12台の白いピックアップトラックを映し出している。花嫁は西洋式の白い婚礼衣装とベールを着ている。カメラは彼女が車から降りる光景をとらえているが、クローズアップされた映像は示していない。
あるAPレポーターと写真家は、12名以上の生存者たちに空爆の翌日インタビューしたが、結婚式のビデオの中に彼らの多くを確認できた−そのビデオは数時間に渡っている。
また攻撃の翌日APTNは生存者たちが語っていたことを記録するために、婚礼の場所だったルマディの西250マイルにあるモグル・エルディーブへ行った。兵器の残部のような破片と米軍の爆弾についているものと酷似した穴があいた“ATU-35”というマークの一部と共に、破壊された建物とテントの残骸、ポットと鍋を見ることができた。
APTNが撮影したビデオと花婿の従兄弟から入手した婚礼の記録テープの両方において、一台の給水車を映し出している。
息子アザッドとその花嫁のルタバ・サバの婚礼のために、ホストであるリカッド・ナジェフの庭に設営された男性だけのテントでは、歌と踊りは永遠に続くように見える。暗くなってから男性たちは後にポーチに移動した。どうやら涼しい夜の天候をいかそうとしたらしい。主に男の子だったが、子供たちは父親の膝に座っている。男性たちはアラブの水パイプを吸い、指でビーズをもてあそび、互いにお喋りしている。それは典型的な男女を分けた砂漠の部族結婚式のように見える。
期待されたように、女性は見えないところにいる−−しかし生存者によると、彼女らは、有名なバグダッドの婚礼歌手でその祝宴に雇われたハッサン・アルアリの音楽に合わせて踊っていた。アルアリは火曜日バグダッドに埋葬された。
ビデオテープの中で目立つようにディスプレイされているのは電子オルガンを演奏する一人の坊主頭のがっしりした男性である。ラマディで後日撮影され、APTNが入手した別のテープは埋葬布に死んで横たわっっているそのミュージシャンを放映している−彼の顔ははっきりと見ることが出来、演奏中に着ていたものと同じ黄褐色のシャツを着ている。
そのミュージシャンが演奏していた時、若い男性たちが周囲をうろついていた、彼らのほとんどが伝統的な白いローブを着ていた。若者たちが、伝統的な変化の乏しい調べのアラビア音楽に合わせて民族舞踊をを踊っていた。少年と少女は、手を取り合いながら、踊り、微笑んでいた。女性たちは、このような場においては、あまり撮影されない。彼女たちは、離れた所に、少しばかり映っているだけである。
キミットは言った。この一帯を捜索した米軍は、ライフル銃、マシーンガン、外国籍パスポート、寝具、注射器等を見つけた。それらは、この場所がシリアから潜入した外国人によって利用されいたことを示していると。
ビデオテープにはいかなる武器も映っていない。田舎住まいのイラク人にとってはありふれたものであるのだが。
キミットは、子供たちが攻撃によって死んだとの証言を拒絶した。おそらく4人から6人の「女性たちが、戦闘に巻き込まれた」のであるのだが。
「おそらく彼女たちは、戦闘機からの砲火によって殺されたのであろう」と彼はリポーターに語った。
しかしながらAP通信のリポーターは、殺されたと親類が語っている少なくとも10人の子供たちの名前を得た。生存者たちが水曜日に埋葬のために彼らをラマディへ運んだ際、彼らの内5人の遺体はAPTNによって撮影された。イラク人の役人は少なくとも13人の子供たちが殺されたと語った。
攻撃後4日たっても、生存者たちの記憶は苦痛に満ちたものだった−彼らの怪我がそうだったように。
ハレマ・シアブは32歳でリカド・ナイエフの3人の妻の一人である。彼女は最初の爆弾が落ちた時、7ヶ月の息子ヨーセフを抱き寄せ、5歳の息子ハムザの手を握って、走り出した。15歳の息子アリは彼女のそばを走っていた。彼女が倒れた時、彼らはどうにか数ヤード走っていた−彼女の脚は折れていた。
「ハムザは『おかあさん』と叫び声をあげた」とシアブは繰り返した。「アリは、傷つき、出血していると叫んでいた。それが、彼の言葉の最後だった。」その時、砲弾が落ち、シアブの左腕を負傷させた。
「ハムザは手から崩れ落ち死んでしまった。ヨーセフだけが腕の中に残っていた。アリは爆弾に傷つき、殺された。私は戻ることができなかった」とラマディの病院のベッドから彼女は語った。彼女の腕にはギブスが付けられていた。
彼女と継娘のイクバル(腕の中に抱かれていた)は、爆弾によるクレータの中に隠れた。「私たちは、真夜中の3時から明け方まで血を流していた」とシアブは語った。
直ちに米軍兵士がやって来た。その中の一人が、生きているのかを確認するために彼女を蹴り上げたと語った。
「私は、殺されないように死んだふりをしていた」とシアブは語った。兵士は笑っていたと彼女は語った。ヨーセフが泣き叫んだ時、兵士たちはこう言った。「泣くな、止めろ」と。
シアブの継娘である14歳のモザは、病院のもう一つのベッドで寝ていた。モザは負傷し、泣き叫んでいた。モザの親類は、彼女の母親であるスマヤが死んだことを伝えられないでいる。
「お母さんは死んでいなだろうか」とモザは母親のことを語った。「お母さんのことが心配だ」。
モザは、姉妹のシハム、サブハ、ゾーラの隣のポーチの脇で眠っていた。その端では母親が眠っていた。多くの人々がポーチにいた。彼女の従兄弟、義母、その他の女性の親族たちである。
最初の爆弾が落とされた時、モザと妹たちのスブハ、ファティマ、シハムは、一緒に駆けだした。モザはスブハの手を握っていた。
「私には、ファティマとお母さんがどこにいるのか、分からなかった。シハムは負傷した。死んでしまった。ゾーラの頭部が吹き飛ばされるのを見た。私は意識を失った」とスカーフの端で口元を隠しながらモザは語った。
彼女の妹であるイクバルは、隣で苦しみながら横たわっている。もう一人の妹のスブハは、2歳のクールードと一緒に部屋の上の階にいる。彼女の男の子は包帯が巻かれ、彼女の横っ腹には肝臓へのチューブが挿入されている。
彼女の足首も包帯で固定されている。赤色のリボンが、巻き毛の髪を束ねている。彼女と年長の兄であるファイサルだけが家族の中で生き残った。彼女の両親と4人の妹、弟たちはすべて殺された。
全部で、リカード・ナエフの大家族の27人が殺された。その大半が、子供、女性であったと家族は語っている。
※結婚式のビデオの11枚の写真はここをクリックすれば出てきます。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/in_depth/photo_gallery/3741973.stm
※6/1付のワシントン・ポスト紙のオピニオン欄でスタッフライターのジェファーソン・モーレー氏が、米軍発表をそのまま報道する米系メディアと、現地イラクからの情報に基づく海外のメディアとを比較し論じている。(英語)
この論説の終わりの方purported wedding videoをクリックすれば、問題のビデオを見ることが出来る。
http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A6394-2004Jun1
関連映像(APから)
[破壊された現場]
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A destroyed building is seen in this TV image
after U.S. helicopters fired
on a wedding
party in the remote desert area
near Mogr
el-Deeb, 600 km (373 miles) west
of Baghdad.
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[負傷した2歳の子供]
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Iraqi girl Kholood, 2, sits on a bed in the
hospital in Ramadi, 110 km west
of Baghdad,
Iraq , Sunday May 23, 2004. Kholood
was injured
by shrapnel into her back when
U.S. helicopters
fired on a wedding party in the
remote desert
near the border with Syria, killing
more
than 40 people, Wednesday May
19. Kholood
lost her parents and four of
her brothers
and sisters during the attack.
(AP Photo/Anja
Niedringhaus)
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[結婚式の様子](発見されたビデオから)
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がれきの中から発見されたビデオテープには、赤ちゃんをに膝乗せた父親や楽しそうに遊ぶ子どもたち、踊りに興じる大人たちの姿を記録している。 |
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Videotape of a wedding party shows guests
relaxing Tuesday on the carpeted floor of
a large tent in the village of Mogr el-Deeb,
Iraq, about five miles from the Syrian border.
Guests say the party was attacked by U.S.
planes early Wednesday, killing up to 45
people.
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[抗議]
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バグダッドで20日、シリア国境近くで米軍機に攻撃され死亡したイラク人の棺を運びながら、反米スローガンを叫ぶ市民 |
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