増大する米軍兵士の犠牲と現状を直視せよ
今日の米兵の悲惨な姿は明日の自衛隊員の姿となる危険


はじめに−−今米兵に起こっていることは日本兵(自衛隊員)にも起こり得る。

(1)米兵が直面しているイラクの“過酷な戦場”は、自衛隊が直面するその同じ“過酷な戦場”である。
 小泉首相は勇ましい。防衛庁長官も外相も勇ましい。右翼新聞や右翼論壇は大はしゃぎである。戦後初めて念願の海外侵略に踏み出したからである。自分達は殺し殺されもしない安全なところから号令を掛け進軍ラッパを吹き鳴らすだけ。不思議にも小泉首相がいくら無責任でちゃらんぽらんな対応を繰り返しても支持率が落ちないのだから、安心して冒険主義に走れる。世界最大最強の軍事力で武装した米軍兵士が実際には一体どんな状況下におかれているか、案じる必要も考える必要もない。自衛隊派兵反対の反戦・非戦世論が小泉支持率を劇的に押し下げ、政権崩壊の危機を招くまでは、彼が真剣に考えることは決してないだろう。その意味で私たち民衆にも責任がある。

 現在のイラクは、米軍にとって、ベトナム戦争以来の“過酷な戦場”である。若い従軍兵士が日々倒れている。戦死者とは桁違いの多数の負傷者が出ている。大勢が精神的なストレスで病気になり帰還させられている。劣化ウランに被曝し放射能特有の病気に掛かっている可能性がある。等々。
 自衛隊のイラク派遣はこの同じ“過酷な戦場”への派兵である。米兵と同様、自衛隊員もまた、反占領・反植民地の闘いを強めるイラク民衆のゲリラ戦争の前に、犠牲は避けられないだろう。自衛隊員にとっても湾岸戦争症候群は他人事ではなくなる。半年前、1年前には想像もしなかった事態が日本で起ころうとしている。

 何よりも米兵の現状を直視すべきである。今日の米軍兵士の悲惨な姿は、明日の自衛隊員の姿である。もちろん掃討作戦で血生臭い虐殺と弾圧を行っている米兵と「宿営地」に閉じこもる自衛隊員(日本兵士)は全く同じ状況ではないが、重なる部分が大きいことも明らかである。個々の自衛隊員はイラク民衆に対する加害者であると同時に、小泉首相の個人的な延命のため、政権維持のため、与党の党利党略のための犠牲者でもある。
 私たちは以下に、最近の米軍兵士・連合軍兵士の「無駄死に」と悲惨な姿を明らかにすることで、無法で無責任な戦争に行くことを強要された自衛隊員とその家族を待ち受けている近未来の状況を考えてみたい。

(2)一体何のための、誰のための戦争なのか。−−ウソ・でっち上げが次々発覚する中で米軍兵士は士気の低下に苦しんでいる。
 フセイン元大統領拘束から約1ヶ月が経った。今なお、イラクにおける米軍兵士の犠牲が次々と報じられている。ファルージャ近郊にて1月8日、「ブラックホーク」が撃墜され、兵士9人が死亡した。また7日には、バグダッド西部の補給基地に迫撃砲が撃ち込まれ、兵士35人の死傷者が出た。反米抵抗勢力のレジスタンス活動は持続しており、米軍の犠牲者も拡大し続けている。まさにイラク全土が“戦場”であることが明らかになっている。また比較的情勢が安定していると言われている自衛隊派遣予定地サマワにおいても駐留するオランダ軍と住民間が衝突し住民が殺害される事件が発生している。

 派遣された自衛隊隊員がどうなるのか、それは日々犠牲となっている米軍兵士の姿が如実に物語っている。ワシントン・ポスト(電子版)の“Faces of the Fallen:U.S. Fatalities in Iraq”をクリックしてみよう。そこには、イラクの“戦場”で倒れた全ての米軍兵士の顔写真が掲載されている。一人一人の顔写真をクリックすると、年齢、出身地、所属部隊、どのようにして犠牲となったのか、これらの情報が分かるようになっている。若き尊い命が消え去ったことを見る者に語りかけている。また別のサイトには、犠牲となった米軍兵士の顔写真とともに次のような言葉が添えられている。「彼らは、ほんの一年前には生存していたのだ」と。

 ここに取り上げるのは米軍兵士の犠牲の問題である。彼らは、「何のための戦争なのか」「誰のための戦争なのか」の問いに悩み、士気の低下に苦しんでいる。大量破壊兵器はでっち上げ、女性兵士救出劇もでっち上げ、イラク解放戦争もでっち上げ。そして遂にオニール前財務長官が、「大量破壊兵器の証拠はなかった」「ブッシュ大統領自身が就任直後からフセイン政権打倒のための戦争計画を立てるよう指示した」等々、爆弾発言を行ったのだ。米兵は、アメリカによる石油のための戦争、軍産複合体のための戦争、ブッシュとネオコンのための戦争、すなわち一部の特権階級の利益のための戦争に尊い命を投げ出すことの無意味さを日々の修羅場で思い知らされている。そしてそれは米軍だけの問題ではない。日本の自衛隊の問題でもあるのだ。
※“Faces of the Fallen:U.S. Fatalities in Iraq”WashingtonPost
  http://www.washingtonpost.com/wp-srv/world/iraq/casualties/facesofthefallen.htm
※曲がりなりにも米軍兵士が記録されているにもかかわらず、一方で米軍兵士が銃を突きつけ殺したイラク人犠牲者が記録されることは稀である。米英軍を中心とする同盟軍によって殺されたイラク民衆は、兵士を含めると数万にものぼる。イラク人、アメリカ人、共に同じ一つの生命にもかかわらず、イラク人死者の記録はこのようなアバウトな数値でしか記録されていない。彼らこそが本当の意味での“戦争の犠牲者”であり、二度と戦争の惨禍を繰り返さないためにも記憶されなければならない人々のはずである。イラク戦争における同盟軍の罪を告発する“イラク・ボディ・カウント”は、犠牲者一人一人を特定し記録する作業を今なお継続している。私たち署名事務局の「イラク戦争被害の記録」もささやかながらこの記録作業をフォローしている。

2004年1月14日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局
イラク戦争被害記録担当班

(※1月20日 表と本文中の数値を一部訂正)



1.今なお増え続ける米軍兵士の犠牲。ここへきて急増する同盟軍兵士の犠牲。


(http://www.ac.wwu.edu/~stephan/ より)
(1)フセイン元大統領拘束後も増大する米軍兵士の犠牲。
 新年に入ってからも、米軍兵士の犠牲は増え続けている。1月に入ってからの10日間で16人の米軍兵士が犠牲となった。1月の一日当たりの米軍と同盟軍の犠牲者数(英軍の3人が加わる)は、1.9人/日であり、非常に高い犠牲者数を記録している(1月10日現在)。

 またフセイン元大統領が拘束された12月13日の前後の期間を比較してみると、11/29〜12/12の期間における米軍兵士の死者は11人、負傷者は51人。一方11/14〜12/27の期間における死者は13人、負傷者は10人である。これに米軍以外の同盟軍の犠牲者、6人の死者と26人の負傷者が加わる。このように、フセイン元大統領拘束後も米軍兵士、同盟軍兵士の犠牲は減少していないのである。フセイン元大統領の拘束によって“戦争状態”が終結に向かうだろうとの楽観論とは裏腹に拡大する米軍兵士の犠牲は、イラク民衆の反植民地闘争が今なお継続していることを示している。またここ数ヶ月間米軍は「掃討作戦」を格段に強化した。それにもかかわらず米軍兵士の犠牲者がむしろ増加傾向にあることは、イラク民衆の抵抗闘争がますます先鋭化し、組織化されていることを示している。「スンニ派三角地帯」での掃討作戦が、逆に反米・反占領感情をかき立てていることを示している。このように“戦況”がますます悪化しているイラクに、自衛隊が派兵されようとしているのである。
※ 「Pace of Attacks on U.S. Troops Hasn't Slowed Since Saddam's Capture」Published on Friday, January 2, 2004 by Knight-Ridder,Tom Lasseter 。http://www.commondreams.org/headlines04/0102-08.htm

(2)新たな傾向:同盟軍兵士の犠牲の急速な拡大。イタリア・スペイン・タイ・デンマーク・ブルガリア・ポーランド軍等々。
 11月12日、イラク南部のナシリアに駐留するイタリア軍警察官17人が犠牲となった。比較的情勢が安定していると見られていたイラク南部における大規模な犠牲は、イラク全土が“戦場”であることを再認識させた。イタリアは約3000人をイラクに派遣しており、ナシリヤには約400人の軍警察官が駐屯していた。またヒッラでは11月29日、スペイン情報機関員が乗っていた車列が待ち伏せ攻撃を受け7人が犠牲となった。現場の報道映像には、犠牲となったスペイン情報員の遺体を前に占領支配へ怒りの声を上げる民衆の姿が映し出され、米英と同様のイラク占領軍として彼らが怨嗟の対象となっていることを見せつけた。またイラク中部のカルバラにおいて昨年末12月27日、ブルガリア軍兵士4人とタイ軍兵士2人が犠牲となった。米英の占領支配に協力する同盟軍兵士の犠牲はここ最近急増している。これら同盟軍は比較的平穏と見られていた地域に展開していたにもかかわらず、である。いみじくも彼らの犠牲は、「人道支援」「復興支援」を隠れ蓑にしてごまかしても、同盟軍である限り、反占領闘争の襲撃を免れないと言うことである。

 イラクに駐留する米英軍以外の同盟軍の中には動揺が広がっている。カルバラに500人の兵士を派遣しているブルガリアは、新たな交代要員の兵士の中に派遣を拒否する者が増えている。その数は派遣予定要員の1割近く(47人)にものぼっているのである。また英国首相、オランダ首相が相次いでイラクを訪問している。トップ自らの訪問によって、なんとか派遣兵士の士気を維持しようとしている。たとえどんなに犠牲者が出ようとも一旦イラクに部隊を派兵するや、撤兵など許されるない。米軍は決して許さないであろう。最後まで米軍と運命を共にするしかないのである。 
※<イラク>オランダ首相が電撃訪問 サマワで慰問か(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040108-00002111-mai-int
※兵士17人、また派遣拒否 ブルガリア軍(共同通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040107-00000205-kyodo-int


2.米軍兵士の犠牲者の全体像:戦死者、負傷者、自殺者、脱走者、精神的ダメージ、原因不明の奇病などが増え続け、すでに1万数千人以上が戦線離脱。

(1)公式数字でも米軍兵士13万人のうち1万数千人以上が戦線離脱している。
 犠牲者は戦死者だけではない。それは氷山の一角である。私たちが想像する以上に米軍兵士の犠牲者は多いということを見なければならない。
 11月14日のUPI記事(電子版)“イラク戦争における米軍の犠牲者は9000人を越える”(U.S. casualties from Iraq war top 9,000)において犠牲者の全体像が取り上げられた。ペンタゴンは、死者、負傷者、傷害や疾病によって9000人以上が11月までに戦場を離れたことを認めた。
 またこの記事とは別個に、私たちが収集した情報から独自に犠牲者の全体像を概観した結果、戦死者500人、負傷者2800〜3000人、自殺者14人、脱走者1700人、精神的ダメージ7000人等々、総計12,200人にのぼる。

 さらに米軍の軍医の別の報告によると、3/19〜10/30の期間において死者397人、負傷者1967人、治療のための後送(精神的ダメージを含む)6871人が報告されている。最新の犠牲者総数はこれらの数値を大きく上回っているだろう。

 いずれにしても、公式に報告された数字だけで、7000人(米軍軍医、10月末)、9000人(UPI、11月末)、12,200人(署名事務局の大雑把な推計)と、約1万人もの兵士が戦線離脱を余儀なくされているのである。イラクに派兵されている13万人の米軍兵士全体の5.3〜9.4%に達する。この冷徹な数値が示している事実は一つである。すなわちイラクにおいて日々“激戦”が戦われながら、同時に士気が低下しているということである。
※U.S. casualties from Iraq war top 9,000(UPI)
http://www.upi.com/view.cfm?StoryID=20031113-074311-4128r

(2)犠牲者その1:死者。
 1月10日現在、昨年3月の開戦以降の死者は、米軍495人、英軍56人、その他40人、合計591人となっている。昨年5月1日の戦闘終結宣言以前の米軍兵士の犠牲者は139人だから、戦闘終結宣言以降の犠牲者は356人である。米軍だけですでに「戦後」=占領下の犠牲者の方が「戦時」を2.5倍も上回る大きな犠牲者を生み出しているのである。このような現場を“戦場”と言わずして何と呼べばよいのか。米軍兵士はレジスタンスの待ち伏せ攻撃、道路脇の仕掛爆弾によって次々と倒れているのだ。

 右表からも明らかなように、昨年11月以後、米軍、その他の同盟軍兵士の犠牲者数は急増している。10月下旬から11月の最初の時期が、レジスタンス闘争が活発化した「ラマダン攻勢」に対応している。相次いで米軍ヘリが撃墜され、バグダッド空港を離発着する輸送機への組織的な攻撃も現れ始めた。

 その直後の12月における米軍兵士の犠牲者数は縮小しているが、その最大の要因は、米軍が大規模な「掃討作戦」を展開したためである。爆撃機、誘導ミサイルによる攻撃を再開し、抵抗勢力の拠点を無差別に破壊した。「容疑者」らしき民衆を次々と拘束した。イスラエルによるパレスチナ弾圧の手法をイラクに導入し、民衆への弾圧を強化したのである。しかしそのような武力に基づく占領支配を強めれば強めるほど民衆の怒りを買い反米感情をかき立てることは避けられない。現に、再びレジスタンス闘争は強まる気配を見せている。今なおバグダッドにおける一日当たりの襲撃回数は20件近くに及んでいるという。バグダッド占領軍中心地「グリーン・ゾーン」(CPA管理区域)にすら、自由に迫撃砲を撃ち込まれている。今後ますます米軍兵士の死者は拡大することになるだろう。

(3)犠牲者その2:負傷者。
 戦闘・事故による負傷者数は桁違いに膨れ上がっている。中でも戦闘による負傷者の多さには驚く。現在(1月10日)までの米軍の負傷者は戦闘によるもので2487人、非戦闘によるもので390人である。この数値(右表)は米軍発表のものであり、実態はもっと大きいと言われている。米軍自身もこのような事態に驚きを隠せないでいる。「異常なまでの負傷兵の数である。」(米陸軍軍医)と。

 負傷した兵士の中で死亡した兵士の割合は、ベトナム戦争では3.68%であったのに対して現在のイラクは1.6%と、格段に救命率は高くなっている。この背景には、戦場における緊急医療技術の向上がある。負傷者をめぐる状況について、添付記事「負傷に対する侮蔑的な態度」(11月4日)には次のような説明がある。

(死者が)減少しているのは当然であるが、兵士らは、生き残ってしまったために、歴史上のどの兵士らよりも、ひどい傷を負ったまま生きなければならない。・・・・
(以下『タイム』紙の引用)「戦闘の前線における、防御の向上、すばやい退避、そして医療の改善は、戦場での死を劇的に減少させた。同時に、防護服と傷口を密閉する薬が戦場で死ぬ兵士を減少させているにしても、それらは又、特定の種類の負傷、特に手足の切断の機会を増大させている。なぜなら、イラク人らがあちこちに持っている手製の武器に対し、兵士らの手足は無防備な状態のままだからである。イラク人らは、たやすく相手を殺せる空軍力も大砲も持っていないが、彼らが使っている兵器 −− RPG、自動車爆弾や即席の爆破装置 −− は、負傷者の仲間を増加させている。また、これらの負傷者の発生が、後に残された兵士らの士気を脅かしているように見える。」
「たくさんのこれらの仲間たちは、腕を吹き飛ばされたり、太腿から下の足を吹き飛ばされたりしている。彼らの人生はやっぱり全くひどいものになるだろう。」


 このように米軍兵士の多くの負傷兵は死に至らないまでも、実に深刻な傷害、後遺症に苦しめられている。またイラクで負傷した者の約20%は深刻な脳への障害によっても苦しめられていると言われている。ケヴィン・C・キリー少将(北大西洋地域医療司令部の総指揮官)は、10月16日付のボストン・グローブ紙の記事の中で、これら負傷者の70%もが脳への障害の可能性を受けていると語っている。

 ブッシュ政権、米軍上層部は米軍兵士の犠牲を小さく見せようと、負傷者の問題に言及することを避けている。負傷兵の実態をマスコミの目から遠ざけることに躍起になっている。確かに、失われた米軍兵士の命の総数は現時点では500人前後かもしれない。その数自身大きなものではあるが、それをはるかに上回る従軍兵士たちが瀕死の重傷を負っているのである。サイト“Military Personnel Wounded in Iraq & Afghanistan:A Photo Gallery”には、負傷した米軍兵士の姿を追った写真が掲載されている。その一枚一枚に、“無益な戦争”によって負傷した兵士たちが失った代償の大きさを垣間見ることができる。
※Military Personnel Wounded in Iraq & Afghanistan:A Photo Gallery
http://www.thememoryhole.org/war/wounded/gallery.htm
※US troops suffering more brain injuries (The Herald 2003年12月5日)
http://www.theherald.co.uk/news/5805.html

(4)犠牲者その3:その他。

 家族へ思いを募らせる兵士
(BBC News Online)
■兵士の自殺
 また駐留米軍兵士の中の自殺率は非常に高い。10月14日までの期間において14人の米軍兵士が自殺した。これは年間10万人に17人の兵士が自殺している割合(0.017%)であるが、米陸軍平均0.013%と比較しても格段に高い。上記のインタビュー記事を見れば、その理由は明白である。大義のない歓迎もされない無益な戦争に従事する米軍兵士は目的を喪失し、誇りも自信も失い、士気も大きく低下している。米軍準機関紙スターズ・アンド・ストライプス(10月16日)の調査でも、回答者の49%が所属部隊の士気が「低い」「非常に低い」と回答している。

■脱走兵
 それだけではない。すっぱ抜きで知られるフランスの風刺週刊紙カナール・アンシェネは12月3日、フランス情報機関の入手した情報として、イラクに駐留する米軍から、これまでに1700人が任務を離れ脱走したと報じた。脱走兵はイラク戦争で従軍し、イラクに駐留した後、許可を得て米国へ一時帰国したまま戻らないケースがほとんどという。同紙は、米国防総省がイラクで死亡した米兵の実際の数を隠し続けていると主張、「しかし、それだけが米国防総省を悩ませている数字ではない」と脱走兵の急増を指摘した。同紙はさらに、米国のタカ派はこの数字が米国マスコミに知られるのを恐れていると報じた。さらに駐米フランス高官が得た情報によると、7000人の米兵が精神的なダメージなどにより治療のため撤収させられたほか、2200人が手足を失うなど重傷を負ったという。
※“米軍の1700人脱走 イラクからと仏風刺紙”(共同通信)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20031205-00000011-kyodo-int


3.劣化ウランか炭疽菌ワクチンか、あるいはそれらの合併症か。−−“原因不明の奇病”が続出。第二の湾岸戦争症候群の再現。

(1)“過酷な戦場”の中で極度の精神的ダメージを受ける兵士たち。
 イラクの“戦場”に長期間にわたって駐留する米軍兵士の中に、精神的ストレス、精神的ダメージが見られ、7000人を越える兵士が治療目的のため移送されている。
 米軍兵士を取り巻く環境は悲惨である。一年近くも故郷から離れ従軍を強いられている。戦争とはいえイラク人殺戮を繰り返してきた。戦争の目的に疑問を持つ一線の兵士も多くいる。そして米軍は解放軍ではなく、イラク人の怨嗟の対象であることを思い知らされた。猛暑のイラクにおいて、一日をわずかな水と食料で生き延びることを強いられた。多くの仲間が倒れるのを間近で目撃した。何よりもゲリラからいつ攻撃を受けるか分からない。いつも緊張を強いられる。等々。等々。

 このような非人間的な環境、自分が殺されるかも知れないという過酷な環境に長期間にわたって投げ込まれ続けた兵士が正常な精神状態を保持することができなくなるのは当然のことである。次の引用は、イラクから帰還した上級下士官へのインタビューである。“戦場”における驚くべき実態の告発である。
※“石油のために死ぬのはイヤだ”(ジェイ・シャフト、10月12日からの引用、TUP速報197号より)
http://www.egroups.co.jp/message/TUP-Bulletin/203

(Q)イラクでの体験はそんなに苦しいものだったのですか?
(A)イラク駐留は、地獄への長い旅のようなものだ。ゲリラがいつどこから襲ってくるかもわからない中、食べ物も水もろくになかったんだからね。
 われわれはイラク人に下着や靴下まであげて、飲み水や食料をもらわなければならなかったくらいだ。あるときは、飲み水が数日間手に入らなくて、一部の兵士は脱水症状を起こして、ひん死の状態だった。

(Q)あなたの部下たちが殺されるのを見たことがありますか?
(A)30人以上の部下たちが、わたしの腕の中で、息を引き取ったよ。そして、100人以上の兵士たちが負傷して運び出され、そのまま帰ってこなかった。彼らが生きのびたのか死んだのか、誰も教えてはくれない。
 特に先月はひどかった。毎日、20回以上も襲撃され、連日、仲間の兵士が殺されたんだ。24時間ごとに、少なくとも5人以上が負傷して隊列からはずされた。
 ある部下は、砂漠の中で撃たれ、わたしの腕につかまりながら、「死ぬ前に娘の顔を一度だけでも見たかった」と言って死んだ。彼の娘は、戦争が始まって3日後に生まれたんだ。
 若い兵士たちが血まみれになってあえいでいるというのに、ブッシュはいったい、どこで何をしていたんだ?

(Q)このインタビューで、またイラクでの残酷なシーンを思い出させてしまいましたね?
(A)イラクでの戦いは、酷いなんてもんじゃなかった。ある時は、イラク人の少年が大勢、攻撃対象の周辺にいたから、わたしは「空爆をすぐに止めてくれ!」と、無線で何度も叫んだんだ。
 でもその答えは、「止めるには、もう遅すぎる。爆撃を決行する」だった。
 数百メートル先で、クラスター爆弾が次々に爆発して、少年たちのバラバラになった体が空中に舞い上がるのを何度も見たよ。それはあまりにも惨たらしい場面だった。わたしにはあの少年たちと同じ年頃の孫がいるからね。
 爆撃が終わって生存者がいるかどうか見に行ったけど、あちこちに少年たちの腕や足が散らばっていただけだ。彼らは一人残らず殺されていた。

(2)湾岸戦争症候群の再来。劣化ウランが重要な原因の一つであることは間違いない。
 米軍兵士の犠牲で忘れてならないのは、いわゆる湾岸戦争症候群である。単に精神的ダメージだけではなく、劣化ウラン弾による急性症状と疑われる症状が出ているのである。イラク現地で多数の米軍兵士が肺炎様の症状や呼吸器系の症状の“原因不明の奇病”を発病しドイツの米軍病院に次々と移送されたというのだ。昨夏欧米メディアの一部で話題になった。

 現在疑われている原因は、劣化ウランあるいはウラニウム吸入による急性症状の可能性、炭疽菌ワクチンの可能性、そしてこれらの合併症の可能性などである。米政府・軍当局による報道統制、あるいはメディアの自主規制か不明だが、その後それらの米兵が一体どうなったのか、原因も追跡調査もされないまま、ほとんど報道されなくなった。彼ら“奇病”をわずらった米兵らは闇から闇へ葬られようとしている。米軍当局の全面的な調査が行われなければ原因を究明することはできないだろう。米国防総省当局は、この“原因不明の奇病”を隠すことに必死だが、今後の動きを厳しく監視していく必要がある。

 いずれにしても、予想以上にたくさんの兵士の間で、しかも戦争前は非常に健康だった若者の間で“奇病”が発生していることは驚くべき事であるだけでなく、かつて騒がれた湾岸戦争症候群が今回の戦争でも再び繰り返されることを予告しているのである。原因が劣化ウランにしても炭疽菌ワクチンにしても、どちらも今回の戦争で米軍当局は使用を中止しなかった。従ってもし劣化ウランや炭疽菌ワクチンが、かつて湾岸戦争の帰還兵士の半数以上の健康を破壊した湾岸戦争症候群の原因物質なら、今回も同じ事が起こるのは間違いない。そして、それと共通の症状を含むイラク南部での癌、白血病の増加もまた必至といえよう。米軍のイラク戦争は何の罪もないイラクの多数の人々の犠牲、特に将来にわたる子どもたちの犠牲だけではなく、自国兵士の犠牲の上に成り立つ、文字通り血にまみれたものだったのだ。
※米兵の間で発生している奇病−−肺炎様の症状や呼吸器系の障害など−−とその犠牲者について3つの記事を以下に翻訳し紹介した。(翻訳資料2〜4) 最初の2本(翻訳資料2,3)はワールド・ソシアリスト・ウェブサイトに公表されたジェームス・コナシー氏の記事で、彼はこの問題を早くから追及してきた。3本目(翻訳資料4)はUPIのサイトに載ったもの。2本目の記事で紹介されている米軍兵士ノイシェのようにウラニウムを含んでいると考えられるバンカーバスターの集中攻撃を受けた大統領宮殿の瓦礫除去に動員された兵士からの発病の事実は劣化ウラン/ウラン原因説を強く示唆するものである。もちろん全面的な調査もなしに断言することはできない。このUPIのマーク・ベンジャミンの記事が強く示唆するように炭疽菌対策ワクチンが原因の可能性も有る。


4.無責任なブッシュ政権の下で踊らされたあげく忘却される犠牲者たち。兵士は「使い捨て」の冷酷。

 戦場で倒れた兵士たちはその後どうなっているのか。その後はほとんど報道も注目もされていない。イラク侵攻を開始した当初こそ、米国内では、星条旗に覆われた棺、英雄への敬礼、このようなシーンが相次いで流され、星条旗主義、愛国主義が煽られた。しかし今、死亡した兵士の棺が映し出されることはない。ホワイトハウスは、棺に納められた犠牲者のマスコミ取材を禁止しているのである。

 ブッシュ大統領の目下の関心は今秋の大統領選で再選されることだ。開戦当初は「戦死者」は戦意発揚の格好の道具だったのだが、今は全く逆で、ブッシュ政権の権威を失墜させるものなのだ。死亡した兵士の棺をマスコミから隠すように、ブッシュ大統領は命令したのである。
 また負傷した兵士の境遇も悲惨である。ある人権団体が告発した内容によると、負傷兵の中には、米国の基地内の“惨めな兵舎”内に閉じこめられ、治療待ちのまま隠されている者たちが多数いるという。ある将校はこの状況について、「(負傷者は)犬のように扱われている」と述べている。(下記の翻訳資料1「負傷への侮蔑」参照)また負傷者は「真夜中になってから戻される。飛行機が負傷兵を乗せてくるのが報道機関の目に入らないようにするために」と、バーモント州のパトリック・レーヒー上院議員は語っている。これが、「国に尽くした」はずの兵士を取り巻く実態なのである。


5.自分の息子や娘、恋人の即刻の帰還を求めて反戦運動に立ち上がった従軍兵士の家族たち。

 ブッシュ大統領は7月、相次ぐイラク人のゲリラ攻撃に「かかってこい」(Bring 'em on)と言い放った。自らは戦争に行ったことも今後行くこともないブッシュらしい暴言である。こうした発言に対して、日々ゲリラの襲撃で犠牲を払い緊張する現地の兵士達の不満が爆発し、公然とブッシュやラムズフェルドを非難する兵士が大手メディアに登場するようになった。また同じくこのブッシュ発言に怒りを爆発させた米兵の家族たちが「BRING THEM HOME NOW!」(今すぐ彼ら[米兵]を連れ戻せ!)という反戦運動を開始し、大きな広がりをみせている。これら兵士家族の反戦運動は昨夏以降、ANSWERやNIONなどの反戦運動に合流し始めている。


Bring Them Home Now から
 イラク戦争の泥沼化と、「大量破壊兵器」のウソが露呈したことで、開戦前には戦争を支持していた兵士家族もブッシュ批判を始めている。運動の中心になっているのは、昨年11月に結成された「Military Families Speak Out (軍人家族は反論する)」という、米軍に身内や恋人を持つ人々の反戦組織である。結成以来、全米および世界中の軍人家族との連絡を築いてきたが、会員数を急激に拡大し、数百家族、数千人規模の組織に成長している。
Bring Them Home Now”のサイトには、団体の設立の目的について次のように書かれている。
“今すぐ彼らを連れ戻せ!”は、イラクで今進行している戦争に反対しており、武装したイラク人の抵抗に対するジョージ・W・ブッシュが「かかってこい!」という愚かで無謀な挑戦を突きつけたために行動を駆り立てられた軍人の家族、退役軍人、現役の任務に就く要員、在郷軍人、そしてその他の人たちの運動である。

 私たちの任務は軍人家族や退役軍人や米兵を動員して、彼ら自身がイラク占領や他の間違って進められている軍事的冒険を終わらせ、全ての米軍を国内の勤務にすぐに戻すことを要求することにある。

真実は明らかになりつつある。アメリカの一般国民は、イラク侵略の動機と目的に関してブッシュ政府によって欺かれたのだ。政府は頑固にそして無力に、破滅の進路に固執していることが明白になりつつある。多くのアメリカ人は、我々の兵士がそこに駐留して欲しくない。多くの軍人の家族たちは、我々の兵士にそこに居て欲しくない。多くの兵士自身もそこに居ることを望んでいない。圧倒的大多数のイラク人も、我々の兵士にそこに居て欲しくないのだ。

 この叫びは、日本の反戦運動への訴えでもあるはずだ。イラクへの侵略戦争、占領支配に反対する者たち、自衛隊員を送り出す家族への訴えでもあるはずだ。今こそ高らかに自衛隊派兵反対の声を上げよう!“Bring Them Home Now”のサイトに掲載されている、これからイラクに出発する兵士の叫びは、私たちへに多くのことを訴えている。

ある兵士の告白 12月 17日 2003年

私は配備のための準備をしている大きい陸軍部隊に所属している。過去2,3ヶ月はイラクにおける我々の使命について、混乱というほか何物でもなかった。しかし、一つはっきりしたことがある。すなわち、我々はイラク人の魂を彼らの肉体から自由にするために向こうに行っている。もし、その事が、ベトナムと同じようにブッシュ支持者の陣営の中の誰の心をも打たないならば、君が吸っている物をくれ。

私は、兵士たちがKBR(一私企業)のために特別任務を行っている事実を私の上官の一人に言及した。彼はそれを何も悪くないと考えた!私はあなたたち、アメリカ一般国民のために働いている、この国の金持ち達のためでない。ハリバートン株を積み立てるのは止めて、公的に選出された政府に私たちの兵隊を戻すように言ってくれ。私は、私たちが所構わず茶色い人々に十分報復を行ったと考える。
http://www.bringthemhomenow.org/sound/main.html から)




◆■翻訳記事1◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
負傷への侮蔑
Insult to Injury
マザー・ジョーンズ・コム
2003年11月4日
http://www.motherjones.com/news/dailymojo/2003/11/we_601_02b.html

イラク占領を批判する人々にとって、イラクでのアメリカ人死者の現時点での総計は、いまや300人を超えており、ブッシュ政権の戦後政策の失敗を示すものとなっている。8月26日は、大統領が主要な戦闘の終結を宣言して以降に死んだ兵士の数が、戦争中の死者数を越えた日であり、アメリカの運動の中ではこの後イラクでの「失敗」について語ることができるようになった転換点であった。

しかし、死亡犠牲者に焦点を絞ることが、重大で、もっと大きな数字 −− イラクで負傷した兵士の犠牲者数、その多くは重症である −− を覆い隠してしまったことに言及しても、この死者数の深刻さや、何百人もの家族に代表される真の苦悩を軽視することにはならないだろう。

交戦が3月に開始されて以降、2000人を越える兵士が負傷したと伝えられている。そして米兵に対する攻撃は1日あたり30件以上に上り、さらに増加中なので、負傷者数は増える一方である。しかし米軍は負傷者の数を発表してこなかったし、また報道機関もそれらを抑えて報道する傾向にある:

「ニュー・リパブリック(The New Republic)」の記事中で、ローレンス・カプランが、死者に比して負傷者が無視されていることについての説明を試みている:

「負傷者が見えにくい状態にあるのには、いくつかの原因がある。報道機関は常に、戦闘での死者を戦場の実況を伝える最も確実な基準として扱ってきたし、一方では、政府が負傷者全部の数字の公表を渋ってきたという部分もある。」

「タイム」の記事が注意を促している:

「兵士は、戦争の最初から負傷してきているし----実際のところ、軍隊は宣伝は決して好きではない。ペンタゴンは、米兵がイラクでの戦闘で死亡した際には簡潔な発表を出しているが、負傷者に関する公表も、月々の負傷者数の発表もしていない。負傷者について言及されるのは、同じ攻撃で他に兵士が殺された場合に限られている。」

アメリカの兵士たちは、技術の進歩のおかげで、歴史上これまでのどの兵士らより、負傷しても生存するチャンスが増している。ジョン・グリーンウッド(医療の歴史を扱う役所のチーフ)は、「アーミー・タイムズ(Army Times)」の中で、「イラクの自由」作戦および「不朽の自由」作戦で負傷した兵士のうち死亡した者はたったの1.6%で、ベトナム戦争における負傷兵についての死亡率3.68%の半分より低い、と述べている。

減少しているのは当然であるが、兵士らは、生き残ってしまったために、歴史上のどの兵士らよりも、ひどい傷を負ったまま生きなければならない。

再度、「タイム」の記事より:

「戦闘の前線における、防御の向上、すばやい退避、そして医療の改善は、戦場での死を劇的に減少させた。同時に、防護服と傷口を密閉する薬が戦場で死ぬ兵士を減少させているにしても、それらは又、特定の種類の負傷、特に手足の切断の機会を増大させている。なぜなら、イラク人らがあちこちに持っている手製の武器に対し、兵士らの手足は無防備な状態のままだからである。イラク人らは、たやすく相手を殺せる空軍力も大砲も持っていないが、彼らが使っている兵器 −− RPG、自動車爆弾、即席の爆破装置 −− は、負傷者の仲間を増加させている。また、これらの負傷者の発生が、後に残された兵士らのモラールを脅かしているように見える。空軍はイラクの戦域から、戦闘犠牲者を1,513人を溢れ出させたが、精神性ストレスを含む、それ以外の健康的理由では9,341人が溢れ出ている。」

トッド・ファレル機長(ヘリコプターのパイロット)が「タイム」に語ったところによれば、「みんな言っているのは、”ああ、彼は死んでいない”だ。しかし、たくさんのこれらの仲間たちは、腕を吹き飛ばされたり、足を太腿から吹き飛ばされたりしている。彼らの人生はやっぱり全くひどいものになるだろう。」 イラクで負傷した者の約20%は深刻な脳への障害によっても苦しめられている。ケヴィン・C・キリー少将(北大西洋地域医療司令部の総指揮官)は、10月16日の「ボストン・グローブ」の記事中で、これら負傷者の70%もが脳への障害の可能性をこうむっている、と語っている。

また技術の進歩も、傷つけられた兵士たちがそれを利用できなければ、役に立たない。少なくとも1つの報道が、負傷者に対する医療支援の不足を指摘している。10月末までに、UPIと退役軍人の人権団体が公表したところでは、何百人もの州兵と軍の予備兵らがジョージア州のフォート・スチュアート基地の惨めな兵舎の中に、治療待ちのまま収容されている。何人かの兵士は、屋内の給水設備や空調設備を欠いた低水準の居住環境で何ヶ月も治療を待っていた。Tompaine.comが報じている:

「彼らは犬のように扱われている」というのは、匿名を望んだある1人の将校が、UPIの記事が出る前にTomPaine.comに語ってくれた説明である。「この部署には笑顔はない。私は生まれてこのかた、1ヵ所でこれほどまでに多くの悲しい人々を見たことはない...」

「私は30年間(軍に)在籍していたが、軍隊が身内に対してこのような態度をとるとは思ってもみなかった」とゲリー・モーズレー下士官(ミシシッピー州ブルックヘブンの州兵296輸送中隊)は言う。「自分自身がそうなったのではない。彼らが、医療診断を受けるのに4〜6か月かかることについて話してくれるだろう。」


イラクで進行している事態をごまかすキャンペーンの一環として、政府は犠牲者の軽視にその全力を尽くしている。ブッシュ大統領は、周知の事実だが、士気を喪失させる映像が彼の政権の信任を失墜させるのを避けようとして、死亡した兵士らの棺を記者らの視界から隠すよう命令した。

しかし、同じような制限は負傷者の報道にも適用されている。バーモント州のパトリック・レーヒー上院議員(83名からなる米上院州兵幹部会の共同議長)が最近、上院議場で述べたところでは、「飛行機が負傷者を乗せてくるのが報道機関の目に入らないようにするために、負傷者は真夜中になってから戻されている。」



◆◆翻訳資料2◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
数千人の米軍兵士が原因不明の医学的理由のためイラクから退避させられた
ジェームス コナシー 2003年9月9日
http://www.wsws.org/articles/2003/sep2003/wia-s09.shtml


 米中央軍司令部を取材源だとして、ワシントン・ポストは9月2日に、戦争が始まってから「6,000人以上の兵員」が医学的な理由でイラクから退避させられたと報じました。その時点で、戦闘での負傷者の数は1,124人でした。さらに301人の人員が、交通事故など戦闘以外での事件で負傷していました。ポストにもたらされた「6,000以上」という数字は、従って4,500人以上の米兵が戦闘及び戦闘以外での負傷とは別の医学的な理由でイラクからの退避を要求されたことをほのめかしています。
 ワシントン・ポストの記事には、軍が動揺しながらも認めたこの事態について、それ以上は何も書かれていません。過去6ヶ月の間、米国民はイラクで殺されたどの兵士についても、またそれとは別に少なくとも15人がのい病気にかかり米国へ送り返されなければならなかった兵士についても、詳細を教えられていません。ポストは原因不明の退避について単に「肉体的あるいは精神的な病気にかかった数千人」と書いているだけです。

 答えられなければならない当然の疑問は、彼らは何と診断されたか;彼らはどの部隊にいたのか;彼らはどんな任務についていたのか;どのような長期的な影響に彼らは苦しめられているのか;そして彼らはどんな治療を受けているのか?ということです。
 退避の大半はおそらく普通の医学的理由によるものでしょうが、しかし、このような詳細な分析が重要なのです。それは、戦争が米軍に与えた衝撃の真相について洞察するための材料とは別にしても、イラクでの兵役によって自分たちが長期的および潜在的に死にいたるほどの医学的問題にさらされているのではないかという、軍人とその家族の間での心配を裏付ける証拠を提供するかもしれません。彼らはとりわけ、兵士たちがすでに劣化ウラン(DU)で被曝したり炭疽菌ワクチンの接種を強制されたことが原因で死んだり病気になっていることから、その恐れをいだいています。

 軍医総監は7月31日に、2人の兵士ミカエル・トスタとジョシュ・ノイシェの死について、そして重度の肺炎と診断されている別の100人についての調査結果を発表しました。それによれば、高濃度のDUで汚染された粒子を吸い込むと肺と腎臓が傷つき、その損傷が呼吸器系の病気を引き起こしうることが立証されています。それにはまた、米軍の炭疽菌ワクチンが肺炎を引き起こしうるとの医学的な疑惑についても記されています。2002年8月に、3人の軍医が「心肺および救急集中治療」(the Cardiopulmonary and Critical Care Journal)誌上で、39才のある健全な兵士の肺炎の症例が「おそらく炭疽菌ワクチンによるものだろう」と書き留めています。

 米国防総省は、肺炎調査について経過報告をただ1つ公表しているだけです。8月22日、報告はSARSとワクチンを考えうる原因から排除したことを「大きな前進である」と発表しています。また報告は10件の肺炎症例にて、白血球のうちの好酸球が平常値よりも多くなっていると明らかにしています。そこではまた、最も深刻な19症例について、同じ部隊に属していたものはなく、13症例はイラクで、残りの6症例はクウェート、カタール、ウズベキスタン、およびジブチで発症したことが報告されています。報道によれば、陸軍監察医のオフィスは、トスタとノイシェの「死の特定の原因あるいは複数の原因」について調査をしたとのことです。
 しかし、7月31日以降、別の兵士ゼフェリノ・コランガが肺炎との診断で死亡しており、一方リチャード・イートン軍曹が肺水腫または肺浮腫により亡くなっている。他の2人の兵士が未だに不明な理由でベッド上で死んでいるのを発見されています。
 軍への不信感から、ジョシュ・ノイシェとコランガの両家族は独立した医療専門家の手によって死亡原因を探ることができるよう、彼らの最愛の子供の医療記録、その結果および血液、組織のサンプルを調べることを要求しています。家族は8月12日に、ドナルド・ラムズフェルド国防長官に送った手紙で「家族として私たちは、真実が語られていないとの懸念を抱いています。」と申し立てています。

 ミカエル・トスタの22才の未亡人、ステファニー・トスタは軍が彼の死についてうそをついているとの推測を公けにしています。彼女はUPI通信に先月つぎのように語っています。「ますます私は、それが[炭疽菌の]注射だったのだと思うようになっています。私は、彼ら[軍隊]がこのろくでもない代物について、うそをついているのだろうと思います。私は心底そう感じているのです。誰一人として、何ひとつ私に説明できないのです。もしそれが注射だとしたら、彼らはもちろんうそをついていることになります。私たちはただ、何が起こったのか知りたいだけですし、知る権利があります。しかし軍は、彼らが何かを隠そうとするように行動していますし、そのことが状況をより困難なものにしています。」

 レイチェル・レイシーは若い兵士で、「肺炎に似た病気」のため4月4日にクウェートで死亡していますが、軍の調査対象には含まれていません。その家族もまた、彼女の死が炭疽菌ワクチンによるものだ、と断言しています。昨年炭疽菌予防接種プログラムの副作用の可能性について公聴会の議長をつとめた、コネチカット州下院議員のクリス・シャイズがリチャード・イートン軍曹の死に関する調査について調査している、と報じられています。
 「今すぐ彼らをわが家へ連れ戻せ(Bring Them Home Now)」−−米軍の中東からの即時撤退を求めている軍人の家族らによる組織−−のウェブサイトでは、DUの被曝により医学的に避けられない結果を抑えるためには、「イラクやアフガニスタンから出ていくこと」が唯一確実な手段だ、と兵士らに単刀直入に警告しています。
 グループの目的についての声明には、次のように宣言されています。「これ以上兵士に戦闘で殺させないこと。これ以上兵士に戦闘で傷つけさせないこと。これ以上兵士に、罪のない人々を脅し、屈辱を味わわせ、傷つけたり殺したりすることによって精神的な打撃を与えさせないこと。これ以上兵士に劣化ウランを吸い込むような場所で一日もすごさせないこと。これ以上兵士に配偶者や子供たちと離ればなれにさせておかないこと。これが兵士と、まさに軍隊の一部に組み込まれている彼らの家族を本当に支援する、ただひとつの方法です。」(http://www.bringthemhomenow.org/)

 全国湾岸戦争支援センター(the National Gulf War Resource Center:NGWRC)は、米が1991年に起こした最初の対イラク戦争での退役軍人に助言をする組織で、自分たちが騙されていると信じている軍人の家族らの支援をしています。一般に「湾岸戦争症候群」と呼ばれている一群の諸症状の原因として疑われるものの中に、DUの被曝と予防接種によって引き起こされた合併症があります。1999年までに、11万人にのぼる湾岸戦争帰還兵に健康上の問題があることと報告されています。彼らはそれがイラクでの軍務に起因するものと信じています。
 兵卒、家族そして退役軍人らの疑念に対して、軍の階級制度が示す感受性がどういうものであるかは、公式の軍の医学ウェブサイトでの、DUも炭疽菌ワクチンもともに健康に影響をもたらすものではない、との再保証によく表されています。(http://www.armymedicine.army.mil/default2.htm)米政府もまた、「湾岸戦争症候群」とDU、ワクチンとの関連を一切認めません。しかしながらも、1998年に米軍はついに、最初の湾岸戦争の際に少なくとも436,000の米兵が、DUの放射能を帯びた塵によってある程度汚染されている地域に立ち入っていたことを認めました。



◆◆翻訳資料3◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
イラクでの米軍の死者についての更なる疑問
ジェイムズ コナシー 2003年8月20日
http://www.axisoflogic.com/artman/publish/printer_1282.shtml
http://www.wsws.org/articles/2003/aug2003/fat-a20.shtml


 米軍軍医総監のオフィースは7月31日に、イラクでの作戦に参加している米軍兵士を苦しめている重度の肺炎様の症状の原因を調査するために、医療専門家のチームを急派したと発表しました。米軍は報道機関に2人の健康な若い兵士が肺炎と思われる病気で死に、そして、約100人の兵士が重症になったと伝えました。それ以来、最低4人の米軍兵員がいかなる妥当な説明も公表されない異常な病気で死にました。

 8月6日に、国防省は第2機甲連隊の20歳の技術兵、ゼフェリノ・コランガがドイツのハンブルグ大学病院で死亡したと公表しました。彼は、8月4日にイラクから退避させられました。国防総省のプレス・リリースは以下のように述べています;「彼の死は、南西アジアでの最近の肺炎の症例に関係がなかった。」

 第2装甲騎兵連隊のメンバーで21歳の技術兵、レヴィ・キンチェンはバグダッドで8月9日に死亡しました。国防総省は死因を次のように記載しました。「仲間の兵士が、キンチェンを起こそうとしましたが、彼が息をしていないことに気づいた」。第10装甲連隊のメンバーで、20歳の兵士、マシュー・D・ブッシュも8月9日にベッドで「呼吸をしていない」のを同僚の兵士に発見されました。

 陸軍のリチャード・イートン特務軍曹、37歳、米軍情報局のベテランは8月12日に死亡しました。軍の当局者はロイター通信に最初に、イートンが「肺に水がたまって死んだと考えられている」と言いました。それは肺の浮腫として知られている状態です。肺の浮腫は、非常な高熱、毒素または毒ガス、重度の呼吸器系の感染症、あるいは腎疾患による体分泌物の過剰によって引き起こされます。

 8月14日のワシントン・ポストに載ったその後についての記事は、軍の当局者がイートンとベッドで死んでいるのが見つかった二人の死について、焼けるようなイラクの夏の暑さによるストレスのせいだと言っていると引用しています。これら3つ全部の事例は調査中だということです。
 しかし、肺の浮腫の最初の報告は、劣化ウランへの被曝のために米軍兵士が死んでいるのではなかいという疑問をさらに提起します。

 肺炎と思われる死者の一人についての医学的詳細は、広く公表されました。20歳の兵士ジョシュ・ノイシェは7月2日に呼吸器の悪化のために倒れ、腎臓と他の器官がその後悪化したために7月12日に死亡しました。

 8月4日の記事、「米軍兵士はイラクで劣化ウランのために死んでいるか?」の中で、ワールド・ソーシャリスト・ウェブサイトはノイシェの症状と劣化ウランへの重度の被曝によると知られている症状が似ていることを指摘しました。例えば、劣化ウランに汚染された粒子を大量に吸入または吸収すれば、急性の呼吸器障害が引き起こされ、腎臓が深刻なダメージを受けるでしょう。そして潜在的には肺の浮腫の医学的な症候の引き金になります。

 ミズーリに住んでいるノイシェの家族は、若い兵士の死を取り巻く状況について暴かれた詳細を発表しました。同僚の兵士からの手紙や彼らからもたらされた情報に基づいて、彼の両親、マーク・ノイシェとシンシアは彼らの息子が参加した最後の作戦行動はバグダッドにあるサダム・フセインの爆撃された宮殿の一つから瓦礫を取り除く作業であったと信じています。ミズーリ州選出のアイク・スケルトン上院議員は報道機関に次のように話しました。「軍は、ジョシュと同じ部隊の3、4人の兵士が病気にかかった者の中にいると確認した。」

この暴露は、兵士たちが働いていた場所−イラクの前体制の爆撃された宮殿−の環境の汚染が彼らの呼吸器の障害の原因である見込みをますますはっきりしたものにします。
 兵士たちがイラクの生物兵器または化学兵器の隠し場所に偶然であったという可能性が取り上げられています。ノイシェの父親もそう考えている一人です。しかし、ブッシュ政権がついに「大量破壊兵器」を突き止めたという勝ち誇った宣言をできなかったという事実は、このシナリオを割引いたものにします。

 サダム・フセインの宮殿は、部分的にはイラクの政権の指導者を暗殺するために、侵略戦争の間に米軍機による激しい空爆を受けました。このような目標に対して使われた兵器の中にはいわゆる「バンカーバスター」と呼ばれる爆弾があります。アナリスト達は、疑わしい地下のコンクリートバンカーまで地中深く貫通するこのような爆弾に使われている「高密度金属」は劣化ウラン(DU)であると信じています。
 イギリスの独立のDU研究者であるダイ・ウィリアムズ氏は、2002年1月の報告書の「緒言」に次のように書いています。;「GBU-28と37バンカーバスター爆弾に入っているとの疑惑がある2トンのDU弾頭は、バルカン戦争でA10攻撃機が発射した30ミリの対戦車用の機関砲弾に比べて一つの目標あたり50−100倍ものDU酸化物をもたらすだろう。この危険は、以前の兵士と市民の健康と環境に対するDUの評価−−過去についても、現在においても、未来にわたっても、また、イラクとバルカンの戦闘地帯からアフガニスタンに至るまで−−を根本から変えるでしょう。(強調は原文)。[完全な報告はhttp://www.eoslifework.co.uk/du2012.htm参照]

 米国防総省は、ベッドで死んでいたイートンとその他の2人の青年が最後にどんな仕事を割り当てられていたかについて、現在までにいかなる詳細も発表していません。また、アメリカ軍医総監のオフィスも、自分が行なっている調査に関するどんな情報も公表していません。そうする力量を持つどのようなメディア組織もまだ、元イラク兵士とより広いイラクの人々の間で肺炎風の症状または肺浮腫の報告数が増大しているかどうか確かめるためにイラクの病院を調査をしていません。彼らもまた米国の劣化ウラン弾による死の副産物にさらされたのです。
 このような調査は行われると保証されているようです。



◆◆翻訳資料4◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
原因不明の肺炎による犠牲はもっと多いかも知れない
マーク・ベンジャミン UPI研究論説委員
http://www.upi.com/view.cfm?StoryID=20030915-014545-8114r


ワシントン、9月16日(UPI)--- 原因不明の肺炎様の病気や呼吸疾患が、軍の調査の中で確認されているよりも多くのアメリカ兵らを襲っており−−兵士やその家族らによれば、死者ももっと多いかもしれない。

 一部の兵士らは、イラクに配備されてそこで死亡していますが、ペンタゴンの調査の中には含まれていません。病気になった別の人々がUPIに語ったところでは、彼らはワクチンを接種した後、特に炭疽熱ワクチンの予防接種の後で、肺炎様の病気に苦しめられています。

 ペンタゴンは、軍人の健康に責任を持っており、一部の死亡したまたは病気になった兵士らは調査対象の基準を満たしていない、と述べています。ペンタゴンの厚生担当の当局者は、統計分析では基本的にワクチンは除外され、代わって喫煙が主要な要因として浮上したと発表しています。

 イラクフリーダム作戦のためにトルコに配備されたある空軍の三等軍曹がUPIに語ったところでは、彼は3月に肺炎様の病気のためにインジルリクで入院しており、それは4回目の炭疽熱ワクチンの予防接種を受けた10日後だったそうです。彼は8月に次の炭疽熱ワクチンの予防接種を受け、そして10日後に彼が言うところでは同じ症状の肺炎様の病気のために、カリフォルニアで入院することになりました。
 「彼らは、私がひどい肺炎になっていると言いました」ニール B. エリクソン・シニア三等軍曹(43)は、サンフランシスコのモフェット・フィールド南部で、電話インタビューに答えています。
 「私は激しい胸痛、めまい、息切れに襲われました。」
 彼はたばこを吸わず、それで医者達は彼に血餅ができたか、心臓発作になったのだろうと考えました。ウイルスやバクテリアに対するテストは「異常なしの結果で帰ってきました」とエリクソンは言います。「彼らは、基本的にはそれは一種の肺炎であると診断しました。」

 病気は予防接種によるもので、5ヶ月毎に予定されている次の炭疽熱ワクチンの予防接種は受けたくないと思っていることを、軍が認めようとしないと彼はいいます。
 「私はこれについてはまったく神経質になっています。2、3ヶ月先には、私は別の場所に配属されているでしょう。この問題に関しては、私達が選択権を持つような種類のものではありません。」軍人は、予防接種を受けることが義務づけられ、拒絶した場合は軍法会議にかけられることもあり得ます。
 エリクソンは、彼の部隊で少なくとも似たケースが4つあり、うち1つは入院したケースだと証言しています。

 ペンタゴンは、南西アジア一帯に配備され病気になった100人程度の兵士を、原因不明の肺炎の集団として調査しています。「私は、(ペンタゴンの調査の)数の中には入ってない方に賭けてもいいです」とエリクソンは言います。
 ペンタゴンの厚生当局は繰り返し次のことを強調しています。多数の病気になった兵士らを調査した結果、アメリカ兵らの間で「流行」しているようなものは何もなかった、と。彼らは、息をするのに呼吸器が必要になるほど重症の19人に焦点を当てています。;そのうちの2人が死んでいます。
 「病気の流行はない」と、国防総省の健康問題担当のウィリアム・ヴィンケンヴェーダー・ジュニア次官補は先週記者に言いました。「過去6ヶ月間に南西アジアに配備した兵員での肺炎の割合は、私たちが事前に予想していたものと一致しており、それを強く支持するデータも持っている。」

 ペンタゴンは、調査の中で2人の死亡を認定しています:7月12日、ジョシュアM. ノイシェ特技伍長(20)の死;そして6月17日、ミカエル L. トスト軍曹(24)の死。ノイシェの家族は、ドナルド・ラムズフェルド国防長官に対し、彼の死の独立した調査を求める書簡を提出しました。トストの妻ステファニーは、夫の死について情報が不足していることに不満を抱いており、彼女自身はワクチンが原因と考えていることを先月UPIに語りました。

 少なくともイラクに配備されたさらに別の2名の兵士が、彼らの家族の話では肺浮腫で死んでいます。そのうち1人は、自分のベッド上で死んでいるのを発見されました。ペンタゴンは、イラクで類似した状況下で死んださらに別の2名の兵士について、一切情報を公開していません。5番めのケースは、ペンタゴンから「呼吸困難」だと伝えられた後で死んだ20歳の男性で、彼の母親はもっと事実を知りたいと訴えています。

 少なくともさらに2人の兵士が、胸の痛みを訴えた後に死んでいます。これには、8月27日に死んだ43歳のアンソニー L. シャーマン中佐が含まれます。彼はトライアスロンやマラソンに参加していました。「彼らは私に、彼は重度の心筋梗塞だったとしか教えてくれていません。」彼の妻、リサ・アンはペンシルバニア州ポッツタウンで答えてくれました。「心の奥底で、私はただの心臓発作以外にも何かあるに違いないと信じています。彼はとても体調が良かったのですから」
 これらの死者はすべて、ペンタゴンの非戦闘関連死傷者リストに載せられていますが、肺炎調査には1人も含まれていませんでした。

 ペンタゴンは、調査において、病気にかかった兵士の特定のグループに焦点を絞っているといいます。「一緒にして調査することは科学的に不適当であるから、他のケースについては医学的に別の調査とした」とペンタゴンの医療当局はUPI宛の文書で述べています。
 調査が焦点を絞っているのは、3月1日から8月31日の間に配備され米中央司令部に報告のあった重症のケースで、アラビア半島およびイラクの他に、アフリカの角、南部および中央アジア、および紅海北部地方を含んでいます。ペンタゴンの調査員は、両肺が肺炎となり、息をするのに呼吸器が必要となった兵士に絞り込んでいます。
 複数の民間の医師から、それらの母集団はあまりに範囲が限られており、原因を特定する助けになるかもしれないケースを無視することになる、との声があがっています。
 「軍はこれらの症例を集める上で、範囲を限定することにより科学的な誤りを犯していると私は思います」と、ワクチンによる被害を訴える兵士らを治療してきたメリル・ナス医師は語ります。「症例を認定するのに、地理的な制限をする科学的な根拠はまったくありません」とナス医師は言います。「疾病のあらゆる特徴の大きな輪郭を捉えようとするなら、調査のためにできるだけ多くの症例を集めようとするでしょう。」

 ペンタゴン当局は、彼らの統計分析では、予防接種を受けた兵士らがワクチン接種をしていない兵士よりも多く肺炎になることはないことが示されている、と主張しています。また、予防接種を受けた直後に肺炎を発症することもありえないといいます。
 「炭疽熱ワクチンの予防接種を受けた人と受けない人では基本的に肺炎の割合は変わらないということを私たちは事前に知っていたので、こんなことはありえないということを前提にしています」。軍ワクチン局局長代理のジョン・グラベンシュタイン大佐は記者にそう語りました。

 ペンタゴンの厚生当局者は、彼らが研究している19ケースのうちの10症例で、好酸球やある特定の白血球が増加しており、それがアレルギー反応を示すものでありうるということを発表しています。医師たちは、それらの症例において、病気の原因かもしれないウイルスや細菌をひとつとして発見できていません。

 軍の調査を手伝っている疾病対策センターCDCの医者スティーブ・オストロフ医師によれば、薬の作用で好酸球増加が引き起こされうるとのことです。
 「明らかに、特定の薬に対してアレルギー反応が起こることがあります...そして、確かにそれは私たちが調査の線から完全には除外できないものです」とオストロフは記者に語っています。「これらの患者たちについて、ひとまとめにして扱う方法はひとつも見当たりません。」
 ある民間医はその論理に疑問を示しています。
 「彼らは共通項がないと言い続けています。しかし、それら兵士全員が予防接種を受けているのです」とウィスコンシン州ラクロスのグンダーセン・クリニックで感染症医を務めるジェフリー・サーティン医師は言います。「それは早々と捨てさってしまってはいけない、確かな共通項です。」
 「彼らの統計は、物事の一部しか見せていません」と元空軍医のサーティンは語ります。「彼らは遠くから森全体を眺めているだけで、近づいて1本1本の木を見てはいないのです。」
 今春、サーティンはイリノイ州リンウッドのレーチェル・レーシー特技伍長を治療しています。彼女は肺炎様の病気にかかり、4月4日に死にました。彼と検死官は、彼女が病気になる前の3月2日に受けた炭疽熱か天然痘のワクチン接種を死因に結びつけました。

 レーシーの6月3日の死亡診断書では、彼女の肺の損傷、「好酸球増加を伴う」心臓炎症および「狼瘡状の自己免疫疾患」の原因としてワクチンの可能性を挙げています。
 軍は、彼女を治療も検死もしていませんが、彼女の死がワクチンによるものとは考えられないと主張しています。
 派兵されなかった兵士の多くも、炭疽熱ワクチンにより病気になったと訴えています。
 陸軍二等兵のデニス W.ドリゥー(27)は、イラクへの派兵に備え、4月24日にテキサス州フォートフッドで最初の炭疽熱予防接種を受けました。彼は4月27日に病気になり始めました。
 「私は、胸に本当に鋭い痛みを感じ始めました。私は呼吸が困難になり、動くたびに胸に痛みを受けました。」とドリューは証言します。「私は病院で検査を受け、左肺が肺炎になり心筋炎、心臓の腫脹が起こっていることを知りました。基本的には、私の健康はその後下降線をたどる一方です。」

 ドリューは、4年前にたばこをやめてから調子が良かったと言います。彼はその後、肺炎に加えて激しい頭痛、視野狭窄、ひっきりなしの風邪に苦しんだとのことです。「私の免疫系は今は働かいてないようです」と彼は言います。「私が最初にフォートフッドに行ったとき、そこの医者は心筋炎はワクチンによって引き起こされたのかもしれないと考えました。」
 ドリューは、妻と小さな2人の子供との生活をワクチンが破滅させたという彼の信念について、議会宛に書簡を送りました。
 「炭疽熱ワクチンの副作用を信じない人がいるぜひ私の家においでください。私の家族と私の経験を1日中じかに見てください。」ドリューは下院国家安全小委員会議長クリス・シェーズ共和党議員に宛てて8月31日付で手紙を送りました。「私たちはまさに国に尽くそうとしている犠牲者なのです。」
 ドリューはフォートフッドで他に同様のケースを3つ知っていると証言しています。

 イラクフリーダム作戦に従事して肺炎様の症状や呼吸疾患となって死んだ兵士の中でも、ペンタゴンの調査には含まれていないケースがあります:
−− テキサス州ベルヴィルのゼフェリノ E. コランガ特技伍長(20)。コランガは8月6日、イラクからドイツへ退避させられた後で死んでいます。コランガの家族は先月、ドナルド・ラムズフェルド国防長官に宛てて、「この「いわゆる」原因不明の病気」による彼の死の独立した調査を求める書簡を送っています。家族は、コランガは「肺炎と戦い、そして急性白血病の診断を受けた後、ドイツの病院で死にました。配備に適していると考えられ選抜された健康な若者が、なぜ突然の死を迎えたのか、私達には知る権利があります」と書簡で述べています。軍は、コランガの死を肺炎集団の一部からは明確に除外しています。
−− イリノイ州アーバナのコリー A. ハッブル特技伍長(20)。ハッブルは、6月26日に「呼吸困難」として報告されているものが原因で死んでおり、ペンタゴンで「非戦闘関連の原因によるもの」としてリストに挙げられている。彼はクウェートのアリフジャンキャンプで入院後に死にました。ハッブルの母親コリー・ベッカースは、軍が彼の死について全然答えていない、とシャンペーンニュース紙に語っています。
−−ルイジアナ州チカウの レビ B. キンチェン特技伍長(21)。キンチェンは8月9日にバグダッドで死にました。ペンタゴンによれば、仲間が彼を起こそうとして、息をしていないことに気づいたとのことです。彼は、ルイジアナ州フォートポークの第2装甲騎兵連隊に配属されていました。
−−コネチカット州ガルフォードのリチャード S. イートン・ジュニア二等軍曹(37)。イートンは8月12日の朝に死んでいるのを発見されました。軍は、イートンは肺水腫か肺浮腫が原因で死亡しており、それは暑気に関係があるのかもしれない、と家族に説明しています。イートンの父親リチャードは、軍隊の説明を疑う理由はないとUPIに語っています。しかし、彼は息子についての最終報告を受け取っていないとも述べています。
−−イリノイ州東アルトンのマチュウ D. ブッシュ(20)二等兵。ブッシュは8月8日にイラクのコールドウェル・キャンプで死にました。ペンタゴンによると、同僚らが彼が寝床で死んでいるのを発見したということです。ペンタゴン当局は、彼の死についても、暑気が関係しているのかもしれない、との説明をしています。
−−テネシー州ジャクソンのデビッド L.ロイド二等軍曹(44)。ロイドは作戦中に激しい胸痛を覚えた後、クウェートのの病院で8月5日に死亡しました。彼はテネシー州ブラウンズヴィル州兵部隊の第1175輸送中隊に配属されていました。
−−ペンシルバニア州ポッツタウンのアンソニー L. シャーマン中佐(43)。シャーマンはクウェートのアリフジャンキャンプで8月27日に死んでいます。ペンタゴンは、シャーマンは「非戦闘関連の(医学的)障害の結果」死んだと述べています。彼の妻リサ・アンによれば、軍は彼女にシャーマンの死因を「重度の心筋梗塞」であると伝えたとのことです。彼女は、彼がマラソン・ランナーだったことから、それには疑念を抱いている、と語っています。シャーマンはペンシルバニア州フィラデルフィアに本拠を置く米軍予備部隊の第304民事旅団に配属されていました。
−−インディアナ州エヴァンズヴィルのウィリアム A. ジェフェリーズ特技伍長(39)。ジェフリーはクウェートで発症し、その後スペインの病院に移ってから死んでいます。伝えられるところでは、ある軍幹部がジェフリーの家族に、彼は肺の血餅と急性の膵臓炎に苦しめられていたと話しているとのことです。