第1部 米政府大量破壊兵器調査『ドルファー最終報告』−−確定したイラク大量破壊兵器保有のウソ。確定したイラク戦争は違法な侵略戦争。 |
開戦責任追及の原点に立ち返るべき時 |
◎米政府は無差別攻撃・殺戮を中止し即時無条件に撤退せよ!
◎ブッシュは先制攻撃戦争=「対テロ戦争」を放棄せよ!
◎小泉首相は侵略支持を撤回し自衛隊を即時撤退させよ!
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−−米政府大量破壊兵器調査団『ドルファー最終報告』−−
核兵器は、91年に開発計画を断念した。
化学兵器は、91年に備蓄を自主的に廃棄した。
生物兵器も、91−2年にわずかな備蓄も破棄した。
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========= 目 次 =========
T.はじめに−−「あるかないか」から「ない」の確定へ。ブッシュ・小泉の言い逃れが最後的に破綻。開戦責任・戦争責任を追及すべき時。
(1)米政府の調査団自身が「ない」と最終確定。「あるかないか」のこんにゃく問答はもはや通用しない。
(2)「なかった」では済まぬ!独立主権国家の崩壊と取り返しの付かない未曾有の人的・物的被害。
(3)ブッシュは「正しかった」「理屈など不要」で開き直り。今こそ開戦責任を追及すべき時。改めて米英日・多国籍軍の撤退を求めるべき時。
U.イラク=フセイン脅威論を完全否定した『ドルファー最終報告』
(1)「大量破壊兵器も開発計画もなかった」が最終的に確定。
(2)完全に否定されたイラク開戦直前のパウエルのサル芝居=「決定的証拠」演説。
(3)大量破壊兵器のウソ・デマはすでに外堀が埋められていた。
(4)時間稼ぎと世論の沈静化に失敗。思惑が外れた政府の大量破壊兵器調査。
V.結局はイラク政府の「自主申告書」が正しかった。「査察継続派」=開戦反対派が正しかった。−−取り返しの付かない開戦責任。
(1)イラク開戦の原点に立ち返れ!−−「開戦派」が完全に誤りで、「査察継続派」=開戦反対派が完全に正しかった。
(2)フセインとパウエル、ウソをついたのはどっちか。−−2002年12月8日、大量破壊兵器の保有を否定したイラク政府の「自主申告書」は結局正しかった。
(3)大量破壊兵器保有のウソ発覚で、イラク開戦を「正当化」するはずだった安保理決議1441を盾にすることができなくなった。
(4)イラク戦争は、国連憲章違反、国際法違反の違法・無法・不当な侵略戦争。
W.なぜ『ドルファー最終報告』が出たのか。−−諜報機関をめぐる主導権争い。CIAの情報をもねつ造して戦争に突き進んだブッシュ政権。
(1)大統領選直前にCIA最終報告が出された意味。CIAをも超えた政権中枢の新しい謀略機関(OSP)との確執。
(2)CIA最終報告の衝撃を薄めようとしたブッシュ政権の閣僚たち。
(3)大量破壊兵器がなかったことを予め知っていたパウエルとライス。
X.大量破壊兵器問題の“核心”は先制攻撃戦争の危険性。−−『ドルファー最終報告』が指し示す先制攻撃戦争=「対テロ戦争」戦略の放棄。
(1)大量破壊兵器をめぐるブッシュのこんにゃく問答の行き着いた先−−「開発意図」で先制攻撃戦争は正当化されるという侵略者の論理。
(2)大量破壊兵器問題の本質は先制攻撃戦争問題。『ドルファー最終報告』で対テロ戦争=先制攻撃戦争の侵略的本質が剥き出しに。
(3)初めに攻撃ありき。イラク開戦の現実の政治過程が示す先制攻撃戦争のデタラメと危険。−−大量破壊兵器の「証拠捏造」を見透かされ多数を獲得できず。
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T.はじめに−−「あるかないか」から「ない」の確定へ。ブッシュ・小泉の言い逃れが最後的に破綻。開戦責任・戦争責任を追及すべき時。 |
(1)米政府の調査団自身が「ない」と最終確定。「あるかないか」のこんにゃく問答はもはや通用しない。
10月6日に発表された米政府大量破壊兵器調査団の報告、ブッシュ政権がイラク戦争開戦の根拠とした大量破壊兵器に関してのいわゆる『ドルファー最終報告』は、疑問の余地なくこれまでにない鮮明な形で、「イラクには大量破壊兵器はなかった」「開発計画もなかった」と断定した。
『ドルファー最終報告』はこれまでの類似の報告とは根本的に異なる。これまでの調査や報告は、あくまでも団長による中間報告、暫定報告であった。だから「あるかも知れないしないかも知れない」「まだ最終結論ではない」「いや、きっとあるはず」等々、それ自体許されないことだが、言い逃れの余地を残していた。
しかし今回は、ブッシュ政権自らが選任し遂行した米政府調査団(調査を指揮したのは米CIA)による“公式報告”であり“最終報告”である。もはや「あるかないか」「最終報告ではない」の言い逃れは通用しない。ここが決定的な点だ。米政府自身が、大量破壊兵器の不存在の事実、すなわちイラク戦争は国際法を踏みにじった“侵略行為”であると自己暴露したのである。
しかも『ドルファー最終報告』によれば、開戦前夜どころか、査察が中断された1998年の遙か以前、12年も前の1991年末の段階で、イラクは核兵器も、生物兵器も、化学兵器も保有していなかったこと、計画も放棄されたことが明らかになった。いや、明らかになったのではない。すでに戦争直前の国連安保理やUNMOVIC、IAEA等の国連機関、国際世論の圧倒的多数が主張した「査察継続」、スコット・リッター氏など前の査察責任者の主張が完全に正しかったことが、何よりも開戦前にイラク政府が提出した「自主申告書」が正しかったことが、最終的に確定されたのだ。イラク戦争、従ってイラク占領支配は改めて、何の「大義」も「正当性」もない、でっち上げで強行した“ウソの戦争”だったことが最終的に確定されたのである。
(2)「なかった」では済まぬ!独立主権国家の崩壊と取り返しの付かない未曾有の人的・物的被害。
私たちは改めて怒りで一杯である。イラクの人々は何のために殺されたのか。何のために子どもを殺され、親を失わなければならなかったのか。何のために家を破壊され路頭にたたき出されねばならなかったのか。何のために拘束され拷問されなければならなかったのか。産業は崩壊し全土で失業者が溢れている。病院も壊され医薬品は手に入らない、上下水道施設の放置と破壊で衛生状態は日々悪化し伝染病が蔓延している。イラク戦争とその後の「泥沼化」は、それ自体何の侵略行為も働いていない独立主権国家が無理矢理軍事力で崩壊させられると一体どうなるかを、見事に私たちの前に見せ付けている。
この戦争で最低でも1万5千人の市民が犠牲になった。市民だけで4万人近いというイラク現地の調査報告もある。イラク兵士も犠牲者である。3万人の国軍兵士が殺されたといわれる。アブグレイブとイラク全土の刑務所では無実の市民を無差別に1万人〜数万人も拘束し、虐待、拷問、陵辱、虐殺の限りを尽くしている。ファルージャなど抵抗する都市では、道路を封鎖し、街を包囲して一般市民の無差別大量虐殺が行われている。クラスター爆弾、ナパーム弾など非人道・大量破壊兵器が使用された、そして劣化ウラン弾が大量に使用された。ガン・白血病・先天性障害などこの戦争による放射能被害が現れるのはこれからである。
(3)ブッシュは「正しかった」「理屈など不要」で開き直り。今こそ開戦責任を追及すべき時。改めて米英日・多国籍軍の撤退を求めるべき時。
「なかった」「勘違いだった」と報告すればそれで終わりなのか。「ばれてしまった」で済むのか。とんでもない。これでは“やり得”だ。
『ドルファー最終報告』を受けて2つの方向が出てきている。一つの方向は、あくまでもシラを切るというものだ。ブッシュと小泉がこれに当たる。ブッシュの弁明は全くふざけたものである。「大量破壊兵器開発の意図があった」「サダム・フセインは脅威だった」「正しかった」である。問題のすり替えどころではない。理由など不要、問答無用、要するに理屈抜きということなのだ。
しかもフセインはとっくに捕まって排除されている。フセイン体制も崩壊した。では今、米兵は誰と、何のために戦っているのか?「イラク民主化」「イラクの解放」か?そんなことは言わせない。ファルージャの虐殺で十分だし、アブグレイブで十分だ。
答えは明らかである。ブッシュの目的はイラク支配であり、石油略奪であり、駐留米軍はこの不当な侵略に抵抗する市民たちを屈服させ、イラクの国家・財産を支配する、中東を支配することなのである。
もう一つの方向は、米欧や日本のメディアなどで出ているふざけた“現状追認”“既成事実容認”論である。現にフセイン政権は崩壊したから仕方がない。いまさら実現不可能な米英日・多国籍軍の撤退を主張するのは幻想である。今は米英の責任を追及するのではなく、今こそ寛容さを示し米英日を先頭に国連を巻き込んでイラク復興に全力を挙げるべきだ、と。
私たちは、この2つの方向に断固反対する。これとは別の第三の方向がある。今こそ開戦責任を原点に立ち返って、もう一度戦争責任を徹底追及することである。ブッシュは無法・不法なイラク戦争と占領支配を今すぐ中止し、イラクから撤退すべきである。ウソ・でっち上げで他国を侵略する戦争攻撃戦争戦略=「対テロ戦争」戦略を放棄すべきである。小泉首相は、イラク戦争支持の誤りを認め自衛隊をイラクから即時撤退すべきである。
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私たちは2部構成で『ドルファー最終報告』を論じようと思う。第1部では、まず第U章で今回の『ドルファー最終報告』そのものを評価する。第V章以降は、『ドルファー最終報告』が与えた様々な論理的帰結、政治的影響である。第V章では、開戦責任の原点に立ち返ることを主張し、結局はフセインとパウエルのどちらが正しかったのか、開戦派と査察継続派のどちらが正しかったのかを、そして要するに『ドルファー最終報告』はイラクが提出した「自主申告書」を引き写しただけであることを論じる。そして第X章で、表面上は大量破壊兵器の有無をめぐって闘われた対立が実は先制攻撃戦争の是非をめぐる重要な戦略論争であったことを論じる。先制攻撃戦争、対テロ戦争のエスカレーションを阻止するためにも、今回の大量破壊兵器のウソ・でっち上げを徹底的に糾弾しておくことが重要なのである。
第2部では、『ドルファー最終報告』が小泉首相に与えた致命的打撃を問題にする。そして同時に、私たち日本の反戦運動に如何なる課題を突き付けているのかを問題にする。
U.イラク=フセイン脅威論を完全否定した『ドルファー最終報告』 |
(1)「大量破壊兵器も開発計画もなかった」が最終的に確定。
まず、『ドルファー最終報告』の概要について、その最も重要な点を具体的に見てみよう。同報告書は米CIAの特別顧問チャールズ・ドルファー氏が、前任者デイビッド・ケイ氏の後を引き継いで取りまとめたもので、『イラクの大量破壊兵器に関するDCI(中央情報司令部)への特別顧問による包括的報告』(Comprehensive
Report of the Special Advisor to the
DCI
on Iraq’s WMD, 30 September 2004 )と題する1000nに及ぶ膨大なレポートである。報告書日付は9月30日、議会で発表されたのは1週間後の10月6日である。
※全文(原文)は http://www.cia.gov/cia/reports/iraq_wmd_2004/index.html にある。私たちは到底全文を読めなかった。従って以下の要約は、日本のメディアや欧米のメディアのニュース報道を中心に整理したものである。
※「イラクに大量破壊兵器存在せず 米が最終報告、開発計画も否定」(東京新聞)
http://www.chunichi.co.jp/iraq/041007T1526.html
■旧フセイン政権の戦略的意図−いわゆる大量破壊兵器開発の「意図」について。
一、フセイン元大統領は湾岸戦争後の1991年から昨年までの間、イラクへの国連制裁終結と体制維持を望んでいた。
一、元大統領はイラン・イラク戦争、湾岸戦争で、大量破壊兵器が敵の侵攻を食い止め政権維持につながったとして、威力を確信した。それはイラン・イラク戦争で敵対していたイランおよびパレスチナやアラブ諸国への脅威となっているイスラエルに対する牽制用であり、米国に脅威を与えるものではなかった。
一、元大統領は大量破壊兵器の開発を再開する意図は持っていたが、旧フセイン政権に明確な再開発の計画はなかった。
報告書は、湾岸戦争で始まった経済制裁が解除された時点で開発を再開させる「意図」を持っていたと評価、とりわけ化学兵器搭載の弾道ミサイルに強い意欲を維持していたとしている。ブッシュや好戦的メディアは、唯一この1点にすがって「正当性」をこじつけようとしている。しかしこれとて開戦の「決定的証拠」にはならない。なぜならこれは、開戦の正当性ではなく、経済制裁の継続を正当化するだけだからだ。
しかもドルファー調査団の元団長デビッド・ケイ氏は10月7日、米NBCテレビに出演し、あくまでもフセイン政権が「差し迫った脅威だった」と主張するブッシュ政権の主張は「正確ではない」と明言した上で、「意図はあっても(実現)能力はなかった。それでは差し迫った脅威とは言えない」と断言、「意図」論の致命的誤りを鋭く批判した。
※<大量破壊兵器>元調査団長 米政権の主張「正確ではない」(毎日新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041008-00000018-mai-int
■核兵器について。
一、調査団は91年以前に核開発計画があった証拠を発見したが、91年湾岸戦争直後に断念。
一、元大統領は制裁解除後に核開発を再開する意向だった。
一、イラクが輸入したアルミニウム管は核開発用ではなく、ロケット製造用。
一、アフリカ・ニジェールからのウラン購入の証拠は見つからなかった。91年以降、イラクがウラン入手を試みたことはなかった。
■化学兵器について。
一、化学兵器関連施設も化学兵器とは無関係であった。
一、イラクは湾岸戦争後の91年、秘密裏に保管していた未申告分の化学兵器を自主的に廃棄。その後生産再開を示す証拠はない。
一、元大統領の長男ウダイ氏は開戦後、化学兵器を獲得しようとしたが、果たした証拠はない。
■生物兵器について。
一、旧フセイン政権は95年、発見を恐れて生物兵器計画を破棄した。
一、96年以降は、生物兵器に関するいかなる活動の証拠もなかった。
一、91−92年に秘密裏に保管していた生物兵器を破壊。計画再開に有用なサンプルは残し、科学者も温存した。
一、移動式生物兵器製造施設と疑われた2台のトレーラーを徹底的に調べたが、これらは気球打ちあげ用の水素の生産設備で、生物兵器計画の一部ではなかった。
大量破壊兵器は存在しないと証言するドルファー団長(ロイター/Jason
Reed より)
■運搬手段について。
一、無人飛行機は「偵察や電子戦用」であり、大量破壊兵器運搬手段とは無関係であった。
一、湾岸戦争、その後の制裁や国連査察によってミサイルなどの運搬手段の製造計画は休止に追い込まれた。
一、イラクがスカッドミサイルなど大量破壊兵器の運搬手段を保持している証拠は発見できなかった。
■大量破壊兵器のシリアへの移動。
一、大量破壊兵器がイラク戦争の際にシリアに流出した証拠はない。
■イラクとアルカイダとの関係について。
一、イラクとアルカイダやテロリストを結び付ける証拠はなかった。
ウソとデマのオンパレード。生物兵器・化学兵器の備蓄、生物兵器用トレーラー、化学兵器関連施設、核兵器開発用アルミ管、生物化学兵器散布用無人飛行機等々はことごとくウソだった。−−このように「政権の戦略的意志」「政権の財政と物資調達」「運搬手段」「核兵器」「化学兵器」「生物兵器」の6章で構成されたこの報告書は、核、化学、生物兵器などの開発に関して徹底的に検証し、ブッシュ政権がイラク侵略を正当化するために持ち出した全ての「決定的証拠」を「ない」と断定したのである。
@イラク戦争直前、イラクに大量破壊兵器は存在せず、具体的な開発計画もなかった。
Aイラクは1991年に基本的に大量破壊兵器を廃棄した。
B1991年以降、スカッド・ミサイルなど運搬手段も保持した証拠はない。
Cイラクとアルカイダとの関係も、シリアへの移動も完全に否定した。
その上で、この報告書は、その最終的な結論として、イラクは、湾岸戦争と長期の経済制裁に疲弊し、その解除を勝ち取るために、自ら進んで大量破壊兵器のわずかな備蓄と関連施設を廃棄したと断じたのである。
(2)完全に否定されたイラク開戦直前のパウエルのサル芝居=「決定的証拠」演説。
『ドルファー最終報告』は何よりもまず、2003年2月5日にパウエル国務長官が安保理外相会議で行った『イラク−−武装解除の不履行』と題する報告、すなわちイラク戦争開戦のための「決定的証拠」なるものを完全に否定したのである。パウエル長官はこのとき、40分にわたる大演説を行い、わざわざ巨大スクリーンを背にトレーラーや施設の「証拠映像」なるものを大げさに公表し、政府担当者間の「盗聴音声」なるものをわざわざ聞かせ、今にもイラクが米国と周辺諸国に大量破壊兵器をぶっ放すかの如く世界中を脅迫したのである。
2003年2月5日国連総会で演説するパウエル。
"Information Clearing House"より
この中でパウエルが特に強調したのは、タジ化学工場、濃縮ウラン用アルミニウム管、そして極めつけは生物兵器製造用トレーラーであった。実はこれらの「証拠」は一部分は開戦前から、そして開戦後わずか数週間の間にことごとく破綻してしまっていた。「カルバラで移動式実験室を発見」「バグダッドで化学兵器工場を発見」等々、これらの米軍の「発見」はすべて間違いだと分かった。その後あまりにも見つからないために、苦し紛れで「フセイン政権崩壊の時にすべて破壊したのだ」「シリア国境から国外へ移動させたのだ」「これらの大量破壊兵器は組み立て方式で必要なときに部品を調達していたのだ」という弁明までする羽目になったが、決定打にはならなかった。ついには「指名手配」さながらに懸賞金付きの証拠収集まで始めた。
しかし如何せん、元々「ないもの」が見つかるはずがない。2ヶ月も経つと、このような言い訳、言い逃れの弁明でさえ、言えなくなってしまった。一体あの映像、あの会話は何だったのか。パウエルとブッシュ、米政府の責任は重大である。誰があの2月5日のシナリオを書き、誰がそれらの「決定的証拠」をねつ造したのか。再発防止のためには、事実関係の調査と責任者の断罪、つまり大統領・国務長官を筆頭に責任者の処罰が不可欠だ。
※パウエル長官が、そのときに明らかにした「決定的証拠」の概要は以下の通りである。
[1]査察拒否と虚偽 @電話傍受の証拠 A科学者の自宅で見つかった膨大な証拠文書 Bタジと呼ばれる65カ所あるという化学兵器関連施設。C弾道ミサイルサイト、生物化学兵器関連施設、そして弾道ミサイル関連施設−−これを3点セットで提示。 D査察拒否の実態
[2]生物兵器 D移動式生物兵器製造施設 Eミグ21搭載の(生物兵器)噴射タンク
[3]化学兵器 F化学兵器の写真 G化学兵器コンプレックス
[4]核兵器 H濃縮ウラン用のアルミニウム管
[5]運搬システム I弾道ミサイル J無人飛行機−−これには生物兵器が搭載され、近隣諸国だけでなく米国をも攻撃できる。
[6]テロリズム Kイラクは、パレスチナの自爆テロのための出撃基地になっている。 Lテロリストの毒薬と爆薬の工場 Mザルカウィとテロリストのネットワーク
[7]人権侵害
以上の「証拠」なるものを示した上で、パウエルは以下のように締めくくった。「アメリカ政府は、米国民を危険にさらすことは出来ないし、しないだろう。大量破壊兵器を保有するサダムフセインをこれ以上何ヶ月も何年も放っておくことは出来ない。ポスト9.11の世界では出来ない。」パウエル国務長官の2003年2月5日の全演説(英語)は以下のホームページにある。http://www.informationclearinghouse.info/article3710.htm
(3)大量破壊兵器のウソ・デマはすでに外堀が埋められていた。
『ドルファー最終報告』は、突如出てきたものではない。すでにそれ以前に大量破壊兵器保有のウソは、イラク戦争が泥沼化するとともに次々と発表されてきた。
◎2004年1月:米大量破壊兵器査察チームのケイ団長報告と辞任。
※「『戦争の大義』、派兵の前提は崩れた!−ケイ証言を否定するなら、小泉首相はイラク大量破壊兵器の“決定的証拠”を見せよ−」(署名事務局)参照。
◎2004年4月:生物化学兵器の移動式実験室の情報が全くデタラメであったことをパウエル自身が認めた。
※「Powell says his assertions were
wrong」(Seattle
Times)
http://seattletimes.nwsource.com/html/nationworld/2001931010_iraqdig17.html
◎2004年7月:米上院情報特別委員会報告。
7月9日上院情報特別委員会が、(大量破壊兵器保有は)「思い込みに基づく欠陥情報」と厳しく批判し、大量破壊兵器がなかったことを明らかにした。この報告では「対テロ戦争」の一環としてイラク戦争を闘うために米政権が口実として提示したイラク政権とアルカイダとの関係についてもきっぱりと否定した。さらに、開戦の根拠になった、フセイン政権が生物・化学兵器を保有し核兵器を開発中との分析は、「根拠となる情報は収集されておらず、誤りだった」と断言。米中央情報局(CIA)に対しては「政府内での特異な立場を悪用し、重要情報を抱え込むなどした」と厳しく批判した。
※「Powell's WMD speech 'based on lies'
」(smh.com
July 12, 2004)
http://www.smh.com.au/articles/2004/07/11/1089484242583.html?oneclick=true
◎2004年7月:英バトラー報告。
7月14日、英の独立調査委員会(バトラー委員長)は以下の報告を行った。@イギリスが作成した02年9月の大量破壊兵器報告書は、イラクは45分間で生物・化学兵器の配備が可能としたが、全くのでっち上げであった。A多くの情報源の質に問題があり、大量破壊兵器に関する情報には深刻な欠陥があった。B政府の情報収集および、重要な決定が少数のトップによってなされている。
※「イラク大量破壊兵器:英調査委報告 「参戦ありき」晴れぬ疑惑」(毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/mideast/archive/news/2004/07/15/20040715ddm007030085000c.html
(4)時間稼ぎと世論の沈静化に失敗。思惑が外れた政府の大量破壊兵器調査。
そもそも、調査員900人、通訳700人を動員し、15ヶ月にわたって調査を進めてきたドルファー調査委員会なるものは何であったのか。それは、イラク戦争開戦後2ヶ月もたたないうちに噴出した戦争の大義を批判する声を封じ込め「調査中」を掲げることによって「未解決」を装うために作られた機関にすぎない。米政府は2003年5月30日、大量破壊兵器調査団を結成した。
そこでは次のようなシナリオが想定されていたに違いない。−−すでにブッシュは5月1日に大規模戦闘終結宣言を行っている、意外と簡単にフセイン政権は崩壊した、治安もそのうち安定するだろう、石油施設はすでに押さえた、産出高は増え石油収入も入り石油利権の掌握もうまくいくはず、石油収入で米系多国籍企業に復興利権を供与することができる、そのうち戦争に反対した欧州諸国なども復興利権に色気を出すだろう、国連を抱き込んで人道復興支援もスムーズにいくだろう。等々。ここまでくれば、こっそり「大量破壊兵器がなかった」といっても誰も問題にしないだろう、またフセインが捕まり「自白」をさせれば「フセインの告白」だけで世界を黙らせられるかも知れない。傲慢で自分勝手な幻想の上に立てられたシナリオである。こんな中で大量破壊兵器問題は、“時間稼ぎ”さえやっておれば何とかなると考えたのであろう。
V.結局はイラク政府の「自主申告書」が正しかった。「査察継続派」=開戦反対派が正しかった。−−取り返しの付かない開戦責任。
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(1)イラク開戦の原点に立ち返れ!−−「開戦派」が完全に誤りで、「査察継続派」=開戦反対派が完全に正しかった。
ブッシュ政権がイラク開戦の「根拠」「決定的証拠」としてきたものが、ことごとくウソ・デマであったことが確定したことによって、私たちは如何なる結論を引き出すべきなのか。以下に見ていきたい。大事なのはイラク開戦の原点に立ち返ることである。
2003年3月20日、米英の攻撃でイラク戦争の口火が切って落とされた。上述したパウエルの大演説は2月5日、国連でブッシュが大量破壊兵器の脅威を訴えて、国連安保理全体をイラク侵略に引っ張り込もうとしたのが前年2002年9月だ。年末から年始にかけて戦争のドラム・ビートが打ち鳴らされて、ピークを迎えたのが、パウエル演説であった。
この政治的軍事的緊張がピークに達した開戦前夜、開戦の是非、戦争の「大義」を巡ってはっきりと二大陣営に分かれた。あくまでも大量破壊兵器保有を理由に開戦に突き進む米・英・スペイン・日本などの陣営と、大量破壊兵器保有を疑問視し査察継続を求めたフランス・ロシア・中国・ドイツなどの陣営である。後者の陣営には、もちろんイラクのフセイン政権も含まれる。さらに、IAEA事務局長エルバラダイ氏やUNMOVICのブリックス氏らもこの立場に立つ。「開戦派」と「査察継続派」、「開戦派」は圧倒的に少数派であった。
『ドルファー最終報告』の最も決定的な意義は、フセイン大統領とイラク政府の主張、「査察継続派」の主張が完全に正しかったこと、「開戦派」の主張が完全に誤っていたこと、ことごとくウソとデマであったことを、米政府自らが調査・検証し認めたことにある。
※しかもパウエル国務長官は9月13日の上院政府活動委員会の公聴会で、大量破壊兵器について「いかなる備蓄も見つかっておらず、この先も発見されることはないだろう」と証言、事実上の発見断念を言明したのである。「イラク開戦根拠の大量破壊兵器の発見断念 米国務長官が表明」(東京新聞)
http://www.chunichi.co.jp/iraq/040914T1520.html
(2)フセインとパウエル、ウソをついたのはどっちか。−−2002年12月8日、大量破壊兵器の保有を否定したイラク政府の「自主申告書」は結局正しかった。
フセイン元大統領は、2002年12月8日、「大量破壊兵器を保有していない」という「自主申告書」をUNMOVICに対して提出した。1万2千ページに及ぶ報告書には、生物兵器、化学兵器、核兵器を廃棄した経緯や、計画の断念などが詳しく展開されていた。この申告書は2002年11月に、国連決議1441に従って屈辱的な強制査察をイラクが受け入れ、開戦の3ヶ月前に、「ない」ことを証明したものである。
ところが当時の欧米と日本のマスコミは、すでに開戦に向けて暴走している米英日政府の「申告書」批判をそのまま受け入れ、この「申告書」を事実上無視し否定した。そればかりか「イラクは立証責任を果たさなかった」「国連決議の違反を繰り返した」「査察に非協力的だった」という小泉やブッシュの言い分を垂れ流し、「開戦派」を支持したのである。
2002年12月19日、米政府はこのイラクの「申告書」を非難するが、03年1月9日、2月28日、3月7日と出されたUNMOVICやIAEAの「評価」や「中間報告」で「査察継続」の流れが定着することを恐れ、満を持してパウエル国務長官がおこなったのが、あの2003年2月5日の国連安保理での大芝居だった。
しかし米英日とは異なり、国連UNMOVICのブリックス委員長(当時)も、IAEAのエルバラダイ事務局長も「申告書」を尊重し、時間をかけてこれを検証するよう求めた。たとえば、アメリカがウラン濃縮用と決めつけるアルミ管はミサイルの材料に使われたこと、UNSCOMによって破壊された化学工場が復興されたのは民生用としてであることなど、「申告書」は検討に値すると認めたのである。両氏は、もしイラク政府が大量破壊兵器を持ってもいないし作る計画もないということを証明することができない場合でも、戦争でイラクを破壊するのではなく、査察を続けることが大量破壊兵器の封じ込めにつながるとも表明したのである。また、査察は何の障害もなく査察対象へのアクセスは迅速に行われていることも同時に表明している。
すなわち、あたかも今回の『ドルファー最終報告』で初めて判明したかのように宣伝されている「アルミ管」も「化学兵器工場」も、イラクがすでに開戦の3ヶ月も前に、大量破壊兵器がない証拠として国連に提出していた「申告書」の中身と同じものなのだ。言い換えれば、『ドルファー最終報告』はイラク政府の「自主申告書」の“焼き直し”なのである。それが虚偽のものだと言い張ったものが結局は正しかったことを、侵略で虐殺と破壊の蛮行をやりまくった後で2年後の今、「実はそれは正しかった」と米政府自らがそれを認めたのである。こんな理不尽なことはない。
(3)大量破壊兵器保有のウソ発覚で、イラク開戦を「正当化」するはずだった安保理決議1441を盾にすることができなくなった。
ブッシュやブレアがイラク開戦の最大の根拠と位置付け、今なお小泉が繰り返し主張している国連安保理決議1441もまた、『ドルファー最終報告』で大量破壊兵器がウソだったことがばれた後、その意味を変える。元々この決議は、違反すれば「重大な結果を招く」と警告しただけで、「武力行使」容認決議ではなく、「自動開戦」を認めるものではなかった。だから米英は新たな「武力行使容認決議」を追求したのだ。
しかしこの1441という強制査察決議を守る守らないを云々できるのは、大量破壊兵器を保有しそれを使用できる状態で隠匿していた場合に限って、弾劾できるのであって、今となっては、イラクとフセインは1441を完璧に守り、従ったのである。
※国連決議1441 http://www.un.org/Depts/unmovic/documents/1441.pdf
※「国連安保理決議1441に抗議する−−ブッシュは「強制査察」を開戦の口実にするな」(署名事務局)
(4)イラク戦争は、国連憲章違反、国際法違反の違法・無法・不当な侵略戦争。
イラク開戦の唯一最大の根拠がウソだった。対イラク戦争は、国連憲章、国際法に違反した不当な侵略戦争である。アナン国連事務総長自身が今年の9月半ば、イラク戦争は「われわれの見地からも、国連憲章上からも違法だ」と初めて明確にイラク戦争の違法性を公言した。イラクが米国に直接の侵略行為を働かなかった、侵略の急迫がなかっただけではなく、その物質的手段である大量破壊兵器が存在しなかったことが明確な証拠を伴って判明したのである。従ってかかる条件を欠いた下での米国による対イラク戦争は、明白な国連憲章違反である。
私たちが繰り返し述べたように、大量破壊兵器保有が例え事実であったとしても、国際法上それを根拠にイラクを攻撃することなどできない。しかし今回はその大量破壊兵器そのものが事実無根であったことが証明されたのである。それも国連機関や第三者機関ではない。米政府の公式機関によってである。
※「Iraq war illegal, says Annan」BBC放送。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/3661134.stm
W.なぜ『ドルファー最終報告』が出たのか。−−諜報機関をめぐる主導権争い。CIAの情報をもねつ造して戦争に突き進んだブッシュ政権。
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(1)大統領選直前にCIA最終報告が出された意味。CIAをも超えた政権中枢の新しい謀略機関(OSP)との確執。
ここで問題になるのは、CIAがなぜ、大統領選まで1ヶ月を切った時期にイラク戦争の「大義」を全面的に否定する衝撃的な報告を出してきたのかという背景である。選挙戦最大の論点はまさにイラク戦争である。すでにアブグレイブ・スキャンダルで「イラク解放」「イラク民主化」はウソ・デタラメであることが明らかになった。遂に米兵の死者は1100人を越えた。来年1月のイラク選挙は実施そのものが危うくなっている。イラク戦争は完全に泥沼化している。こんな中で改めて大量破壊兵器のウソ・デマが最終的に確定することは、ブッシュにとって明らかに不利である。すぐに思い浮かぶのは、すでに思惑が外れ泥沼に陥っているイラク戦争・占領をめぐるブッシュ政権内部の深刻な対立・葛藤である。押さえ込もうとしても完全には押さえ込めないところまで来ているのだ。
とりわけ深刻なのは、陰の大統領チェイニーとCIAとの確執である。開戦前、チェイニー副大統領がたびたびCIAに赴き、フセインの脅威を誇張するよう圧力をかけ、特にフセイン政権がアフリカでウラン購入を企んでいたとするニセ情報をあたかも真実であるかのように無理矢理提出させたことは今では周知のことだ。しかしこれはCIAとブッシュ政権との対立を表すエピソードの一つに過ぎない。事態はもっと深刻である。
それは、単にチェイニーや一部の政府高官の思いつきや気まぐれの行動ではない。先制攻撃戦争、対テロ戦争を推進するには、ブッシュ大統領や国防長官、国務長官などから相対的に独立した「権力」は目の上のたんこぶなのである。だからチェイニーらは政権の言いなりになる新しい情報機関として、9.11以降、対テロ戦争のための情報操作、イラク戦争開戦のためのデッチ上げを専門に行う“OSP(特殊情報室)”なる組織を国防総省内に作ったのである。言わば情報・謀略機関の主導権争いなのだ。
※英『ガーディアン』紙によれば、OSPは、CIAなどが入手した生情報を独自に解釈し、つまり改竄し、公式行政手続きを踏むことなく、議会のチェックも受けず、CIAや国防総省内の公式情報部門さえも排除して、ホワイトハウスに直接強い影響を及ぼしているという。「OSPはごった煮情報や噂やデマを集めて『完成品』をひねり出し、ホワイトハウスの固定読者に提供した。主な顧客はチェイニー氏、スティーブン・ハドリー氏だ。ハドリー氏は国家安全保障会議ではチェイニー氏の同志でライス大統領補佐官の副官も務める。かれらはかれらで一部の内容をメディアに漏らし、一部はCIAと国務省の分析官に追跡調査を迫るために使った。」
「The spies who pushed for war」(ガーディアン2003/7/17)
http://www.guardian.co.uk/Archive/Article/0,4273,4714031,00.html 邦訳は http://groups.yahoo.co.jp/group/TUP-Bulletin/messages/151?expand=1(TUP速報150号 03年8月1日 米国を戦争へと追いやったスパイたち)
もちろん9.11以前のCIAそのものが、歴代米政権中枢から相対的に独立して諜報や謀略、暗殺、政権転覆などを専門に行ってきた「CIA情報帝国」であり「国家の中の国家」である。チェイニーはこのCIAの権力を屈服させ脇に追いやり、CIAはもちろん議会や国防総省の公式情報部門さえも超越した巨大な諜報・謀略組織を政権中枢に作り上げたのである。そしてこの諜報・謀略組織が、CIAなどが集めた情報をイラク戦争開戦に都合のいいように勝手にねじ曲げ改竄し、マス・メディアに「リーク」するという役割を担っている。ブッシュの「対テロ戦争」の不可欠な最重要機関というべきものなのである。
CIAは当初からイラクの大量破壊兵器の保有については懐疑的であったと言われている。ところが9・11そのものも、大量破壊兵器も、全てが「誤った情報収集」を行ったCIAの失敗と断定される。全責任を転嫁されたCIAが自らの生き残りと組織的存亡をかけて、ブッシュ政権=チェイニー政権に反旗を翻したと見ることが出来るのかも知れない。
パウエル国務長官はなぜ辞任しないのか。2月5日の猿芝居をしながら未だに閣僚の椅子に座っているのは責任逃れもいいところだ。事ここに至って「われわれはどこで誤ったのか」とは聞いて呆れる。まるで他人事。CIAが悪いでは済まない。大量破壊兵器保有の「決定的証拠」を大見得を切って大演説したのは一体誰だったのか。「彼は開戦に反対していた」「中道派」「清廉潔白な軍人」と持ち上げたのが誰かは知らないが、要するにパウエルとは自己保身に汲々とする一人の薄汚い権力亡者に過ぎない。あまりにも腐臭紛々のブッシュ政権の恥部を隠すイチジクの葉っぱに過ぎない。恥を知るべきだ。
※現に米議会では、CIAを3分割しその力を弱体化させ、諜報活動を一気に国防総省に集中させるための「CIA解体法案」(新国家安全保障法案)が提出され、現在上院を通過し下院で審議中である。CIA長官ポストも廃止される。CIAはブッシュの戦争政権のもとで仕組まれたこの法案を組織の存亡をかけてつぶし生き残りを図るために、大統領選前に最終報告の提出を急いだと見ることができる。ただし、事態はもっと複雑であり、マクローリンCIA長官代行(当時)はもちろん、国防総省の情報部門も再編されることになるラムズフェルド国防長官も8月の議会証言で、この法案に消極的な姿勢を示している。「CIA解体の法案準備 米上院委員長 情報機関を改革」(西日本新聞)
http://www.nishinippon.co.jp/media/news/news-today/20040823/news012.html
(2)CIA最終報告の衝撃を薄めようとしたブッシュ政権の閣僚たち。
『ドルファー最終報告』の発表に先立ってブッシュ政権の高官は相次いで、「大量破壊兵器がなかった」との情報をリークし始めた。
10月1日、パウエル長官が記者会見し、「イラクは大量破壊兵器をもっていなかった」と明言した。パウエルは9月13日には「見つかる可能性は少ない」としていたが、公式に「なかった」ことを認めた。10月3日にはライス補佐官が「ウラン濃縮用アルミニウム管」のウソを認めた。そして10月4日にはラムズフェルド国防長官が、フセイン政権とアルカイダとの関係を一旦は否定した。ここまで続けば意図は明白、『ドルファー最終報告』の衝撃を少しでも薄めようとしたのだ。
※パウエル国務長官は9月13日、上院政府活動委員会の公聴会において、以下のように語った。ここでは、ウソを付いたのがばれてしまったという、パウエルの本音が垣間見える。
パウエル:大量破壊兵器に関する「いかなる備蓄も見つかっておらず、この先も発見されることはないだろう」「我々は過去にさかのぼり、なぜ異なる判断をしたのか突き止めねばならない」「われわれのプレゼンテーションと情報が描いた像には批判があるが、それは時の試練に耐えた」「時の試練に耐えなかったのは、化学・生物兵器の備蓄があるという判断だった。」「核の側面については、われわれが本当はどの程度まで知っているのかという点で真の疑問があった。だからこそわたしのプレゼンテーションでは遠心分離器と核能力に一定の不確実性があることに関しては示唆したのだ。」
−−つまりこうである。もともと核兵器開発については証拠としてはチャチすぎて、ウソがすぐにばれてしまうと初めから思っていたが、生物・化学兵器は結構行けると思っていた、しかしそれについてもすべてウソとでっち上げであることがばれてしまった。しかしあのときイラクを「テロ国家」と描いた姿だけは今も正しいと言える。個々の証拠はウソだったが、サダムをこれ以上放っておけないという結論だけは正しかった。証拠は全部ウソとデマとでっち上げだが、おまえが犯人だといったら、犯人なんだ!!こんなメチャクチャな論理が世界最強国家の軍事外交政策なのだ。
(3)大量破壊兵器がなかったことを予め知っていたパウエルとライス。
実は、9.11以前には、あるいはイラク戦争開戦方針を決定する以前には、パウエルもライスも、米英主導の国連経済制裁によってイラクの経済と国家財政が破綻し、フセイン大統領が大量破壊兵器を所有し開発する能力を失っていったことを十分知っていたのである。これは全く今回の『ドルファー最終報告』と一致する。ところが、9.11を境に、アフガンと合わせてイラクに対する戦争の口実を探しはじめ、イラク戦争を「対テロ戦争」として遂行するために、「大量破壊兵器」と強制査察を突如持ち出すことに賛成したのである。
※2001年2月カイロを訪れたパウエル長官は、米主導の経済制裁を誇示して以下のように語った。「米の経済制裁は、イラクの人々を痛めつけるためではなく、大量破壊兵器の開発を阻止するためにある。サダムフセインは、大量破壊兵器を作る能力も近隣に脅威を与える能力も持っていない。」「2001:
Powell & Rice Declare Iraq Has
No WMD
and Is Not a Threat」(The Memoryhole)
http://www.thememoryhole.org/war/powell-no-wmd.htm
X.大量破壊兵器問題の“核心”は先制攻撃戦争の危険性。−−『ドルファー最終報告』が指し示す先制攻撃戦争=「対テロ戦争」戦略の放棄。
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(1)大量破壊兵器をめぐるブッシュのこんにゃく問答の行き着いた先−−「開発意図」で先制攻撃戦争は正当化されるという侵略者の論理。
ブッシュ大統領は「大量破壊兵器の有無にかかわらず、イラク戦争は正しかった」「イラクは確かに大量破壊兵器開発の能力はあった」「大量破壊兵器を持とうという意図があった。」等々とイラク戦争開戦の根拠をすり替え、あくまでもイラク戦争の正当性を主張している。「開発意図」論は、『ドルファー最終報告』でブッシュがすがる唯一の拠り所である。だが、これは極めて危険なことである。このような論拠がまかり通るならば、大量破壊兵器があろうとなかろうと、差し迫った脅威があろうとなかろうと、「大量破壊兵器の開発意図」を米が一方的に決め付けるだけ、考えるだけで、戦争を始めることが可能になってしまうからだ。
私たちは、侵略者側が謀略や陰謀を張り巡らすだけで、相手の「意図」や「計画」をこじつけるだけで、戦争を始めることができる先制攻撃戦争=「対テロ戦争」戦略に絶対反対である。ブッシュは、先制攻撃戦争、「テロとの戦争」「新しい戦争」とまるで「新しい概念」であるかのように言うが、結局はこれら全てが、謀略や陰謀、ウソとでっち上げで、気に入らぬ反米国家を侵略する、侵略戦争の論理そのものなのである。
すでに述べたように、確かに『ドルファー最終報告』は、「政権の戦略的意図」の中で、フセイン大統領が、制裁解除を勝ち取った上で大量破壊兵器を再開発することを意図していたと述べている。しかし、そこからでてくる結論は「経済制裁の継続」と査察の継続強化でしかない。
しかも同報告書は、「開発意図」を持っていたという「公式に文書で記された戦略や計画」などは存在せず、「証拠」はもっぱら前政権要人の尋問と聞き取りによっているというのである。何とでもでっち上げることができるというものだ。
「意図」をもって攻撃の根拠にする危険性は、現在のイラク戦争だけの問題だけではない。イランしかり、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)しかり、である。しかも、日本の「武力攻撃事態法」には、「予測事態」という、攻撃の可能性を認定するだけで有事体制を発動できる条項がある。北朝鮮が、核兵器を開発しようという「意図」がある(と日本政府が決め付け)、日本に対してミサイルを発射しようとする「意図」がある(と日本政府が決め付ける)、これだけで米日一体で対北朝鮮先制攻撃戦争が可能となってしまうのだ。大量破壊兵器と先制攻撃戦争論は、このように日本の平和、朝鮮半島と東アジアの平和と安定をぶち壊す決定的な要因になるのである。
※ブッシュ政権がイラク戦争へと突き進もうとしていた2002年に「マイノリティ・リポート」(スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演)という映画が公開された。犯罪予知能力を持った超能力者を利用して、「殺人する意図がある」と見なされた人物を未然に逮捕し、監獄に送り込むという犯罪防止システムが完成した近未来の米国を描いた映画である。監視社会の行く末に警告を発するものであった。ちょうど、凶器ももっておらず、凶器をもつ計画もない人物が、10年以上前に凶器を持っていた経歴があるというだけで、殺人する意図があると決めつけられ、家を叩きつぶされ逮捕され拷問され処刑されるというのがイラク戦争なのである。
(2)大量破壊兵器問題の本質は先制攻撃戦争問題。『ドルファー最終報告』で対テロ戦争=先制攻撃戦争の侵略的本質が剥き出しに。
大量破壊兵器はなかった。ウソだった。でもイラク戦争は正しかった。私たちは上で「開発意図」云々を批判したが、言うまでもなくこれも彼らブッシュ政権の本音ではない。彼らがそこで主張したかったのは、先制攻撃戦争であり、対テロ戦争なのである。この「新しい戦争」を持ち出せば、あらゆる制約から逃れ、フリーハンドを手に入れることができる。国際法や国連憲章、国内法、国連、ジュネーブ条約や国際人道法等々、過去のしがらみ一切をはねつけることができる。ブッシュ政権はそう考えているのだ。
要するに大量破壊兵器は建前だった。ブッシュ大統領を初め政権閣僚の発言はより剥き出しになり、より露骨になっている。『ドルファー最終報告』に対して、ブッシュ大統領は「現在あるすべての情報にもとづいて、我々のとった行動は正しかったと信じる」「彼(フセイン元大統領)には大量破壊兵器を製造する知識と材料と手段、意思があった。知識をテロ組織に渡すことも可能だった。サダム・フセインは特異な脅威だった」と語り、大量破壊兵器の保有や、テロ組織との関係が完全に否定されたもとでも、「意志」や「可能性」でイラク戦争が正当であったのだ、と強弁した。
さらにブッシュは続ける。「フセイン元大統領には大量破壊兵器開発の意図があり、深刻な脅威だった。政権打倒は正しかった。」「我々はみなイラクに大量破壊兵器があると考えた。ないと分かってうれしくはないが、サダム・フセインは脅威だった。脅威があれば、実害が発生する前に対処せねばならない。同時多発テロは世界を変えたのだ。」−−ここでブッシュが主張するのは、フセイン自身が大量破壊兵器だというのである。
ライス米大統領補佐官も同様だ。彼女は「大量破壊兵器があろうとなかろうとイラク戦争はやった」と答えている。
※米大統領選:大量破壊兵器で全面対決 第2回TV討論会(毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20041009k0000e030039000c.html
※イラク戦争:「大量破壊兵器なし」米最終報告 ライス補佐官「保有なくても開戦」(毎日新聞)
http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/mideast/news/20041011ddm003030136000c.html
私たちは、ブッシュ政権に対し「対テロ戦争」、先制攻撃戦争そのものを放棄するよう要求する。こんなことがまかり通れば米に逆らう者全てを侵略することができる。二度の世界大戦のおびただしい数千万人の尊い犠牲の上に成り立つ国際法と国連憲章をことごとく踏みにじり、暴若無人の戦争を正当化するものである。
大量破壊兵器の問題は、ブッシュの先制攻撃戦争の問題であるだけではなく、ケリーもまた先制攻撃戦略そのものを支持している。やり方が悪かったと主張しているに過ぎない。大量破壊兵器問題を徹底して追及することで、先制攻撃戦略そのものの違法性を明らかにしなければならない。
(3)初めに攻撃ありき。イラク開戦の現実の政治過程が示す先制攻撃戦争のデタラメと危険。−−大量破壊兵器の「証拠捏造」を見透かされ多数を獲得できず。
元々イラク開戦には無理があった。国際法と従来の国際慣例に基づいては絶対にできる戦争ではなかった。「フセインは悪い」「自国民を抑圧している」等々の一般論では戦争はできない。だから問題は相手が攻撃しないのにどうやって攻撃を正当化するのか、先制攻撃をどう正当化し、どうやって国際世論の支持を得るのかかが焦点になった。
そこで、開戦の唯一の根拠「大量破壊兵器の保有」が登場するのである。これも何段階かにわたってジグザグする。まず最初にフセインが呑めないような「強制査察決議」を国連で決めさせた。ところが思惑に反してフセインはこれを受諾してしまった。やむなく次に大量破壊兵器のニセ証拠をでっち上げ、保有をまるで事実であるかのように決め付ける。しかしなかなか国際世論はのウソに乗ってこなかった。米英は見透かされていたのだ。
米英は、米英単独開戦=先制攻撃から、強制査察=先制攻撃に迷走していくが、先制攻撃戦争だけは一貫していた。何かおかしい。安保理の多数派と国際世論は、表面的には大量破壊兵器の保有を巡る論争、査察の継続を巡る対立となって展開された熾烈な対立が、その本質のところでは、「対テロ戦争」=先制攻撃戦争を認めるか否かの対立だったことに勘づいていた。ブッシュの「差し迫った脅威」も、ブレア首相の「45分間の脅威」も、小泉首相の「支持といえる材料を持ってこい」も、ウソ・でっち上げを押し付けることができなかった彼ら開戦派の焦りと危機感の表明だったのである。結局米英は単独の先制攻撃戦争に突っ走った。
米英はイラク戦争・占領の泥沼化とも相まって、この開戦時の多数派工作の失敗、圧倒的孤立、国際的力関係の圧倒的不利から未だに脱することができていない。今回の大量破壊兵器を巡るウソ・でっち上げの確定は、再びこの力関係を国際政治の舞台にのぼらせるきっかけになるだろうし、先制攻撃戦争の危険性と誤りを政治的争点に押し上げるだろう。
−−−−−−−−−−− イラク開戦への略史 −−−−−−−−−−−
@2001年11月、対アフガン戦争の最中にブッシュが「新しいイラク戦争の計画書を作れ」と命令。
A2002年1月、一般教書において「悪の枢軸」との対決を表明。イラクを名指しで批判。
B2002年4月、化学兵器禁止機関(OPCW)の事務局長を解任し、イラクが化学兵器の査察に応じられないようにし、大量破壊兵器の保有と査察拒否を開戦の根拠にする方向へ急激にシフト。
C2002年7月、米の単独行動による先制攻撃に舵を取り始める。イラクに対する空爆の開始と侵攻作戦の立案。
D2002年8月、しかし、米英政権内部から批判が噴出。大義なしに米英単独で開戦した場合、占領支配を政治的に持ちこたえられないと判断。大量破壊兵器の強制査察問題を前に出し、強制査察拒否を口実に開戦する方向へ再び舵を切り直す。ところが到底受け入れないと思ったフセイン大統領宮殿なども含む「無条件査察」をイラクが認め、思惑が外れる。「最後通牒」を突きつける。
E2002年9年16日、イラクによる無条件査察受け入れ。この時点で、「イラクによる査察拒否」は開戦の根拠としての意味を失う。イラクは大量破壊兵器を保有していない証拠を示して、戦争を回避する方向へ戦術を転換した。
F2002年11月8日、国連は安保理決議1441を採択した。イラクは、11月13日これを受け入れる。
G2002年12月8日、イラクが大量破壊兵器がないことを示す「自主申告書」を提出。これ以後、この「申告書」の中身を巡る論争に焦点が移る。
H2002年12月19日、米政府が「申告書」を批判。しかし翌03年1月9日、2月28日、3月7日にUNMOVIC、IAEA、国連安保理の多数派が「査察継続派」を形成し、イラク開戦に大きなブレーキをかけようと動く。
I2003年2月5日、危機感を抱いた米英政府は、パウエルが最後通牒的な「決定的証拠」を猿芝居し多数は獲得に躍起となる。1441に代わる武力行使新決議を追求するが多数を得られず断念、3月17日に最後通牒を行い、3月20日開戦に至る。
※もちろん対イラク戦争はこれ以前から検討されている。『攻撃計画』(日本経済新聞社 ボブ・ウッドワード著)によれば、イラクに対する空爆は制裁下で日常的に繰り返されており、その空爆を本格的な攻撃に発展させるか、反政府勢力による反乱での政権転覆をめざすか、いくつかのオプションよるフセイン政権打倒の計画は検討されていた。そしてまさに9.11の当日の午後、ラムズフェルドは速くも「9/11テロ」への対応としてイラク攻撃が可能かどうかを関係者に問いかけ、翌日「絶好の機会だ」と述べたという。世界貿易センタービルの甚大な被害、厳しい防空網をくぐり抜けてペンタゴンそのものに航空機が突入したという現実を前にして、その「テロ」をイラク戦争の口実に使えないかと検討する態度そのものが常軌を逸していることは言うまでもない。しかし、4日後の討論でチェイニー、パウエルらの反対に遭い、投票によってイラクは最初の攻撃目標にすべきではないと決まった。このときラムズフェルドは棄権したという。しかし9月16日、ブッシュはライスに、テロとの戦争の最初の攻撃目標はアフガニスタンと告げながら、「今はイラクはやらない、だがいずれはその問題に戻ることになる」と付け加えた。その言葉通り、アフガニスタン戦争の大勢が決まりつつあった11月22日に「イラク戦争計画」の立案の指示が出されたのだ。
2004年10月20日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局
(続く)
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