シリーズ<マスコミが伝えないイラク戦争・占領の現実>その17
民主党への幻想を断ち切り、反戦運動が一大政治勢力へ成長
−−米国の反戦運動の新段階。9.24ワシントン行動の政治的意義について−−


 9月24日のワシントン反戦大行動は、全米から30万人を結集し、アメリカの首都での行動としては、イラク戦争開戦以降最大規模の行動となった。
 しかし、この行動の重要性はその規模の大きさや広がりだけにとどまるものではない。息子をイラクで失ったシンディ・シーハンさんが突破口となり、戦死者遺族、反戦イラク帰還兵らが中心となってブッシュ政権の批判を繰り広げたこと、米国の反戦運動の2大センター、ANSWERとUFPJがはじめて統一行動を組織したこと、ハリケーンカトリーナ被害によって米国内の人種問題、「分裂するアメリカ」の実態を明るみに出し、アメリカの国内課題と反戦平和の課題が深く結びついたことなど、新しい重要な特徴を持っていた。
 そして、運動の発展という点から見れば、長く全体としては民主党の影響を排除しきれなかった運動の内部から、民主党の曖昧なイラク政策に対する鋭い批判が公然と吹き出し、アメリカの政治の地殻変動と言うべき状況を生みだした。
 私たちは改めて、この大行動に現れたアメリカの反戦平和運動の新しい特徴、新しい段階の特殊性について検討してみたい。
※運動の速報については以下を参照 「首都ワシントンに30万人が結集。イラク戦争開戦以来最大規模の大行動」(署名事務局)

2005年10月13日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局




[1]シーハンさん、“反戦民主党議員”への批判を強める−−「今すぐ声をあげるべきなのに、彼らはいったい何を待っているのか」

(1) 「ええっと、その件については・・・」「イラク問題は・・大変難しい問題で・・・」−−これが、反戦の立場に立つという民主党議員たちの回答だった。9月24日から26日の反戦行動で、シーハンさんは上下院議員に対する大規模なロビー活動を呼びかけ、10月1日、議員への働きかけを仲間たちと精力的に行った。彼女は、それをうけて「共和党の主戦論者と民主党の反戦論者:どこが違うのか」を書いた。(10月4日 コモンドリームズ シンディ・シーハン)。
彼女はこの中で、タカ派の共和党員や民主党の主戦論者だけでなく、“反戦民主党議員”に激しい怒りをぶつけている。「イラク戦争に反対と言いながら声を上げないとすれば、それは戦争を支持することだ」という何度も繰り返してきた基本的な姿勢を示し、共和党員の主戦論者がブッシュの戦争を支持しているときに、民主党員は「即時撤退」を曖昧にし、ブッシュの政策についても口を濁している。「彼らは一体何を待っているのだ」と問いつめている。


(2) 私たちは、シーハンさんの政治的スタンスについてはこれまで立ち入っては問題にする事はできなかった。彼女は戦死者家族として前に出、ブッシュと対峙し、イラク戦争の大義を問いただし、即時撤退を要求してきた。それは、明らかに民主党の「そのうちに撤退」と矛盾するものであったが、民主党との関係を明確には語っていないと考えていた。事実、彼女は、2004年8月には民主党員としてブッシュ大統領に面会し、熱烈な民主党支持者であるマイケル・ムーアとも親しかった。

 彼女が8月6日に開始したブッシュの保養地テキサス州クロフォードでの座り込みという行動は、それがあまりに衝撃的で影響力が大きかったため、当初から様々な運動の潮流がこれを支持し合流していった。その中で中心的な役割を果たした運動団体の一つが「ムーブオン」(MooveOn)であった。これは、8月17日の全米数十万人規模のシーハン支持の徹夜行動を実現させたグループであり、民主党にもっとも近い関係にあり、300万人の会員を擁し影響力も強いと言われている。この「ムーブオン」は、シーハンさんの活動を支援しながら、彼女の中心的要求である「米軍の即時撤退」を掲げなかった。リベラル系サイト「コモンドリームズ」に掲載された記事「イラク戦争とムーブオン」は、「ムーブオン」は来年の中間選挙まで、米軍撤退の開始を引き延ばすつもりなのかとの疑問を投げかけている。そして、「ムーブオン」と大多数の草の根のイラク反戦運動との乖離が、そのまま民主党と反戦運動の関係の問題でもあるのだ。
※「The Iraq War and MoveOn」 http://www.commondreams.org/views05/0818-33.htm


(3) ところが、シーハンさんは、9月24日の行動で、明確に自らの立場を表明した。ホワイトハウス前の集会演壇で公然と民主党を批判したのである。彼女は、「民主党が政党として見当はずれのものとなってしまった」と発言したのである。30万人が結集する空前の反戦大行動が起こり、ブッシュの支持率は発足以来最低の37%にまで落ち込んだ。このような新しい事態の中で、曖昧な態度をとる民主党が共和党政治に対抗軸を示せなくなっていることを指弾したのである。
※War-Hawk Republicans and Anti-War Democrats: What's the Difference?(Cindy Sheehan)  http://www.commondreams.org/views05/1004-20.htm
 シーハンさんの舌鋒は鋭い。ドール、マケイン、マリリン・マスグレイブの三人の熱烈な共和党の主戦論者については虫ずが走るほど気分が悪く、会った後でいちいちシャワーを浴びたいくらいだったと嫌悪感をあらわにしている。彼らは、大量破壊兵器が存在しなかったことなどには耳を貸そうとせず、ただ、第一次湾岸戦争後にサダムが自国の人民を殺戮したことや、多くの子供たちが死んでいったことを述べ立てたのである。しかし、2003年3月に突然そのことが重要になったのだ。
 さらに、民主党員の主戦論者は、同じように、共和党員以上ではないにしても、彼女を落胆させた。米兵を増派することが解決になるとは考えられない、イラクの米兵やイラクの人々の苦しみを緩和するために何かが出来るとは思わない−−これが民主党主戦論者たちとの会談後のシーハンの感想である。カールス・シュメールなどは、イラク占領はアメリカにとって良いことだとまで述べている。
 そして、民主党議員の「反戦」論者はもっともシーハンを困惑させた。「イラク撤退議員の会」のメンバーや少数の議員などのまともな人たちを除けば、民主党の路線は、2ヶ月の枠組み−−10月の憲法国民投票と12月の議会選挙−−を認め、その後に、ブッシュの政策の誤りと、彼のうそつき参謀たちを攻撃する機会がやってくるというものであった。
しかも、もっとシーハンを怒らせたのは、かつての民主党大統領候補ディーンとの会談であった。彼は、イラク問題は「難しい問題」だと語った。シーハンは、以下のように語っている。
 「もし民主党員が強くブッシュの戦争と破滅的な政策に反対を表明しないならば、われわれは政党として見当はずれのものとなってしまう(それはすでに起こっているのだが)。問題は難しくも何ともない。ウソのために戦争に送られ私達の子供たちが殺され続けている。侵略は間違いであった。今すぐ米軍は撤退すべきだ。至って単純なのだ。ある人がイラクでの殺害に反対して声を上げないとすれば、その人はそれを支持しているのだ。共和党員の主戦論者が不当にも誤った戦争を支持しているのに、「反戦」民主党員は、咳払いをし、この政権の誤って指導された有害な政治の政策について、口ごもっているのである。悲劇の時間を先延ばしすることで、さらにどれだけ多くの家族が、愛する身内が殺されたという悲報を受け取ることになるのだろう。
彼らは一体何を待っているのか。」



[2]ブッシュ再選ショックから立ち直り、一大政治勢力として台頭する反戦平和運動

(1) シーハンさんによる“反戦民主党議員”批判は、彼女の心情の吐露であるが、それは偶然でも、ロビー活動の戦術的発言でもない。アメリカの反戦運動と世論が到達した新しい段階を表現している。今回のワシントン30万人行動によって表れた巨大な反戦平和運動のうねりが、これまで基本的には共和党と民主党という二大政党の枠組みでしか政策を問題にすることが出来なかったアメリカの政治に、大きな変化をもたらし始めた。彼女の行動はその先駆をなしたのである。
 たとえば、「シンディ・シーハンは民主党議員を揺さぶる」では、筆者のジョシュア・フランクは、シーハンさんがヒラリー・クリントンらに甘い態度をとっていることを批判してきたが、それは誤りであったと率直に述べている。そして、「ブッシュが宣伝してきたあらゆるものを包容してきた民主党議員らと我々反戦活動家が争い始めるまでには、長い道のりを要した」と書き、反戦平和運動が、民主党の枠組みを大きくうち破る時がやってきたことを示唆している。
 また「名前を変えるときが来た。民主党議員らは平和のための抗議行動を回避した」は表題の通りである。かつての大統領候補ジョン・ケリーやヒラリー・クリントンはもちろん、イラク戦争反対を掲げているはずのハワード・ディーン、ラッセル・ファインゴールドおよびテッド・ケネディも反戦大行動に参加しなかった。戦争容認の政党は、民主主義の旗を降ろせと批判している。
※「Cindy Sheehan Rattles the Democrats」 http://www.dissidentvoice.org/Oct05/Frank1003.htm
※「It's Time for a Name Change Democrats Flee Peace Protests」http://www.dissidentvoice.org/Sept05/Frank0927.htm

 さらに、「シンディシーハンと反戦運動にとっての政治的好機−−二大政党制への衝撃」は、シンディ・シーハンと反戦運動が一大政治勢力として台頭し、二大政党制への衝撃を与えているというものである。2004年の大統領選でシーハンさんのことがメディアで大見出しで報じられていたら、戦争容認のケリーなどを担がなくてもすんだのだが、とややシニカルな論調で、目先は中間選挙に向いているようなところがあるものの、現在のアメリカの政治において、反戦平和運動がかつてない政治的力を持ち始めたことを、二大政党制に対抗する勢力としてうまく表現している。もちろん、大衆運動は政党に取って代わることはできないのだが、しかし、アメリカ政治に新しい息吹を持ち込んだことに間違いはないだろう。
※「A Political Opportunity for Cindy Sheehan and the Antiwar Movement Shocking the Two Party System」 http://www.counterpunch.org/kozloff10042005.html


(2) 巨大な戦争マシーンとなったブッシュの暴走をどう止めるのか、イラク戦争をどう終結させるのか、イラクからの米軍の撤退をどう勝ち取るのか−−言うまでもなくこれがアメリカの反戦運動の最大の課題であった。それゆえ、アメリカの反戦平和運動は、昨年11月のブッシュの再選ショックからどう立ち直り、どのように力をもつ反戦運動を作りあげるのかを試行錯誤を繰り返しながら模索してきた。そして、「ブッシュ再選ショック」は、言い換えれば「民主党の敗北ショック」であった。これは、日本にいる私たちには想像できないほど深刻なものであった。敗北した民主党にあくまでも期待し、2006年の中間選挙を見越し「できるだけ早期の撤退」という中途半端な要求にしがみつくのか、それとも民主党への幻想を断ち切り、反戦平和運動が一大勢力としてブッシュに対峙できるようになることができるのか−−これが問われ続けてきたのである。

 実際、昨年11月の大統領選でブッシュが勝利した後、アメリカの反戦平和運動は長い停滞の時期を迎えた。今年3月19日、全米規模で行われたイラク戦争開戦2周年の集会は、このような状況を反映していた。2大反戦センターは、首都ワシントンでの大行動ではなく、各地で少人数の集会を積み重ねていく戦術をとった。各地域や職場、学校などに根ざした草の根の運動を一から再構築する事を第一の目標に置き、3月19日を「再出発」「新たな起点」とする事を目指した。UFPJによると3月19日、20日には全米50州765カ所で反戦行動が開催された。またANSWER連合も800を超える諸都市で行動が組織されたことを報告している。この戦術はまずは成功を収めた。

 そのような基礎固め、基盤固めのための闘いとして、UFPJなどは、@戦費返還キャンペーン、A州兵の帰還要求、B新兵募集阻止行動などの新しい行動を提起した。膨大なイラク戦費が教育や社会保障を切り捨てていること、州兵の召集が地域社会を崩壊させようとしていること、強引でめちゃくちゃな新兵募集が若者を死と精神的荒廃に追いやっていることを暴露し、広範な一般市民の反戦意識を目覚めさせようとしたのである。これらの要求行動は、息子の死の意味をブッシュに問いつめ、納税を拒否するシーハンさんの闘いや、州兵のイラク派兵でハリケーン被害を拡大した問題などの追及で、直接その成果を結実することになる。

 もう一つ、その後の動きを決することになる決定的な出来事は、3月19日アメリカのノースカロライナ州ファイエットビルで行われた反戦行動であった。フェイエットビルはイラクで戦闘に従事している第82空挺師団と多数の特殊部隊の本拠地ブラッグ基地がある。この町に「平和のための退役軍人会」や「戦争に反対するイラク帰還兵の会」といった帰還兵の団体、そして「発言する兵士家族の会」や「平和のための戦死者家族の会」が集まり、5000人規模の集会を開催したのであった。この中で中心をになった一人がシンディ・シーハンである。
 3月から9月−−この半年の間に、イラク帰還兵、戦死者遺族、米兵家族らは、ノースカロライナの田舎町から、首都ワシントンでの大行動の中心を担うまでになった。この意義は計り知れない。


(3) このような中で、明確に反戦を掲げるイラク帰還兵たちが、米議会へ進出しようとする動きが出始めている。8月2日に共和党の牙城オハイオ2区であった下院補選に、イラク反戦を掲げる元海兵隊員ポール・ハケットが立候補し、破れたものの共和党候補に得票率48%対52%と大接戦を演じたのである。ハケットは「ブッシュは臆病者のタカ派」「大量破壊兵器もないのになぜイラクで闘う必要があるのか」「米軍駐留はイラク再建に役立っていない」などと痛烈にブッシュを批判した。インタヴュアーがその批判の激しさに「選挙で不利になるのでは」と聞けば、「大統領は皇帝ではない、選挙で選ばれた公僕に過ぎない」と切り返した。ハケットは来年の中間選挙への出馬を表明している。さらに、現時点で6人のイラク帰還兵が民主党候補として中間選挙に立候補することになっているという。
 確かに、ハケット自身が「私は反戦活動家ではないし、軍隊に反対しているわけではない」と語っているように、彼らの活動がアメリカの反戦運動にとってどのような意味を持つのかは今後を見守る必要がある。しかし、イラク帰還兵が、「イラク戦争反対」を掲げて中央政治に望むことは、全く新しい動きである。イラク戦争に対する民主党の曖昧で煮え切らない態度が、米軍撤退を求める帰還兵たちを行動に駆り立てているのは間違いない。
※イラクから帰還 下院補選に立候補 「反戦」元米兵 保守に肉薄(10/8朝日新聞)
※Hackett to challenge Ohio's Sen. DeWine http://www.cnn.com/2005/POLITICS/10/04/hackett.senate.ap/
※Send an Iraq War Veteran to Congress http://www.blogforamerica.com/archives/006643.html



[3]首都ワシントンでの30万人大行動−−戦死者問題、人種差別問題、貧困問題、対外侵略と国内抑圧問題がイラク戦争と結び付いて浮上

(1) 9月24日、アメリカの首都ワシントンで行われた反戦行動には、主催者の予想を遙かに上回る30万人を越える人々が参加した。首都ワシントンで行われた行動として、2003年3月のイラク戦争開戦以降最大規模である。ANSWERとUFPJが今年5月から準備し、「イラク戦争をやめよ!米軍を今すぐ帰還させよ」を中心スローガンに全米から反戦の声を集結させた。30万人の人々はホワイトハウスを文字通り包囲した。広場には白い十字架や犠牲になった米兵の写真などが並べられ、不当な戦争で犠牲を生み出し続けるブッシュ政権に抗議した。また、ロサンゼルスでは5万人、サンフランシスコでも5万人が参加する大規模な抗議行動が行われた。これら地方の行動はANSWERが主要に組織した。イギリスのロンドンでは「ストップ戦争連合」が、10万人規模の行動を成功させた。
※Sept. 24 national anti-war protests a huge success http://www.answerla.org/pic/05-09-24-demo/index.htm
※300,000 Surround White House, 50,000 March in San Francisco, and 50,000 March in LA in Largest Antiwar Protest Since War Began http://www.actionsf.org/ansrpt050925.htm
※Solidarity protests around the world  http://www.workers.org/2005/world/world-sept24-1006/


(2) ANSWERは当初、10万人を予想していた。全米200都市からバスをチャーターし、ワシントンへ駆けつけることを予想していた。これだけでも最大規模であった。しかし、30万人の参加者は、ウィスコンシン、ニューメキシコ、イリノイ、アイオワ、ジョージア、オハイオやその田舎町からバスをチャーターし、350の都市から駆けつけたのである。
 ANSWERは意外にも、行動の報告「我々は皆それをやり遂げた」で、保守系のワシントンポストの記事を張り付けている。そのワシントンポストの記事、「反戦の熱気が通りという通りを埋め尽くした。デモンストレーションは米軍がイラクを侵略して以来首都で最大となった」では、この行動の熱気をリアルに伝えている。おばあちゃんから、乳母車の赤ちゃんまでがワシントン行動に参加した。警察発表は10万人だったが、午後になって参加する人々はますます膨れ上がり、身動きできないほどになった、現場の警官に聞くと、正味15万人は下らないだろうと語った。主催者発表30万人が決していい加減な数字ではないことを伝えている。
※We all did it! 300,000 Surround White House in Largest Antiwar Protest Since War Began
http://answer.pephost.org/site/News2?page=NewsArticle&id=6875&news_iv_ctrl=0&abbr=ANS_
※Antiwar Fervor Fills the Streets Demonstration Is Largest in Capital Since U.S. Military Invaded Iraq
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/09/24/AR2005092401701.html
※Speaking Truth to Power in Washington, DC http://www.opednews.com/articles/opedne_bob_fitr_050926_speaking_truth_to_po.htm
 この記事によると、地下鉄は恐ろしいほど込んでいた。24日の午後5時までで、一日の地下鉄の利用者が292,771人。土曜日の平均が173,572人だと伝えている。約12万人が単純計算で増えている。これにバスのチャーターや自動車で来た人がいる。この数字からしても、主催者発表の30万人は間違いないだろう。

 現に、リベラル系並びに左翼系サイトには一般市民からの投稿が多く見られた。「彼らは息子に死ぬことを強制した。だから私は行進するのだ」や「民衆の情熱が集会を成功させた」は、集会に参加した一般市民からの投稿である。前者は、息子を殺された親の立場から反戦行動に参加した事情を明らかにし、後者は17歳の高校生で、はじめて集会に参加した感激を伝えている。
※They Forced My Son to Kill Why I Marched  http://www.counterpunch.org/geddry09302005.html
※Passion of the Crowd Made Rally a Success http://www.commondreams.org/views05/1005-27.htm


(3) ワシントン行動では、戦死者問題、人種差別問題、貧困問題、対外侵略と国内抑圧問題がイラク戦争と結び付いて浮上し、すべての反戦団体はもちろん、アメリカの覇権主義、国内政策に反対するありとあらゆる団体やグループが結集した。ANSWER、UFPJはもちろん、国際的な女性反戦団体「コードピンク」、黒人の反戦団体「平和のための黒人の声」(Black Voices for Peace)、少数民族差別に反対する「イスラム系アメリカ人社会」(Muslim American Society Freedom Foundatio)、グローバリゼーションに反対する「グローバルな公正のための動員」(Mobilization for Global Justice)そして、シーハンさんをサポートしてきた「発言する兵士家族の会」「平和のための戦死者家族の会」「平和のための退役軍人会」「戦争に反対するイラク帰還兵の会」「イラク戦争に反対する退役軍人会」など米兵・遺族関係団体である。
 当日の行動には、開催中の世界銀行・国際通貨基金(IMF)年次総会に反対するデモ隊が、グローバリゼーションと世界の貧困化反対の要求を掲げ、合流した。
※The Demonstrations http://www.commondreams.org/views05/1003-30.htm
この記事は、ワシントンに結集した30万人に謝意を表すとともに、反戦に留まるのではなく、国家システムを変えるために闘うことをよびかけている。
※Antiwar Rally Will Be a First for Many http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/09/22/AR2005092202186.html
※Three Days in September  http://www.unitedforpeace.org/article.php?id=3111
※U.S. anti-war movement roars its outrage http://www.workers.org/2005/us/sept24-1006/
「アメリカの反戦運動は、その憤激をとどろかせる」は、アメリカの世論が決定的に変わり、その変化がこの行動に現れたとして、この行動の特徴を以下のようにあらわしている。
 @カトリーナが戦争を国内問題と結びつけた。A帰還兵、米軍家族、現役兵士が運動の中心を担った。BAFL−CIOなどの労働運動が合流した。C統一されたデモンストレーションが実現した。Dフィリピン人やハイチ人、パレスチナ人の団体が参加、演説し、反帝国主義の結束が強められた。E貧困、人種差別、戦争に反対する闘いを宣言した


(4) 行動は、戦死者問題を前面に出した。シーハンさんは、文字通り、草の根の意識を掘り起こした。8月31日から始まり、3ルートに分かれて、全米28州、51都市で、200を越えるイベントを企画してきたことによって、愛する息子を亡くした母親や夫を亡くした妻、ベトナム戦争で息子を亡くしたお年寄りなどの声を集め、ワシントンに合流するように呼びかけてきた。
彼女の行動が、大勢の人々の心を揺り動かし、しがらみや躊躇や縛りを解放し、自由に声を上げることが出来るようにしたのであった。
※Moms of Dead Troops to Gather for Protest http://news.yahoo.com/news?tmpl=story&u=/ap/20050923/ap_on_re_us/war_protest
※Sheehan not going away  http://www.mfso.org/article.php?id=385

 しかし、多くのメディアでこの行動が報じられたとはいえ、特にイラク帰還兵の存在は大手メディア報道からは意図的にかき消された。リベラル系サイト「コモンドリームズ」に掲載された記事「首都の行動で報道されない、反戦イラク帰還兵のの存在」は、戦争に反対するイラク帰還兵の会(IVAW)のメンバーの男女50人以上が集会に参加していたにもかかわらず、報道は全く無視したことを厳しく批判している。集会ではクウェートからイラクへ軍事物資を運ぶ任務についた兵士や、大量破壊兵器の捜索を行った兵士らが次々に証言した。しかも一群の現役の兵士が、制服のまま、24日のデモに参加したのであった。
※Iraq War Veterans Presence in D.C. Unreported http://www.commondreams.org/views05/0926-31.htm
※The News Media and the Antiwar Movement http://www.commondreams.org/views05/0926-22.htm
 この記事も、ワシントン大行動を過小に扱うメディアを批判している。



[4]反戦運動の2大センター、UFPJとANSWERが様々な障害を乗り越えて初の統一行動を実現、そこにおけるシーハンさんの決定的な役割

(1) 以上のように、今回のワシントン行動は、様々な意義を持っているが、中でも最大の特徴、決定的な意義を持ったのは、UFPJとANSWERが統一行動をするに至ったことである。このことが、大規模な行動を実現させた最も大きな要因である。ANSWERは行動報告で、予想を遙かに超えた規模になったことを報告した上で、この行動がANSWERによって5月から準備され、UFPJとの統一行動になるよう粘り強い働きかけを行ってきたことを明らかにしている。そして必ず実現することを確信していたとしている。
 集会ではANSWER系の活動家とUFPJ系の活動家が交互に演説を行い、溢れんばかりの熱気だったという。ある記者は、一方でANSWERが必死になって「統一戦線」の意義について語り、他方で行進する人々の年齢・性別・人種の多様さが実際に多様な人民戦線を表わしていた、そして私は、反戦集会でこんなに多くの平和を求める帰還兵を見たことがない、とかつてない光景に率直な驚きを述べている。
※Speaking Truth to Power in Washington, DC(前出)
http://www.opednews.com/articles/opedne_bob_fitr_050926_speaking_truth_to_po.htm


(2) これまで、この2大センターは、それぞれ独自の道を歩んできた。ANSWERは、2001年アメリカのアフガニスタン侵略の直後に結成され、アフガニスタン戦争やイラク戦争反対闘争を米帝国主義の覇権主義に反対し被抑圧国人民の抵抗闘争への連帯の闘争と結合する方針をとってきた。そして9月24日の集会に向け、共同主催者にアラブ・イスラム系団体や、フィリピン、パレスチナの人権団体などを糾合し、米国内の黒人層やマイノリティ、社会的底辺層を組織し、人種差別や民族抑圧、人権擁護など国内問題をイラク反戦の課題と堅く結合するとともに、全世界でのアメリカの覇権主義の批判を強化し、米の戦争と占領支配へのレジスタンスの支持を表明し、ハイチやベネズエラへの介入、植民地主義反対のスローガンを積極的に掲げてきた。かつての湾岸戦争を告発する「イラク民衆法廷」を組織したインターナショナル・アクションセンター(IAC)や左翼政党「ワーカーズワールド」(WWP)などとも深い関係を持っていると言われる。

 一方UFPJは、ベトナム反戦闘争などを経験し、ニカラグアやエルサルバドルへの軍事介入などアメリカの軍事介入と派遣に反対する闘いを進めてきた女性活動家レスリー・ケーガンによって2003年のイラク開戦前夜に結成された統一センターである。2005年3月のイラク戦争開戦2周年では、部分撤退ではなく基地を残さない完全撤退を遂行すること、イラクの資源略奪と企業占領をやめること、州兵をかき集め戦争に予算をつぎ込んで国内の地域を破壊する事をやめること、学校での軍の募集の中止することなどを要求項目として掲げ、イラク戦争の中止と米軍の即時撤退の要求をますます具体化し、先鋭化させてきた。イラク戦争反対の要求に絞ってより広範な大衆を組織し、200を越える団体を傘下におさめている。このセンターには、シーハンさんの闘いをサポートした主要な帰還米兵・家族の会などが結集している。


(3) ANSWERによれば9月の行動については、ANSWERが5月、9月10日に集会と行動を準備していたUFPJに手紙を送り、9月24日に統一行動を行うことを提案した。UFPJは、9.11の4周年を意識して大行動を計画していたと思われる。UFPJ指導部は、ANSWERの提案を受け入れ、9月10日の集会をキャンセルし9月24日を統一行動日にすることを決定した。しかし、ANSWERのややシニカルな言い方に寄れば、UFPJは、会員にはかることなく、組織的統一行動・集会を拒否し、同じ日にそれぞれが独立した行動を行うことに固執したという。
※A.N.S.W.E.R. Coalition's Response to Frequently Asked Questions
http://answer.pephost.org/site/PageServer?pagename=ANS_S24FAQs

 しかし、行動に向けて約一ヶ月に迫った8月19日、ANSWERとUFPJは、共同署名で、「9月24日の統一集会および統一行進に関する声明」を発し、この2つの反戦センターが、統一集会と統一行進を組織することに合意したと発表した。
 そして9月1日には、共同の記者会見を開いた。この中で、両者はシーハンさんの行動が反戦運動にエネルギーを与え、反戦世論を盛り上げ、10万人結集の転換点を作り出していることを確認したのである。
※Sept. 24 White House protest receives widespread media coverage
http://answer.pephost.org/site/News2?abbr=ANS_&page=NewsArticle&id=6611

 私たちは、ANSWERとUFPJの間で何が決定的に対立しているのか、何が統一行動の阻害要因になっているのか、その実際上の問題点を知ることは出来ない。しかし、独自の道を歩んできた2つの反戦センターがシーハンさんの勇気ある活動に刺激をうけ、米国の反戦運動の長い沈滞をうち破るために統一行動に踏み切り、そのことがさらに行動の盛り上がりに寄与したことに決定的な意義を見い出したい。いわば、シーハンさんが、2大反戦センターの分裂を克服させ統一行動を実現させたのである。


(4) アメリカの反戦運動のこの2つの大きな潮流の中で、私たちが知る対立点がひとつだけある。それは、「米兵の敵」であるイラクの反米レジスタンス、とりわけ武装レジスタンスをどうとらえるのか−−極論すれば、支持の対象・連帯の対象であるのか、非難の対象であるのか−−という問題だ。これは、イラク開戦当初から、とりわけ米兵の犠牲が急増し始めた開戦1周年のころから根強く論争されてきた。
*イラク開戦二周年直後の今年の3月24日に行われたUFPJのワシントンのティーチインでは、「アメリカの反戦運動は、占領に抵抗するイラク人の権利を支持すべきではないか、米兵が殺され続けることを歓迎しているわけではないが」という会場からの「控えめな」意見に対して、「われわれはレジスタンスのチアリーダーではない」と激しい反論が出されたという。紹介記事の記者は「イラクのレジスタンス」を巡る論争が、米の反戦運動を不必要に分断してきたが、もし反戦運動の幅広が必要だからといって政治性を薄めてしまえば、占領容認者と反戦運動の区別がなくなってしまうと警告し、この論争の政治的意義を強調している。
※Left Apologists for the Occupation--Iraq's Right to Resist
http://www.stopusa.be/scripts/texte.php?section=BDBI&langue=3&id=23688
 また、4月16日にニューヨークで行われた「レフトフォーラム」では、イラクのレジスタンスの権利を主張した参加者が発言の後、他の参加者たちから「罪のない人を殺す自爆攻撃を支持するのか」「誘拐して首を切るのを支持するか」「バース党が別のサダムを置く事を望むのか」「イラクの部隊に、ゲリラによる邪魔がないところで事態を作り出す機会をなぜ与えてやらないのか」そして結局「それでは内戦になるんじゃないか」などと激しく詰め寄られたという。
※Do The People Of Iraq Have A Right To Resist U.S. Occupation?
http://www.informationclearinghouse.info//article8968.htm
 別の記事では、「レフトフォーラム」では、論争は、アンソニー・アルノーブ、タリク・アリとジョニー・ランディ、ステファン・シャロームの間でおこなわれ、前者はレジスタンスを支持し、後者はバグダッドで行われたような平和的デモのみを唯一の抵抗闘争の形態として支持することを主張した。
※Left Forum 2005 http://www.columbia.edu/~lnp3/mydocs/american_left/LeftForum2005.htm

 確かに米兵の犠牲者について、個々の米兵をとってみれば、侵略者でありながら、犠牲者であるという問題は、デリケートな問題であった。しかし、アメリカ帝国主義に対する民族自決権を支援し、イラクの人々があらゆる手段で占領へ抵抗する権利を擁護する立場を明らかにしてきたANSWERと、「米軍のイラク撤退」を中心スローガンにし、主要な帰還米兵・戦死者家族の会などを結集してきたUFPJは、戦死者ケーシーの母親であるシンディ・シーハンさんが、イラク戦争=侵略戦争の大義を問い、テキサスのブッシュの保養地に丸腰で対峙したことによって、このような色合いの違いを棚上げしてしまったのである。その意味でも、シーハンさんの行動は大きな役割を果たしたのである。



[5]9/24ワシントン行動以後も、さらに前進するアメリカの反戦平和運動

(1) 9月26日、シンディ・シーハンさんはワシントン警察に逮捕され連行された。それは異様な光景だった。逮捕された彼女は愉快そうに笑っている。逮捕した警察官の顔はこわばり、緊張している。数人の警官がシーハンを抱きかかえて連行する。支援者たちは周りで、笑いながら拍手喝采する。
 ワシントン行動最終日のこの日、シーハンさんはホワイトハウス前で数百人の支援者と無許可で座り込みを行い、数時間に渡ってデモを繰り広げた。権力側にとっては明らかに「違法行為」だった。逮捕したければ、最初の数分で十分だったはずだ。数回に渡って警告が発せられた。ワシントン警察はついに排除、逮捕・連行に踏み切らざるを得なかった。シーハンさんは370人の支持者とともに逮捕され、その日の内に、罰金チケットを切られ釈放された。
※イラク反戦の母シーハンさん、ホワイトハウス前での抗議デモ中に逮捕 http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1411741/detail

 挑発したのは、シーハンさんではなく、ブッシュ政権の方である。ホワイトハウスの「陰の大統領」カール・ローブが、ワシントン行動の真っ最中に、「反戦運動など存在しない。」「シーハンは道化役者だ」と言い放ったのである。
※Last Weekend Karl Rove Said I Was a Clown http://www.commondreams.org/views05/0926-28.htm

 しかし、闘いはここからであった。シーハンさんは単に「道化役者」としての政治行動を誇示しただけではない。自ら「違法行為」を働くことで、政治的焦点を設定しようとしたのではないか。無許可デモの罰金75ドルの支払い期限は11月16日である。彼女はこれを支払わないことを表明している。警察は彼女を逮捕し、刑事告訴し、裁判で争わざるを得ない。シーハンさんは法廷の陳述で、ワシントン行動における自らの行動の意味を訴えるだろう。彼女は、「違法行為に挑戦する私を助けようとする弁護士はいるだろうか」と問いかけている。
※My First Time (Cindy Sheehan) http://www.commondreams.org/views05/0927-23.htm


(2) シーハンさんだけではない。米国の反戦運動は9/24行動の成功をあたら名出発点として、次の闘いを呼び掛けている。UFPJは、米兵の犠牲者が2000人を超える日が近づいているため、2000人を超えた次の日に、2000人の米兵の犠牲者と10万人のイラク人の犠牲者を追悼し、ブッシュ政権に抗議するアクションを各地で起こすよう呼びかけている。
 また、11月17日を、高校や大学での軍の勧誘を拒否するための行動日と設定している。
※2,000 Too Many! Call for Peace Upon 2,000th U.S. Death in Iraq  http://www.unitedforpeace.org/article.php?id=3118
※National "Not Your Soldier" Youth and Student Day of Action  http://unitedforpeace.org/article.php?id=3114