アメリカ便り(1) Y.A.
私たちの知人が今アメリカに滞在されています。お忙しいところ無理を承知で現地レポートをお願いしました。今回は連載の第一回目。イラク戦争準備と「警察国家」体制、「テロ警戒」という名の運動つぶし、その中での庶民の暮らしぶりや反戦平和運動の組織化など、日本ではなかなか分からないアメリカ社会の実相を伝えていただこうと思います。ご期待下さい。
2003年2月25日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局
「オレンジ」騒動
―――2003年2月13日。午前8時過ぎのワシントンDC。通勤者で少々混雑したメトロ(地下鉄)でユニオンステーションに向かう。扉のすぐ側の手すりにつかまって立つと、目の前の黒人(アフリカ系・アメリカ人)男性二人が会話をはじめた。お互い見ず知らずのようだが、長身でファッション誌から抜け出してきたような服装の若い方に、少々くたびれた感じの男がさかんに話しかける。
「その鞄の中にはノートパソコンが入ってるんだろ。職場へ行く途中なのかい」
「どんな仕事なの」
「そうか、セキュリティー関連だったらそれこそ今大変なんだろうね。緊急体制ってとこか」
「家にも一人娘がいるけど、彼女が生きて行くこれからのことを考えると、本当に心配だよ。」
それまでボソボソと面度くさそうに答えていた若い方が目を伏せたまま大きくうなずく。「ちょっとましな世の中になるのはずーっと先のことだろう。」
2003年2月7日金曜日、9.11後に設置された米国土安全保障局のトム・リッジ長官は記者会見を開き、新たなテロ攻撃の可能性が高いとして警戒を呼びかけた。週末明けの10日には、連邦政府がアメリカ国民にむけてこの最新のテロ警戒警報を深刻に受け止め、生物・化学・核兵器を含む兵器による攻撃の可能性を覚悟するよう警告した。さらに大量破壊兵器による攻撃からどのように身を守るか知識を身につけ、最低3日分の食料、水と医薬品を用意し、ダクトテープを使って窓やドアをビニールシートで密閉するよう勧めた。(数日分の食料とビニールシートとダクトテープで大量破壊兵器に対処できるとは!)その一方で、国民すべてが食料備蓄のためにスーパーに駆け込まなければならないほど具体的な攻撃を示す情報はない、とつけ加えた。集団パニックをコントロールするためだろうか。それとも人々を一層混乱させるためなのか。
マスメディアは政府の発表に従って、5段階に分けられた警戒体制のレベルが「イエロー」から1段階上がって「オレンジ」に達したと騒ぎ立てた。これより上には「レッド」が残るのみである。「9.11以来、アメリカは最も深刻な脅威に直面している」と繰り返し強調し、「攻撃を受けるのはテレビを見ているあなたかもしれない」と言わんばかりの脅しが続いた。あなたが今いるアパートやホテル、あるいは近所のショッピングセンターといった「ソフト・ターゲット」が狙われる可能性も否定できないと。マスメディアがテロ攻撃の可能性が高まったと大騒ぎする中で、ふと思った。9.11攻撃の可能性を知りながら政府はアメリカの一般住民に向けて一切の警告を出さなかったが、この件に関する公的な検証が完全に欠落していることを。ヘンリー・キッシンジャーが事実解明の任務を請け負っているが、彼は世界のトップを争う戦争犯罪者である。
2月15日までに今回の「オレンジ」騒動が、実はアルカイダと関わりのあるテロリストとして拘束されている人物が攻撃の可能性を警告したことに基づいたものであることが明らかになった。この警告がまったく根拠のないでまかせだったことは言うまでもないが、厳重警備の刑務所に閉じ込められ外部とのコンタクトを完全に絶たれた容疑者がアルカイダによる攻撃の可能性を警告できるはずがないのである。それでも2月18日現在、朝のNPR(ナショナルパブリックラジオ)はオハイオ州にあるダクトテープ工場では緊急に高まった需要のために生産量が40%増になったと伝えた。ただしこれもNPRが報道するほどこの国に住む人たちの多くが政府の言う通りに従っていると解釈するわけにもいかないだろう。このところオハイオ州近辺だけでなく東海岸地域でも近年まれにみる寒波が押し寄せ、特に窓枠の古い家の住人はすきま風が入るのを少しでも防ごうと窓にダクトテープでビニールシートを貼り付けるからだ。
米国土安全保障局とマスメディアが中心になって展開した「オレンジ」騒動は、ある程度の歴史的知識がありアメリカ政府に不信感を抱く者ならば、聞くに耐えないものだった。イラク攻撃を可能にするためアメリカの一般住民たちを恐怖の世界に引きずり込むための一つの方法にもとれた。と同時に何かを潰すために仕組まれた幼稚で非民主的な作戦のように思えてならなかった。
「オレンジ」警告が発動されたおよそ1週間後の2月15日にはニューヨーク市で大規模な平和行進(ピースマーチ)と集会が待っていた。「テロ攻撃の可能性」を強調することで、まだ9.11のトラウマを引きずっている人々が集中するニューヨーク市住民や、これまでデモに参加したことのない人たちをデモ参加から遠ざけるには十分な脅しになり得る。また、ニューヨーク市で反戦デモを主催するUnited for Peace and Justice【UFPJ:団体、思想信条などの違いを超えて「対イラク戦争に反対」という点において一致し、協力して反戦運動を進めるキャンペーン】は、数ヵ月前からニューヨーク市警察に平和行進の許可を申請していたにもかかわらず、ニューヨーク市は2月に入ってからも許可を出し渋っていた。2月5日、UFPJは許可を出そうとしないニューヨーク市を相手取り裁判を起こしたが、市にとって運良く(あるいは意図的に?)「オレンジ」警報が出された7日、ニューヨーク市側の弁護団は「テロ攻撃の可能性」が行進の許可を出さない理由になるだろうと説明した。そして2月10日、バーバラ・ジョーンズ連邦裁判官はその理由を盾に、ニューヨーク市はUFPJの求める行進許可を与えなくてよいと裁定したのだ。ニューヨーク市民権ユニオンの弁護団は直ちに控訴したが、結局警官隊が周りを取り囲む集会だけが許可され行進は認められないことになった。
ニューヨーク市へ―――アムトラックの旅
ワシントンDCのユニオンステーションからアムトラックに乗る。終点はニューヨーク市のペンステーション。3時間ちょっとの汽車の旅だ。アムトラックはグレイハウンド・バス(ダーティー・ドッグ)ほど匂いも気にならないし席もゆったりしていて少々割高だがリラックスできるので気に入っているが、政府は2004会計年度のアムトラックへの予算をカットした。ブッシュ・チェイニーファミリー&フレンズ関連企業の利益に直接関係のないものはとことん冷遇されるのだ。
前方車両のビジネスクラスのすぐ後ろ辺りが静かでいいと聞いてそこまで歩いて行く。ガラガラの席にバックパックを降ろし、窓側にすわると少々の緊張感がほぐれてきた。しばらく車窓から郊外の寂れた街並みやコンクリートの壁にスプレーで描かれた落書き(グラフィティー)、南部に渡って行く雁行などを見ていたが、ついに飽きてユニオンステーション内の書店で買った『Zマガジン』を開いてジョン・E・ペックのNuking Food for Profit(意味:利益のために食べ物に放射線を浴びせる)を読む。ペックはジョージ・メイソン大学の大学院生で、経営が著しく脅かされているアメリカの家族経営の農家を支援する活動をしている。日本では人間以外の動物の権利に対する意識が著しく低いと思われるので、食物の放射線照射処理という問題とともに、ここで少し考えてみたい。
生き物としての尊厳を完全に無視されたブタや牛や鶏たちは劣悪な環境の中でホルモン漬けにされて成長し、無惨に殺された後、白い発泡スチロールのトレイに入れられてスーパーの店頭に並ぶ。あるいは冷凍されてレストランのチェーン店に運ばれた後、ハンバーグやその他もろもろの肉料理に変身して消費者の胃袋に入る。食肉の大量生産過程において有毒なバクテリアが発生し、下手をすると食べた人が死んでしまうケースも少なくない。動物の尊厳を否定し、病原菌発生の温床である食肉大量生産の過程を見直すことなく病原菌を殺し、グローバル市場で肉を取引きするのがアグリビジネスの望む所である。
アメリカでは最近になってこうした病原菌を殺す「すべての」テクノロジーを認めるという法律が成立した。選択肢の中には放射線照射処理も含まれる。食肉だけでなく、果物や野菜、穀類などの放射線照射処理がこれまでよりもさらに拡大し、子どもの給食用にも「被曝」した食物を使用できることになったのだ。当然食物の大部分を輸入に頼る日本の住人も、今後放射線照射処理された食べ物を口にする機会が一層多くなるのかもしれない。病原菌が仮に被曝して死んだとしても、別の危険性が高まることは言うまでもない。ちなみに放射線照射処理を推進しているのは軍需コントラクターのタイタン・コーポレーションから最近独立したシュア・ビームと原子力産業である。
さて、ニューヨーク市のペンステーションまでまだまだ時間があるので、ワシントンDCへ行った理由について少し紹介させていただく。それは大まかに言えば市民運動に関っている人たちの反戦意識の内容について調べたかったからだが、数日間の滞在期間中、低所得者のための住居援助額を引き下げる政府の政策に反対する住民が、直接Department of Housing and Urban Development(HUD: 住居および都市開発局)までデモ行進して訴えるという行動に参加する機会があった。娘さんがボルチモアにある日本企業で働いていると言う60歳の女性、ビバリーによると、これまで家賃の30パーセントを払うだけでよかったが、今後46パーセントに値上げされて高血圧その他のための医療費が払えなくなってしまうという。「住み慣れたアパートを出るか、医療費を払うか、どちらかを選ばなければならないんだよ」と。10名前後の支援者のほぼ全員が若い白人(ヨーロッパ系アメリカ人)だが、プラカードを持つ50名余りのデモ参加者すべてが黒人だ。反戦運動を含め、こうした地元の住民運動をきちんと報道するパシフィカ・ラジオ、ワシントンDC支部の記者の姿もある。個人個人の思いを書いたプラカードは、反戦と低所得者に対する政府の政策に怒りを込めたものが目立った。
「テロリズムとは、ホームレス(問題を無視することだ。)」
「戦争に使う金があるなら(低所得者にも)家賃が払える安全でまともな住居を用意する金くらいあるはずだ。」
「本当の国土安全保障とは、貧乏人にも住居があるということだ。」などなど。
小柄なビバリーは料理とお喋りが大好きな人だ。政府が計画しているイラクに対する戦争について彼女の思いを聞いてみたら素朴な答えが返ってきた。
「平和が好きよ。私は平和に暮らしたい。」
もちろん彼女の言う平和と、ペンタゴンの言う圧倒的な恐怖と破壊力がもたらす支配層のための「平和」は天と地の差がある。支配層のために準備されている戦争は、すでに先の戦争の後遺症と経済制裁で苦しんでいるイラクの人々ばかりでなく、これまで何十年も真面目に働いてきたビバリーのような人間の暮らしを根底から脅かしている。
ペンステーションに到着するまでに列車はペンシルベニア州の政治囚、ムミア・アブジャマルの出身地であるフィラデルフィアとニュージャージーに停まる。その途中の道路沿いで見かけたビルボード(100メートル先でも楽に読めるような大きなコマーシャル用の看板)に書いてあるスローガンは、2000年以来上昇し続ける失業率には何の対策も示さない企業が、利益拡大のための宣伝費は惜しまない点をダイレクトに批難するものだった。
Don't advertise. 宣伝するな。もちろんこれで企業が方針を改めるとは思えない。しかし市民運動参加は何か考えさせられる「きっかけ」から始まることが多い。このビルボードもその前を通りすぎる人たちにグローバル・キャピタリズムの側面について考える機会を与えているのではないだろうか。
You need to hire more employees. もっと従業員を雇え。
「オレンジ」騒動:ペンステーションにて
随分ノロノロ運転が続くと思ったら、前方の列車が故障しているという。おかげでペンステーションに予定時刻より1時間近く遅れて到着した。ここから30分ほどかけて地下鉄のAトレインでマンハッタン北部にある友人宅に向うのだが、アムトラックから降りて地下鉄の駅に向う途中、軍隊独特のベレー帽に迷彩色の軍服を着て腰のベルトにピストルをさした若い男とすれ違った。胸にはUS Armyと書いてある。「物騒な。こんなところで何してやがる」と思うのが小沢流に言えば「まだまだ完全に普通の国でない」日本から来た私のリアクションだった。思わず足を止めて振り返り顔をしかめてその軍人の後ろ姿を見ていたが、気を取り直して歩き始めると今度は2名の警官が、数秒前に目にした軍人と同じ恰好の男と談笑しているではないか。テロ攻撃警戒の一環であることは明確だったが、軍が社会を管理することに対する怒りを抑え切れないために、つい目の前にいる20代前半と思われる軍人に「ここで何をしているの」と尋ねた。軍服を着てピストルを持つ彼の存在が異常であることを認識させたかった。最新のテロリスト・プロファイルと程遠い東アジアの小柄な女性が質問したために問題にされなかったが、何て分かりきったことを聞くのだという表情のまま、とまどっていた。こちらが「テロ対策ですか」と助け船を出すと、「そう。我々はここで何も問題がないように見張っているんだ」と答えた。だが今一つしっくりこないらしい。きっと彼にそんな質問をする人など一人もいなかったのだろう。それとも質問された場合どう答えるべきか上官から何の指示もなかったからだろうか。私の怒りはここからちょっとした問題を引き起こすことになる。
Aトレインの駅はそこからエスカレーターを降りて行かなければならないのだが、すぐ下に今度は複数の軍人が、これまた複数の警官と並んで待機している。「やめた方がいい」と心の中でブレーキがかかったが、このシーンを写真に収めずにこの場を去れないと思った私は愚かにもフラッシュで撮ることに成功した...はずだった。が、突然 "No Pictures!!!"(「撮影禁止っ!!!」)と怒鳴られ、20代後半と思われる中肉中背の軍人がツカツカと早足で寄ってきた。
「デジタルカメラなら今撮った分を私の目の前で消してもらおう。」
「写真を撮ったぐらいでどこがいけないのですか。」
「保安上の理由だ。」
「写真を撮るのが保安上どのように危険なのでしょう。」
「保安上の理由だ。もう写真は撮ってはいけないことになっている。」
「軍服を着て、ピストルも持っているようなのが横にいたら、写真を消そうにもナーバスになって消せませんよ。(どうにかして消さずにすませようとしている。)はるばる日本から観光客としてやって来て、何でこんな目にあわなきゃいけないんだろう。後で写真を消してもいいですか。もし逆の立場だったらあなたはどんな気がしますか。」
「気持ちは分かるがここで消せ。」
(するともう一人の軍人が近寄ってくる。)
「二人もの軍人に囲まれなければいけないのですか?恐ろしくてどうやって写真を消せばいいかわからなくなってしまった。」
(最初から私を脅している軍人と、目と目でたいしたことではない状況を把握して去っていったが、今度は2人の警察までやってきた。しかし彼らも問題なしとみてすぐに立ち去った。この間ついに諦めて写真を消した。)
「ほら、消しましたよ。」
「よろしい。」
こんな具合でしばらく頭に血が上っていたが、ようやくAトレイン乗車駅に着いてトークン(五円玉を少し小さくしたような乗車券)を購入していると、15歳くらいの悪ガキタイプがからかい半分で話し掛けてきた。
「それで、写真は撮れたのかい?」(シャッターを切るしぐさをする)
「見てたの?撮れなかったよ。」
人懐こい笑顔に心が和らいだ。
電車を待つプラットホームに2人の警官が立っていた。手持ちぶさたで退屈しているようだ。そこに下り線の電車が到着し、中年でぎょろっとした目つきの白人警官が列車に入るなり、獲物を見つけたような声でもう1人の警官を呼んだ。そして引きずり出されてきたのが黒いぶかぶかのダウンジャケットに黒いリュックサックを抱えたツルツル頭の痩せた黒人男性だった。歳は30歳前後だろうか。酔っ払っているのかもしれないが、人のよさそうな、というよりもどこか間の抜けた笑顔を浮かべている。警察官二人に突然捕まえられた緊張感からくるものかもしれない。もし彼が白人だったら、この警官は公衆の前で、まったく失礼な口調で、しかもで矢継ぎ早に訊問し、リュックサックを勝手にこじ開けて財布を取り出し身分証明書を確かめたりしないだろう。(警察が人種を理由に訊問などを行うことをレイシャル・プロファイリングという。)しかももう一人の白人警官は、明らかに人種を理由にしたいじめに乗り気ではないらしい。協力しているような素振りを見せながら、暇でほとんど無意味な任務への苛立ちを、ただ地下鉄に乗っていただけの黒人男性にぶつける警官に仕方なく付き合っているように見えた。電車を待つ人たちも気の毒そうに横目で見ているが、私も含めて誰も何故彼が警察の嫌がらせを受けなければならないのか聞く人はいなかった。返ってくる答えはきっと「テロ対策」なのだ。何の意味もない、個人的な憂さ晴らしのための「テロ対策」である。それともいじめに快楽を見出している警官は、真剣に「テロ対策」に貢献しているつもりだったのか。(つづく)