[ドキュメント番組紹介と投稿]
グローバル経済が加速するアフリカの貧困と悲惨
〜NHK「アフリカ・プロジェクト」シリーズ「アフリカゼロ年」より〜


はじめに−−アフリカ問題の“核心”:何をしてはならないのか
 このドキュメント番組紹介は、今年7月に連続4回シリーズとして放送されたNHKの特集番組「アフリカ・プロジェクト」シリーズ「アフリカゼロ年」についての投稿である。
 この番組で取り上げられている深刻な事態は、アフリカ問題のごく一部である。しかし、ナイジェリア、南ア、スーダン、モザンビークで起こっていることは、アフリカ諸国が抱える複雑な困難を表現している。19世紀末から20世紀にかけての100年以上に及ぶ、そして90年代にはいって「グローバリゼーション」の元で加速した先進帝国主義諸国による大規模な収奪は、それぞれの国に、到底解決不可能と思われるほど深刻かつ破壊的な諸矛盾を生み出した。番組は、これらの国の深刻な問題−−少年兵、エイズ、難民と内戦、石油支配と貧困−−に焦点を当て克明に描くことによって、「アフリカ問題」を最大の議題の一つにしたグレンイーグルズ・サミットを前にして、重大な問題提起を行ったのである。
 冒頭のナレーションは「世界は何ができ、何をしてはならないのでしょうか」と問いかけている。しばしば、アフリカのために何をすべきかについては語られるが、何をしてはならないかについては語られない。しかし決定的に重要なことは何をすべきかではなく、何をしてはならないのかなのである。そして、7月のグレンイーグルズ・サミットから9月の国連総会にかけて先進諸国が行った決定は、知的財産の保護、自由貿易協定の維持・拡大等々、自分たちの権利を確保し、途上国の発展のための可能性を狭めることであった。まさにもっともやっては行けないことを決定したのである。
 グレンイーグルズ・サミットは、帝国主義の世界支配が続けば、世界と地球を破滅に向かわせていくことを印象づけた。このサミットの最中にロンドン・テロが起こった。これは、米英が主導するイラク戦争がもたらしたものであった。アフリカの飢餓や貧困と深く関わる「地球温暖化問題」でも、京都議定書から離脱したアメリカの抵抗によって、一般的な「気候変動」問題に解消する「グレンイーグルズ行動計画」が採択されたに過ぎない。

投稿者のERIKOさんは、1980年代後半から1990年代のはじめにかけて、反アパルトヘイト運動に参加し、1990年、1994年、そして2004年の3度にわたってに南アフリカ共和国を訪れ、その変化を感じてきた。そのような視点で、今回の投稿は特に南アのエイズ問題に焦点をあてている。そこでは、画期的なエイズ治療法が発見されていながら、知的財産の保護を主張する製薬企業と自由貿易を押しつけるアメリカを始めとする先進諸国によって新薬製造を断念させられ、エイズ拡大を阻止することが出来なかった新生南アの苦渋が描かれている。私たちは、ブッシュがイラク市民を10万人以上殺している陰で、実はエイズ患者を放置することで年間40万人もの人々を殺し続けているという事態を弾劾せずにはいられない。まさに、「自由貿易」と「知的財産の保護」をテコにした“静かなジェノサイド”というべきものである。
 この12月半ばから、香港において世界貿易機構(WTO)の閣僚会議が行われる。これに焦点を当て、自由貿易の拡大によって人々を無権利状態に置き、格差と貧困を拡大するグローバリゼーションに反対する闘争が準備されている。私たちは、これまで、アフリカ問題についてはほとんど全くふれることが出来てこなかった。このビデオ紹介をきっかけに、グローバル資本とアフリカの問題について理解を深め、批判を強めていきたい。

2005年12月12日
アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局




[投稿]
〜NHK「アフリカプロジェクト」シリーズ「アフリカゼロ年」より〜
アメリカと先進帝国主義諸国は、いかに南アのエイズ患者を殺し続けてきたか!?
−−「自由貿易」と「知的財産の保護」をテコにした静かなジェノサイド−−

ERIKO 


[1]主要国サミットに向けて、アフリカ問題を告発した「アフリカゼロ年」

(1) 「21世紀の初頭、アフリカはグローバル化する世界のスピードに振り切られ、無関心の中に放り出されています。人間の生存条件を表す指標、寿命・所得・医療。世界が上昇カーブを描く中で、アフリカは右肩下がりです。このマイナスをゼロに戻して、アフリカはスタートラインに立つことができるのでしょうか。そのために世界は何ができ、何をしてはならないのでしょうか。」

 この最初のナレーションの関心を統一テーマに、今回「アフリカゼロ年」のシリーズは作られています。当初タイトルを見た時は、私はこの放送が今年を「ゼロ年」と位置づけ、「何もないところからの出発」を語っているのかと思いました。しかし今回の内容は、アフリカがゼロではなく、非常に大きなマイナスの状態であること、そして先進諸国との格差がグローバリゼーションのもとで大きく拡大していることをいうことを具体的な事例を挙げて明示し、痛烈な批判を浴びせているのです。
*「21世紀の潮流 アフリカ ゼロ年」シリーズの内容は以下です。
第1回「ジェノサイドを止めるのは誰か スーダン・ダルフール紛争」
第2回「ナイジェリア石油争奪戦〜貧困をもたらすのは誰か〜」
第3回「子ども兵を生んだのは誰か 〜モザンビーク・内戦の果てに」
第4回「感染爆発が止まらない〜南アフリカ 届かないエイズ薬〜」
http://www3.nhk.or.jp/pr/keiei/shiryou/soukyoku/2005/06/002.pdf
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/tv/20050707et08.htm


(2) このNHKの番組は、7月に連続4回シリーズとして放送されました。それは、主要国首脳会議グレンイーグルズ・サミット開催に照準をあわせたものでした。ロンドン・テロ問題でかき消されてしまいましたが、サミットの最大の課題の一つが「アフリカ問題」で、債務帳消し問題が大きく報道されました。確かに、純債務国には債務の全面削減を決め、10数カ国、500億ドルの追加支援を決めました。しかし、これはアフリカ諸国が抱える2300億ドルにも登る債務の内のわずかです。たとえば、このシリーズで出てくるナイジェリアに貸し付けた金は1兆8千億円。石油利権を目当てに先進国が競って債務を与えました。そしてこの債務の2/3は返済済みですが、返済したのは利子と延滞金だけで、実に元金の倍近い3兆円がまだ残っています。返しても返しても借金は減らない。それどころかどんどん雪だるま式に増えていく。これが、帝国主義によるアフリカ収奪の根幹をなす恐ろしい債務奴隷の実態なのです。まるで悪徳高利貸しのようなやり方で、ナイジェリア人民からしゃぶりとろうとしているのです。ナイジェリアの人口は3000万人であり、1日1ドル以下で暮らす人々にまで一人当たり10万円の借金を負わせているのです。このような卑劣なことをしながら、「借金を棒引きすると自立の努力をしなくなる」などと勝手なことを言っているのです。


(3) さらに、今回のシリーズは、アフリカの問題が、債務問題だけではないことを訴えます。スーダン、ナイジェリア、モザンビーク、南アの4つの国がそれぞれ直面している深刻な問題−−民族間・部族間の内戦と難民発生の問題、石油の収奪の問題、子供兵の問題、エイズとその治療薬の問題−−を取り上げ、アフリカが抱える問題に、いかに深く先進諸国とグローバル企業が関わっているかを紹介しています。そして、ニューヨークやマンハッタンと見まがうばかりの石油メジャーや製薬資本の巨大なオフィスビルとそれに隣接する貧民地区、煌々と夜でも電気が消えることがないビルのすぐそばにある、水やガスや電気さえ供給されないスラム街などの対照的な映像が、そのことを強く印象づけています。



[2]サミットの本当の焦点−−「自由貿易の拡大」と「アメリカ型世界標準」の押しつけ

(1) 実は、サミットでのアフリカ問題の焦点は債務問題ではなく、別のところにありました。すなわち、アフリカの自立を支援しアフリカからの一次産品の輸出を促進するために、欧州諸国の農業保護措置を縮小するか、アフリカ諸国が先進国の資本から自国資源を防衛するために保護措置をとることができるか、先進国に不当に独占されている知的所有権を自由に利用することができるか、等々というアフリカ諸国の社会・生産・生活の基礎的な条件の問題です。
 ところが、サミットはアメリカとブッシュの意向、グローバル企業の意向を最大限尊重し、「民間を活用した投資・貿易の拡大を支持し、世界貿易機関の新多角的貿易交渉を加速させ、貿易自由化を進めることが途上国と先進国が繁栄する鍵になる」(議長総括)とめちゃくちゃな論理を展開し、アフリカ諸国には引き続き、投資環境の整備や、製品の国際基準の採用、知的財産の保護の徹底、国有部門や天然資源の民営化を求めました。メディアに登った「汚職の追放」などは、国有部門の民営化を促すための宣伝文句なのです。要するにグローバリゼーション、アメリカ型市場原理主義の世界標準化が、アフリカの発展をもたらすというのです。


(2) これが、全くのウソであることは明らかです。アフリカを荒廃に追いやった根本原因、すなわち圧倒的に国力の違う先進帝国主義諸国と遅れたアフリカ諸国の間で「自由貿易」を実現することが発展の鍵だと持ち上げているのです。圧倒的な格差のある先進国と途上国との間の「自由貿易」とは、収奪であり略奪以外の何物でもありません。
 19世紀末から20世紀にかけての古典的帝国主義収奪に始まり、60年代から90年代初頭の冷戦時代には、経済的圧力と徹底した支配層の買収というアメとムチでアフリカ諸国を支配し、意にそぐわない国に対しては、力ない国であれば国際社会から徹底して排除することでなぶり殺しにし、余力のある国には「内戦」を組織することによって疲弊させ、利益を奪い取ってきました。

 そして特に80年代から、世界銀行など国際機関は融資を押し付け、その見返りとして、アフリカ諸国に国営企業の民営化や市場開放を求めました。一方先進国は自国製品保護のため高関税や補助金を維持しました。そしてそれは90年代に加速します。たとえば、欧州では乳牛一頭あたり1日2ドルの生産補助をうけ、余剰分の牛乳は安価な粉ミルクとして西アフリカ諸国に輸出されます。650万頭の乳牛を抱えていたマリでは酪農業が崩壊しました。セネガルでは安価な欧州産トマトが流れ込み、価格が暴落、農業が大打撃をうけました。アフリカでは総人口の6割が農民でありながら、その農産物の大半が先進国向けであり、南ア以外はすべて食糧自給は崩壊しています。
 一方、知的所有権の壁に阻まれて、先進国では当たり前となっているエイズ治療薬が行き渡らず、年間40万人もの人々が死んでいます。2003年のアフリカのエイズ感染者は2500万人、世界の感染者の2/3にあたり、死者は累計で220万人に登っています。等々。


(3) サミットに続いて9月に開催された国連総会でも、自由貿易の維持と知的所有権の保護の遵守が確認されました。世界銀行の総裁に、ブッシュ政権のネオコンの親玉ウォルフォビッツが就任したのはこのような動きを加速させるものです。
 アフリカ諸国にとって重要なことは、産業基盤や医療体制などの生活基盤を構築する事です。そのためには、新しい技術や知見、科学的な成果を取り入れるとともに、関税率を自由に決めるなど国内と対外経済をコントロールすることが不可欠です。ところが、このような自由をアフリカ諸国からいっさい奪い去り、債務削減をする代わりに、これまで通り収奪することを確約しているのです。



[3]スーダン、ナイジェリア、モザンビーク、南アの問題はアフリカ問題のごく一部

(1) それでは、番組が取り上げたスーダン、ナイジェリア、モザンビーク、南アが直面する問題を簡単に紹介してみます。
a)スーダンでは、内戦が長期化し、大量の難民が発生、援助ではまかないきれず、キャンプで餓死者が出るほどになっています。この内戦は、もともとスーダン国内の単なる民族紛争であったものです。しかし、石油資源の収奪を求める米国が、アラブ系政府の力を排除するために、反政府系民族への支援を行い紛争を長期化させてきました。馬と弓矢の戦いが、アメリカと先進国の介入により、ヘリコプターやミサイルの戦いになり、大量虐殺・ジェノサイドにまで至ったのです。ここに同じく石油資源を求めて中国が政府と政府側武装組織を支援することで問題をより複雑にしています。2005年1月の和平では、米国が黒人解放軍側の石油の取り分の50%を取ることで合意されました。

b)ナイジェリアは、世界第7位の産油国でありながら、最貧国のひとつになっています。独立を果たしたナイジェリアの内戦には欧米諸国が石油利権を得ようと武器・弾薬を供与し、内戦を長期化させ、多くの飢餓難民を出しました。内戦後、国づくりに取りかかったナイジェリア政府は石油資源の自力開発を図りましたが、掘削には高度な技術が必要であり、オイルメジャーへの依存を余儀なくされ、「技術供与」の費用として利益の4割を供与せざるを得ませんでした。ナイジェリアのほとんどすべての油田の採掘権がオイルメジャーに奪われています。オイルメジャーが莫大な利益を上げる一方、政府は国づくりのために欧米諸国から借りた債務、それ以上に、高く設定された利子の返済に苦しみ、国民に貧困生活を強いる結果になっています。掘っても掘っても、出てきたその石油は輸出に回され、稼いだ代金は債務返済に消えていく。ナイジェリアの富と資源のすべてが欧米諸国に環流する仕組みになっているのです。

c)モザンビークでは子ども兵を取り上げていますが、もともとモザンビークの子ども兵は、1975年に社会主義国として独立したモザンビークにおいて、既得権益を奪われた白人・外国人が作り出した「モザンビーク民族抵抗運動(LENAMO)」が生み出したものでした。それを支援してきたのがアパルトヘイト時代の南アであり、欧米諸国だったのです。1983年頃のモザンビーク南部における大旱魃でも、社会主義の小国に対し国連は支援に冷淡な対応をとりました。政府が市場解放など、より柔軟な政策を打ち出してはじめて国連は支援に乗り出したが、すでに10万人以上の子どもたちが死んだ後のことでした。

d)そしてエイズが爆発的に拡大する南アフリカでは、薬が買えず日々何人もの人が亡くなる現実がある一方、特許料による莫大な利益が欧米の製薬会社に舞い込む仕組みになっています。「命か、特許か」。これがWTOで争われました。そして命を救うはずの製薬業界が「知的財産の保護」を主張し、命を犠牲にし利益追求の具にしたのです。製薬会社は最終的に訴えを取り下げましたが、米国政府は貿易協定を結ぶ見返りに特許保護を持ち出し、南アにコピー薬を作らせませんでした。まさに飴とムチで黙らせたのです。南ア政府は米国との経済関係を維持・発展させることを最重視しました。しかしその結果、南アでさえグローバル経済の中で淘汰され、失業だけが増え続ける事態となっています。そしてエイズが爆発的に拡大しているのです。


(2) 4つの事例から、アメリカやヨーロッパの豊かさ、そして日本の豊かさも、アフリカの人々の飢餓と貧困の犠牲の上に成り立っていること、収奪しつくされた結果、価値がなくなると傷跡だけを残して切り捨てていったこと、そしてその切り捨てられた姿が今のアフリカの「マイナス」の姿なのだと改めて感じました。
 冒頭のナレーションは「人間の生存条件を表す指標、寿命・所得・医療、世界が上昇カーブを描く中で、アフリカは右肩下がりです」と語っています。2000年9月にニューヨークで行われた国連サミットに参加した147カ国の首脳は「ミレニアム宣言」を採択し、2015年を期限に「極度の貧困と飢餓の撲滅」「HIV/エイズ、マラリア、その他の疾病の蔓延の防止」など8つの目標を定め、1日1ドル未満で生活する人口の割合を1990年の水準の半数に減少させる、飢餓に苦しむ人口の割合を1990年の水準の半数に減少させるなどのターゲットを設定し、1日1ドル未満で生活する人口の割合などの数値目標の点検を行うことを決めました。

 ところが5年たった今、アフリカ諸国特にサブサハラ地域(サハラ砂漠以南の地域)でこれらの目標が実現に向かうどころか、悪化の一途をたどっているのです。世界銀行が「重債務貧困国」と認定する37カ国の内32カ国がアフリカにあり、サブサハラ地域の人口の半分以上が1ドル以下で暮らしています。しかも、サミットが先送りした地球温暖化問題は、アフリカ問題でもあります。砂漠化、湖沼の縮小、干ばつなどによってますます飢えや渇き、貧困が拡大しています。7月イギリスのNGOの作業グループがまとめた報告によると、すでにアフリカの14カ国で水資源が不足しており、このままでは今後25年で11カ国で不足することになります。さらなる生存の危機が訪れるのです。
ツツ大司教が言うように、「グローバル化の問題は強いものがゲームのルールを決める。そのルールは豊かな者の味方で貧しい者の味方ではない」のです。「グローバリゼーション」の本質がここに現れていると思います。



[4]アフリカの自立のエネルギーと反グローバリズム運動

(1) このシリーズの優れたもう一つの点は、アフリカの飢えと貧しさ、紛争と疾病だけでなく、政府や巨大外国資本に抵抗する人々や新しい国づくりに懸命に取り組む人々にスポットライトを当てていることです。
 ナイジェリアでは、スラム街の真下に石油パイプラインが敷き詰められていて、貧しい人々はパイプを破って石油を盗みそれを売って生活を維持しようとします。これを取り締まろうとする政府の警察との激しい抗争があります。若者たちは、「これだけ石油があるのになぜ俺たちは貧しいんだ」とさけび、武器を持って立ち上がります。ナイジェリアでは、今年7月には、チェブロンテキサコの石油・ガス採掘に抗議して、数百人の女性が採掘ステーションを占拠するという事件も起こっています。
 モザンビークでは、子ども兵とされたため地域に戻ることが出来ない若者たちをケアする施設の闘いを描いています。南アは数十年に及ぶアパルトヘイト反対闘争の末闘い取った黒人政権が、外国資本を受け入れての経済発展と人々の生活の維持とエイズの撲滅という課題の中で苦悩する姿が描かれています。そして人々は懸命に生きる方途を模索しています。

 歴史的にも問題は複雑であり、これらの人々やグループが国全体の政治構図の中でいかなる位置にあるのかを私は言うことは出来ません。しかし、次のことは言うことが出来ます。アフリカは本来、計り知れない可能性を持っているということ、豊かな自然や多くの実りを生み出す気候、未開拓のまま残されている天然資源、9億の人々がいるということです。十分な教育と技術が与えられ、不当な搾取を受けることなくアフリカ人自身の手に国をゆだね、札束で頬をはたかれることもなく、正当な価格で取引がされるならば、アフリカ人は自らの手で未来を切り開くことができるのです。
 かつてアフリカの幾つかの国々の民衆は、「アフリカ型社会主義」を目指して幾度も幾度も、帝国主義の“くびき”から脱出しようとしてきました。しかし、この当然至極の切実な願いは、アフリカの資源を失いたくない欧米の先進帝国主義諸国の逆鱗に触れました。ことごとく、欧米の軍事介入や内政干渉、経済的締め付けや内戦化によって潰されてきたのです。豊かな資源を自分自身の国の発展に役立てる余裕も与えられなかったのです。


(2) 先にも述べたように、サミットではわずかばかりの債務の帳消しが決められましたが、もともとアフリカが債務国となったのは、アフリカ自身の責任ではありません。
 私は、「アフリカ問題」の解決のためには、すぐに以下のことが必要だと思います。
@ 幾世紀にもわたり欧米先進帝国主義諸国がアフリカから奪った富を無条件で返済すること。
A 飢餓に苦しむ人たちに今すぐ十分な食料を渡すこと。
B エイズ薬を始め、薬と医療を供与すること。
C 技術供与を無償でおこなうこと。
D 自らが果たした略奪者・収奪者としての悪しき歴史的役割を自己批判し、アフリカが自ら立ち上がれるようになるまで、償いし続けること。

 何度でも強調したいのは、先進帝国主義諸国がしなければならないことは、「援助」ではなく、「補償」だということです。「施し」ではなく「償い」だということです。そして、何をするかではなく、何をしないかです。押しつけや高利貸しではなく、収奪をやめることだということです。



(3) グレンイーグルズ・サミットを巡っては、100を超えるグループの連合体「貧困を過去の歴史にしよう」(MPH)が結成され、20万人の大デモンストレーションや大規模なロックコンサート「ライブ8」なと巨大な反グローバリズムの行動が繰り広げられました。また、9月の国連総会では、イラク戦争に反対する30万人のワシントン行動に合流する形で、反グローバリズムの運動が起こりました。11月4日のアルゼンチンで行われた南北アメリカ34カ国の米州首脳会議では、ブッシュ大統領の訪問に反対する激しいデモが起こりました。12月13日から18日まで香港で行われる世界貿易機構(WTO)の閣僚会議への抗議行動も準備されています。−−これら全ては、結び付いているのではないでしょうか。アメリカ帝国主義と帝国主義的「自由貿易」の全世界への拡大が、貧困や疾病、失業等々を生み出していることに対する、様々な階級や階層の民衆からの多種多様な形での激しい怒りなのだと思います。



[5]三度の南ア訪問で得た実感と黒人政権の苦難

(1) 南アフリカは1994年、人種隔離政策=アパルトヘイトに終止符を打ち、黒人大統領マンデラの元に大きな一歩を踏み出しました。しかしその道のりは、予想した以上に苦しいものでした。

雑然とし、薄汚れた感の町並み。仕事のない人々があふれている
 私は昨年5月、南アフリカを訪れました。これは3度目の南ア訪問でした。一回目は1990年のアパルトヘイト時代。2回目は1994年の総選挙の年。いずれも私が反アパルトヘイト運動を行っていた時期でした。そして昨年は、それから10年後、人種差別から解放された人々の姿と国造りをこの目で見ようと思ったのです。


(2) 昨年の訪問では、ヨハネスブルクとケープタウンを訪れましたが、10年間の変化は決してよい方ばかりに進んではいませんでした。ヨハネスグルク市内では、駅周辺の治安悪化地帯が拡大し、1994年の訪問時に宿泊したホテル周辺が立ち寄れない場所になっていました。車で前を通っても、商店は閉まり、人通りはほとんど見かけず、殺伐としていました。また、市の中心部は以前にも増してゴミが増え薄汚れており、町全体が沈んだ感じがしました。

エンロンさん−アパルトヘイト博物館の「ヨーロピアンオンリー」のいすに座って
 案内をしてくれたタクシーの運転手、エンロンさんは黒人で、ANC/SACP(アフリカ民族会議/南ア共産党)のメンバーといいます。アパルトヘイトの時代には機械の製造工場に勤めていたが、アパルトヘイト後は安い欧米製品の流入で採算が合わず、一度は欧米の会社の資本下に入ったものの、その後閉鎖されたそうです。彼の車でソウェトに向かいました。ソウェトでぜひ見たかったのは、かつてのスクォッターがどのような形で残っているのかということでしたが、彼がここだと案内してくれた所は、今は政府が作ったマーケットになっており、黒人が自分で作った農作物や鶏・卵、仕入れた日用品やお菓子など様々な物を売っていました。政府の経済政策の後押しで人々の自活を図る姿が見て取れました。



スクゥォッターの跡地にできたマーケット。黒人が政府の資金援助を得、自力で商売
 道を走っていくと、沿道にはバラックが立ち並び、衛生と環境の悪い地域が拡大していることを感じさせました。病院も少なく、治療を受けることが大変困難といいます。その一方で、ソウェトの奥の高台に美しく整備された住宅も立ち並び、同じ黒人の中でも格差が拡大していることが伺われました。
 ケープタウンでは、10年前にお世話になったANC活動家でカラードのスティーブンさんの家を訪ねました。当日はメーデーで、COSATU主催の集会に行きましたが、歌や踊りが自然と湧き上がっていた10年前の数々の集会に比べ、落ち着いた、静かな催しになっていました。舞台では市長やCOSATUの幹部が演説をしましたが、いかに今の職を守り、仕事を増やしていくかが彼らの、そして聴衆の最大の関心事になってました。

メーデー。「SAVE JOBS」の横断幕がかかる。
 スティーブンさんに近所のスクォッターに連れて行ってもらい、街の活動家に会わせていただきました。そこは100世帯ほどの町でしたが、かつてはバラックが立ち並んでいたものを彼女を中心に行政に働きかけ、5年ほど前にようやく家々が建設され、美しく整備され始めました。しかしまだ整備が追いつかず、半数ほどの人が水や電気のないバラックに住んでいると話してくれました。

ケープタウンの活動家モリダさん。彼らが建てた家が立ち並ぶ前で

スクゥォッターに今も残るバラック

ソゥェトの中も経済格差が広がる。裕福な黒人の家


(3) 10年前の総選挙の際、私は南アの新しい国づくりが決して容易でないとの認識は持っていました。黒人対白人というような人種の対立が根強く残り、それが新しい国づくりを妨げる一番の要因だろうと感じたのです。しかし現実は、お互いを許しあう心で国の内部を統一させていったものの、「外圧」、特に総選挙の際多くの黒人があこがれた、アメリカ型の社会形態をとることで彼らの貧困・病・社会の崩壊が以前よりもいっそう進み、彼らの国づくりを妨げてしまっていることを強く感じました。もちろん当初より、南アフリカ政府は、「虹の国」という表現の中に経済至上主義にとどまらない、「アフリカ型の新しい共生社会」の確立を目指し、最大限の発展の道を描いてきました。しかしアフリカの雄であった南アフリカでさえ、ソ連崩壊後のアメリカ一極支配の世界構造の下で、どこの助けもなく生き残ることがどんなに難しいかを改めて感じました。アメリカや欧州・日本と対等の立場に立たざるを得なくなり、世界市場の中で淘汰され、そのひずみが黒人・女性・移民といった一番弱い層へのしかかってきていることを、今回の映像ははっきりと写しだしました。



[6]アメリカと先進諸国は、いかに南アのエイズ患者を殺し続けてきたか!?

(1) NHK「アフリカ・プロジェクト」シリーズ「アフリカゼロ年」は4作とも秀作ですが、私は、特に今回、南アのエイズ問題を取り上げたいと思います。なぜなら、病気になった人たちが適切な医療と薬を与えられるという当然の権利、人間として生きていく最低限の権利、この「基本的人権」が、「知的所有権」という先進国が生み出した「資本の権利」によって踏みにじられ、大勢の人々が死に追いやられていくということに耐え難い怒りを感じるからです。
 また、先進国が、エイズ薬の知的所有権の解放の条件として、自由貿易枠の拡大と規制緩和を求めるというやり方は、援助や債務帳消しの条件として一層の資源収奪を要求するという先進国のやり方を最も露骨に表しているからです。
 南アでは、アメリカが自由貿易と知的所有権の保護を押しつけているために、毎年40万人もの人々が死に、その数は急増しています。私たちは、イラク戦争に反対し、2003年のイラク侵攻以来米英と有志連合軍が10万人以上のイラク人を殺害したことを糾弾してきましたが、彼らは、同じ時期にアフリカの南ア一国だけで、その4倍もの人々を殺し続けていたのです。まさに“静かな大虐殺”といっても過言ではありません。しかも、その犠牲者の大半が子どもたちであると言うことは本当に許し難いことです。


(2) 一方では、白人政権を支援してきたアメリカが、経済的締め付けを行い、自立的な発展の道を様々な手段を使って妨害し、利益を吸い取ろうとしてきました。他方では、南アフリカには、マラウィやモザンビーグなどの貧しい周辺諸国から大量の「不法移民」が押し寄せます。さらに、ヨハネスブルクには周辺の農村から職を求めて労働者が流れ込み、仕事にあぶれた失業者が生み出されます。そして貧しい女性たちが売春を余儀なくされ、一時的に儲けを得た男たちが女を買いエイズが爆発的に拡大するという構図が作り上げられたのです。そして、南アフリカはアフリカ有数の経済先進国でありながら、黒人の失業率48.8%、貧困率は56.3%にも登っています。

 私は、ここでやや詳しく番組を紹介し、問題の急所に迫りたいと思います。最後になりますが、この番組の表題は、前出のNHKのホームページで公表されているように、当初「40万人を死なせたのは誰か−−南アフリカ・エイズ薬と命の値段」であったようです。明らかにこの表題は、命と利益を秤に掛け、金儲けを優先させる製薬資本の責任を問い、40万人を殺した罪をストレートに問題にしています。ところが、それが「感染爆発がとまらない 〜南アフリカ 届かないエイズ薬〜」という、とても受動的で、感染拡大が自然現象であるかのような印象を与える表題に変わったのです。どのような力が働いたのか私にはわかりませんが、とても残念でなりません。
(2005.12.10)




NHKスペシャル「21世紀の潮流 アフリカゼロ年 第4回 
 感染爆発がとまらない 〜南アフリカ 届かないエイズ薬〜」

 NHKスペシャル「21世紀の潮流 アフリカゼロ年」最終回は、世界で最もエイズ感染者の多い南アフリカを取り上げる。南ア人口4300万人の内感染者は実に530万人。年間の死者40万人。すでにエイズの治療薬は開発されている。しかし、貧しい人には手が届かない。
 南アのエイズ問題は 特許と知的財産から莫大な利益を得ようとするアメリカをはじめとする先進国と、貧しさからエイズ薬を飲むことができず苦しみ死んでいくアフリカの人々という、グローバリゼーションがもたらした許し難い格差、貧困、疾病の問題を表している。


[1]南ア・エイズ拡大の背景と、遅々として進まない政府の取り組み

○カメラは南アフリカ経済の中心、ヨハネスブルクを映す。アパルトヘイト後、経済封鎖が解かれたことで、工業団地には安い労働力を求めて、多くの外国資本が進出してきた。自動車や機械部品などは、金やダイヤモンドと並ぶ主要な輸出産業に成長し、南アフリカ経済を牽引している。ヨハネスブルクには今、より高い賃金を求めて農村から人々が押し寄せてきている。
 アパルトヘイト終結後の急激な人口移動は、仕事にあぶれる人々を大量に生み出した。そしてエイズは都市への人々の移動と供に蔓延した。エイズの蔓延は多くの場合、稼ぎの入った男性が売春する女性と接触することがきっかけだという。さらに感染は妻へ、そして子どもへと広がっていく。

○2年前、政府はエイズの治療を無料で行うことを決断した。3年後の2008年までに感染者の1割に薬を届ける計画だ。去年1月から無料のエイズ治療が、公立の病院の一部で始まっている。しかし、医師だけでなく、看護師、薬剤師、栄養士も不足している。そして薬も足りない。

○ヨハネスブルクの郊外の貧困地域スウィートウォーター地区。この地域の人口は2万5千人、住民の6人に1人はエイズに感染している。平均年収は1人当りわずか56万円。ここに週に2回、診療車がやってくる。この地区に医療施設がまったくない。診療にあたるのは医師ではなく看護師である。エイズに関する診断や投薬は一切行われていない。エイズと疑われても、ビタミン剤などが与えられるだけだ。エイズ感染者530万のうち、薬を飲んでいる人はわずか5万人。100人に1人だ。薬だけで年間2万5千円かかる。これだけで平均年収のおよそ半分。治療を受けることは不可能である。


[2]先進資本主義諸国によるエイズ薬の開発と独占

○アメリカで初めてのエイズ感染者が確認されたのは1981年だった。わずか3年後には死者は3千人を超え、その後も急上昇している。アメリカ社会にとっての新しい脅威だった。
 世界の製薬会社はいっせいに治療薬の開発競争を始めた。そして1995年、複数の薬をあわせ飲む画期的な治療法・カクテル療法が発明された。製薬会社は高い特許料を設定した。当初、治療には年間120万円がかかった。当時、アフリカや南米などでも感染爆発が起きていた。エイズの治療薬・抗レトロウイルス薬は、専門医の処方に従って、幾種類もの薬を飲み続けなくてはならない。飲まなくなると体に抗体ができて、薬が効かなくなる。新たな治療法によって、先進国では死者が激減した。一方途上国では、値段の高い薬に手がとどかず、死者は増え続けていった。

○インドやブラジル、タイなどでは、まったく同じ成分の薬、いわゆるコピー薬が安い価格で販売され始めていた。南アフリカでも、コピー薬の輸入が検討され始めた。しかし、課題があった。アパルトヘイトが終わり、このころ積極的に外国資本の導入を勧めていた南アフリカは、インドなどと違い、特許について厳しい規定を設けていたのである。マンデラ政権はコピー薬の輸入を可能にする為、薬事法の改正を決断した。南アフリカの多くの命がこれで救われるはずだった。ところが、アメリカなどの先進国の製薬会社は一斉に反発し、薬事法の改正は企業の利益を損なうものだと裁判所に訴え出たのである。
 製薬会社の弁護士はいう「今回の法律の改正は、製薬業界にとって到底受け入れられないものです。南アフリカ政府は薬の特許という知的財産をまったく無視しています。」

○南アフリカ高等裁判所で争われた、命か特許かを争う裁判に世界の注目が集まった。結論が出たのは4年後の2001年だった。世界中の批判の前に製薬会社は訴えを取り下げた。人間の命を優先すべきだという国際世論が、製薬会社を追い詰めたのである。しかし結論が出るまでの4年間に、およそ40万人もの命が失われていた。

○同じ年、中東のカタールで開かれたWTO(世界貿易機関)の閣僚会議でも、命か特許かをめぐる議論が再び議題に上った。世界140カ国と地域が集うこの会議で、アメリカなど先進国は知的財産は守るべきだと主張した。一方途上国は、薬の特許を保護すると貧しい人々の命は救われないと反論した。結局エイズに限っては、各国が緊急事態と判断すれば、コピー薬の製造や輸入を認めることが特例として合意された。


[3]「アフリカ成長機会法」−−ブッシュ大統領は、「自由貿易」と「知的財産の保護」を押しつけ、南アのコピー薬の開発を断念させた

○しかし南アフリカ政府は、特例として認められたコピー薬の輸入や製造に踏み切ることはできなかった。2003年、アメリカのブッシュ大統領は南アフリカを訪問し、エイズ問題について協議を行った。ブッシュ大統領はムベキ大統領と会談し、課題は貧困の解消であると問題をすり替え、その対策に自由貿易の推進を飲ませたのである。

○「アフリカ成長機会法」−−当時、アメリカと南アフリカが結んでいた貿易協定である。アメリカは「貿易の推進と関税引き下げ」を認め、世界最大の市場を解放し、1900品目について関税を無くす事を約束した。その代わりにアメリカが要求したのが、薬を含む“知的財産の保護”だった。南アフリカの最大の貿易相手国はアメリカだ。南アフリカから輸出される自動車や機械部品、さらに金などがアメリカ市場での競争力を増した。政府は経済の成長によって貧困をなくし、エイズ感染者を減少させることに賭けたのだ。


[4]一握りの富裕層と巨大な貧困層を生み出したグローバリゼーション

○今、ヨハネスブルク近郊には、経済成長の恩恵を受けた人々の家が、次々に建っている。この豊かさは、世界の貿易ルールーを守る事で得られた。一握りの富裕層と巨大な貧困層が同居する。
 しかし、貧困は今も広がりつづけている。スウィート・ウォーター地区は病院も仕事もなく、電気や水道もほとんどない。自由貿易の推進によって、世界との競争に敗れる産業が出てきた。繊維産業だけでなく、皮製品や農産物も、より賃金の安い国の製品に押され、深刻な状況に追い込まれている。南アフリカの失業率は30%以上。民主化以降、むしろ増えている。アパルトヘイト時代に作られた貧困と格差がグローバル化の中で、拡大しつづけている。

○アメリカはさらに南アフリカとFTA(自由貿易協定)を結び資本のくびきに縛り付けようとしている。ブッシュは演説する。「南部アフリカの国々と交渉を始めています。我々は繁栄の輪をさらに広げようとしています。」
 FTAは市場開放と同時に、知的財産の保護を徹底させるアメリカの世界戦略だ。オーストラリア大学のピーター・ドラホス教授は、次のように語る。「アメリカと自由貿易交渉をするということは、自分の国の薬の値段など、国民の健康にとって大切なものがアメリカの手に握られてしまう、という事を意味しています。これはジレンマなのです。世界最大のアメリカ市場に参入できる代わりに、数え切れないほどの貧しい人々の死を目の当たりにすることになるでしょう。」


[5]未来を担う子供たちが犠牲に。社会の発展にとっての重大な足かせ。

○番組の最後は、南アの子供たちに焦点を当てる。福祉施設「聖家族ケアセンター」には子ども達が今52人暮らしている。エイズで親を亡くした上に、全員がエイズに感染している。子ども達の親の多くは薬さえあれば生きていたはずだ。
 南アフリカのエイズによる孤児は80万人を超えているという。国連は近い将来、国を支えるべき若い世代が極端に減り、人口構成の歪な国が出現する可能性があると指摘している。
 アメリカと先進資本主義国、製薬資本が一体となって、南アフリカ政府がエイズと立ち向かう機会を何度も奪い、アパルトヘイト廃止後の新しい国の主役となるべき子どもたちに犠牲を強いているのだ。

○アパルトヘイトの終結に尽力し、ノーベル平和賞を受賞したデズモンド・ツツ大司教が言う「グローバル化の問題は、強い者がゲームのルールを決めてしまう傾向にあることです。そのルールは豊かな者の味方で、貧しい者の味方ではありません。世界は、家族のように一つにならなければなりません。それがグローバル化の本当の意味だと思います。ですから、悪事を続けるものには、勇気をもって忠告すべきです。あまり勝手なことをしていると、いずれ報いを受けるということを。」

 ナレーションは最後に語る。「アフリカはいつになったら、マイナスをゼロに戻し、出発点に立つことが出来るのでしょうか。アフリカがスタートラインに立てなければ、世界もまたゼロ年を迎えることは出来ません。」