注 : 被害者の氏名は、一人ひとりの墓碑銘を私たちの心に深く刻むために、書籍等に掲載された氏名をそのまま使用させていただいています。ただし、加害者や担当教師名等については、個人に問題を帰すよりも、社会全体の、あるいは学校、教師全体の問題として捉えるべきではないかと考え、匿名にしてあります。 また、学校名については類似事件と区別するためと、隠蔽をはかるよりも、学校も、地域も、事実を事実として重く受けとめて、二度と同じ悲劇を繰り返さないで欲しいという願いを込めて、そのまま使用しています。 |
S.TAKEDA |
S730522 | 学校災害 | 2000.9.10、2004.5、2010.2. 2010.8. 2011.1.2012.2. 2012.5.18更新 |
1973/5/22 | 岩手県の国立一関工業高等専門学校の小野寺勇治くん(高1)が、課外活動の柔道で教官に連続技の指導で投げられた後、意識不明となり、急性硬膜下血腫で植物状態になった。 | |
経 緯 | 課外活動の柔道で、「投げはこうやるんだ」とO教官に、内股から大内刈に行く連絡変化技の指導を受けていた。 内股と大内刈で2回投げられたあと、他の生徒と組んだ途端、「頭が…」と言って崩れ落ちた(O教官弁)。 医師はO教官の「慢性の病気か」の問いに、「3〜5分くらいの急激な衝撃による」と答えた。 |
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症 状 | その後、病院に運ばれるが、意識不明。外傷性急性硬膜下血腫で植物状態になる。 4時間余りの開頭手術で、400cc、医大始まって以来の血腫を除去。 術中所見では、橋静脈破裂による急性硬膜下血腫が認められ、橋静脈の近傍には非常に小さい脳挫傷が存在していたという。 |
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被害者 | 勇治くんは、中学時代の3年間、柔道部に所属していた。郡大会や県大会に選手として出場した経験もあった。 有段者ではなかったが、同年秋頃までには初段を取れる程度の実力があった。 中学時代の同僚から見て、勇治くんの受け身は前方回転の時に足をのばす傾向が見られた。 |
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学校・ほかの 対応 |
事故直後、「私が2回投げた後、勇治くんは意識を失いました」と話し、謝罪していたO教官が、3日後、学校と家族との話し合い時から、「私が38分にある生徒とかわり、勇治を2回投げ、またもとの生徒とかわったら、手をかけただけで、頭が痛いと言って崩れるように倒れて意識を失ったのが40分。この間2分ですね。5、3分ということは私の時ではありません」「10年余り柔道教師をしているが、私が怪我をしたことはあっても、生徒に怪我させたことはない。私の指導に誤りがあったとは思えません」と責任を否定。 その後、2回投げたと話していたことも、「2回投げていない。2回目は大内刈で尻餅をつかせただけ」と変化。 級友、すべての目撃者の態度が変わり、見舞いにも来なくなる。 |
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支 援 | 1973/ 「小野寺勇治君を守る会」結成。 | |
裁 判 | 1973/11/21 提訴。 裁判でO教官は、「内股は引き技だから頭部を打つことはない。大内刈で勇治を崩したが投げてはいない」と前言を撤回。 医師は「外見上頭部に外傷の所見はなかった」とし、級友は「見ていなかった」と証言。 現場検証も、事故当時の目撃者を1人も立ち会わせず、教官が自分の主張通りの実技をやってみせたのみ。 医師の証言で、硬膜下血腫が外傷性であることは明らかになった。 教官の次に組んだ級友は、「ふらふらとはじめから様子が変だった。頭がポケ…と言って倒れた」と証言。 しかし、教官の言動に対しては、「見てない」「記憶していない」として、一切答えなかった。 「柔道着の襟が出血でぐっしょり染まっていた」という床屋の証言を採用されない。 1977/2/10 盛岡地裁判決で教官の投げによって頭部外傷を負ったという因果関係は認めたが、「学校の指導は適切」「自由練習の段階で技をかけたのを違法とは言えない」「過失はなかった」として原告敗訴。 |
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裁 判 | 1984/9/28 原告控訴の仙台高裁で控訴棄却。(確定) 一審同様、過失認定を否定したうえ、勇治くんが畳に頭部を打ち付けたかどうかの目撃証言が得られないことをもって、投げとの因果関係を否定。 裁判官は、国側から出された証拠の「外傷性硬膜下血腫は直接頭を打たなくとも、まれに起こり得るという、アメリカのサルを用いて回転イスを急速に回す実験の結果を採用。 「頭部に直接打撃以外の『衝動』によって、急性硬膜下血腫発症の医学的可能性があることが判明した」として、「頭部に加えられた外力であるとの推認をすべき限りではない」として、教官の投げ技との因果関係を否定。 1万分の1の可能性しかない衝動による発症と推論。勇治くんの傷害は自然発生的な発病に置き換えられた。 |
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※ 上記判決の解釈はどうやら間違っているようです。アメリカのサルを用いた加速損傷の実験で、頭を打たなくても脳損傷が起きるということが判明し、当時の知見ではこのことは知られておらず、予見できなかったので、教官に過失はないと認定されたということのようです。全国柔道事故被害者の会・小林さんの指摘より。 | ||
その後 | 勇治くんは病院のベットでずっと意識が戻らないまま、25年間植物状態で、家族の介護を受け続けた。 衆議院文教委員会に、小野寺さんが勇治くんの写真を持ち込んで、学校災害の実態を報告。学校安全会法(当時)改正のきっかけとなった。 1997/4/30 勇治くん逝去。 |
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参考資料 | 『教師の体罰と子どもの人権−現場からの報告−』/「子どもの人権と体罰」研究会編/1986年9月学陽書房、「学校災害ハンドブック」/喜多明人/1993.9.12草土文化、実務判例 解説学校事故/伊藤進・織田博子著/1992.7.10三省堂、スポーツ事故の総合的研究/三浦嘉久編著/1995.10.22不昧堂、「わが子に言葉なく ある学校事故の記録」/三浦孝啓著/1978.930父親の話。 | |
判 例 |
訟務月報23巻2号P237、判例タイムス360号P232、訟務月報31巻6号P1266、判例タイムス540号P204 |
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