わたしの雑記帳

2006/9/11 いじめと学校の対応


2006年8月17日、愛媛県今治市の市立中学校の男子生徒(中1・12)が、夏休み中の登校日の前日に自殺した。『クラスでは「貧乏」や「泥棒」と言う声がたえず響いていて、その時は悲しい気持ちになります。それがもう3年間も続いていて、もうあきれています』などと書いた遺書が見つかった。(060817参照)

繰り返されるいじめ自殺。ここのところ、いじめの報道はずっと減っていた。ある新聞記者からは「いじめ自殺だけでは記事にならない」と言われた。それほど、当たり前の現象になってしまったのだろうか。
いじめより、不登校やニート対策が取材対象になっていた。一方で、不登校やニートの集まりで、当事者らの話題は、もっぱら自分が受けてきたひどいいじめに関することばかりだったという話もきく。

今、事件から再び、大人たちがいじめ問題を考えはじめた。これを一過性のものにはしたくないと思う。ほんとうにいじめ問題は過去のことなのか、もっと実態を知ってほしいと思う。

文科省の数字は本当に正しいのか。学校や教育委員会のいじめ対策は本当に機能しているのだろうか。


【図表1】平成5(1993)年〜平成15(2003)年度、文部省・文科省調べ「いじめの件数」(件)





  平成5 平成6 平成7 平成8 平成9 平成10 平成11 平成12 平成13 平成14 平成15
小学校 6,390 25,295 26,614 21,733 16,294 12,858 9,462 9,114 6,206 5,659 6,051
中学校 12,817 26,828 29,069 25,862 23,234 20,801 19,383 19,371 16,635 14,562 15,159
高等学校 2,391 4,253 4,184 3,771 3,103 2,576 2,391 2,327 2,119 1,906 2,070
21,598 56,601 60,096 51,544 42,790 36,396 31,359 30,918 25,037 22,205 23,351
 




文科省
新聞 14 18 13 11 15


※「新聞」はTakedaが新聞や本などからいじめが原因の自殺と思われるものをピックアップしたもの(1975年からすでに計200件にのぼる)。


昭和60(1985)年から始まった文科省(旧・文部省)の統計上では、昭和60年をピークにぐんぐん下がりはじめ、一旦は落ち着いたと見えた平成6(1994)年に再び激増(文部省の説明では、調査方法を改め、特殊学級等も入れたため、それ以前と単純な比較はできないという。私は大河内清輝くんのいじめ自殺で、学校側がカバーしきれないほど、いじめ問題が表面化したのだと思っている)。
そして、平成7(1995)年をピークに再びいじめの件数は減り、平成14(2002)年段階では、ほぼ平成5年の数値近くまで減少していた。それが、再び平成15(2003)年から微増はじめる。

また、公立学校におけるいじめ自殺(毎年、文科省が発表するいじめやいじめ自殺はすべて公立学校のみを対象とし、私立学校は含まない)についても、平成7(1995)年をピークに激減。ここ数年はゼロ行進が続いている。
しかし、私が新聞等で、いじめ自殺と思われるものを拾い上げた数値ともはかなりかけ離れている。(この数値は私立を含むが、報道されている事件のほとんどは公立学校)
そして、その数値でさえ氷山の一角でしかない。何人も、「一切報道はされなかったけれど、子どもはいじめ自殺しました」という遺族を私は知っているし、今年だけでも報道されないいじめ自殺を3件ほどは遺族やその周辺の人たちから聞いた。
相変わらず、学校側が認めなければ、「いじめられていた」という遺書や周囲の子どもたちの証言、親の証言があっても、「いじめ自殺」にはカウントされない。

いじめの実態調査は、当事者である生徒、あるいは親ではなく、教師たちがこの数字をあげているということで、学級管理の責任を問われたくない教師あるいは学校、教育委員会が、横並びの数字をただ申告しただけではないだろうか。
このことは、学校プールの不備を調べた調査(実際には調査もせずゼロと回答し、再調査を命じられて調査をしてみれば、1000いくつもの不備がいつくもの教育委員会で見つかったなど)でも、その体質が露呈している。
にもかかわらず、相変わらず、不登校についても、いじめにしても、文科省や自治体は数値目標をあげて、いつまでに何件に減らせと命令を出す。元々意味のない数値が、さらに数字あわせにばかり教育委員会や教師の目が行き、実態とは程遠いものとなる。数字にあわせようとして、生徒に登校を無理強いする。いじめを解決できてなくとも、解決したと報告をあげる。終わったことになっているのだから、誰も対応しようとはしない。解決はますます遠くなる。
学校・教師のいじめ対策のいちばんは、「いじめの実態を隠すこと」ではないかと私は思っている。

そうでなくとも、学校のいじめ問題に対する対応はといえば、会議や調査や通信がほとんどで、専門家会議といじめ実態調査と通達を主な対策とする文科省のやり方と大差がない。
わずかに人間対人間の対応として、7位に養護教諭、8位にカウンセラーがあがっているが、これは誰に対する対応なのだろうか。
教師による加害児童・生徒や保護者への直接指導があがっていないのはなぜだろう。


【図表2】いじめの問題に対する対応(平成15年度)/生徒指導上の諸問題の現状について(概要)/文部科学省発表から引用
                                     (%)

  いじめ問題に対する対応 全体 小学校 中学校 高等学校 特殊学校
職員会議等を通して
共通理解をはかった
23.5 24.8 20.9 24.8 29.4
学校全体として、児童・
生徒会活動や学級活動
などにおいて指導した
17.4 18.2 15.7 17.3 25.1
教育相談体制を整備
した
15.7 15.9 15.3 16.3 14.1
全体的な実態調査をした 10.6 10.6 11.0 9.2 6.1
学校通信等で取り上げ、
家庭との協力を図った
8.5 9.6 7.6 5.7 5.8
家庭や地域と協力して
取り組むための協議の場
を設けた
8.3 8.9 8.1 5.5 7.4
養護教諭が指導にあたった 7.7 7.2 8.1 9.9 4.5
スクールカウンセラー、心
の教室相談員等が相談に
あたった
5.8 2.7 10.7 6.7 1.6
  その他 6.1 3.0 11.0 7.0 1.9




学校で、いじめ事件があると必ずのように対応策として挙げられる、子どもからいじめの事実を聞き取る方法としてのアンケート調査や面談、教師との交換日記。そして、学校カウンセラー。
それらは本当に有効に機能しているのだろうか。
以下を見ると、私たちが思っている以上にいじめられた児童・生徒やその保護者からの訴えが多いことがわかる。一方で。スクールカウンセラーからの情報は少ない。

【図表3】いじめ発見のきっかけ平成15年度)/生徒指導上の諸問題の現状について(概要)/文部科学省発表から引用
                                     (%)

  いじめ発見のきっかけ 全体 小学校 中学校 高等学校 特殊学校
いじめられた生徒からの訴え 32.2 24.1 34.2 41.4 26.8
保護者からの訴え 23.6 34.1 20.7 14.1 19.7
担任の教師が発見 21.2 25.8 20.4 12.7 29.6
他の児童・生徒からの訴え 10.0 9.0 9.9 13.2 8.5
養護教諭からの情報 2.1 1.1 2.2 4.0 0.0
スクールカウンセラー、心
の教室相談員等からの情報
1.2 0.6 1.5 1.0 1.4
教育センター等関係機関からの訴え 0.3 0.5 0.2 0.5 0.0
  その他 2.4 1.7 2.4 4.0 1.4



私のところに寄せられる相談のほとんどは、担任教師にいじめの対応をお願いし、校長、教頭にも話したが、全然対応してくれない。仕方がないので、教育委員会や教育相談、果ては人権擁護委員会にまで行って訴えたが誠意ある対応が見られないというものだ。

被害者や親がいちばんに望むことは何だろう。学校・教師がいじめの加害者にきちんと指導し、二度と繰り返さないようにしてほしい。わが子が安全に学校に通えるようにしてほしいということではないだろうか。

しかし、現実の学校・教師の言い分は、
・証拠がない
・この程度はよくあることで、いじめに入らない
・加害生徒に言ったが効果がない
・学校は警察ではないので犯人捜しはできない

はては、
・加害者にも人権がある
・あなたの子どもにも悪いところがある

そして、勧められる対応は
・保健室登校
・転校すること
・スクールカウンセラーに相談すること
・教育相談に行くこと

たらい回しにされた挙句の専門家の対応は
・いじめを被害者の心の問題にすり替え、被害者を隔離したり、薬を処方する
・一般的な不登校として扱う

そして、最終手段として転校しても、転校生はいじめられやすい。今は最初から転校してくるのはいじめの加害者か被害者、いずれにしてもトラブルメーカーと学校教師や生徒たちも判断するなど、再び、いじめにあう可能性は高い。


いじめ対策の根本は加害者対策だ。子どもや保護者が「いじめられている」と相談したとき、学校がいかに総力をあげて加害者にいじめをやめるよう説得できるかにかかっている。
学校は警察ではないからこそ、証拠がなくとも、被害者からの訴えだけて動くことが可能だ。
そのとき、加害者が嘘をつくのは当然のこととして、そのうそを突き崩す、大人の知恵と連携が必要だろう。
また、警察や検察ではないからこそ、罰に頼ることなく、加害者側の心の問題を大人が十分に聞き取り、共感し、解決に導くことで、いじめを止めることができるのではないか。
いちばん、肝心なことを、誰もが手をつけようとはしない。
被害者の親がそれをやれば、それこそ、人権侵害だと言われたり、かえってこじれたりする。
やれるのは学校関係者だ。

それは一被害者のためだけではない。
多くの場合、ひとつの加害者集団が、ひとりだけをいじめのターゲットにしているということのほうがむしろまれだ。被害者が不登校になったり、転校すれば別の人間をいじめる。同時並行して何人もいじめているグループは多い。表面化していない被害者、将来生み出されるであろう被害者を救うことにもなる。
また、加害行為は大人たちが適切に対応しないとあっという間にエスカレートしやすい。
犯罪に至るまでに、誰かを死に至らしめる前に対応することは、加害者を救うことにもつながる。
そして、被害者が怒りを心のうちにためたまま新たな加害者になることもある。

子どもたちは大人が、いじめにどう対応するのか、固唾を呑んで見守っている。
きちんと対応してくれた、真剣にとりあってくれた思えば、すぐには解決しなくとも、自ら進んで教師に相談するだろう。見ていた子どもたちも相談するだろう。
いじめは許されないと知れば、加害者に加担するものも減るだろう。

加害者こそ、多くの問題を抱えている。その相談に大人が真剣にのり、解決したとき、初めていじめ問題は解決するのだと思う。
学校で解決されなかったいじめは、地域に放出され、誰も責任をもたないなか、ますます問題を大きくしていく。
言い換えれば、私たちが学校・教師に期待することは大きい。実効性のある対策と、生徒と対話できる教師の能力が今、求められていると思う。



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