わたしの雑記帳

2006/2/17 2006年2月13日北村光寿くん落雷事故裁判、最高裁へ


『最高裁が、民事訴訟の上告を受理する割合はわずか2%と言われています。最高裁は書面審理が原則です。圧倒的多数の事件は、ある日突然に「上告棄却」の通知が郵送されてきます。上告が受理され、さらに口頭弁論が開かれるということは、私たちの経験では間違いなく、一審(地裁)・二審(高裁)の判決が見直されることを意味します。』(土佐高校サッカー落雷事故『北村裁判を支援する会』会報 ミッドフィルダーNO.8より)
その2%という針の穴を通した原告の思い。弁護団や支援団体の力添え。子どもたちの未来に届く一条の希望の光に見えた。

2006年2月13日(月)、最高裁判所第二法廷で口頭弁論が行われた。
開廷は1時30分と聞いていた。12時過ぎに、傍聴券が配布されるという最高裁判所の南門に行くとすでに長い列ができていた。報道カメラも何台も来ていた。
高知から駆けつけた支援する会のメンバーが約10人。そして、車いすの北村光寿さん(25)、その車いすを介助するお兄さん、お父さん、お母さん、おじさん。
また、学校災害から子どもを守る連絡会(学災連)や日本母親大会を中心にいくつもの支援団体。

知っている顔がいくつもあった。学校事故や事件の遺族たち、裁判の原告たちだった。
傍聴席48に対して、傍聴希望者は95名。約20分前に抽選になった。以前、東京高裁ではおみくじのような棒を引いた。最高裁だからなのか、今はほかでもそうなのか、傍聴整理券に書かれた番号でコンピューター抽選となった。
当たっても、どのみち学災連の要望に応えて、傍聴券は譲るつもりでいた。何しろ、遠く四国から支援者たちが来ている。組織をあげて支援してきた人たちがいる。が、結果は「はずれ」。いつもくじ運がない。

一旦、学災連が支援者たちから任意で傍聴券を預かり、四国から駆けつけたひとたちを最優先に、割り振っていく。終わりのほうでなぜか、私の名前が呼ばれた。優先して傍聴させてくれるという。
しかし、周囲には私よりもっとこの裁判を支援してきたひとたちがいた。一瞬、気持ちがぐらつかないではなかったが、辞退した。「いや、あなたには中に入って、報告をあげてほしかった」と言ってくれたひともいた。

午後2時まで、レストランで食事をしながら、傍聴者たちが出てくるのを待つ。
その後、議員会館で、報告会があった。主任弁護士の津田玄児先生と、北村さんは記者会見に、他の弁護士から内容の説明があった。

一審、ニ審では、落雷の予見性を認めず、原告の請求は棄却された。
その間違いを指摘する。教師たちの不勉強、一般的な注意義務をスポーツの監督をする、子どもたちの命を預かっている人間に当てはめたこと。知らなかったから、予測できなくても止むを得ないというもの。

しかし、遠雷が聞こえたときの危険性は小学校低学年の本にさえ、危険性が載っている。
まして、事件があった1996年、高知の海水浴場で落雷事故がおきていた。大きく報道されていたという。

私も以前、少し調べてみた。登山では、雷鳴が鳴ったらすぐに稜線から下りて避難する。ゴルフ場や海水浴場でも警告が出される。平らなところに人が立っていたら、雷の直撃を受けやすいということは、多くの落雷事故が証明している。

時間がないということで、弁護士の解説は途中で打ち切られてしまった。私としてはとても残念だった。支援する会や人が多いということで、それらのあいさつに時間が振り分けられてしまった。
また、傍聴できなかった身としては、もっと詳しい法廷内の報告が欲しかった。
ただ弁護団がねばって、光寿さんのお母さんの陳述が認められたという。
お母さんの話に裁判官たちが、はっとした表情で顔をあげて熱心に耳を傾けたという。
このお母さんのがんばりを私自身、見てきた。この思いが裁判をここまで進めてきたのだと思う。

記者会見場から北村さんらが移動してきた。会場から拍手で迎えられた。
学校が引率したサッカーの試合で事故にあって、学校からは謝罪ひとつなかったという。そして、両目を失明し、下半身の機能麻痺、言語障害。重い障がいを負いながらも必死の思いでリハビリをしてきた。なのに、障がいを理由に学校側は復帰を拒否し除籍処分にした。
それが、どれほど悔しかったことか。裁判に訴えるしかほかに方法がなかったのだ。

事故当時、光寿さんが身に着けていたという、背中を縦に大きく引き裂かれたサッカーのユニフォームをお母さんが広げて見せてくれた。このなかに人が入っていたのだ。まさに九死に一生を得た。
その「生」をせめて自分たちの責任において、守り育てていこうとは、学校関係者たちは思わなかった。自分たちの手で切り捨てていった。

他の学校事故でも同様のことが起きている。学校で障がいを負わされたにもかかわらず、その学校から、障がいを理由に受け入れを拒否される。その理不尽さ。
本来、どんな子どもにも教育を受ける権利がある。そして、その権利は、大人たちの都合で、本人の意思に反して奪われるべきではないと思う。大人たちは、いつも子どもたちにばかり努力を求める。しかし、大人たちがちょっと努力すれば、子どもたちの選択肢は格段に広がるはずだ。子どもたちの選択肢が奪われているのは、大人たちの怠慢によるものだ。
裁判では問うことのできないこの問題を、学校災害のなかで、私はいつも強く感じている。

最高裁の口頭弁論は1回で、次回は判決となる。最高裁が受理したからには、何らかの変更があるはずとは思う。しかし、予断は許さない。
落雷裁判。今まで例をみない裁判。多くの被害者たちの、親たちの願いが込められている。
まずは学校の責任が認められることが、新たな事故防止につながると知っているからだ。

判決は、2006年3月13日(月)10時30分から、最高裁判所にて。


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追記:学災連と北村裁判を支援する会から、当日、母親の北村みずほさんが法廷で読み上げたという陳述書が送られてきました。




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