2012/5/18 | 小野寺勇治くん柔道事故(S730522)の記録「わが子に言葉なく」(三浦孝啓著)を読んで | |
学校事故に関する新しいNPO立ち上げ準備会の勉強会で、三浦孝啓氏のお話を聞く機会があった。 その三浦氏が、岩手県国立一関工業高等専門学校の小野寺勇治くんが、課外活動の柔道で教官に投げられた後意識不明となり、急性硬膜下血腫で植物状態になった事故について、本を書かれていたことを知った。 「わが子に言葉なく ある学校事故の記録」 三浦孝啓著 総合労働研究所1978年9月30日発行 古い本で絶版になっており、インターネットで中古を取り寄せた。 事故が起きたのは、1973年5月22日。小野寺勇治くんは当時、高校1年生。 当時、高校生の男の子として、「勇治くん」と私は表記しているが、勇治くんは昭和32年5月9日生まれとあった。今更ながらに、私よりひとつ上だと知る。 そして、その当時、提起された様々な深刻な問題が、事故から40年近くたって、今なお、その多くは解決されていない。 柔道で、遷延性意識障害(植物状態)になり、今なお、施設や自宅で介護を受けている、斉野平いずみさん(事故当時 高1・16)(S020731)、須賀川市立中学校の女子生徒(同 中1)(031018)、松本市の柔道クラブで指導者から投げられた澤田武蔵くん(同 小6)、大阪の金光大阪高校の男子生徒(同 高1)、横浜商科大学高校の北村大輔くん(同 高1)ら、全国柔道事故被害者の会(http://judojiko.net/)の家族らの姿と重なる。 同書に登場する人物は、おそらく全員、あるいはほぼ全員が実名ではないかと思う。にも関わらず、よくここまで書けたものだと感心する。三浦氏の勇気もさることながら、今ほど、書いた側が「名誉棄損」などと逆襲される時代ではなかったことも、影響しているかもしれない。 私自身、同じような内容を学校事故・事件の被災者や遺族から幾度となく聞いた。どれも事実であると信じている。しかし、客観的に証拠立てることはできないことから、いつも、どこまで書いても大丈夫か考えあぐねている。 勇治くんの両親の経験に、他の学校事故事件の実態と絡めて、考えてみたいと思う。 ●変わる証言 (1)事件直後 いじめ・学校事故など、多くは時間とともに、原因が変化していく。保身にかられ、人々の証言が変化するからだ。 事故直後、救急搬送された病院の医師は、「5、3分前の衝撃でなったもので、多分柔道のためだ」と、教官や保護者に話した。 課外活動顧問のO教官は、「私が2回続けて投げた後、勇治君は意識を失いました」「生徒同士が稽古をしまして、投げはこうやるんだと内股と大内股で2回私が勇治を投げた後、再び勇治が前の生徒と組んだとたん、頭が、と言って崩れ落ち・・・・・・」と説明。「本当に、すみませんでした」と謝罪し、涙を流していた。 (2)教官の証言 それがわずか3日後。教官の言葉や態度が一変する。 医師が「5、3分前の衝撃」と言ったことを逆手にとって、「私は38分にある生徒とかわり、勇治を2回投げ、またもとの生徒とかわったら、手をかけただけで、頭が痛いと言って崩れるように倒れて意識を失ったのが40分。この間2分ですね。5、3分ということだと私の時ではありません」と、自らの責任を回避し、生徒に責任を転嫁した。 名前を挙げられた生徒は、「自分が原因かもしれない」と言って悩んだという。しかも、狭い地域。その部員は小野寺家の親せきだった。親せき関係さえぎくしゃくする。 さらに教官は、「10年余り柔道教師をしているが、私が怪我をしたことはあっても、生徒に怪我をさせたことはない。私の指導に誤りがあったとは思えません」と開き直った。 2回投げたと話していたことも、2度目は大内刈りで尻餅をつかせただけで投げていないと、変化した。 (3)医師の証言 けがの原因を「たぶん柔道のため」と言っていた医師は、「偉い人たちと親交がある」という校長と面談したあと、態度を変えた。「今回は衝撃でこうなりましたが、もともと血管が弱くて、今回ならなくともいつかなったかもしれません」と発言。 学校が、学校安全会に給付金申請のため提出する「災害報告書」の「医師の所見」欄には、「事故の発生原因は目下のところ、検査未了のため不明である」と書かれ、その後、父親の抗議や学校関係者の口添えもあり、二度目の所見で「多分、柔道のためだと推定される」と直された。 (4)その他の証言や噂 勇治くんは、それまでの健康診断等で一切、問題を指摘されたことがなかったが、学校は「学校には責任はない」「事故の直接の原因は不明だが、教官の投げで起きたんじゃない。病気ではなかったか」「前の学生と組んだときになった」と言いだす。 交渉に出向いた学校で、父親が部屋を出たあと、「運命だと思って、あきらめればいいのに」と教官たちが話しているのを聞く。 事故直後、手術のために勇治くんの頭を剃った病院内にある床屋は、当初、右側頭部の頭頂に近いところを指して、「黒血があった」と話していた。しかし、裁判のために証明を書いてほしいと頼むと、「直径2センチ大の、薄い内出血を見ました」と、内容が変化した。 父親が見た鼻血は、誰も見なかった。救急車内で嘔吐したことも、記録に書いていないのだから、なかったと言われる。 地域では、勇治くんは元々血圧が高かったなどと根拠のない噂が立つ。 事故直後は、気持ちが動転している。しまったという後悔の念、申し訳ないという謝罪の気持ちが強い関係者も、早い場合にはその日のうち、多くは3日程度で冷静になり、周囲の説得もあって、保身のほうが強くなる。 責任を認めていた学校や加害者が、前言を撤回し、自分には責任がないという。被害者の資質や持病、他の人間のせいにする。 学校事故・事件で被害にあった子ども、関わった子ども、その親たちの多くは、その後の人生のなかで、強い人間不信に苦しむ。 ●被害者家族の精神的、肉体的、経済的負担 柔道事故はとくに、頭を打って脳を損傷したり、頸椎を損傷したりすることから、重大事故になりやすい。 死亡だけでなく、遷延性意識障害、すなわち植物状態になったり、記憶が長くもたない高次機能障害、半身・全身麻痺など、重い障がいを負うことも少なくない。 それまでと同じ生活が続けられなくなる。将来の夢が断たれる。進学・就職・結婚というごく当たり前の生活さえ奪われる。一生、誰かに介護してもらわなければ生活できなくなることもある。 学校で傷害を負わされたのだから、当然、学校が医療費ほかすべてを面倒みてくれるだろう、と私たちは思う。 しかし、実際には、日本スポーツ振興センターの見舞金で、一部が補填されるだけ。 小野寺家の場合、事故前から、農家だけではやっていけず、父親が出稼ぎに出ていた。当時の年収は160万円程度。そんな家庭に突然、降ってわいた手術代や治療費、入院代、介護費用、病院に通うための交通費、等々。 父親は、出稼ぎどころではなく、農作業もままならない。子どもの事件・事故後に収入が激減する家庭はめずらしくない。 結局、学校からもし、親せきからも借金をした。 介護の人手を雇う経済的ゆとりがないため、母親がつきっきりとなった。手術直後は5分おきの痰吸引を24時間。体位を何度も何度も変えなければならない。それでも、骨が見えてしまうほどの褥瘡(じょくそう=床ずれ)がすぐできてしまう。 幼い妹の世話や家事、農業まで、勇治くんの年老いた祖母が支えたという。元気に働ける祖母がいなかったら、どうなっていただろう。親せきの援助がなかったら、どうなっていただろう。 どこからも支援を受けられない家庭は、どうなるのだろう。 当時すでに、安全会(その後、日本スポーツ振興会に移行)の給付金制度があったが、僅かな金額しか出ず、5年で打ち切られた。 それさえ、学校が「学校管理下の事故」と認めて、災害報告書を書き、申請を出さなければ、もらえない。国や自治体だけでなく、親も掛金を払っているにもかかわらず、手続きもできない。小野寺さんの場合、結果的には給付を受けることができたが、それはすんなりと降りたわけではなかった。 子どもが亡くなった場合、親が訴訟を起こす大きな理由として、@わが子な何があったか知りたい、A加害者あるいは責任者に反省を促し、謝罪してほしい、B事件事故を隠ぺいせず、再発防止の教訓として生かしてほしい、ということが多い。 しかし、子どもが生きて、後遺症を負った場合には、将来にわたってその子が安心して生きていけるよう、きょうだいの経済的、労力的な負担が少しでも減るよう、金銭的な補償を求めて提訴することも少なくない。 ●民事裁判の課題 学校でけがをしたことが明らかであっても、学校側に不法行為や過失がなければ、損害賠償は1円だって、受けられない。 しかも、民事裁判では、訴えた側が、相手の不法行為や過失を立証しなければならない。 学校で起きた事故を、現場を見ていない家族に立証しろと言っても、困難だ。 学校や教育委員会は自分たちにとって都合の悪い情報は、持っていても出さない。それが通る仕組みになっている。 現場を見ていた生徒たちは、学校から見舞いに行くことを止められる。へたに関わって学校から目をつけられ、不利益を被ることが怖くて、口をづくむ。被災者に同情的な教師は、職場でいじめにあったり、遠くに飛ばされて、見せしめとされる。 なんとなく伝わってくるものはあっても、裁判で使えるだけの確かな情報や証拠を集めるのは難しい。 せっかく、裁判所が採用してくれた学校現場での検証も、その場にいた生徒たちを立ち会わせることなく、教官がこのようにやったと、模範を見せるだけだった。 それでも、その映像をのちに、柔道の専門家に見せると、教官の技には独特のくせがあることが判明した。 結果的に裁判では、投げた側の独特のくせと、けがとの因果関係は認められなかったが、柔道の形は単に相手に勝つことを目的としたものではなく、安全性をも考慮したものであるのであれば、上級者の独特のくせは、とくに初心者には対応しにくく、より事故につながりやすい危険性があるのではないかと思う。 柔道事故は、受け身が未熟な初心者に多い。だから、中学1年生、高校1年生の5月頃から、本格的な練習に入る夏合宿中に増加する。 勇治くんが事故にあったのも、1年生の5月。しかし、勇治くんの場合は初心者ではなかった。中学の3年間、クラブでやっていた。教官の投げとけがの因果関係は認められたものの、初心者ではなかったことから、教官に過失はなかったと敗訴する根拠のひとつになった。 ただ、原告側の主張では、勇治くんの受け身には変なくせがあった。民事裁判の教官での証人尋問で、中学校時代の顧問や他の柔道部員が認識していた勇治くんの受け身の「悪いくせ」を教官が認識していたなかったことが判明した。 教官は引き手を引いたので、勇治くんは頭を打つはずはないと主張。これらの主張は、いまだに柔道事故があると、必ずのように、柔道関係者が強調する。当時は「頭を打った」という目撃証言が得られなければ、柔道技との因果関係がなかなか認められなかった。原告敗訴の判例から、柔道関係者や学校側が学んだ結果かもしれない。 そして、頭を打った証拠ともなる、床屋が見たという髪の毛の下の黒血、父親が事故直後に目撃した鼻血、救急車で嘔吐したという話はすべて無視された。 医師の証人尋問も行われた。法廷に立つことが決まったあと、救急搬送された病院の医師は、「私も、どこか他で開業しますかな」と、小野寺力氏に漏らした。 一旦は、柔道と怪我の因果関係を否定するかのような発言に傾いた医師が、裁判では医師としての科学性や倫理感を守って証言した。その証言により、「勇治の怪我が外傷性のものであり、客観的に判断すれば、柔道練習中のものであるということへ、ぐんと近づけた。」 医師だけでなく、いざ裁判となると、それまで協力的だった人たちを含めて、かかわりを恐れて証言を拒んだり、外部からの圧力に屈して約束していた証人が当日になってキャンセルしたりする。 なんとか証言台に立ってもらえても、話していた内容が変わって、急に被告側に有利な証言をしはじめるということがある。内容があいまいになったり、すっかりトーンダウンしたりする。 勇気と倫理感をもって、きちんと証言してくれるひとを見つけるのは、簡単なことではない。 とくに柔道事故では、学校関係者や医療関係者だけでなく、柔道の専門家に技の解説等を求めることがある。しかし、柔道事故の被害者側が柔道家の協力を得ることは難しい。同じ柔道をやるものとしての仲間意識が働いたり、関係者からの様々な利益供与や脅しがあったりする。 これだけ、必死に原告側が証拠をかき集めても、被害者自身が証言できない裁判では、勝つことは難しい。 一審で負けたとき、父親は「勇治、勇治が口を利かないから負けたよ」と言って泣いたという。 そして母親は「こんなことをしているなら、勇治殺して死んだ方がいい」と叫び、幼い娘はどうするのかと親せきから諭されたという。 本が書かれたのは、一審の敗訴直後。控訴を決意したところまでだが、その後、高裁でも棄却されている。 一審では認められた柔道の投げと、けがとの因果関係が、二審では、それさえ否定された。 被告の国側はアメリカのサルを用いた実験内容まで持ち出してきた。それは今でいう、頭を打たなくとも脳損傷は起きるという加速損傷の実験だったが、なぜか当時、原告の勝訴にはつながらず、むしろ被告側に過失はなかったという立証に使われた。 裁判に勝てたとしても、様々な費用を差し引くと、多くの場合、手元には大して残らない。裁判に負ければなおさら、介護費用にプラスして、裁判費用や弁護士費用も大きな負担となる。そして被害をきちんと認めてもらえないことに対する精神的な打撃。 それでも、負けた裁判にも意義はある。被害者が黙っていたら、すべてがなかったことにされてしまう。何一つ教訓が社会に残らない。声をあげるひとがいて、はじめて問題の在りかが認識される。 最初の裁判では、「これは稀なことだから、学校側は予見できなかった」とされたものが、裁判例が積み重なることで、「けっして稀なことではない」「社会的にも認知されていたのだから」「予測すべきだった」「防止義務違反があった」と変化する。 長い間、柔道事故裁判の多くは、生徒によるリンチなど、特別なケースを除いて負け続けてきた。それが多くの犠牲のうえに、ようやく被害者側が勝つ判決が得られるようになってきた。まだまだ予断は許されないが。 ●学災補償制度を求める運動 同書では、学災補償制度を求める運動について、約3分の1ものページを割いている。 大人が職場でけがすれば、労災で、治療費から、休業補償まで、受けられる。なのに、心身ともに未成熟な子どもが学校でけがをしても、十分な補償がない。 当時、同じような柔道事故を負った大谷立くん(S610509)、体操クラブでの事故で首から下が麻痺した今野光正くん(S680700)や小野寺さんら被害者とそれを支援する人びとが連帯して、「学校災害補償制度」を求める運動が各地で盛り上がった。 内容は、 「国の費用と責任による学校災害補償制度補償法をすみやかに制定してください。 その災害補償は @無過失賠償責任制を基礎にすること。 A幼稚園、保育所から大学までのすべての学校の学校災害に適用させること。 B学校災害に対する補償は、その災害によって被災した子どもと青年のすべての被害と人権に見合ったものであること。 C子ども、青年及び保護者の請求権を制度的に保証すること。 Dその制度の機構運営は、教育的配慮にもとづく民主的なものであること。 日本教育法学会もまた、学校事故損害賠償法案と学校災害補償法要綱案を公表。 「学校事故損害補償法案は、学校の教育活動の中で子どもが事故にあえば、その損害を償う責任が学校を設置した者にある、としていた。ここでは、学校設置者が無過失賠償責任を負うので、被災者の過失立証や、教職員個人が賠償責任を求められたり、過失責任を追及される必要はな」い、内容になっていた。 せっかく盛り上がった運動は結局、結実しなかった。原因を同書では、以下のように書いている。 「しかし、日本学校安全会に固執する文部省の介入が始まった。」「自民党と民社党の委員が、『安全会の改善でなんとかならないか』と、態度を一変したのである」 結局、大蔵省との攻防のなか、「学校安全会発足時の35年に遡って、廃疾見舞金1,2,3級該当者に400万円、300万円、200万円の特別廃疾見舞金が給付されることになった」 「わずか2年ほどで、急速に高まった世論の成果が確かにそこにはあった。しかし、39年から始まったこの運動が掲げていた『無過失責任主義』は、どこへ行ってしまったのだろうか?完全な救済措置をつくり、教育の場に矛盾を起こさず、なおかつ事故の防止へと役立てていくためには、学校事故ほ子どもの成長発達の侵害ととらえ、その損害を賠償する責務を国なり、自治体に負わせることなくしてはあり得なかった。その視座が運動の中にすわらなかったために、単に金額を増加することに留まってしまったのは、明らかだった。」 予算的な理由や大人たちの政治的な思惑が絡んで、「子どもり最善の利益」は守られなかった。子どもの命がかかわることに、妥協を許してしまった。 小野寺さんも、改正された額の給付を受けることができた。しかし不安はなくならなかった。 「1500万円では、どうにもならなかった。医療給付が切れれば、毎月5万円近くも自己負担しなければならない。脳外科が発達して、勇治を治せる技術が出来た時、その費用を払えるだろうか。それに親が先に死んで、看護をする者がいなくなったとしたら・・・・・・。」 この流れは今も変わらない。 2010年4月に発行された「学校安全ハンドブック」(喜多明人・堀井雅道著/草土文化)にも、同じような文言がある。 「現行の学校事故、災害救済制度の不備・不十分さの下で、被災者はやむをえず、損害賠償を提起しているのです。} 「センター制度による災害共済給付制度だけでは、医療費が賄えなかったり、償えきれなかったりする場合もあるのです。特に、子どもに重い障害が残り、寝たきりになってしまった場合には、保護者の労力だけでは介護しきれるはずもなく膨大な介護費用が伴います。また、保護者には、自分が先に死んだらわが子はどうなるのだろうという考えから、子どものために医療費や介護費用を少しでも確保しておきたいという悲痛な思いもあるのです。」と書いている。 ●私見 本には書いていないが、父・力さんの話では、勇治くんは意識がもどらないまま、その後25年間生きた。家族にとってどれほど重く、長い日々だっただろう。家族はどんな思いで、一日、一日を過ごしたのだろう。 武道必修化を決めた文部科学省は、部活動とは異なり、授業中に重篤な柔道事故がおきる可能性は低いと強調する。 しかし、部活動での柔道事故さえ把握していなかった。これだけ問題になっても、有効な手を打てず、今だ柔道の部活動で死亡事故が続いている。 万が一、事故が起きたときのことをどれだけ考えているだろうか。 被害者の身体的な傷害、家族の心の傷、肉体的、経済的負担。その補償の現状。過去の事件・事故から、どれだけ学んだのだろう。 これでまた重大な柔道事故が起きても、「想定外」と言って見たり、自分たちはやるべきことはすべてやったとして、あとは現場に責任転嫁するのだろう。 学校現場は自分たちへの責任追及を恐れて、事故をなかったことにするため、あらゆる手段を使うだろう。 事故が起きても、事実が伝えられない、謝罪も、補償も受けられないなかで、被害者と家族は再び傷つけられる。 武道必修化のなかで、無理やり柔道を履修させられた子どもたちが、大きなけがをしたとしても、十分な補償は受けられない。よほど間違った教え方をしたとか、故意でやったとかでなければ、「運が悪かったね」で、けがも、費用も、被害者負担となる。 捻挫や骨折でさえ、何年、何十年にもわたって痛みが続いたり、手術を繰り返さなければならなかったり、その後の生活が制限されたり、進路の変更を余儀なくされたりする。挫折感から生活が荒れることもある。 重症を負えば、当事者や家族のその心的負担、肉低的負担、経済的負担は計り知れない。 せっかく手に入れたマイホームを手放したり、学校や会社、親せきに借金をしたり、きょうだいの学費を取り崩したり、金銭的な事情や介護の時間確保のために転職をしたり、大きな犠牲を強いられる。 医療は日々進歩している。生存率は飛躍的に上がっている。その分、高額医療を受けるかどうか、経済格差が生死の分かれ目であったり、障がいを負ったあとの本人や家族の生活の質を大きく左右する。金銭的な補償があれば、本人や家族が負わずにすむ負担。 せめて、学校で事故にあったら、過失のあるなしにかかわらず、経済的、医療的な心配をこれ以上、被害者側が負うことのないようにしてほしい。 命をとりとめたことを、被害者や家族が心から喜べるような支援を、国はしてほしい。 そして、直前に組んでいた子どもの心の傷。 全国柔道事故被害者の会・会長の小林泰彦氏は、シンポジウムのたびごとに言う。「あなたのお子さんが、被害者になるだけでなく、加害者にさせられるかもしれないんですよ」と。 「学校事故から子どもを守る」ことの意味のなかには、子どもを被害者にしないだけだなく、加害者にしないことも含まれている。しかし、その体勢が今もとられているとは到底思えない。 武道必修化で涵養されるという「日本を愛する心」以前に、政治家・官僚たちに「子どもを愛する心」、「命を愛おしむ心」はあるのだろうか。 |
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