2008/7/1 | バレーボール部の新潟での合宿中に亡くなった草野恵さん(高1・15)の民事裁判の証人尋問(6/24) | |
2008年6月24日(火)13時40分から、東京地裁705号法廷で、2003年7月29日、専修大学付属高校のバレーボール部の新潟での合宿中に亡くなった草野恵さん(高1・15)の民事裁判の証人尋問が行われた。 前回の裁判が、2006年11月7日。それからずっと進行協議が続いていた。この日は再開と同時に、いきなり元顧問教諭の人証調べとなった。 この日は傍聴券配布となった。傍聴席は28席、並んだのは50人。コンピューターによる抽選となったが、例のごとくくじ運の悪い私は、1から9の数字がほぼ連番で当選したなかの欠番、7の用紙を持っていた。しかし、以前からの知り合いがやはり傍聴券の配布に並んでいて、当たり券を譲ってくれた。申し訳ないと思いつつ、感謝して傍聴させていただくことにした。 ********* 最初にF男性顧問(39)から。その間、U女性顧問は外で待たされていた。 被告・専修大学の弁護士から主尋問が始まる。 Q:バレーボールの顧問ということだが、バレーボールの経験は? A:バレーの経験はない。 Q:顧問としてどんな役割をしていたのか? A:生徒の管理。マナーや立ち居振る舞いを含めた指導。 Q:2003年の合宿はいつもと違った点があったか? A:例年に比べて大人数だった。3年生が夏の大会に向けて引退せずにまだ参加していた。また、1年生の人数が多かった。 Q:合宿計画書について、通常、1、2年だけなのが、3年生の参加で、とくにきつい内容だったのではないか? A:たしかに3年生の参加でレベルは高かったが、その分、3年生に練習が集中するので、1年生はむしろ例年より練習量が少ない。 Q:気分が悪くなった生徒はどうするのか? A:体調は自分で管理することになっている。気分が悪くなったら、自分でコートの外に出たり、トイレに行ったり、先輩に声をかけたりして、自由に生徒が練習を離れられるようになっていた。 Q:恵さんの様子はどうだったか? A:「オェ」とか、「ウェ」とか、練習中に声を出していた。しかし、珍しいことではない。 Q:恵さんのバレーボールのスキルはどうだったか? A:恵さんは経験者ということだったが、技術的にスキルが高いとは思わなかった。ローリングレシーブで、体育館の床で頭を打ったりしていた。 Q:7/28の午後8時頃のことについて。 A:ドスンという音を聞いた。何が起きたかはわからなかった。直前に集合をかけており、恵さんはネットに向かって走ってきていた。ぶつかったんだな。尻もちをついたかなと思った。立ち上がるところを見ていないが、集合している生徒のすぐ後ろに立っていたのが見えたので。 Q:その後、どこかを冷やしていた? A:右目を冷やしていた。 Q:恵さんは頭が痛いと言っていたか? A:聞いていない。 Q:そのあとは、どうしたのか? A:集合後に3年生が傷の手当をしていた。体育館の床のモップがけのあと、奥の空いているコートで練習してもよいことになっていたが、恵さんもサーブの練習をしていた。 Q:28日の練習後に1年生と2年生が各1名ずつ、反省を言うことになっていて、恵さんが当たったと聞いたが? A:恵さんは、「今日はがんばりきれない部分があったので、明日はがんばりたい」と話した。 Q:そのときの様子はどうだったのか? A:とくに異常は感じなかった。 Q:合宿中の生徒の行動や体調は顧問がすべてみられるのか? A:上級生が下級生をみる。体調が悪ければ、顧問に言う。上級生と下級生を部屋割りでもセットにしているので。 Q:上下関係が厳しくて、言えないことは? A:ないと思う。 Q:翌29日、午前9時半に恵さんが倒れたときはF顧問は何をしていたか? A:恵さんが倒れたところは見ていない。私は体育館入り口のラウンジで反省ノートを見ていた。 Q:先生が行ったときには、クーラーの効いた更衣室で寝ていたのか? A:マネージャーがいて、「だいぶ、落ち着いているので大丈夫だと思います」と報告してきた。 Q:そのとき、恵さんはどこか痛いと言っていたか? A:聞いていない。 Q:どのように指導したのか? A:本人が戻って来られるなら、戻るようにと日ごろから指導している。体調が悪い場合、数十分休んで戻ってくるのが大部分。 Q:29日の練習の後半、「今日はすごくがんばっている」と書いているが、28日と比べてということか?がんばりをどう思ったか? A:前日、本人ががんばりたいと言って、一生懸命にがんばっていると思った。 Q:29日の午後、倒れるときのことについて? A:2人1組でレシーブをしようとして、手を組んで前に上げた形で、前に倒れた。 Q:誰が、どういう指示で、恵さんをコートから出したのか? A:U顧問がコートの外に出しなさいと指示を出したように思う。 Q:倒れたとき、F顧問はどこにいたのか? A:ネットの向こう側にいた。 Q:3時45分頃に倒れて、救急車はどれくらい様子を見て、いつ呼んだのか? A:3時54分頃。 Q:随分、細かなことを覚えているようだが? A:そのとき、時計で、自分で確認した。 Q:119番通報が、火曜日の15時55分とあり、傷病者観察カードに確認時間が16時に通報とある。 事故報告書の7ページに、救急隊が来て、熱中症と判断とあるが? A:合同練習の拓大一高の生徒が午前中に熱中症で倒れているので、そう判断したのだと思う。 Q:先生と救急隊員とのやりとりで、恵さんが前日倒れたことの説明はしているのか? A:している。 Q:16時35分のところに、「顔面の打撲痕、昨日、転んだあと」と書いてある。 搬送時、救急対応医、「間違いなく熱中症」と書いてあるが、誰の判断か? A:救急隊が診断した。 Q:どのような説明を受けたのか? A:ドクターが話があると言って、熱中症の重症と説明された。家族に、熱中症とのことで、すぐに病院に来てもらうように伝えた。 Q:説明の概要のなかで、「ドクターが出血だけではあり得ない」と言った書いているが、どういう意味か?他に別の原因があったということか? A:水分の過剰投与とか、過剰輸液投与とか。硬膜下血腫はほとんど外傷性だが、水分を制限するだけでなる場合もあると言われた。 Q:28日の午後8時に事故発生。外傷性脳内出血と書いてあるが? A:どこかで強く、頭を打ったことはないかとドクターに聞かれたので、生徒に電話で聞いた。 Q:Kドクターの意見書には、「28日の夜、転倒。強い頭痛を訴えていた」と書いてあるが? A:認識していない。 Q:28日の8時以降、もの忘れや意識を失う、嘔吐するなどはあったか? A:なかった。 Q:この事故は防げたと思うか? A:ドクターに聞いたところ、「事前に察知することは、医者の自分にもほとんど無理な状況だった」との答えだった。 学校クラブ活動中の事故で、悲しい。残念。 ******* 14時15分から、原告代理人の角田雄彦弁護士から反対尋問。 Q:F顧問はバレーポール未経験ということだが、体育の教員ではない? A:専修大学の英米文学を卒業した。 Q:大学時代、スポーツは? A:サークルでバトミントンをやっていた。 Q:勤務は今の高校が初めてか? A:はい。 Q:顧問として、平成4年から15年まで、10年間やっているが、バレーポールの実技経験がなくとも、バレーポールのローリングが基礎能力を示すものとわかるのか?誰かから教わったのか? A:U教諭から練習内容を聞いたりした。初心者がローリングで頭を打つことがある。誰かに教わったかどうか覚えていない。 Q:2人で、女子バレーボールの顧問をしているが、通常の練習活動において、役割分担をしているのか? A:U顧問は体育教師で、バレーボールの経験者でもあるので、技術指導全般をみている。私は、部員のマナーや言動、行動、病気やけがのつきそいをするなどしている。 Q:F顧問は補助的役割なのか?中心はU顧問で、手が回らないときはF顧問なのか? A:明確にというわけではないが。 Q:夏合宿は役割分担? A:合宿では、一緒に体を動かしたりして、参加している。病院にも付き添っている。私も、U顧問も負うべき責任は変わらない。 Q:恵さんは中学でバレーボールの経験があったが、実力が不十分だったとのことだが、何で判断したのか? A:ローリングなどで頭をよく打っていた。 Q:ほかは? A:一番はそこ。ほかは、レシーブなどで。 Q:学校裁判の書面作成に際して、弁護士から「頭を打つようなことはなかったか?」と聞かれたことは? A:話のなかで、そういう話をした記憶がある。はっきりは覚えていない。 Q:学校が提出した生徒のメモの存在は知っているか? A:知っている。 Q:目を通したか? A:はい。 Q:作成に携わったか? A:U顧問と共同で携わった。生徒に話をきくのはU顧問が多かった。それをU顧問がメモして、まとめた。 Q:他にUメモが存在するのか? A:別にあるのではなく、同一時間、場所で書いたものを受けて、書いた。別のものがあった。メモをもとに詳細な報告書を作成した。 Q:生徒のメモは報告にある。だぶったり、若干、認識や時間が違った点について、同じ場面について違った内容がある場合は、生徒に確認したのか? A:ほとんどU顧問が確認した。 Q:どちらが正しいという選別はどうしたのか?生徒に話を聞くなかで、メモとすりあわせをして、23号証にまとめたのか? A:結果としてはそう。教師が見ていた場面もあった。 Q:28日の午後8時、恵さんが転んだことがわかったわけは?ぶつかったのを見ていないということだったが。 A:恵さんがネットに向かって走ってくるのと、音を聞いた。右目を押さえていた。 Q:尻もちをついていたのか? A:立った姿で見た。 Q:立ち上がるまでに時間がかからなかったから、尻もちと判断したのか? A:はい。 Q:本人に確認したのか? A:U顧問が恵みさんに声をかけて聞いていたので、声をかけなかった。頭を痛がるそぶりはなかった。 Q:翌朝、顔のあざはぱっと見ではっきりとわかる傷だったのか? A:はい。 Q:顔の傷が残るとは、考えなかったのか? A:考えなかった。 Q:ミーティング中、とくに変わった様子は? A:なかった。 Q:U顧問の発言は? A:とくにない。 Q:U顧問は恵さんのことを「あの子は変わっていないね」と言ったのではないか? A:このときかどうかはわからないが、聞いた。 Q:どういう経緯での発言だったのか? A:1学期のとき、恵さんが友だちのノートを借りて返さなかったことで指導があった。合宿で拓大一高の先生にみんなは普通にするが、恵さんがしていなかったと聞いたので、そういう発言になったのだと思う。 Q:恵さんの言動・行動で判断したのか?体調からそういう行動になったとは考えなかったのか? A:はい。 Q:更衣室には過呼吸で来ていたのか?自ら見て判断したのか? A:このときにはなかった。 Q:過呼吸の症状を見たことは? A:ない。 Q:生徒の健康管理について、自分の判断で、体育館の外に出て休むという指導をしていたということだったが、どういう場面で、指導していたのか? A:体調管理を日ごろから注意をさせていた。体調が悪ければ、キャプテンやマネージャーに言うように指導していた。 Q:具体的には? A:自分とU顧問が言った。毎日、練習しているので、いつと言われても・・・。 Q:29日の午後、生徒のツーメンで、球出ししているか? A:実技指導はしていない。 Q:その時間、何をしていたのか? A:体育館の周りで、練習の状況を見ていた。 Q:救急車前に倒れるところを見たか? A:実際、はっきりとは。午後のツーメンが終わったあと、疲れて体育館の脇で休んでいた生徒がいたので、恵さんもいたかもしれない。 Q:その時、生徒が恵さんに、どんな言葉をかけていたか? A:1年生がコート脇で、「頑張れ!」と言っていた記憶がある。 Q:恵さんは、「頑張れ!」と言われるような対応があったのか? A:みんな疲れてくるので、そんな中での状況。 Q:救急車直前に倒れたとき、倒れて動けなくなった恵さんを外に出すように言ったのは? A:U顧問が、恵さんをコートの外に出しなさいと言った。 Q:学校の報告では「はい、次!」と、練習を進める言葉のみしか書いていないが、U顧問は指示を出していないのではないか? A:練習が止まるから。 Q:事故後の対于について。F顧問が病院の現場で記録をとったノートをもとに報告書を作成したのか? A:メモを基礎資料として、転記し、作成した。 Q:安全管理について。身近な先輩や同じ部屋の先輩に告げることができたというが、そのような上下関係は具体的な事実に基づいて言っているのか? A:言葉遣いなどはちゃんとさせていたが、言えない状況ではない。 Q:先ほどから、先輩を通じて、顧問が聞くということが多いように思うが。目のネットのあとも、先輩に聞いていて、本人には直接聞いていないが? A:特段にエピソードはないが、練習外でも仲良く話している。 Q:救急箱や体温計は持っていっているのか? A:持っていっていない。今回もない。 Q:顔面の打撲痕について、救急隊の記載は、学校側が情報源となっているようだが、前日、転んだと話したのか? A:私が話したと思う。細かいニュアンスは覚えていない。救急隊から、右目のあざはどうしましたかと聞かれて、昨日、転んだと話した。 Q:目のあざは転んだと言ったのか、ぶつかったと言ったのか、どう言ったのか? A:細かい文言は100%覚えているわけではない。ネットにぶつかったときについたあざと話したと思う。転んだという表現をつかったかどうか記憶にない。 Q:恵さんの症状について、病院のドクターからは輸液投与によって問題が起きた可能性があると、K病院の医師から聞いたのか? A:後日、別の病院の先生に聞いた。 Q:恵さんを診察した医師から聞いた話ではない? A:はい。 *** 原告代理人の樫尾わかな弁護士から補足質問。 Q:K病院のドクターから、頭を強く打ったことはないかと聞かれて、生徒に連絡して確認したということだが? A:最初、マネージャーが一緒にいたので、「頭を強く打ったか」と聞いたが、記憶にないというので、そのあとU顧問がマネージャーを宿に帰らせて、他の生徒に事情を聞いてくれと指示を出した。 Q:ネットにぶつかって転倒したとき、頭を打ったかどうか確認してくれと聞いたのではないか? A:言っていない。 Q:その後、生徒から状況の報告を受けたのは? A:U顧問が、生徒と電話で応対した。 Q:生徒のメモで、恵さんが頭痛を訴えていたとあるが? A:当時、生徒から聞いていない。後日、生徒のメモに書いてあるものもあったかもしれない。 ***** 原告代理人の原田敬三弁護士から補足質問。 Q:1日目、2日目のローリング時に頭を打ったと書いてあるが、ふつうの練習では頭は打たないのか? A:うまくなると打たない。 Q:頭を打つというのは、どの部分か? A:側頭部に当たると思う。 Q:ネットに顔をぶつれけて倒れたとき、どうして網目が残るくらい強くぶつかったか考えたか? A:何でかなとは思ったが、生徒のほうからよそ見をしていたようだと聞いていたので、ネットのほうも見ないで、斜めら走っていってぶつかったのではないかと思う。 Q:なぜ。そんなことがおきたのか考えなかったのか? A:その後の様子に異常がなかったので。 Q:ぶつかったこと事態が異常だとは考えなかったのか? A:特にそう考えなかった。 Q:転んだときに、ドスンとすごい音がしたというが、全員にわかるほどの? A:体育館は比較的、音が響くようなつくりになっていた。 Q:9時からのミーティングのときに、恵さんに、音がしたけれどと聞かなかったのか? A:恵さんは普通にしていたし、報告もなかった。U顧問が恵さんに声をかけたと聞いていたので、聞かなかった。 Q:3日目の午後に倒れたとき、どれくらい動かなかったのか? A:20秒から30秒、声をかけて、動かなかった。練習でみんな疲れているので。 Q:ほかにも、そのような生徒がいたのか? A:同じようなことがあったと思う。秒数も、もっと長い場合もあったかもしれない。 Q:うつ伏せに倒れて、どういうふうに出したのか? A:3、4人で、わきや足を持ってコートから出した。うつぶせだったか、仰向けだったか覚えていない。 ******* 向かって右の裁判官から質問。 Q:28日の午後8時、あなたはどこにいたのか? A:近くのイスに座っていた。ネットとの距離は2、3メートル。音が聞こえた。 Q:救急車で転倒の話が出たきっかけは? A:救急隊員から、目のあざはどうしたのかと聞かれた。 Q:例年、合宿で倒れる子はいるのか? A:疲れや過呼吸で立ち上がれないことはある。 Q:一度、意識がもうろうとしたとき、救急車を呼ばなかったのはなぜか? A:様子を見たとき、容態が安定していた。マネージャーが「大分、落ち着いて大丈夫だと思います」と言ったので、呼ばなかった。 ここまでで、3時35分。5分の休憩を挟んで、3時40分から再開。 |
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U女性顧問(38)の尋問。被告代理人弁護士の主尋問から。 Q:恵さんのバレーボールの技能について? A:中学時代に経験があるということだったが、ボールの扱いがあまりうまくなかった。ボールの下に入ることができない。 Q:練習中に頭をぶつけるようなことは? A:日常の練習ではなかった。 Q:ノートを返す、返さないの事件について? A:ノートの提出で、恵さんが友だちから借りたノートを家において、自分のノートを提出して、困っている生徒をおいて、自分は部活に出たという話を担当教諭から聞いた。 なぜ、ノートを借りたのか、困っている友だちをおいてなぜ部活動に出たのか聞いた。恵さんは、保健体育の時間、「板書が早くて書き取れなかった」と話していたが、担当教諭からは、恵さんが授業中、寝ていることが多いと聞いていたので、寝ていてノートがとれなかったのだろうと思った。友だちをおいて部活に出たことについては、「友だちとどう接していいかわからなかった」「部活動を優先してしまった」と聞いた。 Q:U顧問は納得したのか? A:担当教諭から聞いた話と違っていたので、本当のことを話してほしいと思った。しかし、ずいぶん、時間をかけても答えは変わらなかった。 Q:どこで話を聞いたのか? A:体育館で練習が始まっていたので、移動して、そこで聞いた。 Q:体育館で机を蹴った? A:恵さんの近くにあった机を蹴った。本当のことを話してほしい。本分である授業をきちんとしてほしい。困っている友だちのことを考えるよう、練習はいいので自分のことをしっかりしようと指導した。 Q:次の日、恵さんは遅れてきた? A:ノートを返してきたと言った。 Q:ノートのこと以来、恵さんとの関係が変わったか? A:そんなことはない。 Q:恵さんは普通のバレーポールの練習のときにも、頭を打っていたのか? A:頭を打つことはなかった。 Q:合宿のときはどうだったのか? A:ローリングの際、頭を打っていた。 Q:恵さんのほかに頭を打つ生徒はいたか? A:頭が痛いという生徒はいた。 Q:技術的に未熟な生徒が頭を打つのか? A:未熟な生徒に多いが、慣れてもたまに強く打つこともある。 Q:28日の午後、集合のときに音が聞こえたか? A:パタパタと走ってくる音と、ドスンというような音が聞こえた。 Q:何が原因だと思ったか? A:ノートを書いていて、下を向いていたので、全くわからなかった。前を向くと、恵さんが右目を押さえて集合のところにいた。 Q:直接、本人に何があったか聞いたか? A:直接は聞いていない。3年生がすぐに目の治療をしていた。ゲームがすぐに始まっていた。恵さんは大きな声をあげて応援していた。空いているコートでサーブを打っていたとき、大丈夫かと聞いたら、大丈夫だと答えていた。 Q:合宿中の健康管理体制はどうなっているのか? A:練習前に部員の体調をキャプテンが報告する。上級生が下級生の面倒を見ていた。 Q:練習中、気分が悪くなってついていけない生徒はどうするのか? A:自ら休憩したり、自分から抜けてトイレに行っていた。体調が悪いとき、個人の無理のないように指導していた。 Q:具体的には? A:列の体型を変えさせていた。恵さんの前の生徒が前に乗り出していて、恵さんが見えなかった。 Q:「あの子は変わっていないね」と言ったのは、どういう意味か? A:同じ合宿をしている拓大一高の顧問から「挨拶をしない生徒がいる」と言われて、それが恵さんだったことがある。 Q:ミーティングのあと、28日の部屋割りを変えたのはなぜか? A:恵さんは、生活面、練習面でうまくいっていなかったので、キャプテンのいる部屋に入れて、話をしてもらおうと思った。 Q:食事は? A:ご飯は自分たちでよそう。おかずは一緒。 Q:量を食べない子に強制することは? A:水ばかり飲んでご飯を食べない子がいるので。 Q:恵さんは食が細かったか? A:そんなことはない。 Q:食事を食べるのが遅かったり、残したことは? A:ない。普通の状態で食べられていた。 Q:朝まで異常はなかったのか? A:就寝後、11時半から12時に見回りに行くが、異常はなかった。 Q:29日の午前9時半に、恵さんが倒れたときのことについて。 A:私は反対側のコートで練習を見ていた。3年生が来て、恵さんが倒れましたと報告に来た。私が行ったときは、クーラーのある部屋で仰向けに寝ていた。「恵、恵」と声をかけた。過呼吸のハアハアという息遣いだったので、袋をかぶせた。 Q:過呼吸の判断はどのように? A:自分もなったことがあるし、女子は随分ある。酸素をたくさん吸い込む。荒い息。高校の頃からそうだったし、授業などでも教えていた。恵さんがだんだん落ち着いていったので、話しかけた。「水を飲みたい?」ときくと「飲みたい」というので、水を飲ませた。 「足が痛い」と言うので、片方のシューズを脱がせ、落ち着くまで一緒にいた。3年生のマネージャーが一緒にいた。クーラーが聞いていて体が冷えるので、「着替えを持ってきて、もう少し様子をみてあげて」と指示した。 Q:どういうタイミングで戻って来いと言ったのか? A:言っていない。ボール拾いなど、自分のできることをやっているだろうなと思っていた。1時半から2時頃、マネージャーが戻ってきて、「恵の様子がよくなりました」と報告してきた。「自分のできることをやっていて」と言ったが、恵さんが「先生、私も練習させてください」と言った。 Q:同じ1年生が「みんな頑張っているんだから、がばれ!」と言っていたのはどうしてか? A:わからない。 Q:直前のことについて。U先生はツーメンの練習でボールを出していたときの様子は? A:午前中より動きが鈍かった。前に出したとき、スライディングの形で、前に倒れた。 Q:恵さんをコートの外に出したのは、生徒の指示か?それとも、あなたが次の練習に入るから「出せ」と言ったのか? A:はっきりと覚えていない。 Q:コートの外には、どういうふうに運びだしたのか?うつ伏せだったのか? A:すぐにボールを出していたので、見ていない。 Q:救急車を呼ぶ判断は誰がしたのか? A:顧問2人で。 Q:医師とのやりとりについて? A:脳内出血は外傷性だと言われた。頭を打ったことはないかと聞かれたが、思い当たることがなかった。マネージャーを呼んで聞くと、ネットにぶつかったときに頭を打ったみたいですという返事だった。 28日の夜、過呼吸になっても動いていたことを考えると、頭をぶつけたあとの恵さんが作成した日誌について、硬膜下血腫でもこのような文章を書けるのかと医師に聞いたところ、頭が痛くて難しいはずだということだった。 Q:28日の夜、ネットで打ったあとはどういう状況だったのか? A:Dさんが体育館の中で声をかけたが、「大丈夫です」と答えていた。 Q:今回の件についてU顧問はどう考えているのか? A:元気に一緒に合宿に行ったのに、親元に帰してあげられなかったことがすごく残念です。 ******* 原告代理人の樫尾わかな弁護士から反対尋問。 Q:恵さんたちが4月に入学したあと、関東大会に向けて2、3年生が中心の練習で、1年生はあまり練習ができていなかったのではないか?合宿メニューは、1年生にとってはじめての本格的な練習になったのではないか? A:ローリングやスライディングはずっと練習していた。ワンマンやツーメンは合宿ではじめてやった。 Q:保健体育のノートについて、教科担当ではなく、U顧問が状況を問いただした理由は? A:保健体育の教師から注意をしてほしいとの話があった。ノートを貸した子が泣きながら来ているのに、その子を置いて恵さんは部活に行った。困っている友だちを置いて、自分のやりたいことを優先してしまったことを注意してほしいと言われた。また、授業中に寝ていたとも聞いた。 Q:机を蹴飛ばしたのは? A:本当のことを話してほしいと思った。 Q:本当のこととは? A:ノートを借りた理由を保健体育の先生は、恵さんが寝ていて書けなかったからと言っていたが、恵さんはそのことを最後まで話してくれなかった。また、なぜ、友だちを置いてきたのか、納得のいく答えが出なかった。 Q:恵さんは、問題のある部員だったのか? A:1年生はまだまだ子ども。これから教えていかなければならない。生徒たちに学校の本分を話した。 Q:他の生徒たちの前で、「あんたみたいな自己チューなものは、このチームにはいらないんだよ」と叱ったのではないか? A:記憶にない。覚えていない。 Q:他の部員も見ていた前で怒ったことで、恵さんを見るみんなの目が変わってしまったということはなかったか?これを聞いて、恵さんに冷たくしてしまったと後悔している部員もいるが? A:そういうことはなかった。 Q:恵さんが、このようななかで、みんなに認めてもらえるように、がんばらなくてはという意識を持つとは考えなかったか? A:その時はただ、本当のことを話してほしいということだけ。本当のことを話そうと思うと思った。 Q:恵さんから、納得のいく答えはあったのか? A:なかった。 Q:認めてもらえないことがプレッシャーになったとは思わないか? A:思わない。 Q:合宿中、全員の携帯電話を預かっていたというのは本当か? A:本当。ただし、生徒が家に電話をしたいと言えばそのときに渡していた。 Q:合宿で、毎年、倒れる生徒がいると聞いたが? A:倒れる生徒はいた。 Q:めずらしいことはではなかった? A:はい。 Q:倒れて、しばらく動かない生徒も過去にいたか? A:いた。過呼吸でしばらく動けなかった。 Q:当時の体育館の気温は? A:はかっていない。 Q:その地域は新潟のなかでも、気温、湿度が高い場所ではないのか?なぜ、そのような場所を選んだのか? A:以前、使っていたところが使えなくなってしまったので、拓大一高の先生と話し合って決めた。 Q:合宿の練習メニューについていけない生徒は何人もいたのか? A:いた。 Q:ついていけないほどの内容なのか? A:そうではない。多少、個人差はあると思う。 Q:恵さんは合宿初日から、オェ、オェと声を出していたというが? A:体力的には難しいほうだったかもしれない。 Q:恵さんに声はかけたのか? A:3年生がずっとそばについていて、声をかけていたので、自分は声をかけていない。 Q:恵さんが休んでいたのは見たか? A:3年生がついていてくれていたので、確認していない。 Q:28日午後8時の転倒について? A:生徒が集合をかけたあと、大きな音で顔をあげた。 Q:顔をあげたとき、何を見たか? A:右目を押さえて、集合の輪の近くに走ってきているところ。 Q:「バタンと音がして、見たときには起き上がろうとしていた」と書いているが、起き上がるというのは、地面から立ち上がることではないのか? A:起き上がるところは見ていない。前に走ってきている様子。前に走ってくる状態を書いた。 Q:何が起きたのが確認したか? A:部員に確認した。恵さんは余所見をしながら走ってきて、ネットにぶつかったようですと報告があった。 Q:何が起きたか理解できたか? A:尻もちをついたと思った。 Q:生徒は、「ボンという音がしたので、頭を打ったのがわかりました」と書いているが、どこを打ったのか確認する必要があるとは思わなかったか? A:目を押さえていたので。それに自分では、尻もちをついた音だと思っていた。 Q:だから、恵さんに「大丈夫か?」と声をかけただけだった? A:はい。「具合が悪いわけではない?」と聞きました。 Q:病院に行くほどではないと判断したのは、なぜか? A:ぶつけたのが、ネットだったので。硬い審判台とかではなかった。傷もすれているような感じ。 Q:ミーティングのとき、後ろにいて、見えていない生徒もいたか? A:恵さんは顔が見えていない体制だった。顔がこちらを見ていないということがわかった。 Q:顔がこちらを見ていない、あらぬほうを見ていた? A:ボーっとしているかどうかはわからなかった。 Q:ミーティング終了後、他の部員に、恵さんのことを「あの子は変わっていないね」と言ったというが、変わっていないというのは、ノート事件からということか? A:そうだ。 Q:部屋割りをキャプテンと同じ部屋に変えたのは? A:注意をするようにキャプテンに言った。プレー面で、生活面についてもいろいろ話をして、教えてあげてほしい。まだまだわからない面があるので。 Q:あいさつについても? A:はい。 Q:7月29日の午前9時30分頃、恵さんは倒れているが、「恵さんが倒れました」と言われて初めて認識したのか? A:はい。走って、その部屋に行った。 Q:運んで行く状況は? A:自力では動けず、他の生徒が脇を支えて、更衣室に運んだ。 Q:更衣室での様子は? A:ハアハアと呼吸が荒く、意識がもうろうとしている印象。 Q:目は? A:覚えていないが、瞑ってはいない。 Q:U顧問は恵さんに何をしたのか? A:頬をたたいて、名前を呼んだ。 Q:意識を取り戻すためか? A:ただ声をかけただけでは意識もどらないので。 Q:反応を示した? A:はい。 Q:意識を取り戻したと、どういう状態を見て判断したのか? A:はっきりとは覚えていない。 Q:直後、直前の様子を生徒に聞いたのか? A:聞いていない。 Q:倒れた直後に意識があったかどうか確認したのか? A:していない。 Q:頬をたたいて名前を呼んでも意識がなかったのに、すぐに過呼吸と判断したのか? A:はい。息が荒くハアハアしていたので。 Q:ほかは? A:荒い息遣いをしていたから。過去に見て、同じような症状だったから。 Q:意識がもうろうとして過呼吸の生徒は過去にもいたのか? A:あった。 Q:同じだった? A:はい。 Q:恵さんが今まで、過呼吸を起こしたことは? A:なかった。 Q:恵さんが重篤な状態だとは思わなかったのか? A:そこまでは思わなかった。去年の生徒より軽いと思った。 Q:診断を自分で下せると考えていたのか? A:そのとき、過呼吸と判断した。呼びかけに応じて、はっきりと受け答えをしたので。医師でもないのに診断できると思っていないが、応急措置としてはした。 Q:今でも、判断は間違っていなかったと思うのか?病院に連れていくことは考えなかったのか? A:考えなかった。随分、長い間の練習だったので、疲れていたと思った。 Q:U顧問が更衣室を出て行くとき、恵さんは起き上がれる状態ではなかった? A:はい。寝ていた。 Q:報告を受けたのは、マネージャーからか? A:マネージャーが、「恵さんの様子がよくなりました」と報告してきた。 Q:報告を受けているとき、恵さんは更衣室にいたのか? A:外のことはわからない。ボールを打っているとき、恵さんが近くに来た。そこで初めて確認した。自分は恵さんが練習に来るとは思っていなかった。 Q:生徒が体調が悪かったら、生徒自身が判断するということか? A:まじめでがんばる生徒や明らかに様子がおかしい場合は声をかけて止めていた。 Q:28日の午後8時に転倒したときの生徒のメモには、「頭が痛い。平行感覚がない」と書いているが? A:報告を受けていない。生徒の状態を把握できていなかった。そのことは残念ながら、あがってこなかった。 Q:29日の3時45分、「みんな頑張っているんだから頑張れ!」と生徒が声をかけているが、練習を続けるのが難しくて倒れている状況だったのか? A:見ていないのでわからない。 Q:倒れたあと、動けなくなって、他の生徒が運んだ。自力では動けなかった? A:自分では確認できていない。そのまま、継続してボールを出していた。 Q:そばに行ったとき、ぐったりしている状態で、目はどうだったのか? A:はっきりと覚えていない。 Q:外に出して介抱しているとき、手が硬直していた? A:硬直しているのを見た。痙攣はしていなかった。 Q:倒れてすぐか? A:しばらく様子を見ていたが、そんなにはたっていない。普段の、普通の様子ではないと思った。 Q:両親に電話をしたのは午後6時ごろ、F顧問からだったが、なぜ、すぐに連絡をしなかったのか? A:様子が分からなかったのと、救急車を呼んでいたので。 Q:倒れてから2時間もたっていたのはなぜか? A:・・・・。(沈黙) Q:重篤な状態だと思っていなかったからでは? A:そのときのことは、はっきりとは・・・。 Q:手術室の前で両親と一緒に待っていたとき、しきりにノートにメモをとっていたというが、何を書いていたのか? A:医師の説明を書いていた。 Q:そのメモは自分で持っているのか? A:はい。 Q:弁護士には渡していないのか?見せたことは? A:はっきりとはわからない。警察に見せたりしたことはあったと思う。 Q:7/30に東京への帰りのバスの中で、生徒に書かせたメモはどういう経緯で書かせたのか? A:恵さんのお母さんから、合宿中の恵さんの会話や生活を知りたいという要望があったので。 Q:生徒が書いたものを書き直させたことは? A:ない。第一番目のメモは、自分が直接、見たり、聞いたりしていないことは、話が一人歩きしてしまうのでやめようと、訂正を求めたことはある。 Q:書き直させたのが、2つの目のメモか? A:1番目のメモを元に書いた。2番目は何も手を加えていない。 Q:メモを書き直させた前のメモはどうしたのか? A:一緒に入っている。 Q:F顧問とU顧問が作成したものと、生徒の自筆のメモをもとに報告書を作成したということだが、メモの通りではなかったり、記載しなかったものもあるか? A:重複している部分は除いた。 Q:重複していなくても、除いたものは? A:はっきり覚えていない。 Q:メモに記載されていないことでも、記載されたことは? A:覚えていない。 Q:一番最初に書いてもらって、聞きとりをしたことはあるのか?その時のメモは? A:はっきりとわからない。 Q:草野さん宅に謝罪に行ったことはあるか? A:ご自宅にうかがったことはあるが、しっかりとは・・・。 Q:2006年7月にテレビ報道された後、保護者の前で、「草野さんにどうされてもかまわないので、会いに行きたい」話していたと聞くが? A:はっきりと記憶にない。 Q:そのようなことを公の場で話したことはあるか? A:常日頃からそう思っていた。 Q:合宿の責任者として、今、考えることは? A:どうすればよかったのかなと日々考えるが、はっきりとした答えが出ていない。自分ができたことについては、注意を払っていたと思う。できる限りのことはしてあげたと思うので。 Q:28日に、病院に連れて行くべきだったとは思わないのか? A:そのときは私はそういう判断をしているので。 Q:今も思ってないのか? A:・・・・はい。 ここまでで、5時12分。 |
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TAKEDA私見・ほか 裁判が終わったあと、恵さんのお母さんは裁判所の廊下で、恵さんの写真を胸に、顧問が法廷から出てくるのを待っていた。 「恵の顔を見てやってください!」涙ながらに訴えた。 いつもおだやかで、笑顔が似合うお母さんの強い怒りの表情。女性顧問は、弁護士に肩を抱かれて逃げるように、エレベータに乗り込んだ。 顧問から今まで謝罪はなかった。法廷でも、「残念」ということは言っても、自分の対応に過ちはなかったと言った。 「申し訳ありませんでした」と言えない教師も苦しいだろうと思う。 しかし、事故はやはり、偶然ではなく、起こるべくして起きたと思う。毎年、当たり前のように、倒れる生徒を見て感覚が麻痺していた。「ヒヤリ・ハット」という言葉がある。日常的にヒヤリとしたこと、ハットしたことの積み重ねで、大きな事故が起きる。ヒヤリ・ハットのうちに問題の根に気づいて、大きな事故を防止する考え方。ただし、機械的に事例を集めても、問題解決にも、事故予防にもならない。それが、命に直結するという危機感がなければ。 顧問たちは、自己管理を生徒たちには指導していたという。しかし、多くの部活動で、生徒が不調を訴えることさえ、自己管理がなっていないと叱責の対象になる。また、きつい練習のなかで、顧問にも、同じ部員同士にも「弱音」と受け取られてしまう。 具合が悪くても、SOSが出せない仕組みになっている。そして、顧問の絶対的権力、先輩後輩の上下関係、連帯責任、ジゴクの合宿という伝統、根性主義が加わればなおさら。 恵さんがなぜ、友だちにノートを借りたのか、泣いている友達を放って部活動に参加したのか。 授業中眠くなるのはよくあること。しかも慣れない高校生活。厳しい部活動。そうじゃなくても、大人でもとくに春先はうとうとする。しかし、「寝ていて、ノートがとれませんでした」と恵さんは顧問に言えただろうか。本当のことを言ったら、どうなっただろう。学業との両立が出来ていないと叱られる。だから、板書が早くて書けなかったと言い訳をした。あるいは寝ていたこともあるけれど、板書も本当に早くて書き取れない部分があったかもしれない。それに、「寝ていました」というのは、言うこと自体、授業をした先生に失礼になると感じたかもしれない。 そして、なぜ友だちをおいて。あいさつその他に厳しい部活動のようだ。1年生部員が遅れたらどうなるか。恵さんは、友だちのことに気を配っていられないほど、必死だったのではないだろうか。 まじめで一生懸命な子ほど、失敗をとても恐れる。 その恵さんが、ノートのことで、顧問教師に、部活動のみんなの前で罵声を浴びせられ、机を蹴飛ばされる。本来、授業と部活動は切り離して考えるべきだと思う。授業担当があとで個人的に注意を促せばすむことだ。 そして、今回の死亡事故との関係。一見、無関係に思うひとは多いかもしれない。しかし、顧問の対応から、恵さんが部活動のなかで肩身の狭い思いをしていたとしたら、なんとか名誉挽回したいと思うだろう。 みんなが辛いなかで、ひとりだけ弱音を吐けば、また、自己チューと言われかねない。 ネットにひっかかって、もしかしたらポールの金属部分に思いっきり頭をぶつけたかもしれない。誰も転んだところを見ていないにもかかわらず、すごい音がしたというのだから。それも、単に不注意というより、注意力が散漫になるほど疲れていたのだろう。 本当は「痛い!」と大騒ぎしたいほど痛かったかもしれない。しかし、厳しい顧問の前で、まして自分でやったことに対して、自己申告することができなかったのではないか。 合同合宿の他校の顧問にあいさつしなかった。これだって、疲れていて気力がなかったり、声を出したつもりでも、相手に聞こえていなかったのかもしれない。しかし、顧問に咎められて、その日はキャプテンらの部屋に入れられている。 ペナルティと理解すれば、夜も眠れなかったかもしれない。 そして、もしこれが男子部員だったら、少なくとも部屋で制裁があったのではないか。もちろん、女子だからないとは言い切れないが。クラスで教師の態度から生徒がいじめのターゲットにされることがあるように、部活動ではなおさら、顧問の言動は部員に強い影響を与える。私はこの事故の話を聞いたとき、もしかして、合宿の部屋でリンチがあったのではないかと疑ったくらいだ。 理由のひとつは、目の周りのあざ。ネットにぶつけたくらいで、そんなにあざになるものなのか。まして、目の周囲というのは窪んでいる。ふつうに転んでも、鼻や頬骨など高いところはぶつけるが、目の周囲があざになることはない。 目の周囲にあざがあるときには、本人が否定していても、殴られていることが多い。 少なくとも、顧問の言動は、そういうことの引き金になったとしても不思議でないものだったと思う。 そして、U顧問自身、恵さんに対して偏見を持っていたのではないか。ノート事件で恵さんが「言えない」心情を察することができずに、「頑固に言わない」と思い込んだとしたら。 顧問は、「まじめでがんばる生徒や明らかに様子がおかしい場合は声をかけて止めていた。」と言った。恵さんの場合は、まじめでかんばる生徒だと思っていなかったから、声もかけず、止めもしなかった。 学校の事件・事故。いじめも、熱中症も、叱責・指導も、体罰も、セクハラも、教師と生徒との間に信頼関係が築けないとき、生徒はより追い詰められる。SOSを出したくても出せず、事態は深刻化する。 そして、過呼吸の安易な判断。部活動で多く発生するために、教師らの感覚が麻痺していて、呼吸が荒いとすぐに過呼吸に結びつける傾向が多い。しかし、呼吸が荒くなるには、他の原因でも考えられるし、過呼吸だから必ずしも、すぐに快復するとは限らない。 また、熱中症になっても不思議はない環境。あれだけ毎年のように、熱中症について言われているにもかかわらず、室温のチェックさえしていない。当然、熱中症の危険度の高い室温や湿度であっても関係なく、部活動は計画通りに進められるということだろう。しかも、午前中にひとり部員が熱中症で倒れているにもかかわらず、平気で練習を継続する神経。 熱中症が時には、死に至ったり、重篤な障がいを残したりするのは周知の事実だ。 恵さんも当初は、熱中症と診断されていた。 前の年にも、見た目では恵さん以上に重篤な症状の部員を出していた。もし、その時に、重体にならなかったことに感謝し、死んでいたかもしれないという危機感を顧問がもっていたら、恵さんの事故は起きなかっただろう。 顧問は、今までの経験から、少しぐらい様子がおかしく見えても、大したことはない、死ぬほどのことはないと認識していたから、恵さんの異常も見過ごしてしまった。他の部員たちも、夏合宿は気を失う部員が何人も出るほど厳しいもの、しかし、大会に勝ち進のには必要なことで、死ぬ気でがんばらなければいけないものと思い込まされてしまってきた。 そして、倒れた子どもたちを教訓して生かさず、ついに恵さんを死なせてしまったにもかかわらず、学校はまた、恵さんの死さえも教訓として生かそうとはせず、恵さん本人の過失や医療過誤に問題をすり替え、反省しようとはいない。 きちんと反省して、情報を共有しなければ、また子どもたちが死んでしまうというのに。 次回の日程については、裁判後に裁判所と原告・被告との打ち合わせが行われたため、わからない。 |
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