2007/5/20 | 自閉症児Nくん転落事件の第4回口頭弁論 | |
2007年5月17日(木)13時10分から、東京地裁八王子支部401号法廷で、自閉症児Nくん転落事件(平成18年ワ第2345)の第4回口頭弁論が行われた。 裁判長の河合治夫氏は代わっていないが、2人の裁判官が交代。桑名宣義氏、佐藤哲郎氏。 法廷では、40分前後にわたって、証拠と証拠目録との照らしあわせが行われた。 他の裁判で、原本の確認が行われることはよくあるが、法廷で、裁判長と傍聴席から向かって右側の裁判官が、証拠の書類の有無や原本であるか、写しであるかの確認を延々と行うのは初めて見る気がする。裁判官が交代したりして、準備書面を読み込んだり、照合する時間がなかったのだろうか。 そして、自閉症の一般的な理解を示すのに役立つという理由で、原告から証拠提出されたマンガの本について、裁判長は「医師が書いた専門書ではないし、関連性があまりないので、証拠ではなく、参考資料でよいのではないか」とした。 それに対して、原告弁護団が反論。この事件によく似た倉庫に閉じ込められてけがをするというシーンが出てくること、また、障がいへの理解は専門書だけでよいのか疑問だという主張をした。 結局、立証主旨を特定する書類を提出するようにということで、検討されることになった。 次回は7月12日(木)八王子地裁401号にて10時00分からが決まっているが、その前に、双方の主張関係を整理するということで、間に1回、進行協議が行われることになった。 ********* 弁護団の説明では、今まで小金井市のほうからは積極的な主張は出ていないという。 ただ、教師は、扉を閉めたのは、Nくんへの懲戒ではなく、「そこにいなさい」と行って、自ら出てくるものと期待して、「すぐに出てきなさい」と退出を促す意味だったという。 教師は障がい児学級の担任だ。自閉症児がコミュニケーションを苦手とすること。言葉の裏の意味など読み取れるはずがなく、言葉をそのまま受け取ってしまうこと、あるいは強く叱られるなどするとパニックを起こしやすいことも当然、わかっているはずだ。 たとえば、2006年4月「のぞいてごらん、ふしぎわ〜るど」(アクティブ編集・発行 500円 http://active.hamazo.tv/e122951.html)には、「して欲しい行動を、具体的に、短い言葉で」教えればわかりますとあり、「否定形は混乱の元」と書いてある。 「しゃべらない」→「黙りましょう」、「うろうろしない」→「座りましょう」など。 そして、「本人が納得できるように、ゆっくり穏やかに話をします」とある。 「言外の意味」が汲み取ることができず、「言葉どおりに受け取って反応することで、誤解をさせてしまうことがよくあります。」とも書いてある。 保護者の方たちがつくった自閉症児の生活にかかわる基本的な部分であり、けっして、高度な専門的なものではない。 この冊子に書かれている自閉症児の原則から言えば、担任教師が「そんなに入っていたかったら、入っていなさい」と言えば、「倉庫に入れ」といわれたと受け取り、入るだろう。 先生に言われたとおりに行動して、いきなり扉を閉められ、ひとりにされたらどう思うだろう。 きついもの言いにも、パニックを起こしたかもしれない。 それでなくとも、他人とのコミュニケーションがとれないということは、とても不安なことだと思う。ある勉強会で講師の方が、「私たちが外国に行ったときのことを思い出してください」と言っていた。習慣が違う、言葉が違う、価値観が違うなかで、不安を感じる。そんなときに、相手がいきなり怒り出したら恐怖だろう。 そして、「こだわり」についても、外国に行って、何を食べてよいかわからないようなとき、マクドナルドを見つけると、つい入ってしまう。それは、外国まで来てハンバーガーが食べたいからではなく、その店に行けば、言葉が通じなくとも勝手がわかる、安心できるからだと言った。 もしかするとNくんには、倉庫で何か楽しい体験があったのかもしれない。その時は、入ることを禁止されなかった。むしろ、倉庫内の備品を運ぶ手伝いでもして感謝されたり、めずらしいものがたくさんあるのを見て興味をもったのかもしれない。少なくとも、Nくんにとって、それまで倉庫はいやな場所でも、入ってはいけないような場所でもなかったのだろう。入ってはいけないことの意味をNくんは障がいゆえに理解することができなかったのではないか。 それが、教師の態度と、扉を閉める音、あるいは暗がり、ひとりにされることに恐怖した。扉の前には怒っている教師がいる。ガシャンと大きな音で閉まった鉄の扉にも恐怖を感じただろう。暗がりで窓の外に明るさが見えれば、恐怖から逃れるように、明るいほうへと向かい、怖いその部屋から出ようと必死になるだろう。(あくまで武田の想像) 障がい児の親でもない、専門家でもない私でも、ちょっと自閉症のことを勉強しただけで、想像がつく。 担任は、日頃から、障がいのある児童をどのように扱っていたのだろうか、気になる。 障がいによってもそれぞれ特性が違うし、根気のいる仕事だと思う。しかし、だからこそ、専門性を身に着けるための研修が行われ、人員配置も考慮されている。子どもの人権に対して、より高い意識をもったひとでなければ、やってほしくないと思う。 障がい者が起した事件を見ると、みんなが障がいを正しく理解し、思いやりの心をもって接していたら、こんな学習の仕方をしなかったのではないかと思えることがある。自分たちが追い込んで、その結果、やはり障がい者は危険だとして遠ざける、排除する。悪循環。もちろん、全てではないにしても、原因は私たち社会がつくっている気がする。少年事件と同じように。 |
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