2005年3月21日(月・祝)、東京ウィメンズプラザで行われたアン基金里親学級の学習会「最新トラウマ治療ワークショップ」に参加した。
講師は、Dr.ヘネシー澄子さんは、元アメリカのアジア系難民精神衛生診療所初代理事長・所長。東京福祉大学社会福祉学部でも教鞭をとられていた。
ヘネシー先生の話は以前、宇都宮里親傷害致死事件の緊急シンポジウム(me021209)でもお聞きしたことがある。その時、私は初めて、「愛着障害」ということばを知った。また、私が理事をしているNPOジェントルハートプロジェクトの賛同者にもなってくださっている。
ヘネシー先生は、前日、アメリカから戻られたばかりだった。その報告から始まった。
アメリカでは、精神科・トラウマの研究が日進月歩で、4年間、日本にいる間に大きく様変わりしていたという。アメリカにいる間、師事する第一人者のドクター(当日、資料が間に合わず配布されなかったため、不確かな固有名詞に関しては避けさせていただく)の講演を何度も聴きに行った。その時に、「私の講演を2年以上前に聴いたことがある人は、その内容を全部忘れてほしい」と最初に言われたという。あの頃、有効な方法とされていたものが、今は否定されている。そして、在米中に何度も訪れた講演のなかでも、行くたびに新しい情報がもたらされたという。ヘネシー先生が最後に聴いたドクターの講演は1月29日。その内容を話してくれると言う。
ヘネシー先生は、「心は脳の活動である」(『「私』は脳のどこにいるか」澤口敏之著/筑摩書房)と考えている。そして、トラウマは子どもの脳の発達を妨げる。脳の各部分は、年齢によっておよその形成時期、発達時期が決まっている。母親の心音、血の流れ、声など外からの刺激、大人との相関関係で発達する部分もあり、この時期を逃したら、発達が止まることもあるという。
虐待された子どもは、言葉の発達が遅い。宇都宮事件の被害女児(3)は生後4、5カ月の時に、乳児院で皮膚病かなにかのため隔離されて育った。そのために、里親の言葉をよく理解することができなかった、コミュニケーションをとることが困難だったと思われる。
人間を人間たらしめる前頭前野は思春期から20、23歳くらいまでにつくられる。ここで、因果関係や行動の帰結の予測を管理するそれが完成しない18歳くらいで日本の児童福祉が終わってしまうのは問題があると思う。
トラウマを起こすできごとには、自分または知人が直面した単発的できごとがトラウマになることと、慢性反復的なトラウマがある。実はこれが非常に怖い。この慢性反復的なトラウマの原因として、児童虐待やいじめなどが入る。
また、子ども特有のトラウマがある。原初的トラウマと呼ばれる。一生ついて回る。
愛着の対象者が存在しない。あるいは、愛着の対象者からネグレクトされる。すると、脳幹の機能が調整できなくなる。生命維持のために必要な行動、例えば食べること、もせず、死に至ることもある。
トラウマは、安全な関係や環境が喪失することで起きる。たとえば、
・愛着の対象者の入院・失踪・死
・住み慣れた環境からの移動:入院・措置
・親しんだ人たちからの別れ:養子縁組
・保護者からの虐待
とくに、保護者からの虐待では、安全な基地の喪失と苦痛を与える人を愛し続けなければならない複雑性がある。
日本では、「放置(ネグレクト)」を「虐待」のなかに入れているが、アメリカでは入れない。
放置は親がしなければならないことをしないことであり、児童虐待は親がしてはならないこと、と分けられている。すなわち、身体的虐待、精神的虐待、性的虐待。(ヘネシー先生は、講演のなかで、「放置と虐待」というふうに並列して使われた。けして「放置」が問題ではないと言っているわけではない)
乳幼児期の放置は、愛着の絆が結ばれないという問題がある。また、放置は乳児期の脳の発達を遅らせる。
ネグレクトされた子は肉体的に小さいだけでなく、脳も小さい。
脳幹の機能が発達しないことで、多動になったりする。「母親=安全」と本来はインプットされている。しかし、放置されると安全感がない。いつも緊張した状態になる。緊張が高まることで興奮して、他動になりやすい。
放置は、大脳の共感的能力の発達を妨げ、人間関係づくりに障害を与える。
身体的な虐待について。親はしつけのつもりでも、子どもにとっては慢性反復的トラウマとなる。その結果起きるのは、
・激怒反応 − 暴力の再演。ぶたれた子が今度は自分がぶつ。あるいは、わざわざぶたれるようなことをする。
・自責−自傷−自殺
・自尊心の喪失。自信が持てない。
・無力感。興味や探索心の喪失。障害にまで進むことがある。何でも怖い。ひきこもるようになる。
身体的虐待を受けると反社会的人格障がいになりやすい。自己
境界線がいつも侵されていることで、被害者もしくは加害者になりやすい。
性的暴力について。被害者の80%は女性。アメリカでは、自殺、自傷、拒食の最大の原因になっている。
愛着の対象者からの性的虐待は、自己防衛を習得しなかったことで、成長しても自己防衛ができなかったりする。そのために犯されやすい。また、メンスが早く、性ホルモンも5倍も多く分泌されるという統計も出ている。
虐待は、早く起これば起こるほど、子どもにとって障がいが大きい。
前頭葉が未発達になる。薬物濫用をしやすい。それには、薬物が鎮痛剤の役割をしていることもある。
トラウマの再現が起きる。他人を信用せず、暴力や虐待が絶えない人間関係を繰り返す。無意識で同じような子育てをするなど。
トラウマの治療方法として、愛着障害を未発達の脳の問題として捉える。ミラーリング(先生と同じことを真似する)などの脳の体操が効果をあげている。
子どもを何人かの大人たちが抱っこする抱っこ法は、かつて日本でも推奨され、今でもやっているところもあるが、危険だということがわかった。アメリカでは子どもが死んでいるケースもある。
かつては、トラウマに悩むクライアントに対して、脳の化学物質量を変化させる薬を投与したり、「それは過去に起きたできごとだから、怖がらなくていいんだよ」と言って抱きしめることをしていた。今は、修復的愛着療法というのがある。治療は、科学的かつ実践的である。
2週間30時間の集中的治療で、クライアントが回復していく例を、今回、アメリカでいくつも見てきたという。
原初的トラウマは、愛着の対象がなかったことで起きる。
治療は、
・トラウマからの解放
・安全・安心感の確立
・親からの愛情の受け入れ
・親への愛情の表現
と進められた。
親が変われば子どもも変わる。そこでは、子どもは待合室で待たせておいて、まず親の治療から入る。
親の育成歴の見直し、親の問題解消、夫婦間の調整をする。
治療前の段階で、
・子どもが安全な虐待のない場所にいること
・子どもを守る保護者がいること
・PTSDの原因を正確にアセスメントする
・治療の場を緊張をほぐす環境にする
ということが大切。
日本での治療の問題として、
・多動の原因を探求せず、診断が早すぎる
・投薬療法に頼りすぎている。投薬しない精神療法に保険が
・生育歴を知らされないと治療ができないにもかかわらず、情報が不十分
・児童精神科医が少ない。子どもの治療専任の精神科医、臨床医が必要。
・臨床ができる心理士・ソーシャルワーカー(時間をとって治療にあたる)が少ない
・派閥ごとの技法にごたわり、クライアントに応じた技法の使い分けができない
愛着治療は、トラウマ治療である。トラウマは脳幹機能の調整ができないことで起きる。
EMDRという新しい治療方法を、自分自身の体験を交えて紹介された。(専門的な治療方法なので、ここに詳しく書くことにあまり意味はないと思うので控えさせていただく)
日本では資格要件が厳しく、この治療ができるひとはまだ少ないという。
ヘネシー先生のお連れあいは、この治療方法を「魔法の杖」と呼ぶ。しかし、体験することは拒んでいるという。
休憩をはさんで、短い時間ではあったが、会場からの具体的な質問に対して、アドバイスがあった。
里親講座ということもあって、里親さんが多く参加している。虐待を受けた子どもの養育で頭を悩ましている。一方で、そのフォローがない。
ある幼児は、「いけないよ」と言葉で叱るだけなのに、床に頭をぶつけはじめる。また、別の里親さんからも、子どもが小さいとき、額部分がへんな感じがするといって、ぶつけると気持ちがいいと言って、柱などにがんがんぶつけたという話があった。
虐待を受けた子どもは、体験の再現をするという。自分が悪いことをしたら親がぶつはずなのに、ぶたない。だから自分でぶつけるのだという。こういう時は子どもに深呼吸をさせ、ポンポンと軽く背中をたたきながら、抱きしめてあげるとよい。緊張ホルモンが頭にたまるから、脳がイライラして沈めるためにこういう行動に出るのではないかという。また、ネグレクトを受けると、体をさすられて快感を感じるということを知らないため、全身の感覚が正常に発達しない。抱きしめられることを不快に感じる子どももいるので、要注意。
また、愛着障害の子どもは、愛着ができるまで、たとえ悪いことをしても叱らないでという。
一人でも安心・安全だと思ったひとがいれば、PTSD治る。そういう人がいないと治らない。
トラウマは人をとりこにして前進できなくする。そこから解放する。そして、人間関係の修復技術を学ばせる。
簡単なひとつの方法として、いろいろ出たときには、そばにいてあげること。
まずは、何がトラウマになっているかを知る。言えなかった無力感が解消できないとトラウマになる。本当はその時、なんて言いたかったかを声に出して言わせる。声に出すこと、深呼吸をすること。これをすることですっとする。逃げることができた、戦うことができた。その時にできなかった行動が再現のなかで完了されることで、脳幹機能をリセットし、再生する。
私自身は、心理学的なものに興味を惹かれつつ、不信感をももっている。しかし、トラウマの話をするのに、情緒的ではなく、科学的な説明に終始するヘネシー先生の話には納得感があった。
メキシコで、故・チンチャチョマ神父が、親から虐待されストリートチルドレンとなった子どもたちに、自分を殴らせたり、タバコの火を押し付けたりさせた。そのために神父の体はタバコの火傷痕がいくつもあり、傷だらけだったときいた。なぜ、子どもたちにそんなことをさせるのか、私にはわからなかった。しかし、今日の話を聴いて、神父は子どもたちのトラウマ、本当は親に言い返したかった、やり返したかったのにできなかったことを、自分の体で受けとめることで、子どもたちの心の傷を解消しようとしていたのだと知る。
私は多くの被害者と会ってきて、トラウマが解消されたら、どれだけ楽になるだろう、真っ暗に塗りつぶされたものに希望の光が見えるのではないか、今後の人生が変わるだろうと思うひとはいっぱいいる。特に子どもは。
一方で、子どもを亡くした親はきっと、心の傷を癒されることを望んではいないのではないかと思う。もちろん、ひとによると思うが。痛みは親にとって、その子が確かに存在していたこと証でもあるから。その痛みを忘れてまで、楽に生きたいとは思わないのではないかと。そして、私自身は、ただ話を聴くだけで受けてしまった小さな心の傷をやはり癒したいとは思わない。この胸の痛みを大切に抱いて生きていきたいと思っている。
ヘネシー先生の講義を聴いたあと、そんなことも、ふと考えたりした。
大した知識もなく話を聴いて、印象深かった言葉や内容を断片的に連ねている。あまり参考にはならないかもしれない。これをとっかかりとして、内容をもっと本格的に知りたい方は、著書を探して読むなり、講演予定を検索していただきたい。(アン基金では今年9月頃に予定とか)
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