わたしの雑記帳

2002/12/9 「宇都宮里親傷害致死事件を考える」緊急集会の報告


東京都養育家庭連絡会とアン基金プロジェクトが主催で、2002年12月8日なかのZEROにて、「宇都宮里親傷害致死事件を考える」緊急集会が行われた。チラシの段階でバネラーも一部しか決まっていなかったにもかかわらず、当日は主催者側を含めて約100名の参加があったとのこと。テレビカメラも何台かお目見えしていた。この問題に日頃かかわっている人たちの集会だっただけに、けっして通り一遍ではなく、高い問題意識を感じた。

宇都宮里子虐待死事件のあらまし(新聞によって多少、記載が異なるものあり)

事件
概要
事件は2002年11月3日。栃木県宇都宮市で、韓国籍の無職の女性(43)が、民間乳児院から引き取った里子の大沼順子ちゃん(3)が泣きやまないことに腹を立てて、自宅で顔などを手で数回殴り死なせた容疑で逮捕された。
経緯 L容疑者とNさんは韓国で7〜8年前に結婚。子どもはいなかった。

1998年に、L容疑者は仕事で韓国に滞在していた日本人の夫Nさんとともに来日。

2001年9月、韓国で9年間務めた幼稚園教諭の経験を生かし「子どもを預かることで社会貢献したい」として「養育里親」になることを希望・申請。

2000年2月、県と市の児童相談所の2回の面談、履歴書審査などを経て、里親として認可。L容疑者の場合、日常会話程度の日本語力がある、夫婦に経済力がある、里親への熱意がある、ことなどから「養育の環境は整っていると判断」された。

2001年12月、順子ちゃんの兄(4)を乳児院から引き取る。

2002年3月、児童相談所のほうから、「兄と妹そろって生活したほうがよい」と要望し、Nさんも受け入れる意思を示す。

2002年7月12日、順子ちゃんを夫婦が引き取る。ゆくゆくは兄妹と養子縁組をしたいと考えていた。

背景 L容疑者は夫には、「よく泣く」「言うことを聞かない」「他の3歳児に比べて言葉が遅い」「(順子ちゃんを)たたいてしまった」などと相談していたが、夫は深刻には受けとめられず、「気長にやろう」と話していた。

夫は仕事で帰宅が毎日遅く(当日も帰宅は午前0時頃)、順子ちゃんをお風呂に入れたこともなかったので、あざには気づかなかった。

L容疑者は日本語が得意でなく、夫との会話も韓国語。近所付き合いはなく、家に閉じこもりがちだった。
児童相談所の対応 2001年11月1日、県児童相談所は事件の2日前に約1時間の家庭訪問。(月に1度の定期家庭訪問をして養育状況を把握することになっているが、直接訪問をしたのが、順子ちゃんが預けられた7月12日と今回で2回目。月に1〜2回程度、電話で近況をきくのが主だった)
順子ちゃんはL容疑者のひざに乗るなど養母に馴染んでいる様子で、外に見える部分ではあざも見えず、異変は感じられなかった。

相談員は、夫とは話をしても、L容疑者とは直接は話をしたことはなかった。
虐待態様 死因は外傷性の急性硬膜下出血。順子ちゃんの遺体には、腕や足などに古いものを含めて10カ所以上のあざがあった。
兄には虐待された跡は見つかっていない。


虐待が増えている今、児童養護施設はどこも満杯だ。国は施設にお金がかかることから、里親を推進しているが、なかなか増えない(子どもたちのためではなく、国の財政事情によるというところに、この国の人権感覚、子ども観というものがよく現れている)
理由としては、日本人は血縁を大事にすること。周囲、特に親戚の理解が得にくいこと。子育てにお金がかかること(国からは月に2万9千円しか支給されない)。共働きが当たり前のこのご時世に、専業主婦であることなどの条件がある。現在、児童養護施設に措置されている子どもの大部分は実の親がいる。せっかく養育里親になっても親元に返さなければならない。実親の干渉がある。里親に対する支援策がほとんどないこと。実の親子ではないという告知が難しい。実の親子でないということで、思春期に反抗するようになったときに自信が持てない。被虐待児はとくに対応が難しいこと。
そして、虐待児のフォローをする機関としての児童相談所の職員が、専門外の人間があたっていたり、短期間で部署替えになったりして専門性が養われにくいこと、一般家庭での非行問題などの相談が増え、少人数ではとてもまかなえきれないことなどの問題もある。
これらのことは、この集会に出る前から、私自身、ある程度わかっていたことだった。(ここでは、この問題をあまり知らないひとのために、あえて集会で出たこと以外も付け加えておく)

しかし今回、はじめて「愛着障害」というものを知るにつけ、虐待された子どもの心の傷の深さを思い知る。国の方針として被虐待児に対しては「専門里親」をという声はよく聞く。「専門家」というものに対して不信感のある私だが、虐待されてきた子どもたちの起こす問題行動のすさまじさに、なるほど専門家でなくては太刀打ちできないかもしれないと思い至った。
とはいえ、現在も、専門家ではなくとも、里子を育てている人たちはこの日本にもたくさんいる(2000年度には、全国で7403人が里親に登録、内1699人の元に2157人の子どもが預けられているという)。
その人たちがどれほど苦労しているのか、どんな思いでいるのかの声の一端を集会を通じて、はじめて聞くこととなった。

行政は預けっぱなしでほとんどフォローがない。誰にも相談できない。愚痴をいえば、「自分で望んだことでしょう」と非難される。里親同士の集まりでさえ、「辛い」と言えない雰囲気があるという。
実際に対応がうまくできず、里親から虐待を受けるケースや施設に返されるケースもあるという。
特に「愛着障害」については、日本での認知度が低く、児童相談所の職員や保育士などの専門員ですら知らなかったり、知っていても忍耐しきれなかったりするという。
また、今回の事件での様々な行政のコメントから、彼らが里親のおかれている状況にいかに理解がないかをはからずも暴露している。(自分から望んで里親になったのに、虐待が起きるなんてなど)

軽度から重度までさまざまあるが、愛着障害の症状としては以下のような傾向がみられる。
(東京福祉大学 ヘネシー澄子さんのレジュメより)

行 動 衝動、刺激、欲求不満に自制がきかず、反抗的、挑戦的、衝撃的、破壊的行動が目につく。
反社会的問題行動(嘘をつく、盗みをする、物を壊す、火付けをするなど)を起こしやすい。
自分を愛そうとする人の言動を束縛と感じて攻撃的、または自虐的、自滅的行為で反応する。
他虐的で、動物や自分より弱者に残酷である。
自分に注目を集める行動に出る。(間断なくしゃべったり、まとわりついたり、なかなか座ったり、寝付いたりしない)
食べ物を隠して溜めたり、暴食したりして難点を示す。
感 情 恐怖感と不安感を隠し持ち、その現れとして激怒反応を起こしやすい。
直面したことに対して不適当な感情反応を起こすので、むら気、怒りっぽいとみられる。
抑鬱症状を根底に持つので、心から楽しんだり、喜んだりできない。
未来に対して絶望感を抱いている。
思 考 基本的に自分自身、人間関係、人生に対して否定的、消極的な考えを抱いている。
原因と結果の関係がわからない。
常識がない。
物事に集中できず、年齢相応な考え方ができない。
学習障害が目立つ。
人 間
関 係
人を信じない。
威張り散らす。
ひとを操ろうとする。
心からの情愛や愛情を受け入れず、自分も与えることができない。
知らない人には、誰でもかまわず、愛嬌をふりまく。
同年代の人たちと長期にわたる友人関係を保てない。
自分自身の問題や間違いを他人のせいにする。
自分に対して権限を持つ人と慢性の間断ない抑制競争(権力争い)を起こす。(親が子どもをコントロールするか、子どもが親をコントロールするのかの、終わりなき闘いを繰り広げる)
自分はいつも被害者だと確信しているので、教師、医者、テラピストを操って、専門家と親との間に確執を起こす。
身体的 非衛生的、触られることをいやがり、遺尿症、怪我しがちで、痛みに対して忍耐強い。
遺伝的に過激行動や抑鬱症がある。
道徳的宗教的 共感、信心、同情、後悔、即社会的な価値観念に欠ける。
邪悪や人生の暗い側に自分を合わせる。


ほかのパネラーからも、実体験が涙ながらに語られた。必死になって子どもを支えようとする里親。その家庭をも破壊する想像以上のマイナスのパワーをもつ里子。
乗り越えるためには、
・「愛着障害」についての理解を深める
・夫婦の協力
・疲れたときに休める体制。(子どもを預ける、旅行にいくなど)
・里親同士、愚痴が言い合えるような場所
・児童相談所が必要に応じて、適切な相談にのること
・周囲の理解(近隣、親戚、学校などの教育機関)

などが提案された。

どういう子どもが愛着障害になるのかの話で、「乳児院そのものが虐待である」という話がなされた。つい先だって、障がい者の施設そのものが虐待であるという話をきいた。施設という、一般のひとの日常とはかけ離れた暮らしの問題性。同じことが、まだ何もわからないと思える乳幼児にも言える、それ以上に深刻であるとされる。

万年人手不足の施設で、赤ん坊は抱かれることをしない。泣く、ぐずるなどの自分の働きかけに対して返ってくる反応を知らない。夜勤、日勤と違うひとがとっかえひっかえ世話をする。施設側の管理する側の都合で行われる機械的な子育て。動物本能的な甘えることで基本的な人間と人間との信頼関係を学んでいく。それができない。
以前にテレビのドキュメンタリーで、国情不安から捨て子が非常に多い国(たぶんルーマニア)で、海外に多くの子どもたちがもらわれて行ったが、情緒障害や知的障害、様々な問題行動などが多発して社会問題にまでなっているというのをみたことがある。赤子の人数の多さと世話をする人間の少なさ。ただ栄養を与えられ、生かされているだけの命。あの子どもたちも同じく重度の「愛着障害」なのかもしれない。

一般の子育てすらけっして容易ではない。それが、さまざまな問題を抱えた子どもたち。血縁関係がなかったとしたら、執着心は親より低いかもしれない。我慢がきくだろうか。事前に何の知識も与えられていなかったとしたら、はたして対応できるだろうか。
もちろん、「愛着障害」のある子どもだから、虐待をしていいということには絶対にならない。(多くの児童養護施設で、子どもに暴力を振るうのは仕方がないという理由づけに、被虐待児の対応の困難さをあげられる)ただ、何もわからないよりは、こういうものだということがわかったほうがどれだけ救いになるか。
(一方で、被虐待児が自分が「愛着障害」であると自覚した場合のショックはどうだろう?考えないではない。そういったサポートもこれからは必要かもしれないと思う)やはり、正しい知識を得ることと、周囲のサポート体制は絶対に必要だと実感した。

今回の宇都宮の事件について、集会では女性を非難する声はひとつも聞かれなかった。乳児院に預けられていたという育成歴、児童相談所の職員の前では里親に甘えてみせる、里親の言うことをきかない、様々な問題行動を起こすなどから、順子ちゃんが「愛着障害」児であった可能性は充分にあるという。里親さんの参加が多かったこともあって、みなが自分のこととして捉えていた。個人を責めても始まらない、追いつめるだけだ、どうすれば防げるのか建設的な意見を。この考えに私も賛成だ。
どんな理由があるにせよ、虐待死させた人間に罪がないとは思わない。しかし罰は司法が下すだろう。私たちが追い打ちをかけるべきことではないと思う。

「子どもの虐待防止センター」理事の広岡智子さんは、虐待する親の90パーセント以上が子どもに愛情を持っていますと言う。裏を返せば、愛情があるからといって、可愛がっているからといって、虐待しないとはいえない。
そして、例えば2人の子どもがいて、1人とは相性がよく、もう1人とはうまくいかないときに、多くの児童相談所でうまくいっている子どもを引き離して、うまくいっていない子どもを残すのは間違いだという話をされた。
これはあくまで、私の考えであるが、もしかしたら宇都宮の場合も、兄のほうとはうまくいっていて、妹のほうとはうまくいかなかった。しかしそれを児童相談所の職員に相談をすれば、可愛がっている兄のほうを、もしくは2人とも、引き離されてしまうと思って、何も言えなかったのかもしれない。そして、保母の資格があるからといって、非虐待児について知識があるわけでもない。なまじ専門家としての自信があるだけに、こんなはずではというジレンマがあったのではないだろうか。

ある程度専門的な知識が必要だということを今回、特に感じたが、アメリカでは研究が進んでいるらしい。日本では虐待問題を各個人の問題、家庭の問題として、社会問題としては長い間扱ってこなかった。そのことのツケが今、きている気がする。
たとえ、虐待をされて心に深い傷を負った子どもたちだったとしても、時間をかけて根気よく愛情を注いでいけば明るい未来が開けると信じたい。彼らには何一つ責任はないのだから。それには、愛着障害について、もっと多くのひとが知る必要があるだろう。

愛着を深める行動例として (東京福祉大学 ヘネシー澄子さんのレジュメより)
・目をあわせる。子どもの目線の高さで子どもの目を見ながら話す。
・互いに微笑みあう。(理由がなくてもよい。ただ子どもといるのが楽しいという気持ちを伝える)
・子どもを抱く、抱擁する、抱き合う。(子どもの年齢に合わせて)
・乳幼児の場合、抱いてリズムをつけて前後、上下、左右に揺する。
大きな子どもの場合、抱き合って、前後にリズムをつけて揺する。(同時性を育む)
・語りかける時には、明るく、静かに。言わなくていいことは言わない。
・“お説教”でなく、質問形式にする。
・子どもが自分や他人を危険にさらすことをしたときだけ、その行動を描写して、きっぱりと諭す。
・子どもが自分の言うことをきいたら、「ありがとう」と忘れずに言う。
・子どもがよいことをしたら、その行動を描写してほめる。
・子どもが自分の誇りでいることを伝える。(言語的、非言語的方法で)
などがある。

ほめるときはほめて、怒るべきときことをした時にはしっかり怒る。愛していることを言語、非言語で伝える。これはなにも、非虐待児に対してだけでなく、一般の子育てにも通じる。
ただ、人間関係が希薄で親子ともに忙しい、親の愛情でさえ確認しにくい現代においては、少し意識して子どもに愛情を伝える必要があるかもしれないと思う。

今回の緊急集会では「愛着障害」のことが主に取り上げられた。しかし、広岡智子さんの言うように、それだけが原因ではないと私も思う。
行政のサポートがあったなら、夫の理解があったなら、周囲の協力があったなら、そして虐待をしそうな時に誰かに助けを求める、子どもから離れる勇気があったなら、順子ちゃんは死なずにすんだかもしれない。そして、この小さな命には、本気で怒る、一生涯をかけてその死を背負う、遺族がいないかもしれないと思うと不憫さを感じる。加害者を責めることの無意味さと同時に、かといってこれは絶対に、どんな理由があろうとも許されるべきことではないのだと、私たちは肝に命じなくてはならないと思う。ただ「可哀想ね」ではなく、二度とこのようなことが起こらないように、具体的な施策を望む。(集会ではそのための署名活動も同時に行われた)

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