2年ぶりに、ケニアで「モヨ・チルドレン・センター」(モヨとは、スワヒリ語で、心・精神・魂などを表す)の活動をされている松下照美さんとお会いした。(前回、お会いしたときの内容は me020917 参照)
お会いするのは、今回でたった2回目なのに、その間、通信とそれにいつも短い手紙文を付けて送って下さることもあって、そんな気がしない(私は、国内でさえ最近すっかり筆不精になってしまい、義理を欠く日々。海外への手紙という慣れない作業を敬遠して、不義理を重ねている)。
また、松下さんは、私が日本の子どもたちの問題に取り組んでいることをとても理解して下さっており、それぞれの場で、それぞれができることをやっている、わたしもあなたも同じだと、ケニアの子どもたちに対して、現状を聴きながら何もしない私を責めることをしない心地よさがある。
ただ、今回再びお会いして、以前にも思っていた、彼女のもつ「哀しみのオーラ」というようなものをさらに強く感じてしまった。私の思い過ごしだけなのかもしれないが。
話だけを聞けば、アフリカに女性が単身渡り、ウガンダからケニアへと移り住みつつ、現地の子どもたちのために10年間、精力的な活動を続けてこられたパワフルな女性を想像されるかもしれない。そして、実際に、その実行力たるや素晴らしく、個人が大きな組織に勝るとも劣らない実績を積み上げてきた。
彼女の「哀しみのオーラ」は、愛する伴侶の死に起因しているのかもしれない。その死の哀しみが、彼女を日本からアフリカへと単身、渡らせたほどなのだから。しかし、それだけではない気がする。
飢餓とエイズなどの病に苦しむ貧しい国で、多くの死を受けとめてきたのではないか。目の前の子どもたちを救いたいのに救えないジレンマのなかで悩みながら活動してきたのではないか。信じたいのに信じられない、貧しさゆえの人びとの心の荒廃のなかで、何度も裏切られては、それでも信じてやってきた彼女の心の傷なのではないか。ケニアで、そして日本で、活動への援助を求めるその手を振り払われてきた、理解してもらえない、共感してもらえないことへの哀しみなのではないかと、私は勝手に想像する。
松下さんの言動には、哀しみとともに必死さを感じる。
まるで障がいを抱えるわが子の行く末を心配して、自分がいなくなってもこの子がなんとか自立して、幸せに生きていけるようにと、なりふりかまわず動く親のような必死さを感じてしまった。
数年前には脳梗塞で死線をさまよった。年齢的にもけっして若くはない(1945年生まれ)。自分にもしものことがあっても、この活動を残したい。そのための基盤を今、なんとしてもつくっておきたい。このような内容が彼女の口から直接、語られたわけではないが、私には彼女がとても急いでいる気がした。
彼女は「私は大きな組織を目指しているわけではありません。自分の目の届く範囲の子どもたちをとにかくなんとかしたい」「そのための基盤となる場所が切実にほしい」という。
今回、ケニアから現地役員のジョージ・オワデ氏を伴って、7月末より2カ月余り来日(彼女の基盤はすでにケニアにあり、帰国というより来日という言葉がふさわしい気がした)。出身の四国から東北まで列島を縦断しながら、センター建物設立のキャンペーンを行っている。
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昨日(9月4日・土)、東京・阿佐ヶ谷にて世界子ども通信「プラッサ」とストリートチルドレンを考える会の合同勉強会が開催された。ジョージ・オワデ氏は通訳(ボランティア)を介して、私たちにセンター建設の必要性を切々と訴えた。
ケニアのストリートチルドレンの状況は非常に悪い。モヨ・チルドレン・センターのあるティカでも、200人以上の子どもたちが路上生活を余儀なくされている。さらに多くの人たちがスラムで生活している。
こうなった背景として、ケニアの伝統的な生活様式が崩壊して、村落地域から都市へと人口が流出が非常に進んだ。一方で、その都市で雇用機会は不足している。HIV問題や貧困がある。ケニア全体の経済が苦しいなかで、子どもへの福祉プログラム、サポートが充分にできない。
子どもたちに必要な支援をするために、モヨ・チルドレン・センターの基盤となる建物がほしい。
建物は、
・組織をしっかりさせ、恒久的な活動ができるようになる。
・活動の本拠地になる。
・ティカで路上生活をしている子どもたちの家にもなる。
・路上で生活していない子どもたちにとっても、安全な避難場所になる。
・センターは、子どもたちが自分の体を洗ったり、服を洗ったりする場所にもなる。遊ぶの場所にもなる。図書館として使うことも可能だ。
・子どもたちだけではなく、コミュニティ資源の活用センターになる。
・例えばコンピュータートレーニングのような、自分たちが独立して何か活動するための場所になる。
・センターを維持する収入をもたらす場ともなる。
・ケニアのストリートチルドレンのことを理解したいと思う日本の方が使うこともできる。
・若者や女性グループの集会や収入をもたらす活動の作業場になる。
そして、建物があれば高い家賃を払わずにすむ。もし、この建物に家賃を払うとすれば、月々7万円の家賃を払うことになる。12年間で元がとれる。
建物は、子どもたちがすし詰め状態にならないように設計されている。子どもたちの健康状態にも配慮している。
また、借家は非常に不安定で、オーナーから立ち退きを要求されれば、自分たちは活動の基盤を失ってしまう。きちんとした設計で、補修の必要のない建物を建てたい。
土地はすでに取得している。建物建設の見積もりは1000万円。その資金援助を皆さんにお願いしたい。
2階建ての建物(メインの広さ157.4u、ベランダ22.8u)だけで1000万円という金額を、ケニアという国にしては高額ではないかと、正直いって思った。
しかし、ケニアではもろい建物が多く、鉄筋コンクリートの2階から4階建てでも崩壊することが珍しくないという。崩壊する心配のない、しかも途中で補修する必要のない、しっかりとした安全な建物を建てようとすれば、1000万円はけっして高くはないのかもしれない。何より、そこに住む人たちの命には替えられない。
次いで松下さんからは、モヨ・チルドレン・センターの活動内容がスライド写真とともに紹介された。
センターの主な活動内容は、
1.子どもたちへの学費支援。
体が不自由で寮に入らなければ暮らしていけない4人の小学生と、中・高校生21人、職業訓練生2人の27人を支援している。最初は小学生から支援を始めたが、昨年から小学校の授業料が無料になったので、現在は中・高生を中心にしている。(ケニアは8:小学校、4:中・高校、4:大学 制)
2.スラムの女性グループへの支援。
事業資金の無利子貸付などを行っている。
3.スラムの人たちが建てたキャンデゥテゥ小学校への支援。
4.ウガンダのルカヤ職業訓練校への支援。
ウガンダに松下さんがいた頃、関わった子どもたちへの支援やそのメンバーが中心になって、職業訓練校を立ち上げた。
5.ストリートチルドレンに直接、関わる活動。
ストリートチルドレンに関わる活動は、4つの従来からやってきた活動に加えて、この1月から新たに始めた。
元々はルワンダ人のオデッティさんという方が行っていたのを引き受けたという。オデッティさんは、ウガンダの内戦が終わってどうにか落ち着きを見せたのを機会に、自国に帰ってNGOの活動をしたいという。松下さんが引き受けたのには理由がある。アフリカに渡ったばかりの最初の2年間、ウガンダでストリートチルドレンと一緒に暮らしたことがある。そして、NGOが潰れたあと、子どもたちは再び路上に戻って、前よりさらに悪い状況になっていくのも見てきた。
ケニアに来てからも一番、気になってはいたが、どこからどう手をつけていいのかわからなかった。それが、オデッティさんに声をかけられて、はじめてみようと決心した。
今年(2004年)1月からティカの中心にあるスタジアムのなかにある市議会がもっているオフィスの一室を借りて、月、水、金と活動をはじめた。活動の対象は15歳以下のストリートチルドレンたち。(ケニアでは、15歳以下が子ども、16、17歳がユースと呼ばれる中間、18歳からが大人)
給食(不定期)や勉強、スポーツ、しつけ(清潔にすること、掃除など)を行っている。
給食は寄付に頼っている。いつ食事が出るとわかると、子どもたちが集中して収拾がつかなくなる。給食だけが目当ての子どもたちが集まってきてしまう。そのために、いつも来ている子どもたちに、抜き打ちで食事を出すという。
松下さんが一番、心を痛めているのが、子どもたちのシンナー。シンナーは空腹感を忘れさせてくれる。ストリートチルドレンのほぼ100%が使用しているのではないかとさえ思うという。ペットボトルにシンナー系塗料を入れて、四六時中、くわえている。習慣化して、何をするにも手放せない。時に、すっかり酩酊状態で会話もなりたたない。シンナーが、松下さんと子どもたちの間を遮断しているとさえ感じるという。
最初は、とにかく子どもたちと仲良くなることを目指した。そして、3カ月たって、スタジアムのなかにシンナーを持ち込むことを禁止した。食べ物と交換させたり、オフィスの入り口で身体検査をしたり。
子どもたちの目の前で、集めたシンナーのボトルを燃やした。すると子どもたちはとっさに、手にしていた食べ物を放り出して、火のなかに手を突っ込もうとした。それを止めようとするスタッフの腕に噛みついた。足でボトルをけり出そうとした子どももいた。その時、松下さんも腕にけがをしたという。子どもたちの脅迫的なまでのシンナー依存。今は、スタジアムのなかでシンナーを吸う子どもはいなくなった。隅に隠しては取りに行こうとする子どもたちとのイチごっこはあるが。
しかし、一歩外へ出れば、子どもたちは相変わらずシンナー漬けだ。廃人同様になった仲間、大人たちを見ている子どもたちは、シンナーが自分たちにとってよくないことを知っている。それでも止められない。
これからも本腰を入れて取り組まなければならない重大な課題だと松下さんは考えている。
そのストリートチルドレンのためにも、ゆったりと活動できる場がほしい。今は、病気やけがをしても、彼らが安心して静養する部屋さえない。路上暮らしが身につく前に、シンナーが習慣化する前に、子どもが安心して暮らせる家、彼らを迎え入れることのできる家がほしい。
ウガンダ、ケニアで10年。自分の子どもを持たないという生き方を選んだ松下照美さんが、アフリカの子どもたちのために必死に活動してきた。「この子たちのために支援をお願いします」とは彼女は言わない。「私たちに支援をお願いします」という。すでに、ケニア側の人間として、日本の人びとに自立のための支援をお願いしている。
日本でも今年、従来のフォスタープラン(各人、あるいはグループで、ひとりの子どもの学費・ほかを支援するシステム)の事務局的な仲介を主にする日本支部のほかに、「モヨ・チルドレン・センターを支える会」が、愛媛で立ち上がった。「支える会」は、センターの活動が安定かつ、長期的になるように支えることを目的とする。
ここで、センター建設のための寄付金を中継している。
●郵便振替口座 口座名:モヨ・チルドレン・センターを支える会 代表者:高塚政生
口座番号:01660−1−73996
松下さんは、今年中に資金のメドをつけて、来年早々には建設に入りたいと考えている。
支援をよろしくお願いいたします。
※ケニアの孤児やストリートチルドレン、NGOに関する報告は、
雑記帳のバックナンバー(me011028 me020917 me021027)にもあります。
また、プラッサのバックナンバー(http://www.jca.apc.org/praca/backno.html)もご参照ください。
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