2002年9月15日(日)、世界子ども通信プラッサの学習会で、「モヨ・チルドレン・センター」の主催者である松下照美さんと初めてお会いした。(以下の内容は、受付や記録のための写真をとりながら、松下さんの話しをメモしたものと記憶とすりあわせたもの中心に書いているため、かなり不正確な部分があると思います。そのことをご承知おきのうえ、お読みいただければと思います)
今回の来日の目的は、8年間ケニアでやってきた活動を日本の人たちにわかってもらうため。ストリートチルドレンのためのリハビリセンターを新たに建設するに当たり、資金を募ることが中心という。
●松下照美さんのプロフィール
パンフレットや当日や以前他の方から聞いた話をもとに、松下さんのプロフィールを簡単に紹介する。(聞いた話についてはウロ覚えの部分もあり、勘違いもあるかもしれない)
松下さんは1945年生まれの陶芸家。70年代初等に反核・平和活動に関わったのち、夫と共に徳島の山奥の村に入り、自然生活をしながら、陶芸り創作活動をおこなってきた。
しかし1992年、夫の急逝をきっかけに、アフリカのウガンダに単身渡って、ストリートチルドレンのための家でボランティアを始める。(この時だったか?ケニアで孤児院をつくっている荒川さんと一緒に活動されたこともあるとか。荒川さんとの交流は今も続いているとのこと)
そして1996年にケニアの首都ナイロビに移住。
1997年から実に2年がかりで、汚職がはびこるケニア政府に対して、ワイロを一切、使わずに国際NGOとしてM.C.Cの前身である「モヨ・ホーム」(モヨとは、スワヒリ語で、心、魂、精神などを意味する。英語でいうスピリッツ?)を申請し正式認可・登録された。
同時に活動場所となる土地を探して、2000年10月からナイロビの北東45キロにある町、ティカで本格的に活動をはじめた(たしか、この頃、脳梗塞で倒れられて急きょ日本へ帰国。生死にかかわる緊急手術をした。今ケニアに帰るのは自殺行為との周囲の制止を振り切って、走りはじめたばかりのセンター活動のためにケニアにトンボ返りをしたと聞いた)。
2001年5月には「モヨ・ホーム」から「モヨ・チルドレン・センター」(M.C.C)に改名。
●ケニアの事情
ケニアはいくつもの問題を抱えている。長い植民地支配と部族対立、大統領による独裁政治とワイロなどがはびこる政治汚職。農業と観光を資源としているが、観光は治安の悪さから収益が落ちているという。そして、貧困とエイズ。
政治腐敗が問題にされて、3年前から各国は援助資金を打ち切った。そのために貧しい人びとはスラムへ。スラムで爆発的に人口が増えていったという。
エイズの問題は荒川さんの報告会のときにも触れたが、アフリカ全土で極めて深刻な状況にある。しかし、その中でも、ウガンダは防止策がある程度功を奏してエイズ患者の増加はストップしているという。(ウガンダのエイズ防止策は「コンドーム」の大合唱だったという。コンドームを無料で配布する一方で、エイズ教育も熱心に行った。来年からは小学校の教科書にも正式に入るという。またエイズに感染したグループを組織してエイズの巡回教育なども行った。エイズ感染したひとには効果のほどはわからないが、安いエイズの薬が政府から支給されるという。感染した人がその会合に出席するとお昼ごはんと某かのお金もらえる。その代わり、彼らはコンドームの推進運動をしなければならないという。感染した人びとに二次感染への教育とコンドームを持たせることで、感染が拡大するのを防いできたという。)
一方で、ケニアのエイズ感染は上り調子で止まらない。現在、ケニアでは成人の13%、ティカあたりでは成人の34%がHIV感染しているという数字が出されているという。
そのエイズのために親を失った孤児がケニアでは100万人を超えるという。彼らの多くはストリートチルドレンとなって、路上で物乞いなどしながら暮らしているという。
●ストリートチルドレンの問題
ここでも、ストリートチルドレンの間にはシンナーがはびこっているという。1ビンが5円から10円。ものごいなどで得られたわずかな金では、食べ物を買うことはできなくとも、シンナーは買えてしまう。路上生活での嫌な思いをシンナーで酩酊することで忘れることができる。空腹感も感じなくなるという。
改めて、メキシコのストリートチルドレンと全く同じだと思う。(メキシコのNGOで何度も言われた言葉。かわいそうだからといって、路上の子どもたちに絶対に金を与えてはいけない。モノを与えてもいけない。モノは金に替えられて、子どもたちはその金でドラッグを買う。ますます路上生活から抜けられなくなると。別のひとは言っていた。どうしてもその子どもに何かをしてやりたいのだったら、食事に誘ってやるのがいいと。国や地域によっては、そうした子どもたちのための食事券というのがあるという。現金は大人に巻き上げられて、子どもの空腹を満たすことがないか、もしくはドラッグに変わるから。あるいは地方に親がいて、金がないために帰れない子どもにはバスチケットをという)
特に4、5歳からシンナーをやっていると脳が破壊される。いずれにしてもこの国でも、ストリートチルドレンたちの寿命は短いという。
ストリートチルドレンの増加は治安にも影響する。顔見知った子どもでも、泥酔状態の時には何をされるかわからない。また大きい子どもたちが小さい子どもたちを手先として使う。集団でひとを襲ったりもする。
●「モヨ・チルドレン・センター」の活動
(1)学費援助
センターは貧しくて学校に行けない子どもたちの学費支援を行っている。現在30名。里親制度のような形で、日本人1人が1人の子どもを支援している。小学校(8年制)が年間1万円、中学(4年制)、高校(4年制)で約4〜5万円という。特に中・高生に関しては、成績がよくても家庭の経済状況からドロップアウトしそうな子どもを対象にしているという。
子どもたちはとても学校に行きたがるという。なかには、路上で直接、頼んでくる子どももいるという。
小学校の就学率は平均50%。ただし、階層によってかなり格差がある。裕福な家ではほとんどの子どもが就学しているが、スラムでは当然、少ない。
センターには、学校の教師などから、この子に学費を支援してほしいなどの要望が寄せられる。
時には、とても成績優秀だが、経済事情から上の学校に行けない子どもを学校の教師たちが薄給のなかから少しずつお金を出し合って、優秀な子どもが集まる学校に入学をさせたという事例もあるという。しかし、入学させるまでて精一杯で後が続かず、断念せざるを得ない状況になって、援助を頼ってきた。
それでも、子どものための学費や子どもたちのための施設を折半して出し合う話しあいをしながら、だんだん値段がつり上がったりするという。こちらから少しでも多くの金を引き出そうとする。
子どもたちの学用品を揃えるのも何倍もの金額を援助を頼んできた教師たちにふっかけられたりするという。そのことで、松下さんは年に1回、子どもたちと一緒に学用品を買いに行くようにした(経費が3分の1になった!?)。
お陰で、援助している一人ひとりの子どもと直接、いろんな話しができるようになった。また、子どもたちも年に一回の車に乗って町へ出かけて自分のものを買ってもらえる、そして食事もできるというその特別な日をとても楽しみにしているという。
教師たちは、時期リーダーを育てたいとして、優秀な子どもを選んでが紹介してくるという。
しかし、今まで教育を受ける機会がなかったことも手伝って、成績は悪いが学校がとても好きで行きたい子どももいるという。クラスで一番、ビリの成績。でも、学校に行くことにとても大きな喜びを感じている子どもがいる。その子と出会ったとき、成績ってなに?と思ったという。
そこで、学費を援助してくれている日本の里親に、「成績は気になりますか?」と尋ねたところ、「べつに気にしない、かまわない」という人と、「優秀な子を育てたい、支援したい」という両方がいたという。
今は里親にあわせて、成績を報告する、しない、二本立てでいっているという。成績の善し悪しで、学校に行きたい子どもをドロップアウトさせたくないと松下さんは語った。
ただし、どの子どもにも成績については触れる。少しでも成績がよかくなった子どもには、「よく頑張ったね」とほめてやる。極端に落ち込んだ子どもには、叱るのではなく、何か困っていることなど、事情があるのか聞く。自分に関心をもたれているということを子どもたちは素直に喜ぶ。
(2)施設への援助
子どもたちへの直接的な援助のほかに、センターではスラムに親たちが建てた学校への援助を行っている。
ケニアでは、政府は教師の給料しか負担しないという。建物は親たちがお金を出し合って建てなければならない。また、イギリス植民地時代のなごりで、ほとんどの学校で制服があるが、制服がないと家に帰されたりするという。ただし、スラムで親たちが金を出し合ってつくった学校には制服はない。
(工藤律子さんの本のなかに「スラムは問題なのではなく、解決策なのだ」という内容があったことを改めて思い出す。)
その学校に教科書を寄付したり、教室を寄付したり、生徒の保護者とともにトイレの増築に資金を出している。ただし、ここでも、センターが支援するということで、今まで学校に善意で支援を行ってきた近隣の人びとが、この学校は自分たちのものだと主張して、センターから某かの金を引き出そうと画策したりする事件が持ち上がったり、トイレの見積もりが、途中から極端に値段を吊り上げられるということがあったという。
それらに対しては、松下さんらは常に毅然とした態度をとることにしている。そういう考え方ならば自分たちは一切、手を引くと。
(3)女性の自立支援
ここでは一夫多妻。女系家族で、女たちはよく働くのに比べて、男性は朝から酒浸りだったりして、家庭への経済的な責任すら持たなかったりする。
センターではスラムの婦人たちに無利子の事業のための少額貸付を行っている。やはり荒川さんと同じ考え方で、子どもの問題は大人の問題であることを踏まえて、女性が買春しないでもすむ環境、安心して子育てできる環境を整えるために自立支援を行っている。
数人が共同で牛を飼い、乳は子どもたちに、肉を売って金を分配するなどの事業も立ち上がっている。
ウガンダには、松下さんがかつて一緒に活動していた仲間がつくった職業訓練施設のNGOがある。
教師たちは他の公立の学校で教えている給料で維持し、無給で教えているが、22、3人の生徒に対して、ミシンが1台しかない。練習用の布が買えないために、セメント袋を布代わりにするなど、苦労している。このNGOと合併して活動することになったという。
●支援することの難しさ
他国からの援助に慣れ、その援助を食い物にしようとする人びと。あるいは依存的になる。そこに支援の難しさがある。
また、職員のなかにも、自らが口をきくことで利権を得ようとするものがいる。そのために、口利きの援助は一切、行わないようにしているという。それでも、何度言っても改まらない場合、クビにするしかない。
孤児院にしても、学費援助にしても、いろんなひとが話しを持ってくる。しかし、役人など多くは自分の子どもや親戚を孤児に仕立てて、センターからの援助をなんとか自分の懐に入れようとする。(もっとも、これはケニアに限ったことではなく、日本の児童養護施設でも、経済的に困っているわけでもなく、家庭の事情からしても援助対象ではないにもかかわらず、偽って行政の金を私的に使う不埒な人間がいるという話をきく)
なかには、NGOを私利私欲の道具にする人びとも残念ながらいる。それは現地にも、そしてこの日本国内にも。(私は最近、ケニアにつくった日本のNGOが運営する孤児院に、コーヒー豆を買って、資金の援助を、という古典的な手にひっかかってしまった。現地の施設や子どもたちの写真を見せられて、信じてしまった。でも、1箱1000円もしないだろうなと思うようなコーヒー豆のセットがなんとン万円。ストリートチルドレンを考える会のコーヒー豆はオーガナイズでかつ、市販のものと変わらない値段。とても、そんな高いコーヒー豆は買えないからと、1000円だけ寄付してお引き取りを願ってしまった。残ったのはお礼として見本の1〜2杯用のコーヒー豆一袋。連絡先もよくよくみればコーヒーの製造元だけ。写真だって、手に入れようと思えば、どこからか借用できるよね。あっ、やられてしまった!ばっかだな〜。おかしいと思ったときには、断る勇気を持ちましょう、みなさん!)
安易な援助は人びとを依存的にする。無料で配られる援助物資のせいで、現地の産業がダメになることもある。現に農家を圧迫して、せっかく作った作物が、外国でつくられ無料で配られる、あるいは横流しされた作物の値段にかなうはずもなく、衰退していったという事例がある。
センターの方針として、地域の人びとが支援しているものに対して支援をするという。人びとが依存的にならないために。原則として、地元のひとが援助しないものには援助をしない。
また、医薬品その他、できるだけ、日本から持ち込むことはせずに、現地で調達することを心がけているという。
せっかく苦労して立ち上げたNGOもそれで安泰というわけでは決してない。
篤志家がつくったストリートチルドレンのための施設が、その人が病気になったことで頓挫して、せっかく一旦は路上を抜けだしてきた子どもたちが再び路上に戻らざるをえなかったこともすぐ目の当たりにした。
またせっかく、2年もかけて取得したNGO認可もいつ、政府に取り消されるかわからない。
政府の汚職が明らかになったあと、ODAの資金は政府を通さずに直接、NGOに流れるようになった。金を持ったNGOは政府に対する批判、発言権も強くなる。そのために、政府はNGOをよく思っていない。ここ最近でも、なんと4割ものNGOの認可が取り消されたという。
松下さんは、対抗手段として、現地のネットワークを大切にしている。情報をもらったり、多くの人々に支えてもらっているという。
ただ、善意の人びとの寄付にずっと頼り続けるのではなく、現地に根付き、続けていける支援の在り方を模索している。
●これからしようとしていること
松下さんは、ストリートチルドレンのためのリハビリセンターを作りたいと考えている。
ストリートの子どもたちの居場所づくり。シンナーでない喜びを子どもたちに知ってもらいたいと切に願う。
まずは、シャワーを浴びたり、洗濯したり、清潔が維持できる環境。そして、安心して自分の持ち物が置けるロッカーなど、小さなことから始めたいとしている。
ティカには約200人のストリートチルドレンがいると言われている。路上生活が長くなると、その気ままさやドラッグの誘惑と縛りから、共同生活が難しくなる。一刻も早く、子どもたちを路上から引き上げなければならない。
刑務所に入れられたストリートチルドレンの少年の話が出た。
仲間が強盗で捕まって、彼も連座されたという。本人はやっていないと主張したが、裁判所にも、警察にも汚職と腐敗が進んでいる国で、裁判などあってないようなもので、単なる刑の言い渡しにすぎない。
弁護人もいない、法律的な知識も金もない貧しい人びとは、一旦、嫌疑をかけられたら、事実の如何にかかわらず、刑に服するしかない。
また、特別な犯罪行為をしなくとも、路上にいて、学校にも行かず、ぶらぶらしているだけで警察官に連れて行かれ、写真をとられて収監されてしまうという。
刑務所にではマットレスや服、毛布などの支給はない。身内が差し入れることになっているという。また拷問などもあり、人間が人間扱いされていないという。
少年が刑務所にいることを知ったときにはすでに、寒い獄舎のなかで、少年は体調を崩しており、医者に見せてくれるようにあらゆる手だてを使って交渉した結果、護衛と2人分の旅費と食費を負担することで、ようやく病院に連れていってもらったという。
ストリートチルドレンのための施設をつくったら、子どもたちへの責任上、絶対につぶせない。
しかし、松下さんの私財もすでに底をつく状態で、その親族の援助だけでは限界がある。そこで、もっと多くの人々に現状を訴えることの必要性を感じたという。
ストリートチルドレンのためのリハビリセンターの土地はすでに取得し、建物の設計図もできあがっている。資金のメドが立ち次第、建設にかかりたいという。
一人でも多くのひとの理解と支援を求めている。(寄付受付の口座は、モヨ・チルドレン・センター東京事務所 郵便振替 0290−766−59241)
そして、今、一番の課題は現地スタッフの人材。安心して託せる、いわば後継者の育成。
日本人で手伝ってくれているひとはいる。しかし、やはりケニアのことはケニアのひとにゆくゆくは任せたいと考えたとき、優秀かつ、誠意のある、信頼のおける人材が求められる。
現在も、もちろん、現地スタッフとともに活動しているが、すでにあげたような多くの課題をかかえている。
今、彼女が心底信頼できるのは、自分が育てた子どもたち。支援してきた元ストリートチルドレンのなかには、すでに青年になり自立している子どもたちもいる。彼らが成長し、自分の意思を継いでくれることを願う。一方で、早急に今、新たな設立にあたっての複雑な業務もこなせる優秀でかつ、信頼のおけるスタッフがほしい。そのことに頭を悩ませているという。
おそらく、長年にわたる諍いや貧困の歴史が、人びとの心をも貧しくさせている。簡単なようで難しい、人選かもしれない。まして、脳梗塞の手術後という健康への不安があるなかで、彼女にとってはきっと切実な問題に違いない。
●ここから、私自身の感想。
お会いした松下さんはとっても素敵な方で、私は一目ですっかりファンになってしまった。
荒川さんといい、松下さんといい、人間ひとりの力で、ここまでできるものなのだと感嘆させられる。
松下さんの生き方をスゴイと思う。なかには、そういうことができる恵まれた環境にいたのだと言うひともいるだろうが、しかし、それはやはり、ご本人もおっしゃっていたが、一つひとつを意識して選択してきた結果なのだと思う。
私たちもまた、できるのに、それをしない選択を、無意識的であれ、行ってきている。それが、人生の違いになって現れているのだと思う。
ただ、松下さんの道をけっして平坦な道だとは思わない。自ら選び取った、とても険しい道を、それでも自分の選んだその道を楽しみながら、黙々と歩いているのだと感じた。
他のNPOや市民団体で、「この指とまれ」をしたひとが、潰れるものはつぶしてもいいというつもりで始めている。それを聞いて、ふっと肩の荷が軽くなった気がしたという話しを私がすると、松下さんは「子どもたちに対しては、それはできません」ときっばりとおっしゃった。
そう、一旦、路上から引き揚げて、ささやかでも夢や希望を与えておいて、それを大人たちの事情で、再びとりあげてしまったら、それは子どもたちの心をひどく傷つけることになるだろう。何もしないことよりも、あるいはもっと悪い結果になってしまうかもしれない。もう二度とひとを信じることができなくなるかもしれない。深い絶望にたたき落とすことになってしまうかもしれない。
自分たちの意思で、当時すでに子どもを持たない生き方を選ばれた松下さん。その松下さんが子どもたちに注ぐ愛情の深さを感じた。しかし、松下さんは子どもたちの母親になるつもりはないときっばりと言う。子どもたちがいつまでも依存的になってしまうから。困ったことがあるとすぐに頼りたくなってしまうから。そんな時、彼女は成人した子どもたちに「私には、初めて出会った時のあなたたちのように幼くて、助けを必要としている子どもたちがいる」と答えるという。そうすると、青年たちは、当時の自分たちを思いだし、そうか、今の自分たちよりもっと、助けを必要としている子どもたちがいるんだねと、納得してくれるそうだ。
子どもたちに愛情を注いでくれる、でも少し距離がある。一方で、病気をしたり、怪我をしたり、事件に巻き込まれたりして、自分の力ではどうしようもないときには本当に親身になってくれる、親代わりもしてくれる。そんな「親戚のおばさん」を目指しているとおっしゃっていた。
一人二人の子どもではなく、大勢の子どもたちの助けになるためには、やはり自分だけを見てくれる母親ではなく、おばさんが必要なのだろう。
とても素敵な生き方に触れられて、とてもハッピーな一日だった。
私自身、あれもこれもとはいかないから、少し遠くからにはなるが、その活動をずっと見守り続けたいと思う。
(あれもこれもしなきゃ、メキシコの報告も、小森さんの裁判の報告もアップしたい、時間がない、時間がない、と思いつつ、書き始めたら、思わず長文になりました)
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