わたしの雑記帳

2004/5/26 川口の大野悟くんの裁判、担任教師の証人尋問


今日(2004/5/26)、13時30分から、さいたま地裁で大野悟くん(中1・13)いじめ自殺に関係して、加害者の両親と学校(被告は埼玉市)を訴えている裁判(裁判長:廣田民生氏)で、元担任教師の証人調べがあった。
元担任の教師は男性。ベテランという雰囲気(他の裁判でよくある住所や名前、年齢の確認が口頭ではなかったので、詳細は不明)。

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主尋問は被告である市の弁護士が行った。
同中には、悟くんたちが1年生に入学した年(2000年)の4月に転任してきたという。
担任がクラスの生徒と接するのは、朝の会、そして給食は担任もクラスで生徒たちと同じものを食べるという。清掃のあとの帰りの会、そして担当教科の時間が週4時間。

2000/5/22 はじめての親を交えての面談は、家庭訪問か、学校での三者面談かを選べることになっていた。大野さんは当初、家庭訪問を希望していたが、学校での三者面談に変えてほしいということで、この日、母親が学校に来たという。
この時、母親から特に面談したい内容があるということはなく、担任からも特別、伝えなければならないことはなかった。直前の5/15、5/17に悟くんは学校を休んでいたが、三者面談の話題にはならなかった。悟くんは科学部の部活動にも毎日、きちんと参加していた。

小学校から中学校への申し送りについて、生徒の様子をきくのが普通だが、自分は4月からだったので3月に行われた申し送りには出ていない。申し送りとしては、悟くんは大人しい生徒でマイペースなところがあると聞いていた。

5月下旬に筆箱から消しゴムがなくなる事件があった。他の子どもの筆箱のなかや教卓の引き出しのなかから見つかったが、やがて収まった。消しゴムがあっち行ったり、こっち行ったりすると生徒たちに注意をした。
6月上旬の校外学習に向けての班の組み替えがあった。

5月下旬、中間テストの際、机にスティックのりが線状に塗られていた。S字を描くように1本の線で書かれていた。悟くんの周辺の女の子が教師に教えて、教師が台拭きでふきとった。

校外学習では、悟くんは班の中で記録係りをやっていた。まじめにきちっとやっていた。

7/6 学年で1学期のまとめてとして、担任のO教師が道徳の時間を担当し、プリントを使って反省などを書き込ませたものを提出させた。この時にO教師は生徒たちに、主に言葉でのいじめについて、自分が思っているのと他人が思っているのとでは違うかもしれない。誰かを傷つけているかもしれないというような話をした。

それから、事件後のことについて、被告のひとりである生徒Tの母親の陳述書を示して、だいたいこの通りだったかどうかの確認と分からない点はないかを確認。だいたいこの通りだったと認めた。
8月上旬にTからかけてきた電話の内容については、「新聞を見たんですけれど」と言われ思っていたのと違うと抗議を受けた。それに対してどういう受け答えをしたかは忘れたという。

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ここから、原告代理人の桜井和人弁護士のほうから、反対尋問がはじまる。

小学校からの申し送りについて、再度、文書で申し送りが普通はあるのではないかという確認について、最初、あいまいにしていたが、「文書として、あったと思う」と認めた。悟くんについては「大人しい」「からかわれやすい生徒」であるとあったと思う。他に悟くんについて読みとれる部分はなかった。「からかわれやすい性格」というのは文書としての申し送りであったのか、申し送りの会議に出席した3月当時学年主任をしていた副担任から聞いたのかは記憶にない。

三者面談について、時間は20分程度。このときに4月下旬に悟くんのサブバックがなくなって、ゴミ箱に捨ててあった件をなぜ話さなかったのか聞かれた。その日はO教師は出張していた。副担任がクラス全体に注意したし、自分も帰ってからその話をきいて、注意をした。体育のときなどとくに他人のものを間違えることがあるので、気を付けるように言った。

同じ頃、筆入れから消しゴムがなくなる事件が、クラス全体で2、3回あった。そのなかの被害者に悟くんもいた。
これも三者面談のときに、母親に話していないのはなぜかと聞かれて、クラス全体への注意で収まったし、他の子どものも含まれていたので話さなかった。

文科省からいじめ対策について、注意や研修があったとい思う。そのなかで家庭と連絡を密にしなければならないとあったはずだがと聞かれて、悟くんは該当しないと思っていたと答えた。いじめの判断については、その子にとって多大なる苦痛で、集団的に長い間ということが含まれるので、悟くんの場合は違うと思ったという。

スティックのりの事件についても保護者に報告がなかったのは、中間試験のときの席で、出席番号順にこの時は座っていた。悟くんに対するものだったのか、いつもの席の子に対するいたずらなのかわからないと思ったからと答えた。また、クラス全体には指導した。

悟くんの様子について、校外学習でも、同じ班の友だちから「大野くんはよくやっている」と聞いていた。6月から7月にかけて、悟くんは明るく元気に生活していた。
1学期のまとめのプリントのなかでも、朝実習をしっかりやっていた人、給食当番をしっかりやっていた人など男女1名ずつ書くようになっている欄に悟くんの名前もあがっていた。
上記以外の情報を1学期中に察知できなかったことが返す返すも残念と述べた。

悟くんが自殺したことに関連して、いじめをなぜ察知できなかったのかについて、O教師は「わからない」とし、「現在、振り返ってこうしていればということはないか」と聞かれて、「ありません」と答えた。

学校側が提出した報告書について、どういう生徒が、いつ、どういうことをやったかが書いてある。この内容を知っているかの質問に、「ちらっと見せてもらった記憶はあるが、詳しくはわからない」とし、「裁判の関係の時、見せてもらった。それ以前はない」とし、悟くんの担任であるにもかかわらず、悟くんに対するいじめの報告書作成にタッチしていないと断言した。担任から見た悟くんの部分のみ、担任が作成したものが使われているという。

警察からの事情聴取については、時間も、質問された内容、答えた内容も、生徒のことを聞かれたかどうかも全て、「わからない」「記憶にない」と答えた。
校内での職員会議は何度も開かれたが、回数も、議論の中身も「記憶にない」「わからない」という。

8/1に学校側が生徒を連れてきたことについて、どうやって加害生徒名を特定したのかという問いについて。
7/27か7/28(悟くんが自殺したのは7/26)に臨時生徒集会があった時、校長が悟くんについて、思いでやらなにやらあったら教えてくださいと呼びかけた。同じ内容を1年生のみ残した学年集会で、各クラスで担任が生徒に呼びかけた。
結果、一緒に遊んだことがある、話をしていたのを見たなど、いろんな情報が出て、具体的な名前があがったのを数人の教師で分担して内容を確認した。なかには、話していただけ、側にいただけという生徒もいた。その中から、実際にたたいたりした生徒が残って、8/1、8人に直接事実を確認した。自分のやったことを認めた生徒に来てもらった。

その時の生徒の一部が先生たちに言われて文章を書いたとしているがの問いには、自分は書かせていないが、待っているときにでも書いてもらったのかもしれないとした。しかし、そのような文章は見たことはないとした。
エルボーや麻酔蹴りなど、具体的ないじめの方法について、そういういじめがあることを前から知っていたのかの質問には、そういう言葉ややり方は知らなかったとした。

大野家への訪問については、通夜や告別式のほかに、8月下旬に2、3回、大野家を訪れている。月命日にも訪問している。(あとで大野さんに確認したところ、月命日に訪れたのは1回のみ)
8/21の全校生徒アンケートについては、生徒指導担当がやったので私のほうではわからないとした。

弁護士からの「担任として、悟くんの自殺は防げたのではないかと思わないか」の問いに、担任は「7月の終業式に通知票を手渡ししたとき、心からの笑顔だった。それが最後の別れになった。自殺するとは夢にも思っていないし、辛く思っている。そして、今日は悟くんの月命日(同じ26日)に当たると話した。

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最後に同じ被告でありながら、学校側の言い分に意義を唱える形で、生徒側の弁護団から反対尋問が行われた。

9名の生徒の特定について、7月中に話を聞かれているのか?8/1に、いきなり呼び出しの電話があったのではないかと確認。しかし、O教師は生徒たちから上がった情報を逐一確認したので、2回くらいは当然、話を聞かれているはずだとした。

なおも、生徒側弁護が、7/31、大野さんから5名の生徒から暴力を受けているようだと言われて、それまで把握していなかった5名を調査することになっのではないか、教頭もそのように陳述書に書いているがと食い下がったが、そのことはわからない、5名の生徒のことは初めて聞いたとした。9名は自分で行ったと言った子について学校に呼んで調べたとした。他はすべて調べて最後に残ったのが9名とし、それまでの証言内容は変わらなかった。


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拙速で書いているので、わかりにくい部分もあると思うが、ここまで、ほぼ時系列に質問と回答を羅列した。(細かい部分については割愛)
尋問2時間の予定が、1時半から始まって終了したのが3時50分。間に休憩もなかった。とくに原告弁護士からは粘り強い質問がなされ、担任の口からは矛盾と、「わかりません」「記憶にありません」が増えていった。

O氏は、悟くんの担任でありながら、自殺前には兆候について気が付かなかったことを強調。
私が担任の言葉で一番ひっかかったのは、「終業式の日に心からの笑顔を見せた」「それが最後になった」というもの。悟くんは中学入学早々に、小学校から一緒だった生徒を中心にいじめを受けている。苦しい日々を過ごしていたはずだ。そして、生徒の笑顔をどうやって「心からの笑顔」と「作り笑顔」に区別できるのだろう。まして、悟くんが直後に亡くなった今となっても、まだ「心からの笑顔」と断言できるのだろう。
そして、責任を問われまいとしての回答なのだろうが、この担任は悟くんの死から、何一つ学ぼうとせず、そして現在も学んでいないのではないか。淡々と答える姿から「苦悩」も「後悔」もまるで感じ取れない。

学校はまた、担任を巻き込むことなく、要するに管理職のみで事後処理を早急に進めたことがよくわかる。最も渦中のひとである担任に、何一つ重要な情報がフィードバックされていない。4年たって、未だ担任は事件の全体像や学校が大野家に対して行った報告の内容さえ知らされていない。担任はそのことを疑問に感じ、自分で調べようとは思わなかったのだろうか。自分の担当する生徒の命が失われたというのに、まるで他人ごとだ。

次回は、当時の校長の証人尋問
居並ぶ被告側弁護士の日程があわず(原告は桜井弁護士一人のみ)、次回は8月4日(水)。504号法廷にて、午前10時15分から12時。市側の主尋問40分、原告の反対尋問40分、被告生徒らの代理人の反対尋問20分の予定。



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