わたしの雑記帳

2004/3/10 大野悟くんの裁判傍聴報告。


2004年3月10日、大野悟くんの両親と祖父母が、川口市と元生徒の保護者16名を相手どって起こした民事裁判の弁論がさいたま地裁であった。
予告通り、次回からの人証をどうするかが検討された。
今だ明らかにならない事実関係を人証に入って尋問のなかで少しずつ明らかにしていきたいと廣田民生裁判長は言った。

対して、被告生徒たちの代理人は、学校がどうして9人の生徒を加害者として特定したのか、書類にアルファベットで書かれているが公務員の守秘義務にかかわるとして実名が明らかにされていないものに対して、当事者照会中なので、もう一回分、時間がほしいと言う。(同様のことを原告の大野さんも学校側に要求している)

こうやってずっと、裁判が始まって3年もの間、引き延ばされてきた。今までは裁判長もそれを簡単に受け入れてきた。それが今回、昨年(2003年)7月16日、裁判の迅速化に関する法律が公布・施行され、第一審の訴訟手続きを2年以内(それまで民事訴訟の審理の平均が8年5カ月、刑事事件の平均が3年3カ月)に終えるという目標が立てられた影響か、裁判長はうんと言わなかった。

校長、担任教師など学校関係者を先に、次に原告の母(悟くんのお母さん)の尋問を行い、わかるところからやっていって、わからないところは追加して証人調べをすればよいと、裁判官が自ら提案した。当事者照会は平行してやればいいとのこと。子どもたちの尋問をどうするかも、進行するなかから必要があれば行うという方向でということだった。

この裁判では、被告の学校側と生徒側の利害が必ずしも一致しない点が見えてきた。
被告生徒9人を加害者として特定したのは、被害者の家族ではなく、学校側だった。そのことで、被告生徒側は今になって、なぜ自分たちが加害者として選ばれたのか納得がいかないという。
被告同士で、生徒側の代理人は、学校側に尋問のなかでも確認したいという。
学校の責任を追求するという面ではむしろ、原告側と利害が一致する。

次回、まずは担任の尋問を行い、次に校長の尋問を行うことになった。学校関係者の尋問でまずは事件の全体像をつかむのが狙い。不十分な部分を元生徒たちを含めた他の証人尋問で補うというもの。
川口市の代理人弁護士は、事件の性質上、学校関係者がすべてを把握してわかっているわけではないと予防線を張る。特に校長は事件の後しかわからないと。

学校も生徒側も、それぞれが責任回避をしようとする。責任を押しつけ合おうとする。それを遺族は醒めた目で見ている。
次回、5月26日(水)13時30分から担任の証人尋問が行われる。主尋問が1時間、反対尋問が30分、相被告から20分程度?で約2時間を予定。
その担任は8月1日の夜に校長とともに生徒らを連れて大野家を訪れて以来、一人で来訪することもなかった。事件後、ほとんど大野家の人びととまともに話したことがないという。

悟くんが亡くなったのは、2000年7月26日、担任尋問の26日は月命日にあたる。そして、5月20日は悟くんの誕生日。「これも何かの因縁なのかなぁ」お父さんがぽつりとつぶやいた。





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