わたしの雑記帳

2004/1/29 大野悟くんの裁判傍聴報告。


2004年1月21日(水)、さいたま地裁にて、大野悟くんの裁判があった。
裁判長から人証について、子どもたちを法廷に呼ぶとしたら、9人全員は無理なので、グループ分けできないかという質問があった。対して被告側は、全く個人個人が別々の事情であり、共通点はないので、グループ分けはできないとした。要するに、警察の言う「共同不法行為」、森田洋司氏らのいじめの定義にある「同一集団内の相互作用過程において優位にたつ一方が、意識的に、あるいは集合的に、他方に対して精神的・身体的苦痛を与えること。」の「意識的」「集合的」「共謀」を外そうとしている。

そして、被告の元生徒の親たちは今さら、なぜ自分の子どもが加害者として名前をあげられたのかわからない、としている。悟くんが自死したのが2000年7月26日。学校が8人の生徒と保護者を連れて遺族宅を訪問したのが8月1日の夜。遺族とそれぞれの親の前で子どもたちは一人ひとり、悟くんに何をやったのか話した。なかには毎日のようにいじめたと言った子もいた。それが、少年たち本人が書いたという陳述書が、ようやく今回、出てきたかと思えば、当時とはかなり違うことを書いてきているという。
被告弁護士は、「事実が何なのかわからなくなっている」と法廷で言った。つまり、あの時は「いじめた」と言った子どもたちが今は「いじめていない」と言っているということなのだろうか。

しかし、遺族は言う。全校生徒400何十人のなかから9人の生徒を名指ししたのは、大野さんではなく、学校側だ。悟くんの死から、学校側が加害生徒を特定して連れてくる(最初8人、後にもう1人が判明)までの間があまりに短い。学校側は悟くんの死の前からいじめの事実を知っていたのではないか。テレビの記者会見で学校側は、麻酔蹴りや腹バンなど悟くんが受けた暴力の具体的な型までやってみせた。具体的な調査なしにはけっして出てこない事実だ。

被告側が出してきている保護者の陳述書は1名分のみ。その母親を被告側は証人申請しているという。しかし、その1人というのは、9人のなかでも、最もいじめ度が低かった子どもの親だと言う。

なぜ遺族が裁判を起こさなければならなかったのか。
学校や加害生徒がきちんと事実を明らかにし、罪を認め、真摯に謝罪をしていれば、裁判は起こさずにすんだかもしれない。
裁判が遅々として進まず、時間ばかりが流れていく。そのなかで、いじめはなかったという。学校側に落ち度はなかったという。何事もなかったかのような学校、加害者たち。しかし、被害者にとっては何もかもが変わってしまった。奪われたものは二度とは戻らない。そして今また、裁判のなかで腸が煮えくり返る思いではないのか。

現段階で、原告側からも、被告側からも、子どもたちの証人尋問は請求されていない。むしろ、こうした裁判には珍しく裁判官のほうが子どもたちの尋問に積極的であるように見える。
この期に及んで、遺族は、子どもたちを法廷に引きずり出すことにためらいを感じている。しかし、「何もなかった」「いじめではなかった」と全面否定されれば、証人として申請せざるを得ないだろう。

今年4月から立法の制度が変わるという。今後の計画を立てて出さなければならないという。
裁判官は、次回に人証決定し、次次回から人証調べ(証人尋問)をしたいという。まずは遺族を含めた、大人たちから始めて、そのなかで最終的に子どもたちの証人尋問をどうするかを決めたいとする。

今まで、被告側が毎回のように書類の提出を伸ばし伸ばしにしては、裁判長もそれに対して強い姿勢を示してこなかった。傍聴に行くたびに、被告側にいたずらに引き延ばされているような気がしていた。
制度改革で、裁判長も今までのように悠長にはいかなくなった。たった1回の勝負で決まる。やり直しはきかないだけに、充分な証拠調べはしてほしい。一方で、年月がたてば法廷に証人を読んでも、「忘れました」「覚えていません」の応えが多くなる。それが虚偽であっても、不自然でなくなる。

改革が、被害者にとって、果たして吉とでるか、凶と出るか。しかし、今まで嫌というほど、被害者の人権は踏みにじられてきたのだ。せめて加害者と同等くらいにまでは引きあげてほしいと思う。

次回は3月10日(水)午後1時15分から。さいたま地裁(旧浦和地裁)504号法廷にて。





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