2003/12/9 | 学校で、救急車が呼ばれずに死亡した小野朋宏くん(事例 S020507)の裁判 | |
以前、テレビニュースで見て気になっていた。偶然、今年の学災連のシンポジウム(2003/11/15)でお会いして、今日の裁判の日程を教えていただいた。体育の授業中に具合が悪くなったにも関わらず、適切な処置が取られず、救急車も呼ばれずに亡くなった小野朋宏くんの遺族が、県を相手に起こしている民事裁判の第1回目が、本日(2003/12/9)、横浜地裁602号法廷であった。 原告の主張に対して、県からは「過失について争う」「注意義務違反について争う」との答弁書が出た。 県教委は、教師や養護教諭の処置についても、救急車を呼ばずにタクシーで自宅に帰したことも、全て適切な判断だった、何も反省する点はないと言ってきている。 それに対して、原告代理人の原田敬三弁護士のほうから、いくつかの不明点について具体的な指摘が口頭でなされた。 1.体育の授業を見学する時には1時間前に申し出ることとの決まりがあるにもかかわらず、直前に3名が見学を申し出たのに対して、体育教師が気分が悪いので持久走3000メートルにすると言ったことになっているが、この「1時間前ルール」は誰が決めたのか?体育教師ではないのか? 2.朋宏くんは、力が抜けたように膝を前に崩したとあるが、これは前倒しに倒れたということではないのか? 体育教師が生徒に「誰か見てこい」と指示し、仰向けに休ませるように指導したとあるが、すでに朋宏くんは仰向けに倒れていたのではないか?ただ、他の生徒の走行のじゃまになるからトラックの内側に移したのではないか? 3.呼吸が荒く過呼吸になりそうなので、ビニール袋をあてがったとあるが、いかなる状況を見て判断したのか? 手当てをしたとあるが、ビニール袋をあてがった他には具体的に何をしたのか? 4.パイプ椅子に座らせた時に言葉が出ない状況だったとある。担架が来るまで横にされたとあるが、パイプ椅子の上でなのか、地面に横たわらせていたのか? 5.保健室でのこと。ベット脇のカーテンを強い力で揺り動かした。10秒間隔で5、6回とあるが、これは痙攣ではないのか?答弁書では明確にされていないが。 養護教諭が痙攣を見て癲癇(てんかん)を疑い、違うことがわかったとあるが、では何によって痙攣が生じたと判断したのか?原因を特定する努力はしたのか? 6.11時10分、過呼吸が続いているとあるが、具体的な様子が書いていない。どのような症状だったのか? 応急処置をしたとあるが、具体的には何をしたのか? などの質問を行い、書面での具体的な答弁を求めた。そのうえで、過呼吸は誤診だった。痙攣発作は救急車を呼ぶべき重とくな症状だったと主張した。 そのあと、事前に申告が出されていた、原告・小野文恵さんの意見陳述が、証言台にて行われた。 文書を淡々と読み上げながらも、「何人生徒が亡くなればわかるのですか?」の箇所では、訴えかけるように声に力が込められていた。 最後に原田弁護士から、教育委員会、学校は不要の争いを避け、非を認めてほしいとの要望が出された。 ************** これがもし、学校側がすべての手を尽くしての結果であれば、わが子の死を簡単に納得いくはずはないにしても、まだその死を受け入れようと遺族は努力できただろう。しかし、朋宏くんは学校に見殺しにされた。面子を重んじて、あるいは事なかれ主義が優先して、救急車は呼ばれなかった。目の前でひとが倒れ、尋常でない状態であれば、子どもだって救急車を呼ぶことを思いつく。本当に誰も、救急車を呼ぼうとは思わなかったのだろうか。 それとも、「安易に呼ぶべきではない」として、かといって学校でそのまま具合が悪くなられても困るので、さっさと自宅に帰してしまおうと考えたのか。家に帰ってからであれば、何があっても学校は責任を逃れられると思ったのかもしれない。家族の処置が悪かったからと言い逃れをするつもりだったのかもしれない。 しかし、実際にはそれさえ許されないほど、事態は切迫していた。帰宅してすぐに母親が救急車を呼んだが、間に合わなかった。 そして、非を認めようとしない学校。亡くなった朋宏くんが、納得するはずがない。それを側で見ていた子どもたちが納得できるはずがない。もし、自分が次に同じ目にあったときに、学校はやはり救急車を呼ばないかもしれない。目の前で苦しんでいるのを見当違いのやり方で処置して、見殺しにされるかもしれない。学校が信じられない。教師に命を託せない。文恵さんが陳述書に書いている。「もし自分の子どもだったら」と教師が思ってさえくれていたらと。それでも、救急車を呼ばないつもりだろうか。あとで、「大げさだった」と叱られてもいい、とにかく救いたいと必死になるのではないか。目の前でわが子が苦しんでいるのを見たら、あらゆる手だてを尽くすのではないか。代わってやりたいとさえ思うのではないか。 そこには生徒への愛情が感じられない。モノ扱いしているとしか思えない。たとえ何の落ち度がなかったとしても、目の前で生徒が苦しんで、そして亡くなった。何か、救える方法があったのではないかと自省するのがふつうではないか。どうすればよかったのかと自問自答し、苦しむのが人間ではないのだろうか。 学校の事件・事故が起きるたびに戸塚大地くんのご両親の言葉が甦る。「子どもが死んだから学校がこのような対応をとるのではないのです。このような学校だからこそ、わが子が死ななければならなかったのだと今は思います」「わが子に死なれてみるまで、学校を信じていた馬鹿な親でした」。 学校が、教育委員会が、文科省が、子どもたちの死を受け止めて過去を反省しないかぎり、悲劇は起こり続ける。死ななくていいはずの命が奪われていく。 次回は、上記の質問をふまえての不足分と回答が被告側から、それに対する反論が原告側から出される予定。 2004年2月4日(水)、午前11時30分から、横浜地裁(JR関内下車)602号法廷にて。
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