わたしの雑記帳

2002/6/22 岡崎哲くんの事件を鑑定した石山c夫(いくお)帝京大学名誉教授、提訴される!


2002年6月20日の朝日新聞に、
『一審実刑の女性「誤った鑑定」  「法医学の権威」を提訴 』という見出しの記事が載った。
1999年、女性が夫の胸をナイフで刺して死なせた傷害致死事件で、法医学の権威で、数多くの鑑定を手がけている石山c夫(いくお)帝京大学名誉教授は、「体当たりしながら強く刺した」と認定。その結果、一審で女性は実刑判決を受けた。しかし、女性側は別の鑑定医に依頼した結果、夫が受けた傷は「もつれあった結果、ナイフが突き刺さってできた」ものと判断。控訴審の東京高裁は、新たな鑑定のほうを採用し女性に対して、執行猶予付きの判決を言い渡した。
今回(2002年6月19日)、この女性が、鑑定した石山氏らに1100万円の損害賠償を求めて、東京地裁に提訴したという。

この石山鑑定医は、茨城県牛久市の岡崎哲くんの事件で、哲くんの死因を「暴行死」ではなく、「ストレス心筋症」による「心臓死」(=病死)と鑑定(鑑定3)した鑑定医だ。
その鑑定のおかしさは、岡崎さんの加害少年とその両親を訴えた民事裁判のなかで言及されて、上野医師の法廷での証言(雑記帳2001/9/5付 参照)でみごとに覆されている。そして一審で東京地裁は、哲くんの死因を心臓の欠陥による病死ではなく、暴行によるものと認定して、加害少年側に責任を認めている(雑記帳2002/3/28付 参照)。(その後、加害少年側が提訴)

過失であったにしても、加害者側である女性が、鑑定医を提訴するには、相当に勇気がいることだと思う。まして、鑑定人にその結果責任を問えるのかどうなのかということになると、私自身は素人で、確かなことはわからないが、勝訴するのは難しいのではないかと思える。理由は、もし鑑定医に責任が認められるようになれば、誤診による責任の追及を恐れて、鑑定する医師がいなくなると推測されるから。専ら公の利益を重んじる今の裁判が、その危険を冒してまで被害者の人権を守るとは、実際の裁判をいくつかみてきたなかでは思えないから。
女性はきっと、勝ち負けにかかわらず、自分への非難の声を承知しつつ、どうしても訴えざるを得ない心境にまで追いつめられたのだろうと思う。

実は、石山医師の鑑定については、関係者の間にもいろいろな情報が流れていた。多くの冤罪を生み出しているということで、石山鑑定を告発する団体までできていると聞いた。岡崎さんの場合は、裁判の焦点が逸れてしまうことを恐れて、あえて参加していないが。
そういう人間と知りながら、そういう人間だからこそ、あえて検察側が頼りにしているとしたら、この問題の根は底知れず深いと思われる。法医学界のなかで大きな「権威」を持ち、白を黒、黒を白と言いくるめられるような鑑定を書く鑑定医が検察に味方をしたとしたら、冤罪は簡単につくられるだろうし、身内かばいにも利用される。
ジャーナリストでもなく、記事の裏付けもなく、小心ものの私は、ここで「もしも」と付け加えておくが。

http://www.kyuuenkai.gr.jp/shinbun/20011125/7.html
http://www.kyuuenkai.gr.jp/shinbun/20011105/1.html

この裁判をきっかけに、この問題にメスが入ることを心から願う。冤罪に苦しむ人びとのために、そしてねじ曲げられた真実に苦しむ人びとのために、あらたな被害者を生み出さないために。

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サッカーのワールドカップ。サッカーにはまるで興味のない私は、もし哲くんが生きていたら、サッカー少年だった彼は、この期間をどのように過ごしただろうかと、人生のまるで一大事のように大騒ぎしたに違いないと、そのことばかりが頭から離れなかった。
将来Jリーガーを目指していた哲君は、亡くなる3年前にサッカー教室でJリーグ・ヴェルディ川崎の中村忠選手から指導を受けたことがあった。亡くなったあとにお父さんが中村選手に出された手紙に対して、激励の手紙とユニフォームが届けられたという。(哲くんの死後、検察その他で、哲くんが生きていた事実さえもまるでなかったことのようににされてしまう対応のなかで深く傷ついてきたご両親にとって、哲くんが敬愛していた中村忠選手が亡くなった哲くんのために心を砕いてくれたことは、とても大きな心の支えになったと思う)

この期間を、お父さん、お母さん、遺族は、どんな思いで過ごされたことだろう。
そして、かつては哲くんと一緒にサッカーのボールを追いかけたことがあった、哲くんのお父さんにサッカーのコーチをしてもらったこともあった加害少年はどんな思いでワールドカップをみたことだろう。
生きていたら、人生の楽しい思い出のひとつとして刻まれたかもしれないできごと。それが今、彼を愛した人びとの心に悲しみを刻むことになるとは。それが、日々の暮らしの小さなできごと、人生の節目ごとに繰り返されることになるとは。

人ひとりの人生の重さと、それを奪うことの罪の重さを、せめて加害少年が少しでも理解してくれていたらと思う。
しかし、今だ本人からも保護者からも謝罪の一言もなく、哲くんの死を病死ではなく暴行死と認め、加害少年側に約5600万円の賠償金支払い命令を出して実質被告側が敗訴した第一次訴訟に対して、控訴してきた加害少年とその家族の動向を見ているかぎり、誠意は感じられない。
そんな人びとにとっては、ワールドカップは単に楽しいお祭りでしかないのかもしれない。遺族の悲しみに思いを馳せることはないのかもしれない。



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