今日、いじめ自殺した大野悟くんの裁判の傍聴に、さいたま(旧浦和)地裁に行ってきた。
大野悟くんという名前でピンと来ないひとでも、川口市の「HELP」と電話メモに書いて、翌日に自殺した少年と言えばわかるかもしれない。
今回が4回目の公判ということで、まだ書面のやりとりの段階だった。わずか15分ほどで閉廷となった。およそ、検討がついていたので、せっかく来たのにとは思わない。今回は、電話でのみお話ししたことのある、この裁判を中心になって闘っている悟くんのお祖父さんに一度お会いしたいと思って、足を運んだ。
思ったより小さな部屋だった。3人がけのイスが3×3(27席)。プラス、記者席なのか、証人の待機席なのか、被告側に人工皮革張りの長椅子がひとつ。長椅子を除くと傍聴席の空きはわずか2つ。
ただ、少し気になったのが、平均年齢が若干、高めであること。親戚もしくは、お祖父さんの知人が多いのだろうか。
悟くんのご両親は想像していたより若かったが、その年代のひとが見当たらない。同じ年齢の子を持つ親は、地域での事件に関心がないのだろうか。それとも、まだ準備書面段階だからなのだろうか。
ここでの裁判長はてきぱきした感じのひとで、被告側の弁護士に、「学校のほうで調査を行っているわけではないんですね?」と質問。「まったく行っていないわけではない」という濁した答えに、「では、教師間の情報の共有化はどういう方法で行ったのですか?」と再質問。
結局は、次回、これらも含めて、川口市側の陳述や職員会議録についてなど、書面で回答するということになった。
一方で、原告側にも、「校長以外に公権力の行使をしたのは誰か」を次回までに具体的に書面に述べるよう、求めた。のちの証人申請のための下準備というところだろうか?
今までの経緯はよくは、わからないが、第1回目は、悟くんのお祖父さんが原告側の代表として、冒頭陳述を行い、孫をいじめで失った悔しさを話されたようだ。あとは、ずっと書面のやりとり。
短い法廷、遅々として進まない裁判に、傍聴席から「またぁ?」「もう、終わり?」と不満の声があがる。
はじめは誰もがそう思う。会社を休んでまできて、これは一体何なんだと。
少しは改善される動きもあるようだが。
終了後、少し立ち話させていただいたときに、悟くんのお祖父さんと、弁護士さんに、拙著「子どもたちは二度殺される」は、裁判のとてもいい参考資料になったと言っていただいた。
裁判を闘っているひとたちの、少しでも役に立てばと思う。年輩の方にはとくに、まだまだインターネットは普及していない。サイトだけでなく、紙での媒体が必要だと思う。お金がかかるけれど。
ここのところ、また少し考えていることがある。いじめに関する裁判が増えているということ。それも、生きているわが子のための裁判が。そして、不思議なことに、追いつめられて自ら死ぬしかなかった子どもたちへは、無情な判決が出ているというのに、生きている子どもたちには、けっこう原告の言い分が認められているということだ。生きている子どもたちへの判決は、今後のその子への成長に及ぼす影響を考えてということなのだろうか。
生きている子どもたちの「心の傷」は傷害として認められて、死ぬほど追いつめられて、実際に死んでしまった子どもたちの「心の傷」は認められないのはおかしくはないだろうか。
事例を少し集めてみようと思い立った。もしかしたら、それが死んだ子どもたちの無念を晴らす一助となるかもしれない。そして、多くの泣き寝入りしている被害者たちの一助となるかもしれない。
いずれ新しいコーナーを設けたいと思っているので、乞う、ご期待。
なお、大野さんの次回の公判は、10月31日(水)午前10時。さいたま地裁(浦和駅・西口 歩10分くらい?)504号法廷にて。まだ、次回も書類のやりとりが続くが、少しは市側の言い分なども聞けるかもしれない(あくまで推測)。
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