児童労働反対のための
 グローバルマーチ in ラテンアメリカ
(ブラジル〜アルゼンチン)

田村 梨花



 児童労働反対のためのグローバルマーチのブラジルチームに、プラッサから田村梨花さんが参加しました。ブラジルからアルゼンチン間の、参加した子どもたちの様子などを、レポートしてもらいました。



 2月25日、快晴。集合場所である、サンパウロの中心地区にあるNGOの事務所に定刻10時に到着。当然のごとく時間通りに来ているのは少数。「朝ご飯食べる?」と言って、おいしそうなミニフランスパンにハムとチーズを挟んだものとカフェオレを飲みながら、自己紹介をする。初対面の人もいるのだろうが(もちろん私もその一人)、すっかり打ち解けた雰囲気だ。ミーティングが始まったのは12時。ブラジルの各地から集まった人々に囲まれて、一人少なからず萎縮していると、以前実際に労働に従事していた子どもたちに話しかけられる。「あなた、何で来たの?」「え?私、今日本で勉強している学生なんだけれど」「ていうか、子どもの代表?それとも何かの組織の代表?」おいおい26歳つかまえて子どもはないでしょ・・・(これ以降、この年齢に関する問題はしつこいくらいに書かれるが、どうかご容赦頂きたい)。



 集まったメンバーは案の定、長年子どもたちの権利に関する様々な社会活動をしてきた人ばかりである。各種労働組合で未成年労働者の問題に関わってきた人たち。ストリートチルドレンの保護活動を行ってきた人たち。一つ一つの企業に働きかけながら、確実に児童労働を失くそうと規約を作ってきたNGOのメンバー・・・。自己紹介をする時、何の肩書きもない学生である私は、ただ日本から来たことを強調した。しかし私にとって、ブラジルの児童労働とは全く関係ないと感じられる日本からの参加者がいるということが、何らかの刺激になってくれればと思ったこともあり参加したのだ。本来ならば学校に通ったり、近所で友達と遊んだり出来るはずの子どもたちが労働、つまり経済活動に巻き込まれているという現実、これは、今私たちがグローバリゼーションと呼んでいる市場経済の世界化の影響を確実に受けていると感じているからである。だが、そんな私の凝り固まった意見とは裏腹に、ブラジルメンバーはもっと具体的でどちらかと言えば即効的な児童労働廃絶運動の方法を模索しているようだった。



 このマーチは、簡単に言えば世界99カ国の約7.000ものNGOが集まってアジア、アフリカ、ラテンアメリカそしてヨーロッパの4地域で各チームが出発し、6月に開催されるILO総会の開かれるジュネーブをゴールとしたイベントである。総会では児童労働に関する新規約が締結されるため、児童労働という問題に対して社会的意識を高めるために開催されるものである。私はインターネットでこの情報を手に入れたので、その後ILO東京支局や各種NGOに詳細を問い合わせてみたが、どこもほとんど情報はなかった。かろうじて、大阪にある国際子ども権利センター(ICRC)に所属している大学院生のグループがACE(Action against child exploitation)という団体を作り、このマーチを日本でも開催しようと活動していたのを知った。日本では第三世界の児童労働についての情報はほとんどなく、あってもそれは時々新聞やTVでルポされるくらいで、問題の深刻さを十分伝えられる媒体は少ない、などと意見が一致した。グローバルマーチのような世界的規模のイベントであれば、ラテンアメリカにはなくともアジア地域なら日本人の参加者はいるだろうと思っていたが、ほとんどいなかったようだ。ACE代表の岩附さんがインドでマーチに参加するので、もしかすると私たち二人だったのかもしれない。児童労働撲滅に向けて世界各国が一致団結しようとしているのに、日本の意識はあまりにも低すぎる!と感ぜずにはいられなかった。



 しかし、マーチ自体はそんなにデモ行進的なものではなく、実際に横断幕を掲げて歩いたのはほんの少しだった。しかしスケジュールは芸能人並みで(参加した子どもたちはある意味で有名人)、毎日バスで場所を移動し、一日2回は州知事や子どもの権利フォーラムなどに参加した。ブラジル人は疲れを知らない、ということは重々承知していたが、ここまで元気だとは・・・。子どもたちも平均年齢13歳であったが、みな立派に会場でスピーチし、マスコミの取材に応えていた。組合から参加しているメンバーや代表者の話も良いが、子どもたちの言葉はやはり重みがある。ブラジル北東部バイーア州でサイザル麻の収穫をしていたベルシア(13歳)の「学校があれば子どもたちは通う。」という言葉、同じく北東部のセルジッペ州でオレンジ農園で働いていたジョゼの「働かなければ、食べられない。」という言葉。どちらも真実である。



 実際に毎日朝6時から夜日が暮れるまで仕事をしていたという子どもたちに、聞きたい事はたくさんあったが、マスコミからのインタビューをほぼ毎日受け、働いていた時の状況を説明させられていた彼らに同じことを尋ねるのはやめようと思った。いちいちうるさいことを聞く大人にはなりたくなかったし、「あなたいくつ?」「いくつだと思う?」「18歳」「え・・・?それはないわ。もっと上。」「20歳?」「うーん・・・。」(それにしても、いくら日本人は幼く見えるって言ってもねぇ・・・。)といった感じで大人なのか子どもなのか良く分からない年齢層に属する「変なポルトガル語をしゃべる日本人の友だち」に、私は徹していた。でもそれで、良かったと思う。



 ブラジル最南地域に位置するリオグランデドスル州ポルトアレグリ市周辺地域は、特産物である皮革を利用した製靴工場が多い地域であり、またそこは工場の中や内職として子どもを労働力として使用することが非常に多いことで知られる。だが、最近は一人でも多くの子どもたちを教育の場に戻そうと、ILOやユニセフ、地域の社会福祉協議会、市政府による合同開発プロジェクトが功をなし、少しずつ企業が児童労働を撤廃し成年の完全雇用を推進する動きが現れている。



 ポルトアレグリからマーチの一員として参加したジョジアニ(11歳)もその一人で、以前は製靴工場で毎日働いていたが、今はILOのIPEC(児童労働撲滅国際プログラム)プロジェクトで出来た学校に通う元気な小学生、おしゃまという言葉がぴったりの女の子であった。彼女は妙に私になついていたが、レストランで私がワインを飲もうとした時「Rika,飲んでいいの?」「私だってワインくらい飲みますぅ。」「いけないよぉ。」と妙にこだわり出し、まさかと思ったらやはり私を子どもの仲間だと思っていたことが発覚し、彼女はかなりショックを受けていた(なんでだろう・・・)。



 ジョジアニはなんというか、思い出深き存在である。ウルグアイを移動中、食事の時間がうまく合わず、お昼を調達するかどうか、おそらくみんな疲れていたせいでつまらない口論になった時に「ちょっとみんな聞いて!」と手を挙げて、「道で食べるものもなくておなかを空かせた子どもがたくさんいるのに、一回の食事くらい我慢すればいいじゃない!」と言い放ったのだ。「言うなぁ。」と感心していたのだが、その数日後、夕食後アイスクリームを買ってもらって食べていた時に「もういらない。」と言って渡すので「うん、やっぱり子どもだった。」と思っていたら、隣にいたリゴベルト(グアテマラからの参加、最年長の17歳)に「あれ?この前食べるもののない子どももいるのに、って言ってたんじゃなかったっけ?だめだよ残しちゃ。」と優しい突っ込みを入れられていて、笑ってしまった。しかし彼女にとっては本当にショックだったらしく「Rika、今日は私にとって特別な日になったわ。」と話してくれた。



 各地で展開されている児童労働に関する活動をいろいろと知ることが出来たが、やはり何といっても効果的だと思ったのは、子どもたちが無理なく通える範囲に学校を建て、家族に経済的負担のかからない、質の高い教育を与えることだと思った。それは例えば、子どもを学校に通わせることを条件に奨学金を与えたり、毎日三食の給食を用意することであったり、子どもが夢中になれる遊びを授業に取り入れることであったりする。両親だって、全員が好んで子どもを働かせているわけではない。条件さえ合えば子どもを働かせずに学校へ通わせられる、ということを実感させてくれたプロジェクトが多々あった。まだまだ学校に通えずにいる子ども、学校に通わせることに抵抗を感じている親たちは沢山いるのだろうが、午後になってプロジェクトに子どもを迎えにくるお母さんの優しい笑顔をみていると、やっぱり学校に通わせて良かった、と感じているように思えた。



 個人的な感想として、もう少しオーガナイズして欲しかったというものがある。なんといっても、これから行く場所、会う人、その後の予定などをほとんどの人がきちんと把握していなかったり、昼食の手配が出来ず朝から夜十時まで飲まず食わずということがたまにあった。アルゼンチンでの最終日、それを予知した何人かが勝手に軽食をとり、私にも「絶対、今買って食べといた方がいい。」というのでどうしたものかと思い、リーダーに聞くと「大丈夫、到着するところに準備してあるから」と言うし、食べていない人もいるので我慢したら、結局そこには何もなく、しかも場所が農園の真っ只中で食糧の調達が出来ないところだったので、大変な騒ぎになった。しかしこのようなミステイクはブラジルでは日常茶飯事であり、リーダーは「悪かった。みんな、我慢してくれ。」というので、とても責められなかった。しかし、考えれば方法はあるはずなのだと思うのだが・・・。と、すぐに解決方法ばかり焦って考えてしまうのは日本人だからだろうか?いや、違う!!ブラジル人が寛容すぎるだけだ!しかし、今ここで大切なのはあの広場の真ん中で開催されているイベントなのだ、と駆けつけるとそこではなんともかわいい人形劇が。思わずしばらく見惚れていたが、やはり空腹感は拭えなかった。しかし、夜10時に食べたご飯の味は格別だった。



 と、そんなことよりも子どもたちについてであるが、おそらく今回のような長期のしかも国境を越える旅行はそう何回も出来るものではないこともあり、最後まで彼らはパワー全開だった。そして、2週間でみんな本当に仲良くなっていた。私はこの2週間彼らと一緒にいて、とにかく彼らの生活する場所に直接行ってみたくなった。ポルトアレグリの宿泊所に着いたのが夜9時頃で余裕があったので、そこで晩御飯を食べて、ジョジアニを家まで送るのについて行くことになった。宿泊所で出された山盛りになったパイを見て、「ね、これ家に持ってっていいかな?お母さんと兄弟にあげたいの。あの代表の人に聞いて。」と私にジョジアニは言ってきた。こういう行動は何と言えばいいのか、彼女は結局、マーチの間の食べ物に困らない生活と自分たちの日常生活との「区別」を11歳にして理解してしまっているということなのだろうか。送っていった彼女の家は、家の密集した狭い場所で、生後8ヶ月の弟は(暑かったからかも知れないが)何も着ていなかった。通常私たちは、身勝手に、「現実に戻って格差のダメージを受けないだろうか。」と心配してしまうのであるが、子どもたちはどうも自分なりに理解しているように感じる。「あまりの違いに驚かない?」とも思うのだが、直接聞くことはできない。聞いてみたいけれど。どう感じているのか。でもそれには、もっと一緒に彼らと同じ生活をしてみなければ分からないことだろう、と感じた。



 そして、このマーチに言ってみればただで参加させてもらった私の出来ることは?それは、まず、第三世界の子どもたちの人権は守られているのか、彼らの生活はどうなっているのか、彼らの未来はどうなるのか、それはその国の責任として忘れてしまっていいものなのか、私たちとは関係のないことなのか、ということをもう一度考えてみることではないだろうか。



 インドで債務奴隷にされている子どもたちを救う運動をするSACCSの代表で、グローバルマーチの国際コーディネーターを務め、ラテンアメリカのマーチにサンパウロから4日参加したカイラシュ・サスヤートがコカコーラとペプシを巡る路上の少年の話をしてくれた。「リオデジャネイロで、コカコーラを売る少年に会った。そこに、ペプシを売る少年が現れた。二人の間で客である私を巡って争いが起きた。バングラデッシュで同じくコカコーラを売る少年に会った。そしてやはりペプシを売る少年が現れた。アフリカでも同じ光景を見た。これは、どういうことなのか。何が子どもたちを巻き込んでいるのか。誰が、世界を支配するのか。」一体何が彼らの生活を支配しているのか、その間接的ではあるが決定的な要因をそのままにしておいては駄目だ、というメッセージを私は感じ取った。



 ラテンアメリカ地域担当責任者で、アブリンク財団代表のレリオ・コレアは貧しい家庭の子どもたちの生活に深刻な影響を及ぼす市場経済のグローバリゼーションに対し、「人権のグローバリゼーション」をみんなで進めようと話してくれた。やろうと思えば不可能なことではない」というのが、今回のマーチから得た教訓である。「児童労働に反対するグローバルマーチ」という響きから私たちは悲惨な現実という印象を受けるが、反対する方法はいくらでもあるのだ、ということを感じ取れた。



 ブラジルのオレンジが多量に日本に輸出され、私たちは果汁100%のオレンジジュースを安く飲めるようになった。でも、オレンジの収穫に汗しているのはジョゼの友だちかもしれない。不買運動を起こせば全てが解決する、とは思わない。しかし、それだけ私たちの生活と身近な問題なのだ、という認識がもっとあっていいのではないかと思う。ブラジルの労働組合やNGOは、児童労働というこの「耐え難い問題」に、場合によっては生命の危機をいとわず立ち向かっている。実際車に火を点けられたりすることがよくあるそうだ。普通に語るから、それが恐い。現場での意識は本当に高まっている。時間はかかるかも知れないが、どうにもできないとは思っていない。私たちは、心のどこかで「こればっかりは手のつけようがない」と思ってはいないだろうか。「あきらめない」そんな夢のような言葉の大切さを感じながら、立ち向かっている人たちがここにいる。しかし、決して我武者羅ではなく、出来る範囲でしかし根気強く続けていこうという感覚が伝わってくる。



 このマーチを終え、メンバーは私のことを「日本にはない児童労働の問題を真剣に考えている日本人が一人いた」とではなくとも、「やたら遠い所からやってきた日本人の女の子と友達になったなぁ。」って位には覚えていてくれているんじゃないかな。私からすれば、「やたらと元気でうるさくて、でも真剣に子どもたちのことを最優先に考えている人たち」と沢山友達になった。このマーチを経験した子どもたちが成長して、それぞれの生き方を選択し、そしてその時その選択が、彼らの権利として必ず保障されていなければならない。その言葉は日本にいる子どもたちからも聞こえてくるような気がする。ただ、日本の子どもたちは彼らとは違った要因で、やりたいことが探せない状態に置かれていると私は思う。子どもたちにとって「やりたいことを見つけ、それができる」社会になっていて欲しいと強く感じる。



 グローバルマーチは今も続けられている。ちなみにラテンアメリカチームは5月1日のメーデーにメキシコシティに到着する。リゴベルトは最終目的地ジュネーブまでマーチを続ける。マーチを終えた後の彼の感想がとても楽しみである。何かきっと、とてつもない大人びた発言で私たちを驚かせてくれることだと思う(私も最後まで子どもだって嘘ついてジュネーブまで連れていってもらえば良かったかな?)。




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