インターネット ホームページ紹介
Casa Alianza Covenant House
Latin America



 国際NGO「コベナントハウス」では、インターネット上にストリートチルドレン支援組織「カサ・アリアンサ」のホームページを開設しています。世界の人々に向けて、中米におけるストリートチルドレンの現状を知ってもらうための、貴重な情報や記事が掲載されています。

 このホームページを「ストリートチルドレンを考える会」の工藤律子さんが翻訳され、同会会報「とんでごらん」に掲載したものを転載させていただきます。

URL http://www.casa-alianza.org/



グアテマラにおける人権
    決して忘れはしない。
        でも行ってしまった

第一回


スタートリビューン紙 1996年5月13日
ポール・マクエンロア著
工藤 律子 訳



グアテマラの少年に起きたこのケースは、心に強く響く問題を投げかけている。



◎ 一人の少年の価値


 アメリカ大陸やグアテマラ全体という、物事の大きな体系のなかでは、一人の少年の運命など、大した意味を持たない。それどころか、誰も気にもしないだろう。

 それは1991年の春の終わり、フロリダのオキーチョビーにあるエバーグレイズ小学校の610号室で起きた。マイケル・バスケスの3年担当の教師は、いつもの年と同じように、その季節を終わらせようとしていた。彼女は、期末成績表を書いていた。

 サンドラ・ダンカンは少年の成績表を手にとり、誇りに満ちた気分になると同時に、なにかとても不安になった。彼女は算数の欄に“A”と書きこみ、それは幾つも並んで、少年が学力をつけてきたことを示していた。成績表の裏に、彼女は「私はマイケルの担任になれて、大変楽しかったです。彼は自分の責任をきちんと果たし、仲間からもとても好かれていました。彼とお別れするのは、とても寂しいです」と記した。こうした事実は、州によって近くの児童所に入れられた少年が、すくすく成長していることを物語っていた。

 一方で教師は、自分の感じた「不安」を、成績表に評価、記入することができなかった。ただ自分が、なにか大きな不安に襲われているということしかわからなかったからだ。彼女は、そのグアテマラの少年が、昨年の11月はじめて教室に来た日から、どうやってあれほどうまく自分をこの環境に適応させてきたのか、不思議に感じていた。7ヶ月後、彼が握手をするために手を広げて彼女の前に立った時、すべての不安は消え去った。一つを除いては・・・

「彼は学年末のある日、私のところに来て言ったんです。『これを受け取ってください。そしてボクのことを忘れないで』と」ダンカンはそう言った。「彼はそれを私に渡し、私はそれを手にとって、『大切にするわ』と言いました。彼は自分が去らなければならないことを知ったんです。彼は腹をたてていました。・・・・自分に対するある種の恐れを抱いていたんです」小さな贈り物というのは、少年なりの別れの言葉だった。

 5年後も、贈り物はダンカンの引出しの中にじっと座り、彼女に答えをみつけることのできなかった疑問を思い出させた。「私はそれをこのビンのなかにしまっておき、目にするたびに自分自身に問いかけるんです。マイケルに一体何が起きたのかしら?って」


◎ ストリート


 今になってようやく、教師は、グアテマラシティの悪名高いコンコルディア公園に、薄汚れた格好のマイケル・バスケス(15)がいることを知った。ごく最近警察に殴る蹴るの暴行を受けたことで、彼の目は紫色に腫れ上がっていた。彼は、ストリートの甘酸っぱい匂いを漂わせ、髪はもつれ、そこには白い粉が散りばめられていた。フケとシラミだ。

 彼の傷だらけの顔の下には、まだ幼い優しげな印象が、かすかに残されていた。

 とはいえ、そこには危うさが伴っていた。青少年救援福祉員は、マイケルが時々「余分に働く―盗みをする―元気のないとき」、他人の性欲を満たすことでお金を稼いでいるのではないかと考えている。なぜなら、コンコルディア公園は、ゲイ売春の溜り場だからだ。そこには、彼らと数時間楽しみたがっている外国人観光客の欲求を満たすことで生き延びている、行き場を失った少年たちが大勢いる。夜、ボロにしみ込んだ接着剤を鼻の下に押し当てて吸っていないときのマイケルの優しげな顔つきと完璧な英語は、ほかの売春少年たちよりも客ウケがいい。彼の足のつめにぬられたペニキュアもそうだ。

 たとえば自分自身が、1歳のときからアメリカ合州国に暮らしていて、まるで小荷物のようにあちこちをたらい回しにされてきたと想像してみてほしい。あなたは、幼い頃、父親によって祖母の家に連れていかれ、4年後には再び父親が迎えにきて、今度はフロリダに連れていかれ、何年間も置き去りにされた末に、やっと州政府に保護され、児童所に入れられた。しかしそれすらも、再びどこかへ連れていかれるためのワンステップにすぎなかった。しかも今度はよりによって、世界でもっとも人権抑圧のはげしい国の一つへ、だ。

 マイケルはその事実をこう理解した。「(フロリダ)州政府はもうボクのことが必要じゃなくなったんだ」

 彼は今自分が、フロリダ・パームビーチ郡の役人が行なった、正当かどうかも疑わしい決定のせいで、グアテマラシティでサバイバルしなければならなくなっているのだと感じている。彼は、父親のもとへ戻るように命令されたのだが、その父親というのは、息子の保証人となることも、州政府が施行している子どもの養育の義務を果たすこともできなかったことを認めているような人物だった。

 マイケルの裁判記録によると、彼がまったくの放ったらかしにされたり、暴力を振るわれたり、危険に満ちた生活環境におかれていたにもかかわらず、裁判官は少年の後見人の勧告を却下し、彼を父親のもとへ帰した。そして父親は、溜めたお金4万ドルで、グアテマラへ帰ってやり直したい、と言った。

 その時点で、父親が息子への養育支援の義務を果たしてこなかったと言う事実は、もうどうでもよくなったかのようだった。児童所にいた少年は、まだ芽を吹いたばかりだったフロリダの福祉活動の手から連れ去られた。裁判官は、少年の後見人の心配に同情しつつも、移民法は法的に外国人だとみなされている少年が、父親のもとへ戻ることを止めることはできない。ましてその父親が彼を母国へ連れて帰りたいと言うのなら尚更だ、と言った。

(つづく)




プラッサへのご質問、お問い合わせ
および入会・購読を希望される方は
ここからどうぞ


praca@jca.ax.apc.org