『ピープルズ・プラン研究所ニュース』 No.4 (1998/06/27)


「反戦地主に連帯するツアー」

沖縄は静かに怒っていたように思えた

桜井大子

 

 沖縄における米軍基地に反対する行動は、基地を目の前にした肉迫の抗議行動であったりする。そして、行動の一つひとつが問題解決への可能性を秘めているようにも思える。集まった一人ひとりの体で、広大な基地を包囲できてしまったときなどは、その可能性のリアリティはドーンと大きくなるように感じてしまうし、また「沖縄の人々と一緒に闘っている」という実感がわいてきたりもする。

 このような沖縄での行動に参加するために、私もそのメンバーである「沖縄の反基地闘争に連帯し、新ガイドライン・有事立法に反対する実行委員会」(新しい反安保実)主催の「反戦地主に連帯するツアー」にのっかって、五月一四日〜一七日、沖縄へ行って来た。

 沖縄がアメリカの軍事占領から解放され、日本に「返還」された「記念日」、五月一五日を中心に一週間ほど、沖縄では反基地の行動が鈴なり状態であった。

 一四日の深夜に沖縄入りした私たちの行動は、翌日からだった。この日は嘉手納基地第一〜五の各ゲート前で、いろいろな行動が準備されていた。私たちは、パレードやアイヌ・沖縄の音楽や踊り、コンサートなどを準備していた第二ゲートと、「女性たちの痛みの記憶」沈黙の行進や、反基地・反軍隊で活動を続ける人々の交流、ミニ集会等を企画していた第五ゲートに参加した。

 第五ゲート・女たちの行動は印象深いものだった。彼女たちは「一〇〇〇本の記憶」という旗を準備し、参加者に一本づつ手渡した。台湾の女性がデザインしたという、蝶がさなぎから出てくる瞬間のモノクロ写真が印刷された旗。黄色の枠で「一〇〇〇本の記憶」と染め抜かれ、その下に「記憶」すなわち軍隊によって、あるいは基地があることによって引き起こされた女性に対する様々な暴力や犯罪の記録が、旗の一本一本に一件づつ、貼り付けられている。私たちはその女たちの「記憶」の旗を基地に向かって掲げ、沈黙の行進の列に加わった。ゲート近くの彼女たちのテントからゲート前までの行進。そして、それぞれの旗に貼り付けてある女たちの「記憶」をその旗の持ち手が読み上げるという空間。その一連の行動を通して、「本土」からの参加者である私(たち)は、「可能性のリアリティ」やら、「沖縄の人々とともに闘っている」などといった感想自体が、えらく浮ついているように思え、なんだか恥ずかしさを感じさせられたのであった。

 その「記憶」として表現された米軍の犯罪は、私たちが沖縄の人々と一緒になって米軍基地へ訴えるものとしてあると同時に、「本土」の私たちに向かって同様に訴えられているものであることを、まずその場にいることの居心地の悪さを通して気づかされるのだ。「一〇〇〇本の記憶」とは、一〇〇〇件くらいの基地・軍隊による犯罪ということだ。しかもこれは、ほんの一部でしかないということを、実際に調査した主催者の女性たちは語る。それらは、米軍はもちろん、基地を押しつけている日本政府が間違いなくつくり出した犯罪である。そして構造的には、それを阻止できないでいる私たちもその責任を免れないのだ。それゆえの居心地の悪さである。彼女たちは私たちに何も言わない。が、静かな怒りを感じてしまうのは、私の主観のせいだけではないように思えた。

 一七日の普天間基地包囲行動にも参加した。途方もなくデカイ基地のフェンスに張り付いた一六〇〇〇人の私たちは「普天間基地を無条件で返還しろー!」などと大声で叫んだ。しかし私たちは、日本政府が「どうぞどうぞ」と米軍に座布団をすすめていることを知っているのだ。沖縄の人々はアメリカと日本政府に怒り、そしてふがいない「本土」の運動にもウンザリしているにちがいない。

 「本土」の、とりわけ東京にすむ私たちが当面闘わねばならない相手は日本政府である。このあたりまえのことを、もう一度ガツンとぶつけられた沖縄ツアーであったのだ。

(反天皇制運動連絡会)


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