People's Plan Forum Vol.3 No.5 (Nov, 2000)
「市民的専門性」とは、市民がもつ問題解決のための知識や力だ。行政機構では充分に住民のニーズがくみとれない場合、また行政・官僚のもつ専門性が地域社会の利益に反している場合、市民はそれに対抗し代わり得る総体としての市民的専門性を獲得する必要性に迫られる。その発露は、阪神・淡路大震災におけるNPOの活動や住民主導型の地域福祉活動、また原子力の安全に対する市民の研究やイニシアティブのなかに顕著に現れているといえる。
当初、吉野川可動堰計画に対する住民・市民の運動は、可動堰建築を妥当とする建設省や県および市町村議会の判断に対し、その論理的正統性を求めかつ科学的に反証していくことから始まった。市民団体のひとつ、吉野川シンポジウム実行委員会では、民間の河川技術者の力を借りながら、可動堰化の理由となっている現第十堰の老朽化・せきあげ・深掘れの問題に対し、基本高水流量【注】の計算や堰の流下能力の検証からいくつかの間違いが建設省側の計算にはあると結論するにいたった。その内容はこれまで、建設省側と市民団体側との公開シンポジウムおよび審議委員会の場にて再三指摘されてきているが、論議の場では、むしろ市民団体側の主張がより科学的な客観性を備えていると見受けられることが多く、その後推進側である建設省徳島工事事務所や徳島県が、「明日にも洪水が起きる」といった感情的なキャンペーンに走らざるを得ない状況をもつくり出した。
吉野川可動堰建設を巡る住民投票運動における「市民的専門性」の中核にあるのは、こうした活動を通して市民団体のなかに蓄積されてきた科学的な知見・理論である。住民投票条例の制定を求める運動が展開を始める以前から、上述した吉野川シンポジウム実行委員会はじめ、多くの市民団体により、専門性をかたちづくる上での基礎となる活動が行われていた。それは、親水イベントやカヌーイベントのような市民を川に近づける活動から始まり、次第に川と人間との関わりのあり方や、市民と行政との関係のあり方について考えていく活動へと発展していった。
市民的専門性は、生活者のもつ「生活知」と専門家のもつ「専門知」を融合した問題解決型の知識・力である。それは、住民性と市民性という言葉でも表現できる。つまり、イシューの直接の利害当事者である地域住民が培うローカル・ノレッジと、イシューへの間接の良心的関与者(支援者)である外部の専門家たちが提供する専門知が、地域社会内部で組み合わさることによって、新たな専門性が獲得できる、という発想である。ここでは、専門家は地域住民ではなく「市民」として、そのイシューに直接の利害をもたなくとも自分の専門性を通して問題解決にコミットし、市民的専門性形成のアクターとなっている。
この場合、「生活知」にあたるものとして、まず流域住民の経験的な川への知識があった。その代表的な事例に、第十堰の間近に暮らす徳島市国府町の佐野塚地区の人びとの活動がある。佐野塚地区は、六二戸からなる典型的な農業集落である。徳島市の最も北西、吉野川南岸に位置する佐野塚地区は、第十堰の間近にあり建設省が主張する第十堰が原因での洪水が起きた場合、隣接している名西郡石井町とともにまっさきに被害を受ける地域でもある。その佐野塚の人びとが可動堰化計画に異議を唱え出したのは、建設省が地区に向けて説明会を行った一九九五年ごろからであった。「佐野塚・第十堰を考える会」委員の山下信良さんは、「住民にとって、第十堰は先祖が私たちに遺してくれた貴重な財産。私たちは第十堰を《お堰》と呼んで敬い、同時に生活に密着した憩いの場としてずっと大切にしてきた。」と語っている。そうであるがゆえに、第十堰が老朽化しており洪水の原因となる危険のものだという建設省の改築理由は、住民にとって受け入れ難いものであった。
こうした佐野塚・第十堰を考える会の主張の背景には、先祖代々第十堰の間近で暮らしてきた住民としての想いがある。山下さんは「先祖代々ずっと第十堰のそばで暮らしてきたが、いままで一度も第十堰が原因で洪水が起きたことはない。第十堰は一年のうち多くを川水が堰の上を通って流れ、堰内部にも水が透過していることから上下流を分断せず、生き物も行き来できるが、可動堰によって水を溜めてしまうと川の水が汚れ、生物の環境にも影響をおよぼす」と語る。佐野塚の住民は決して河川工学や環境調査の専門家ではないが、吉野川の川の音を聞きながら生まれ育った身体的・経験的知識から、可動堰化の意義の疑問を感じ、またその弊害についても言及してきている。
こうした可動堰化への疑問を表明するローカル・ノレッジは、吉野川を生活の場とする川漁師たちのなかにも見られる。吉野川の河口で海苔養殖を営む賀川宣明さんは、次のように語っている
「土佐水というてよ、上流の土佐で大雨が降ったら、一週間くらいこの川は泥水で濁っとたんよ、昔は。それがこの川の養分じゃったんやと、あとでわかった。カミに大きなダムが二つも次々とできて、ここら河口では、自分で動いて逃げれん生き物から順におらんようになった。ハマグリ、シラウオ、アオギス。ダムで堰き止めた水には全く養分がない。あれらぁがおらんようになって、わしら漁師にも、やっと川の水の力がわかったんよ。ほなけん、新しい河口堰を造るんは、絶対反対。」(一九九八年「吉野川〜洪水と生きてきた」天野礼子『川は生きているか』岩波書店)
川漁師たちは、長年にわたり川によりそってきた経験から、河川工学上の知識はなくとも、洪水が起きるメカニズムやダムの弊害についての身体的な知識をもっている。つまり、科学的知識はないが、川についてある意味、建設省の技術官僚よりも多くのことを「知っている」のだと言える。そうした生活知から、市民団体もまた活動の原動力を得、また自身の主張の正統性を強めてきた。第十堰住民投票の会代表世話人の姫野雅義氏もまた、第十堰の近くで生まれ育った一人だ。彼は講演会の場で、次のように語っている。
僕自身は河川工学の専門家でもありません。しかしながら、その第十堰の近くで大きくなりました。小さい頃からお年寄りの話も聞いた。そのなかで、第十堰が洪水の障害になったり、第十堰のために堤防が壊れたという話は一回も聞いたことがないわけです。ですから、「この計画はおかしいんじゃないか。」と思うわけです。(第六回分権講座「吉野川可動堰について―公共事業と市民運動」[一九九九年五月二〇日]香川県自治研センター『THE 公共事業T――吉野川が公共事業を変える』かがわ自治研ブックレット03)
彼は、こうした地域社会から学んだ吉野川と第十堰に関する生活知を実証していくかのように、可動堰化計画を詳細に調べ、専門家の専門知を活動に積極的に取り入れ、独自の市民的専門性を市民団体のなかに形成していった。
それでは、市民的専門性を構成するもうひとつの要素である「専門知」は、吉野川の運動のなかではどのように導入されていったのだろうか。まず、運動を理論的に支えた専門家・専門職として民間コンサルタント会社に勤務する神亀好氏が挙げられる。彼は県外在住ながらボランティアとして吉野川シンポジウム実行委員会の活動に加わり、とくに審議委員会の場面において、建設省の洪水に関する水利計算に反証する市民団体側の独自の見解づくりに大きく貢献した。また、新潟大学工学部教授の大熊孝氏は、川を収奪し押えこむ近代河川工法の限界を指摘し、「あふれる川」を認めるという大胆な発想のもと、自然と人間が共存できる新たな治水のあり方を提唱している。大熊氏は市民団体の招きで再三徳島県を訪れており、第十堰を危険視し可動堰がベストとする建設省側の理論に対し、第十堰を自然素材による柔構造と生態系の調和の面から再評価し、むしろ近代河川工法の象徴である可動堰を膨大な維持管理費と生態系への悪影響から批判する市民団体側の主張の、大きなバックボーンとなる理論を提供してきている。
その他、さまざまな専門家・専門職が住民の動きを支援しており、いっぽう市民団体側は専門家の協力のもとさまざまな知識・理論を身につけ、それを総合的に組み合わせることによって個々に団体としての市民的専門性をつくっていった。
そうした個々の団体・個人の知識・判断能力がたがいのネットワーキングを通して組み合わさることにより、運動全体としての市民的専門性が構築されていったが、そこには主に治水や河川工学に関するもの、環境への影響や生態系に関するもの、財政上の費用分析や経済効果に関するもの、民主主義や市民自治に関するもの、川と人間の関係のありかたや歴史に関するもの、などさまざまな側面があった。
吉野川の事例においては、住民が住民投票で政策判断するにあたって、まず可動堰建設計画がそもそもどのようなものであり、何のために行われるものであるのか、そして建設のメリットとデメリットの両方について知っておく必要がある。さらに計画に疑問をもつ市民団体側の提示する代替案の内容や、計画の有効性に関するさまざまな分野の専門家の見解についても学んでおく必要があるだろう。ここで、ファシリテーターとしての運動体の活動に求められるのは、まず地域住民の問題意識の掘り起こし(気づきのプロセス)と判断基準となるさまざまな情報および見解の提供(学びのプロセス)である。前出した吉野川シンポジウム実行委員会では、一九九三年の発足からこれまで、一貫して市民を川へ呼び戻す活動を続けてきた。つまりかつて流域に暮らす住民がもっていた、川との濃厚なつきあい方を、都市住民が再度もち始めるための活動である。具体的には第十堰周辺でのバーベキューやキャンプ、川でのカヌー遊びなどである。こうしたアクティビティを通して参加者は、川の生態系の豊かさや川の水をダムで堰き止めることの有害性を、体で学んでいく。いっぽうもうひとつの代表的な市民団体である「ダム・堰にみんなの意見を反映させる県民の会」では、一貫して《政策に民意を反映させる》というスタンスをとり、あえて「反対運動」というスタイルをとらなかった。こうした運動団体による活動が、今回の住民投票の下地となり、市民が冷静に政策を判断するうえで役立った。
ここでは、ファシリテーターは経済面、社会面、政治面、文化面、環境面など多様な分野での専門家・専門職の意見を住民に紹介していく必要がある。なぜなら、可動堰建設の理由も政治的・経済的・社会的と多面な文脈のもと、現れているものだからである。同時に住民のもつ《直感》や経験からくる知識を抽出して、言語/理論化し専門家の専門知を通してその正統性を証明していくことも重要だ。そうしたものが地域に還元されていくことにより、住民は自分たちの肌から出たものを再び確かな主張として生活のなかで身につけていくことができる。
ここで、《住民投票》以後の新たな展開について述べたい。二〇〇〇年一月二三日に行われた住民投票は、約五五%という投票率のなか、実に九二%が可動堰建設に反対、という圧倒的な結果を遺した。これにより、従来可動堰の推進主体である建設省にとっては、建設の強行はますます難しい状況となったが、しかし可動堰をベストとする従来の姿勢はとり下げてはいなかった。そんななか、「(吉野川可動堰)計画を白紙に戻し、洪水防止、水利用の観点から新たな計画を策定する」との与党三党による政府への申し入れが行われた(二〇〇〇年八月二八日)。しかしこれは今後可動堰計画の復活もあり得る玉虫色の結論であり、地元に新たな混乱と課題を突きつけるものとなった。
「吉野川における何らかの大型公共事業」を必要とする県内財界・政界の基調は、転換するどころかより露骨なかたちで現れてきているように思える。そしてそれは、「ムダな公共事業の見直し」を謳いつつも結局、公共事業費全体の額を変えなかった与党三党の姿勢ともがっちり一致している。今年五月には「吉野川第十堰の未来をつくるみんなの会」が新たに発足し、筆者もその一三人いる世話人の一人になっている。この会は、住民投票により可動堰案が否定されたのを受け、住民の側から堤防補強や森林の整備、第十堰の補修と保全、といった計画案を新たに提案していこうとするものだ。目下それにかかる資金を捻出するための「吉野川第十堰基金」も設立されている。《二一世紀の新たな川とひととのつきあいかた》をどれだけ市民と政治に対し提示していけるのか。より多様な市民的専門性の構築が、これからも運動には求められている。 ッ
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