People's Plan Forum Vol.3 No.5 (Nov, 2000)


【シリーズ・第三の選択】

フェイク「第三の選択」にご注意

 

青山 薫(あおやまかおる/ピープルズ・プラン研究所) 

 

 あー、失敗した。二学期が始まってすぐ娘が学校からもって帰った「道徳教育に関するアンケート」、コピーとっておくんだった……発信者は教頭で、区立中学の教頭会が地域で行う活動の一環だという。趣旨は、昨今の青少年の犯罪などを考えるに、学校現場にも徳育が期待されており、「道徳」の時間を充実させるためランダムに学級を選んで保護者の意見をうかがう、というものだった。

 「生徒に教える『人間像』として望ましいと思うものに○をつけてください」、「地域社会に暮らす人から話しを聞くとしたら、どのような人がいいと思いますか」などという質問で、選択肢が(もちろん)用意されている。それは、「みんなと協力して進んで社会に貢献できる人」や「国際社会のなかで自信と誇りをもつことのできる人」であり「地域の歴史を語ることのできる人」や「日本の伝統を子供たちに伝えることのできる人」であった。

 「自分の国の国旗と国歌に誇りをもてる人」もさりげなく選択肢の一つに入れてあったのだが、これがオリンピック期間中だったのだから、この「ランダムな」調査の恣意性は高いと言っていいだろう。そして何より、具体的な場面を想定せずに「期待される人間像」を語っているため、「暗い人」がどこにも出てこない。それが、この調査が誘導尋問だということを表していた。

 しかし、子供の友達のお父さんお母さんを思い浮かべてみても、「みんなと協力して社会に貢献できる人」と差し出されて「そういう人になって欲しいよね」と思わないことは難しいと思う。そんなに素直に学校のプリントなんか読むなよ、って言いたいけど、このまっすぐな人たちにこそかぎっ子は世話になる。で、「みんなと」何かしたくもないとか、「協力する」のはよほどの場合とか、「日本人でいることが恥ずかしい」とか言うのもはばかられる。期待されるポジティブな人間像に抵抗を覚える「暗い」私としては、外されて一度は黙り、「思想調査ドンとこい!」と思い直して、結局「ずるいところ、弱いところ、怠け者のところももち合わせているのが人間で、それとよい面との煩雑さのなかで子供は悩んで成長していくしかない。この(アンケートの)ような一面的な人間像をめざせ、という『道徳』に私はまったく反対です」と書いて反抗したつもりになり、あとは忘れていた。

 思い出したのは、続けて息子の方が小学校から「パトロールに関するアンケートのお願い」をもって帰ってきたからだ。こちらはPTAの文書で会長名で出されたもの。PTA活動には「郊外部」というものがあり、地域と「協力して」、芋掘りをしたり交通安全週間に当番で旗をもって角に立ったりするアレである。「パトロール」もその仕事で、警察と「協力して」学区域を見回り、「不審者」がいたら通報するなどして子供たちを守り、「明るいまちづくり」を志す。PP研に何人「不審」な人物がいるかを考えると、つくづく「暗い」世の中をだいじにしたい。

 うちの方では二年ほど前から「パトロール」が検討されていて、そのとき私は学級の郊外部員を引き受けていた。最後の最後まで反対したが、反対するのは最初から一人だったので導入は時間の問題だった。それが、今度はいよいよ「できる人ができるときに」から「全員で」やろう、となった。そのための「アンケートのお願い」なのだ。社会奉仕活動の強制化に足並み揃えているに違いないのに、あくまでも強制ではない「装い」を、みなさんとても大切にしてらっしゃる。

 こちらの質問は「(1)前回のパトロールには参加されましたか (2)参加できなかった理由はなんですか (3)会員全員でパトロールをするには a 人数は何人でするのが望ましいですか b ご都合のいい曜日・時間帯はいつですか」とくる。お気づきだと思いますが、「パトロールなんかやりたくない」とか「全員参加なんかおかしい」という回答はあり得ません。だって「夏になると変質者が出るし、学区内の公園にホームレスが住み着いちゃったし、とくに女の子をもつ親なら最近の世の中の危なさには、いても立ってもいられない。お巡りさんも先生方もこの辺は重点的にパトロールしてくれてるけど、自分たちも子どもを守るためにできることから始めなきゃ」って心をこめて、会長さんは言う。周囲も、「勤めていても参加できるように、時間帯なんか配慮してくれてるのね」とアンケートに答えている。

 ぶつぶつ言ってないで「期待される人間像」や「明るいまちづくり」に明確に反対し続ければいいじゃないか――「第三の選択」を悩むにはおよばないじゃないか、という疑問もわいてきましょうが、さにあらず。ウソは見抜ける。見抜けはするが、向こうの方が「第三の選択」の「装い」を用意している点、それがある程度効果的な点が問題なのだ。「道徳」にしても「パトロール」にしても、二者択一の道が「強制」と「反対」だとすると、くだんの中学教頭会やPTA会長は、子煩悩な親御さんたちに、はっきり選ばせるのではなく「自発的な第三の道」を選んだ「感じ」にいかになってもらうか、腐心している。

 だから、素直な周囲の保護者の感情によりそってしまうと、「煩雑さのなかで子供は悩んで成長していくしかない」なんて、かえってカッコよすぎだよねー……子どもが心配なのは事実なのに、あたし最近、雑用しないで会議だけ出てきて理屈言う「PTA活動に参加する偉いお父さん」みたいかなー……なんて、迷う。

 学校で世の中すべて左右されるわけでもないし……なんて、反抗心の軟弱な基盤も揺らいできたところへ、『現代思想』二〇〇〇年八月号に載っていた、「『教育の転換』とスクールカウンセラー」(篠原睦治)と「『心の時代』は人を救えるのか」(小沢牧子)を読む。反抗心復活。

 両筆者とも臨床心理学の専門家で、社会状況に対する人びとの不満をそれとは知らせずに封印する現政策の技法は、九五年からの公立学校へのスクールカウンセラー設置とつながっている、というのだ。一般に、カウンセリングは「怒りをコントロールするすぐれた技法」であり、「社会的に抗議行動が起こるときには、政策的にカウンセリングが強化されてきた」(小沢)そうだ。そのための予算をつけるということだろうが、たとえば、日本の大学に学生相談室が初めて設置されたのは、レッド・パージに対する抗議運動が盛んな時代だったという。そしていま、河合隼雄が座長を務める、総理大臣の委託機関「二一世紀日本の構想」懇談会は、「教育の転換」を提言する。河合氏は、カウンセラーの資格を認定する「日本臨床心理士認定協会」などの指導役でもある。この提言は、「『国益』と調和的に存在」しながら自己実現できる人びと=「フロンティア」と、「そうでない者たち」を対置させ、「『教育』に『社会の安寧を維持する義務』を負わせようとしている」(篠原)。

 アンケートはカウンセリングではない。でも先のアンケートは、「あなたはこう感じているんですね」と「中立を装い」、感情からその人をまるごとコントロールしようとするカウンセリングの技法(小沢)に似ている。これと、「個性尊重」と同時に「強すぎる異質性は破壊的になるのでスクールカウンセラーは注意深く」という「懇談会」報告(篠原に、教頭会やPTA会長が影響されていないと思う方がムリ。

 感情はだいじ。だが/だから、コントロールされてたまるか。それを防ぐために、やっぱり、「第三の選択」っぽい相手の「装い」を見破る方法を見つけよう。

 では、望ましいと思うものに○をつけてください。(1)不登校 (2)意地悪 (3)深読み (4)武藤一羊 (5)掛札悠子 (6)個人的なことは政治的だと思うこと (7)ユーモアのセンス (8)たまには「みんなで何かやる」のもいい人は、団結。……正解は無数です。

 


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