<非暴力平和隊実現可能性の研究>
第2章 介入における戦略、戦術、および活動
2.6 軍事介入に代わるもの:軍人よりも市民により、より上手く出来ること
クリスティーネ・シュバイツアー
軍事介入に代わって、大規模な非暴力介入を展開するというゴールは繰り返し議論されてきた課題である。上記の如く、多くの平和活動が、少なくとも十指に余る短期プロジェクトとともに、このゴールを掲げた。
より広い意味で、軍隊に代わるものへの模索は反戦論議の中では二つの基本的なアプローチの中の一つである。何が間違っているのか、背景にある真の利害は何かを告発し、公表しながら、不条理な仕組みへの抵抗を強調する一方の側がいるのに対し、もう一方は、今日果たすべき機能、従って戦争と組織暴力を克服する為に置き換えられるべき機能のうち、軍隊でも果たし得るものが何かあろうと言うことを常に認めてきた。これまでのところ、苦労の結果得たこのアプローチの結論は、防衛の置換、それが軍隊の基本的な機能で無いとしても、となることを目標とした市民ベースなり社会的防衛の構想である。勿論、両方のアプローチは相互作用し、相互補完をする。例えば、人々が苦労して中で得られた教訓が社会的防衛の統合された要素となったような場合のように。
次の章では、軍隊の今日のもう一つの機能、即ち紛争における軍事介入機能の為に、同等の置換構想が展開されうるかを論じたい。
先ず、予告しておきたいのは:市民の方が軍人より上手くやれるシナリオや任務があるとの立場と、軍事介入が正当化されるとか、必要となるような環境はありえないし、総力を結集した市民活動であらゆるものが置換可能であるとする更に平和主義的な立場との間には、勿論、概念的な相違がある。最後にはこの点まで言及していくが、先ずは段階的に私の主張を展開したい。
1.軍隊は軍事紛争介入の枠組みの中で、次の任務/機能を果たしてきた。
1.1 人道援助の引渡しと平和構築活動の世話
1.2 複雑な任務の中での通信と搬送手段(物流)の提供
1.3 合意の仲介、境界線や停戦に関して
1.4 監視と査察(全ての世代の視察と平和構築ミッションで)
1.5 武装解除、軍隊解隊、社会復帰
1.6 地雷除去
1.7 緩衝地帯と停戦地区での平和維持、潜入防止を含む
1.8 復興と民主主義構築のための安全な環境作り
1.9 安全地区と避難所の護衛
1.10 人道支援と難民キャンプの護衛
1.11 警察的任務の執行権限、例、戦争犯罪者逮捕や暴動取締
1.12 一つ乃至全ての陣営の意思に反する停戦と平和協定の執行、交戦当事者の強制的分離や移動の確保や拒否(例、非戦闘地区)を含む
2.軍人は認知さるべき別の本質特質を有する
勿論、此処に描かれた絵は、北半球の西側の国々における経験をベースにした理想的なものであって、常にどこの軍隊でも通用するといったものではないであろう。
- 効果的な動員のために必要な物質的資源、即ち、装備(飛行機、船舶、トラック、装甲車、など)と貨幣の上手くて容易な入手方法、いずれをも、その他の政府、非政府の関係者に比べれば、殆ど無限に、軍隊は持っている。
- 軍隊は優れた人的資源(徴兵によらなくとも)と訓練施設を持っている。
- 常備力として常に短期間で使用可能である。
- 戦争状態の中での移動と保安目的の行動に関する多くの専門的な知識と能力を有する。
- 軍隊に働く人は、自らの職業の危険性を理解し、一般的に負傷や戦死の可能性を任務上のリスクとして感受している。
- 武器や訓練を受けた人材を有し、それをいつでも動員できる。
- 世界の多くの国で、高度の適法性と威信を有する。兵士であると言う事実だけで他の兵士から容認される。
国連や他の国際的組織には市民的ミッションよりも軍事的なものを派遣する理由がしばしば存在する。
勿論、下記のような決定に影響を与える外部的な要因もある。
- 国軍の年間予算の然るべき金額を使い切ることを正当化する必要がある政治家
- 武器産業ロビーのような有力支援グループの影響力。彼らは武器の新しい需要を生む為に軍事力が行使されることを必要とする。軍事力が唯一の解決策であり、戦時的状況下では市民は兵士に保護されるべきと言う根深い信念。
- 民衆の意見が醸成する期待感(“何とかしなければならない”)、とか平易で明快な解決策に見える暴力
3.平和活動の中での軍隊は同時に本質的弱点をも有する
- それは大きな中央集権的官僚機構である、即ち、意思決定は遅く、個人的なイニシャチブは往々にして水を差されるし、柔軟性が欠け、情報の流れには歪曲もあることを意味する。公式の指示命令系統はしばしば非公式なものにより阻害される。一国からの派遣隊の司令官たちは国際的な仕組みの中で動くよりも、指示を仰ぐのに本国に電話を入れると言う方を好むことがしばしばである。
- その安全保障上の理由が、その要員の容易に出来る現場でのコンタクト作り、信頼の醸成を阻害する。
- それは派遣元の国の基準で編成されており(従って、国連軍と言うよりは派遣大隊)、その結果、現地の人々はむしろ彼らをその母国の代表と見做し、交戦の当事者たちにそのように見做された相違点をもてあそぶ機会を与え、そのため、ミッションの調整に妨げとなっている。(何故なら司令官たちはどちらかと言えばミッションの司令官からよりも本国からの指令を求める傾向にあるからである。)
- 国際的ミッションの到着以前に、兵士たちから心理的に傷を受けた人々にとっては、軍隊の存在は不信と恐怖を招きかねない。
- その存在は、軍隊のみが問題の解決能力を持ち、紛争の市民は無力な犠牲者と言う暗黙のメッセージを裏打ちする。
4.3項にリストした本質的特性のうちには、市民団体/組織に移管できないものもあるが、そうしたいと言う政治的意思さえあれば可能であるが、そうでないものもある
容易に移管可能なのは、
- 物質的な資源
- 人的資源
- 常備勢力としての存在
- 必要な知識と能力を有する人材
- 専門的なリスクの受容(警察官や消防士のように)
今日軍隊に使われている税金が、それ相応の市民組織(単数乃至複数のそのような組織)に使えないと言う理由は本来存在しない。役に立つ装備もそれら組織に移管可能であろう、例えば、必要に応じ、要求すれば誰でも入手可能な集中管理の備蓄の形で。ボランテイアを募集し、彼らに必要なスキルを訓練することが出来、1−2年の市民隊展開のために、短期間の予告で更に多数の人が職場を離れられるための必要な法的措置をすることも可能であろう。いつでも動員可能な訓練を受けた小部隊を持つのに加えて、十分な専門的なポジションも作られ、その後、予備役がそれらを担当すれば良いだけである。
残るのは軍の非常に中心的な特性二つである。物理的防衛と強制執行の手段保持(武装して)と威信の問題である。
5.下記の諸点で、私は軍の任務/機能一つ一つを検証し、軍の特性の何れがこれらの機能に直接関連しているかを問いたい。
5.1 人道援助の引渡しと平和構築活動の世話
5.2 通信と搬送手段(物流)の提供
人道援助と平和構築の分野においても軍が積極的になることを是とする主張でも、例えば、必要機材を保持すると言うような、市民団体に容易に移管できるものを含んでいる。多くの場合、今日でも、軍には、責任を持って、効率的にこれら任務を遂行する能力はないし、又、それらに関する専門的な団体に任せるべき、との主張はなされ得るし、現に人道団体により主張されてきた。
5.3 調停の仲介
停戦や他の合意は、紛争状況の中にいる者、さもなければ、紛争の当事者に上手く接触している者により交渉される。軍事的平和維持活動のないところでは、その社会の有力なリーダーか国際的な調停者、或いは時によってはNGOなどにより、また、 国際的市民ミッションの場合では、これら市民が同じ機能を果たしてきた。即ち、この機能は紛争の中での特別の役割を担うことから生じるもので、軍であるか否かには関係ないことである。
5.4 監視と査察
監視は、それを紛争の当事者が受容れてくれるか、支持してくれるかに依存しているとの幅広い主張が報告書に見られる。状況が許せば、純粋な監視活動では、軍の監視官も護身用の武器すら腰にせず現場に出かけることがしばしばである。従って、ここでも、同様の市民のプレゼンスは、監視官が必要な専門的、軍事的な知識を持っている限り、同じ機能を果たせると主張可能である。
5.5 武装解除、軍隊解隊、社会復帰
兵士にとって、武装解除とか武器破壊は、それらが彼らの道具である為、やるとしても渋々であるという類のものである。それに対し、同じ活動は市民にとっては胸をなでおろすような活動である。軍隊解隊はしばしば宿営、即ち、短期間であれ、捕虜収容所に兵士を収容することを意味する。他の兵士が看守となるのは好ましくないことは証明されてきた。この仕事においても市民の方が優れている。何れ市民機関かNGOにより通常行われる事になる任務である社会復帰の仕事でも同様である。
5.6 地雷除去
地雷除去は現在もしばしばNGOの手で行われている。NGOの中には地雷除去を専門としてきたものもあるし、部分的に地雷除去作業にたずさわるものもある。経験から、これらの市民チーム(特に、女性チーム)の方が、事故や犠牲者の数が少なくて、軍隊より優れていることが分かる。
5.7 緩衝地帯、停戦における平和維持
5.8 復興と民主主義構築の為の安全な環境作り
5.9 安全な避難所の護衛
5.10 人道援助と避難民キャンプの護衛
古典的な平和維持ミッションは、当事者の隔離を強制する為の平和維持者の本来の役割をベースにしたものではなかった。平和維持者には自衛だけのために武装勢力を行使することが許されていた。関与のためのルールが変更された時とか強引な平和維持がほとんどあまねく受け容れられた時には、古典的ミッションであれ複合的なミッションであれ、何れにとっても、停戦や平和維持のミッションのプレゼンスを、その動員の前に、当事者が合意することが必要不可欠の条件と現在も考えられている。 武器の使用に関して変化したのは、平和維持者がその使命を確実に遂行できるように武器使用が許されていると言うことである。
此処で出てくる疑問は、他の方法でも同じ(か、より良い)結果が得られるかと言うことである。軍事的平和維持活動からの教訓と、同行戦術を用いて非暴力グループに実行される非武装調停平和維持活動からの教訓とを合わせてみても、強制のために利用できる物理的手段は可能性のある戦術の内の一つに過ぎないと思われる。平和維持者への敬意と結果的に暴力行使の抑制とは平和維持者が武装しているかどうかではなく、それ他の多くの要素にかかっている。即ち、
- アイデンティティー。此処での要素は年齢、性別、出身国、宗教、その他である。
- (平和維持者としての)役割と誰の代表であるか(例えば、国連)。国際ミッションでは、そのメンバーがそのアイデンティティーだけでは敬意を表されないような場合は、このことが重要になってくる。
- 法律と慣例(例えば、非武装の相手への加害に対抗するルール、歓待のルール)
- コミュニケーション:合理的な議論や倫理的な問いかけを使ったり、手本となることで、人間関係を構築すること、通常と異なる行動を示すこと(例えば、お互いの敵対関係を知られている国出身のメンバーのチームで働くと言うような)により、自らを認知させ、信頼を得るということ。
- 全ての陣営との協調。全ての人の幅広い利害と一致するある民兵グループの利害が存在する場合での問題点を明らかにすることが可能なことはしばしばあろう。例えば、その様な多くのグループが自分たちの支配する領地で社会福祉機能を担当してきた。或いは、彼らはまた常に犯罪行為を抑え込もうと努力してきた。もし国際ミッションがそのような問題について協力を始めることが出来れば、彼らは信頼を勝ち得、そのようなグループの指導者との接触に成功するであろう。
- 例えば、紛争の両サイドが求める品物や特典を与奪することで、プレッシャーを与える影響力を持つこと。この戦略は、もし彼らが入手したり、失うこと阻止すること(阻止し続けること)に関心を持っているのは何かを明確に出来れば、その政府にもその他の武装グループ(ゲリラ、犯罪組織にも)有効なものだろう。
- 国際的な草の根と政府レベル、双方からの国際的なプレッシャーを組織化できること。これは、侵犯者がその政府に繋がりがある場合とか、政府が国際的世論を気にしているときには有効のようだ。非暴力の大きな連鎖(Johan Galtung)を発動させることは、紛争の当事者間の直接的なコミュニケーションが不可能な時に有効に見える。
- 当事国の世論に接触をもつこと。ある程度機能している社会や州を持つ国で、政府が有権者に左右され、或いは、少なくとも、政府の行うこと全般の容認を有権者に依存している場合は有効なことであろう。
- 暴力の脅威に直面するとき、創造力を働かせたり、不屈に抵抗したりすること。不測の行動をすることは、非暴力自衛教室で学ぶルールの一つであるが、非武装平和維持にとって優れたルールと言えよう。PBIの経験のみならず、人民の苦闘や非暴力抵抗活動に多くのそのような例が存在する。
このリストは多分不完全である。とは言え、兵士であることが敬意を得るのに必須であると一見見える国々においてさえ、平和維持状況の中では、武装兵士であることが敬意を勝ちうる唯一の方法ではないと言う主張としては役立つであろう。自分に反対させないというルール(上記2.5参照)は他の手段でも満足できる。と言うのは、いかなる方法ででも敬意を勝ち得る可能性は常に存在するからである。然し、そのような状況の中で、軍隊に置き換えると言うのは、軍事的平和維持者と同じことを非武装の人にやらせるので、一対一の交換ではない。むしろ、軍事的平和維持に代替するには、非武装平和維持を平和構築、平和創造活動と合体させなければならないであろう。軍事的な平和維持ミッションもこれらの他の戦術を使い、武器だけによる抑止力に頼っているのは稀であると言うことを指摘しておくのは大切なことである。武装ミッションと非武装グループ双方の任務は、コミュニケーション、新しい関係作り、平和構築などの要素が暴力軽減の要素でもあることを示している。多くの状況の中で、平和構築と平和維持の活動と機能とはうまく統合されてきた。此処でも、言及されてきた軍隊の構造的な弱点が姿を現すと言う問題がある。上記の戦術の多くには、現場の有力者についての個人的な知識の十分な集積と変化する状況に合わせる十分な柔軟さが高度に要求される。交戦当事者は、出身国ごとに構成された国連ミッションを敵と見方に分断しようとするが、国際的なミッションをそのように分断し損ねた場合に、それらの戦術の多くはより効果を発揮する。
武装平和維持の起用を是とするもう一つの論拠は、彼らが自衛の手段を持つべきだと言うものである。然し、自衛のための武器携行には二つの要素があることを指摘しなければならない。一つは潜在的侵犯者に対する抑止力であり、もう一つは抑止力が働かなかった場合の実際の武器使用ということである。抑止力または敬意は、上に述べた如く、殺傷の威嚇以外の他の方法を以ってでも得られる。然し、抑止力が働かなかったら、非武装平和維持者が自らを守る可能性は無い。それは非暴力平和維持者が甘受しなければならないリスクである。と言うのは、結果的に兵士たちが殺されるという中で武器が役に立たないと言う事態が生じれば、彼らが取るべきリスクだからである。
5.11 警察的任務の執行権限
これらは通常の環境では警察が果たすべき任務である。2.5で述べたように、国連での議論では現在、国際警察の強化を含め、別のオプションが考慮されている。この方が、これらの任務を軍隊に与えるよりも、正しい方向であるとのスタンスを少なくとも現在は取るべきと、私は考える。もし法と秩序がある国で崩れれば、戦闘的な力を持った国際警察の介入の必要は確かにある。警察的任務で、非武装市民でも出来る範囲内のもの(例えば、非武装グループが長い経験を有する群集コントロールのような)もあろうが、非武装平和維持者による戦争犯罪人の逮捕と言うようなものはその範囲を超えている。この脈絡の中で一つ考慮されるべきことがある。さもなければ非武装平和維持者のみであった所に、国際警察を投入した場合の国際ミッションを想定するのは、警察だけが武装した国際機関であるということを意味する。この状況なら、平和維持者の活動に対する反動が無いだけではなく、“これは今危険すぎる。これは警察の仕事だ”との昔風の考え方に後退してしまうかも知れない。此処で、何か解決策が必要になる。それは多分、現地警察がもしあれば、唯一の武器携行者としての彼らと国際警察タスクフォース(IPTF)との協調、或いは、IPTFの役割を古典的な警察任務に厳しく限定することをベースにしたものであろう。
5.12 一つまたは全ての当事者の意思に反した停戦、または、平和合意の強制執行
副章2.5.5で少々言及したように、平和強制といっても、それは別々の意味を持っているかも知れない。二つまたは幾つかの当事者が対立しており、誰も停戦する心算が無い場合は当然彼らの間には、その意味には差がある。また、少なくとも当事者一つが平和を望む場合とか、更に高いレベルでなされた合意を意に介さない現場をベースとするグループにもっと問題がある場合も、そうである。確かに、上記したように非武装平和維持のメカニズムは、暴力を止めようとの合意が多いほうが、効果がある。もし全ての側が理論上で合意している場合、停戦を維持することは、先に論じたシナリオの如く、それをぶち壊すものを如何にコントロールするかの問題であり、敬意を如何に勝ちうるか、非武装の抑止力を如何に行使するかの問題となる。
もし当の戦争が激烈で、そして何れの陣営も停戦を望まなければ、多くの平和維持者が経験してきたように、非武装組織が紛争地域に接近を試みることすらも難しい。個人的には、そのような環境下での非暴力介入にはいかなる活動領域もあろうとは思えない。非暴力的な背景から出た人たちがいて、ルワンダのケースに、もしCivil Peace Serviceがその場にいたら、これらボランティアたちがルワンダを去ることなく、大量殺戮を阻止できたのにと、彼らは主張した。然し、ルワンダの状況を知るその他の人たちは厳しく意見を異にしている。大規模の非武装ミッションと平和チームが経て来た経験から判断して、私は後者に賛成したい。そこには、非武装平和維持者が侵犯者に暴力行使を止めさせるための影響力は無かった。もし、そこでの国連平和維持ミッションの緊急な強化と、強制命令を彼らに与えることが出来たとしても、暴力が広汎かつ各地に分散していた為に、どのように事態に変化を与えられたかは分からない。全ての暴力を阻止しようとすれば、彼らは殆ど全地域に展開せざるを得なかったであろう。
軍事的強制行動は彼らがリスクを進んでとり、自らの陣営への犠牲を甘受する場合にのみ成功の機会があるよう思える。が、そのことは西側諸国が何としても避けたいと考えていることである。1999年のコソボ/ユーゴーソラビアのケースで、自国兵士に対するリスクを極小化するために(この戦争中に連合軍の戦死は無かったが)、アメリカのリーダーシップの下でNATOが地上戦を避けることを決めた時、ユーゴーソラビアの軍隊と民兵事組織のコソボでのやりたい放題を爆撃では阻止出来なかった。大規模で計画的なコソボ人の排除が戦時中に起こったのみで、多くの人が懸念したような大量殺戮が起こらなかったのはユーゴーソラビア側による何らかの抑制があったからに過ぎない。
私が考える非暴力平和強制プロジェクトの成功の可能性とは、どちらかと言えば、少数の実際の戦闘行為で、戦争が長引いていると言う類のものの場合である。その様な場合には、戦場に入り、戦場で移動し、起こっていることに影響を与える可能性はもっと多いのだ。
もし紛争の少なくとも一方が停戦を遂行に興味を持てば、国際的介入者の任務はもう一方が戦争継続より平和の方に利点を見出すと言う状況を作り出すことであろう。そうなれば、全てのレベルでの色々な関係者による平和維持活動と統合した各種の平和維持機能行使の、現場での、存在は望み無きにしも非ず、である。他方、それは危険度の高い目論見であり、成功の可能性は当の紛争に掛かっているであろう。理論上、非暴力活動は、
- 調停により、全ての陣営に武器を置くことを説得すること。そのために、有力な第三者を巻き込むこと、戦争より平和を魅力的にする平和構築活動に携わること。或いは、
- 制裁やボイコットにより戦争のコストを吊り上げること。そのために、嫌らしい国際世論を作り、個々の兵士の戦闘継続の意思を蝕むこと(市民ベースの防戦の方法)。
6.まとめ
今日、平和維持ミッションで軍隊が果たす殆どの機能は非暴力平和維持者に移管可能である。然し、二つの問題が残る。一つは、ある国で法と秩序が崩れた場合、或いは、現地警察が国際法に則って行動するつもりがないか、出来ない場合のような状況に何らかの警察任務を果たす必要である。此処に何らかの形の国際警察が求められる。
もう一つは、継続中の激烈な武力紛争への介入問題である。防衛手段として、例えば殆ど出動もしない重装備の対テロ隊を保持する警察のような、国連の援助とコントロールの下での何らかのRapid Deployment Force緊急動員軍が、最悪の場合の大量殺戮、集団虐殺を阻止できる装備を持つ必要性を満足するであろう。もし大規模な非暴力平和維持者が有効と分かれば、いつかは多分この緊急動員軍は不要と考えられ、以前は軍隊であったものの最後の遺物として廃止されるであろう。
このゴールに到着する為、市民をベースとする防戦隊が軍事的防衛の機能に代わるものとして登場しなければならない。そして、国際警察は国の利益への奉仕から、正義、つまり、全世界の市民の利益のために奉仕することに根本的な方向転換をしなければならない。
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