2.5.4 複合的派遣団の中の民間人職員の役割
2.5.4.1 性格と目標
第一世代の派遣団では、軍隊要員を支援する少数の民間人しかいなかったのだが、複合的派遣団にあっては民間人の数と課題は途方もなく拡大した。複合的派遣団に関して、民間人は二つか三つに分類される。すなわち、 最初に、国連難民高等弁務官やUNDPのような国連機関であれ、国連の地方組織(OAU、OAS、あるいはOSCE)であれ、直接政府間機構で活動している人たち。次に、国際民間警察のメンバーとして活動している人々。 三番目に、通常同じ領域で活動している多くのNGOがあり、時には国連派遣団と共同し、時には独自性を保っている ? これは、現地でのNGOとの協調性の欠如についていつも不平を言いがちな国連代表の悩みの種だ。 本章では、彼らが明らかに複合的派遣団に協力する限りにおいて、国連機関に対する実行パートナーとして奉仕しているものと考える。
国連派遣団の一部として、通常民間人は二重の課題を持って参加している。すなわち、武力衝突の再発予防(これは主に軍の仕事であるが、民間人はいろいろやり方で寄与する)を支援し、平和を強化するのを支援するためである。
民間人は非常に異なった個人的経歴や専門的経験を持った人々である。 そのうちごく少数だけ(通常ディレクターだけ)が、国連あるいはその機構の一つに常勤雇用される。 他の人々は、異なった新規採用機構を持っている国連加盟国によって採用されるか、あるいは国連のボランティアのいずれかである。いくつかの国々は、その国が分担する民間人職員を主に公務員の常設の人材プール(時には軍人も含まれる)から選んでおり、他の国では、より広く新規採用をおこなった。
2.5.4.2 民間人の活動
民間人の課題のリストは、武装解除と、軍隊の解散と兵士たちを市民生活の中に再度組み込むこと、地雷除去、難民の帰国、人道援助の組織化と実行、警察活動、選挙の準備と監視、人権の監視に始まり、そしてある場合には、ある限られた期間ひとつの国を治めるという行政執行指令を実行することさえおこなう(カンボジアにおける1992-1993年のUNTAC、1995年12月以来のボスニアにおけるUNMIB、1999年から現在までのコソボにおけるUNMIK)。 例1(カンボジアのUNTAC)では、これらの活動のいくつかが、より詳細に説明されている。 それらの活動は、ボスニア・ヘルツェゴビナとコソボ(後者の場合の政府側関係者の数はさらに多いのだが)の両方の戦後の状態のような他の複合的派遣団の中の活動とそれほど異なるものではない。したがって、ここでの記述は、通常企画されている課題に関する概要に限ることにする。
軍を派遣している国の介入に関する軍事費 | 費用(米ドル) | 負傷者数/死者数 | 政治的影響 |
---|---|---|---|
UNPROFOR: 2/92-9/95: 28.2億ドル 国連の人道援助: 13.55億ドル | 1992-1994: 平和維持隊員の90人が殺され、900人が負傷した。 95年3月までに:167人が殺された。 | サラエボ空輸; 飛行禁止空域; 経済制裁と禁輸の実施; 空爆; 人道支援の輸送船団に対する国連の保護。冷戦後の世界における国連システムとEC/EU及びNATOに危機をもたらし西側のリーダーシップに対する疑問を招く | |
介入対象とされた国の民間利益 | 排除 | 被害 | 国家の状態 |
介入以前の人道的難題 | クロアチア:セルビア人25万人、クロアチア人10万人ボスニア:1994年末戦争犠牲者とIDPsおよび難民数270万人 | 飢餓:クロアチア: 1991年には50万人が支援を要求ユーゴスラビア:1993年初頭:435.9万人が窮乏ボスニア:1993-94年冬:270万人が窮乏人権:クロアチア1991年:6千-1万人が殺され、1万人が負傷ボスニア:1992年からの民族浄化において、追出し、拷問、強姦。1993年初頭23万人が殺されたか行方不明、6万人重傷。サラエボの包囲戦(1992-94年)1万人が殺され、6万人負傷。総計25万人が殺され、3.5万人負傷、2.6万人行方不明、拷問被害者5万人、強姦被害者2〜5万人 | 国家構造:民族の境界をまたいでの統合の力学に不適当であり、論理的な極端に走る民族自決の複雑な状況にも不適当 |
介入後の民間利益 | 排除/帰還: IFORの後でさえ、改善はほとんどない。 1995年末: 130万人のIDPs、140万人の戦争被害者、80万人の難民 | 飢餓: 1992-93年の冬: UNPROFORは34600トンの救援を80万人の受益者に。 WfPは320000トンの食糧を供給。ユニセフは150万(単位不明)を支援した; 1993年初頭: 食糧需要の26-50%は飛び地で満たされた… 人権: ある領域での断続的な限定された保護。結局、UNPROFORは大規模な残虐行為を防止できなかった。 保健衛生: 1993年初頭: ICRCは215の医療施設を運営した。 | 民族的にさらに均質の領土の出現は、近い将来、正しく民族国家の統治を作り上げる。 |