<非暴力平和隊実現可能性の研究>

第2章 介入における戦略、戦術、および活動

2.2 平和チームと「市民平和活動」


2.2.3 市民平和活動

クリスティーネ・シュバイツアー

2.2.3.1 特性と目標
序論の中で2.2までに言及したように、「市民平和活動」(CPS)は、一方では平和チームと、他方では他のボランティア・サービスと、明確に区別される明白な部門という訳ではない。本研究の目的に対する、より明確な定義がないので、「市民平和活動」(以下を参照)のためのヨーロッパ・ネットワークのメンバーであるそれらすべてのボランティアとトレーニング団体を、「市民平和活動(CPS)」と呼ぶものとする。それらのいくつかは、第一次世界大戦や第二次世界大戦の後に設立された古くからの他のボランティア・サービスと密接な関係を持っている。

1990年代には、紛争状況における平和チームと平和活動による非暴力的介入に関心を持つ新しい波が現れた。募集した地元のボランティアと同様に、海外からのボランティアを活用したいくつかのボランティア・プロジェクトは、1991年までは旧ユーゴスラビア地域だけに創設された。プロジェクトの多くは、難民キャンプに集中して、難民と追い出された人たちに対する社会奉仕活動を提供していた。 これらの中でたぶん最も大きかったイニシアチブは、現在もなお活発な「クロアチア人道支援団体」に変わったクロアチアの「サンフラワー」であった。一方、オランダ人活動家であるその創設者は、コソボからの難民のためのフォローアップ・プロジェクトを設立した(「バルカン・サンフラワー」)。 いくつかのプロジェクトは、隔離された町での物理的な改造支援と社会奉仕活動を結びつけて、彼らが「社会改造活動」(以下参照)と呼んでいる活動に従事した。その1番目は、西スラボニアのパクラックでのプロジェクトであった。これはその後、ボスニアとコソボのいくつかの場所での活動の模範とされた。これらのプロジェクト活動は概して、たいていは若い人々で、 (週末コース1回または同程度で)ほとんど何の準備もしていない、短期的、あるいは、中期的なボランティアによっておこなわれた。彼らの目標は一般的に、子供たち、若者たち、年配者たち、あるいは困窮者たちのグループを、救援活動の提供によって支援することであり、その結果、彼らが戦争のトラウマに打ち勝ち、紛争線を乗り越えてお互いの手を再びつなぐための安全なスペースを見つけ出すのを手助けすることである。

ヨーロッパ(大部分は西側)の中で、「市民平和活動」と呼ばれている活動の概念化は、1990年代にめざましく発展した。それを起動させた力はたぶん、旧ユーゴにおける戦争に対する反応であり、さらに、軍隊に対する代替手段を発展させることへの一新された(関連している)関心が加わったものであろう。概念的に、これらのプロジェクトは、違う国の間では大きく変わり、また時には、1つの国の中でも発展段階の違いが見られる。 1997年以降、参加者のネットワークおよび彼らが連絡をとり合っている協力グループである「市民平和活動ヨーロッパ・ネットワーク」(EN.CPSと呼ばれる)ができている。

現在、「市民平和活動」が存在している主要国は、ドイツ、オーストリア、フランス、オランダ、英国、そしていくらか特別なケースであるイタリアの諸国である。ヨーロッパには、この他に「市民平和活動」の活動には参加していない、あるいは部分的にだけ参加しているいくつかのイニシアチブがある。特にスウェーデンでは「スウェーデン・ピース・チーム・フォーラム」、ベルギーでは「現地外交イチシャチブ」、またスペインにも、イタリアの「ホワイト・ヘルメット・アプローチ」にいくらか似ている活動を海外でやっている良心的兵役拒否者(CO)たちがいる。ドイツには、人々をプロジェクトに派遣するばかりでなく、数週間あるいは数カ月間のトレーニングを提供している団体が少なくとも二つある。その団体は、自分たちを「市民平和活動」の一員とは見做していないのだが、他のボランティア・プロジェクトよりも、彼らの方が「市民平和活動」に似ている。ものごとをさらに複雑にしているのは、ドイツにおける開発サービスが、開発省の中の「市民平和活動」と呼ばれている予算項目の下で、人々を海外に派遣することを開始したことである。この後者のプロジェクトは、人道援助と開発団体に関する次章の中に含まれているので、本章では考慮しないものとする。

いくつかのCPSプロジェクト(オランダ、英国)は、配備の問題は残しておいて、もっぱらトレーニングに専念している。 オーストリアとイタリアでは、CPSは、主にCPSの中で代替サービスを果たそうとする良心的兵役拒否者たちを地盤としている。他の団体は、平和の専門家と呼ばれる有給のスタッフを雇用したり、そのような専門家のトレーニングを目指している(ドイツ、オランダ、英国)。いくつかのプロジェクトは、海外でと同じく自国の中で、明らかに紛争転換の活動のための計画を立てている。実際に、実行されたほとんどすべてのプロジェクトは、国境をまたいだプロジェクトであり、その大多数は、ヨーロッパの「近くの海外」である旧ユーゴスラビアの国々であった。

少なくともいくつかのCPSグループは、大規模な介入プロジェクトとして出発した。「ドイツCPS」では明らかにその通りであり、オランダでの初期の議論もそうであった。だが、最初の概念化から実現化までの間に、すべて小規模になってしまい、チームあるいは個人だけを派遣するものになった。 (もしそうでなければ、彼らは目標をボランティアの教育とトレーニングに切り換えて発足した。)

今では、いろいろなCPSの目標のリストは、たがいにたいへん似ている。 一般的に彼らは、暴力の予防、暴力紛争を終わらせる可能性の探索と、紛争中のすべての当事者たちのための持続可能な解決策、平和な状況(物質面および社会面での再建、機能するコミュニティと社会、そして和解)の(再)構築、ならびに紛争の場においてこれらの目標に向かって取り組む市民社会、あるいはそれらのグループへの支援を目的としている。 また、いくつかのCPSは、目標の1つとして人権保護を挙げている。

CPSの諸団体の中に見出される原則に関して、ヨーロッパの多くの人々はこの頃、非暴力的紛争転換というよりも、むしろ市民による紛争転換という用語の方を好んで使っている。私が知っている限り、ボランティアとCPSプロジェクトのいずれも、その活動が軍事派遣団に対する代替手段を構成しているとは主張していない。ともかく問題が起きたならば、一般的にCPSと市民による紛争転換が、将来的に紛争を取り扱うもっとも有力なやり方となるであろう、そしてタイミングの良い予防活動の手段によって、軍事的な紛争介入は不要となるであろう、という期待が表明される。第一に、しかしこればかりではないが、イタリアの「白いヘルメット」の場合には、軍事介入がおこなわれた国々の中で、実際的なレベルでは国際的な軍事力との間に通常何らかの協力が存在している。現地にいる人々は、軍隊の施設と特権(通行許可、通信サービス)を利用しており、自分たちを国連/NATO軍の退避リストに載せており、一般的に、ボスニアとコソボにおいて、国連によって率いられている複雑で、多面的な再建派遣団の一部になる、ということを受け入れている(複雑な派遣団の中の民間人の役割に関する議論については2.5参照)。たとえば、ボスニアで活動しているある団体は、インタビューでデイトン和平合意の実現について貢献することを望んでいる、と明確に言明した。

「政治的に立場をとらないこと」ということ、ならびに、地元の当事者と共に活動することに関してのイメージはかならずしも均質ではない。いくつかの団体、特に、より専門的な「市民平和活動」のような団体は、「政治的に立場をとらないこと」の原則を高く掲げているが、その一方で、その他の「オーストリア平和活動」のような団体は、それらの団体のボランティアに、地元のグループの活動を支援することという指令を与えて、地元のグループの所に配備している。二つの事例の中で与えられた、本物の地元のパートナーは持たない、という決定に至った理由は、その地域の民族間の緊張であった。「平和キリスト者ドイツ」のインタビュー担当者は、多民族からなる地元のパートナーを持っていない時に、地元の一方のパートナーを選ぶことは、自分たちが紛争の一方だけと提携することを意味するだろう(ボスニア)と強調した。 ボスニアにおけるもう1つのプロジェクトである「反戦活動センター」は、三つの民族的背景すべてからそのスタッフを選び、その結果として、超党派的立場を維持することによって、この問題を解決した。

近年いくつかのヨーロッパの国では、主に若年層のための学習サービス(そのサービスへの参加者たちの個人的発展を強調して)と、第三者のためのサービス活動の成果を強調している専門的サービスとの間が区別されて来た。上述の無償の自発的奉仕活動は、そのような学習サービスである。これはまた、少なくともドイツの中での論争では、南側での長期間にわたるいくつかのサービスについても真実であると考えられている。たとえば、アイリーニが提案しているような「連帯の中での学習サービス」というカテゴリーがある。彼らの目標は、北側と南側での人々とイニシアチブの間の接触を促進することである。ボランティアは、自国で地元のグループによって支持されていなければならず、海外では草の根団体と一緒に活動し、その結果、個々のボランティア活動が終わった後も継続する2つのグループの間の結びつきを作り出している。

「専門的平和サービス」は、自国内であれ海外であれ、NGOと共に紛争地域で活動している専門家(無償ではなく有給であり、特定の資格を持っているという二つの意味において)の紛争転換活動について説明するのに用いられている。いくつかの国では、「専門的平和サービス」は、「市民平和活動」の典型的要素と見られており、その国々、特にドイツでは、この要素を押し進めようと試みている。しかし、この見方は、現在の「市民平和活動」にかかわっている他の協会の多くによって共有されてはいないように思われる。

2.2.3.2 「市民平和活動」(CPS)の活動
すでに人々を現地に派遣した「市民平和活動」はそれほど多くはないし、2年間以上の経験を持っているのは、その中のごく僅か(オーストリア、ドイツ)に過ぎない。

現地に派遣された人々の数はサービスの性質によって異なるが、通常、ほとんどの団体(すべてのドイツの団体とオーストリア・ピース・サービス)では、スイスのグループとイタリアのホワイト・ヘルメットのボランティア・プロジェクトを含めても、1つのプロジェクトで同時に1人ないし3人に過ぎない。

「ドイツCPS」の注目すべき特異点の一つは、国際的なメンバーの他に、一つのプロジェクトの中ではただ一人であれ、トレーニングされ、配備され、あるいは資金手当てをされている地元の平和専門家が数人いるということである。「オーストリア・ピース・サービス」は、オシエク の「非暴力センター」と協力しており、もしそうでなければ、クロアチア人がスタッフをしているであろうプロジェクトのために、国際的なボランティアを提供している。

現地に人々を派遣している15のプロジェクトを基礎として、紛争の取扱いに関して以下の活動リストが作られた。 さらに、PR活動ならびに自分たちの団体あるいは資金提供者に報告を持ちかえるというような他の活動も報告されたが、これは内部の団体的な関係だけで行われた。 (インタビューした団体のいずれも、紛争に影響を及ぼす戦術として、いくつかの平和チームがやっているような公開の報告書を用いている団体はない。)

平和維持活動
1. 監視、プレゼンス、および同行
監視とプレゼンスの領域でのいくつかの活動は、時々の同行と同様に、特にクロアチアとボスニアの両方のいくつかのプロジェクトの中に見つけることができる。
2. 地元当局あるいは国際的な当局に対して抗議すること、あるいは一般的に、国際的な注意を喚起したり、証拠書類調べと報告をすること。

これらの活動は、その抗議の問題によっては、さらに保護的な機能も持っているのかもしれない。 ボスニアとコソボで定期的に、あるいは臨時に活動しているいくつかの団体は、国際的な団体や機関(国連難民高等弁務官、OSCE、OHR、IPTF)と同様に、地元当局に対し、主に難民や流民の帰還に関する問題に注意を向けるよう呼びかけている。たとえば「平和キリスト者バニャルカ」(バニャルカはボスニア内のセルビア共和国)」は、600人のホームレスの流民に関する情報を集め、その情報をOSCEとIPTFに対して、この問題について行動を起こすべきだ、という要求と共に伝えた。クロアチアのベンコバックにある彼らの姉妹チームは、その領域内の急進グループが関わり合っている脅迫と攻撃について、クロアチアの国内的および国際的に国際団体に対して注意を喚起した。

紛争解決活動:
個人やグループを一緒に対話に引き入れることを意味している紛争解決活動は、あったとしてもごく僅かだが、通常地方のレベルで起きる。 一般に「市民平和活動」は、草の根レベルあるいは中流階級で活動することを目的としており、政治的指導者のレベルでの調停を試みることはない、と明言している。調査された例の中には、そのような活動 の事例はほとんどなかった、そして、また、それらのほとんどすべては、いずれの考え方からもそれほど隔たってはいない平和構築の範疇に入っている、と考えることができた。

平和構築行動:
平和構築活動のいくつかの種類が見いだされた:
1. 多民族的、あるいは、多元共同体の社会活動
この用語は、ボスニアのジャィスでCPSボランティアとして活動していたドイツ人のソーシャルワーカー、ルーベン・クルシャットによって書かれた論文の中で用いられた。彼は、ソーシャルワーカーの典型的な活動ではあるが、民族紛争あるいは認知されている他の紛争の分野を乗り越えて、人々を和解させる内在的機能を持っている多くの活動について記述している。 この種の社会活動は、人々がそれぞれの民族的な、あるいは宗教的なアイデンティティの如何にかかわらず集まって、コンピュータ講座に参加したり、サッカーをやったりするというような、何かを一緒にやることのできる中立的環境あるいは保護された地域を作り出している。紛争の民族的な分野に全力を傾注している活動が、かえってその分野を強化することになり、その結果として、紛争を激しくするかもしれない、ということを恐れて、和解を促進することの目的が、明らかにされることはめったにない。ソーシャルワーカーあるいは平和の専門家は、あらゆる側からの参加に固執し、他のグループのメンバーに対して、1つのプロジェクトあるいは活動 (たとえば、会話教室)を閉鎖させるあらゆる試みを止めようとするだろう。しかし、この活動は、対処すべき問題である「紛争」を作るよりは、グループの過程とその人自身のふるまいを省察するために用いられ、その結果として、紛争を間接的に扱っている。

そのような活動とは、詳細には以下のようなものであろう。
2. 地元グループおよび市民社会発展のための支援
地元グループと市民社会の発展を支援することは、大部分のCPSの目的の一つであり、そのための多くの関連する活動を見つけることができる。
3. 紛争関連の技能におけるトレーニングと教育
これらの活動は、市民社会構築の領域に含まれるけれども、いくつかのプロジェクトでは紛争転換、暴力の取扱い、および民主的な意志決定の技能などのような領域でのトレーニングと教育が、卓越していたので、それぞれ独自の範疇で考えられるべきである。ドイツCPSの計画の下で支援されていた一つのプロジェクトに到っては、トレーニングだけに専念している。 それはドイツのトレーニング団体と共に活動して来た一人のユーゴスラビア人国外在住者が、旧ユーゴスラビアの全域から集まった他の6人(現時点では)のトレーナーとともに、ボスニアのサラエボで「非暴力行動センター」というトレーニングセンターを設立した。そこで彼らは、ボスニアのすべての関係者たちに対して、紛争転換と市民社会構築のトレーニングを提供している。

この調査報告書は、ワークショップとトレーニングのための主な対象グループが、NGO、若者と女性たち、教師、警官、およびOSCEスタッフであることを示した。

4. 「社会心理的な」支援
戦争犠牲者ならびにトラウマを受けた対象グループの社会心理的な支援は、旧ユーゴスラビアだけではなく、世界の多くの地域における平和構築の領域で重要な活動となった。 調査された「市民平和活動」は、この分野での2種類の活動を提示した:
5. 「社会の再建」プロジェクト
「社会の再建」は、多元共同体社会に密接に関連する概念について記述しているが、よって、物質的な再建を社会活動よりはむしろ、さらに広い意味における平和活動に結びつけている。旧ユーゴスラビアの地域におけるこの種の最初のプロジェクトは西スラボニアの分割された町(パクラック)の再建プロジェクトであった。このプロジェクトは、国連ウィーン事務所(UNOV)の協力で、クロアチアの団体「反戦キャンペーン」によって始められ、海外からの短期ボランティアおよび中期ボランティアを採用した。 国際的なボランティアは、家屋の物理的な再建を支援するためにやって来たが、そのかたわら社会活動に合流したり、社会活動を団体した。 クロアチア人と国際的なボランティアは、その町のクロアチア人側だけでしか活動することができなかったが、UNOVは、「オーストリア平和活動」と共に、しばらくは平行してプロジェクトを実施していた。 そのオーストリア人メンバーたちは、国連パスを持っていたので、境界の両側で活動することができた。
最近コソボにおいて、同じ構想に基づいたプロジェクトが、「軍隊によらないスイス」というグループによって始められた。

6. 緊急援助と復興援助
調査した中ではこの種の物質的な援助は、上記の社会的再建プロジェクトを除き、CPSプロジェクトの主要目的というよりは、むしろ副産物であった。 そこには、人道援助の直接配分と (パックス・クリスティにより、ボスニアの困窮家庭のために家を建てるための)プロジェクトの資金調達、および、生活困窮者を、次に支援することになるであろう他の人道援助機関に結びつけるという間接的な援助の両方があった。 ある場合では、ボランティアは、難民がキャンプの中で作った製品を広告し、販売することを引き受けた(オーストリア平和活動)。

2.2.3.3 結果と影響
CPSプロジェクトは影響評価を受けるにはまだ早過ぎる。 また、平和構築…これは、CPSによってこれまで最も一般的に用いられて来た平和戦略だが…は、紛争転換の研究がもっともなされていない面だということ、およびラージが指摘するように「草の根の平和構築は、紛争状況 な対して直ちに劇的な影響を与えることはないだろう」ということを思い起こすべきである。 影響を判断する中でさらに難しくしているのは、ほとんどのCPSプロジェクトが、1991年の戦争勃発以降、多数の活動団体が紛争に取り組んだ旧ユーゴスラビアの領域でおこなわれた、ということである。そこでは、地域的な、そして、国際的な草の根グループから始まって、メディア支援プロジェクト、調停トレーナー、独自の紛争関連プログラム(たとえば、オックスファムは対話集会を組織したり、女性グループの支援などやって来た)を持った人道支援組織および開発組織、欧州連合、OSCE、および国連のようないろいろな政府間機構に至るまで、多数の団体が同時に活動していた。紛争についての結果と影響に対してある特定の仲介者に帰する部分は、たとえば、一つの町の中のすべての仲介者たちが同時に研究される場合にだけ、特定可能なのであろう。

したがって、独立した情報源がないので、実際的な結果と影響についての唯一の指標は、プロジェクト自体がその活動に関して報告しているレポートである。彼らのレポートとインタビューから判断すると、特に上述したトレーニングの仕事と社会活動の取り組み…これは、他の種類の介入機関、特に開発組織によって用いられた取り組みでもあるが…が、彼らの顧客との前向きの共鳴点を見つけ出しているように思われる。しかし、ライアンが民族紛争を取り扱っている彼の著作の中で既に説明している「接触プラス上位の目標」というこの取り組みが、長期的に見て前向きの影響力を持つのは、どのような条件下なのか、は異論の多い未解決の問題である。 提供されているいろいろなトレーニングの種類についても、もちろん同じことである。現在(2001年5月/6月)マケドニアで、多民族間の理解のために活動しているグループや団体でさえ、民族紛争がエスカレートすると、民族の分断線に沿って割れてしまうかもしれないことが、またふたたび明らかになって来ている。しかしながら、クロアチア、ボスニア、セルビア、およびコソボでの経験は、活動家の間にいったん形成されたつながりが、紛争にもかかわらず、再び続けられるかもしれないことを示していた。この紛争に詳しい人は、たぶん誰でもこのことに同意するであろう認識だが、戦争の状況下における平和構築の取り組みの有効性についてのこれらの印象を確認する引用可能な研究データは不足している。

他の2つの種類、すなわち、地元グループの支援、および社会心理的な活動に関しては、その両方とも、周囲にそのような国際的な支援者を得られる特権を持つ、あるいは、そのような集団治療セッションに出席することができるグループや個人に対して、即刻役立つと想定されるかもしれない。 しかし、重ねて言うが、長期の影響という問題は未解決のまま残っている。

平和維持に関して、プレゼンスと監視は、CPSボランティアの支援により利を得ている地元のグループや個々の市民にとって、役に立ち重要であると考えられているように思われる。CPSチームのプレゼンス、ならびに、ドイツやクロアチアの有力な団体を通して国際的な圧力を動かすCPSの能力によって、ベンコバック、クロアチアにいる人権保護運動家(およびCPSチーム自体)に対する脅威と同じように、少数民族に対する攻撃の回数が、減ったことが報告されている。バニャ・ルカにいる「パックス・クリスティ」は、地元当局や国際的関係当局側(IPTF)との協力によって、流民や難民が家に帰るのを支援することに成功している。

今後の参考のため、旧ユーゴスラビア地域の中でこれらの保護的な機能が、世界の他の地域でPBIやWfPがおこなっているのとは違うやり方で、実行されたということに留意するべきである。プレゼンスの機能としての保護は、どちらかと言えば個人的同行の保護よりは、あまり用いられなかった戦術であり、また確かに、PBIによって果たされた個人的同行のような洗練された戦術にはならなかった。国際人は、地元グループと市民および強力な国際社会の間の仲介者として、扉を開き奉仕することができる、ということがはるかに重要だ、と思われる。

紛争解決の活動に関しては、「市民平和活動」が非常に地域的なレベルにおいてのみ引き受けたようなものであり、「市民平和活動」の平和構築活動の過程の間に、その宿命としてしばしば起きていた、 とこれまで言及されて来た。(たとえば、西モウスターのユース・クラブで活動しているCPSボランティアは、ある集会のための装置が必要となり、その町の反対側にあるユース・クラブにその装置を貸してくれるよう納得させ、そのユース・クラブから数人の若者を彼/彼女の車に乗せて、その集会に参加させるようにしている。)

2.2.3.4 現地における活動を成功させる条件
観察された結果をもたらしたのは、CPSが主に活動しているその地域(旧ユーゴスラビア)なのか、プロジェクト団体によって採用された特定の取り組み方なのか、を判断するのは概して難しい。

1. ほとんどのプロジェクトは、現地におけるプレゼンスの理由として、紛争転換および市民社会の構築という全体的な目標を示していない。むしろ、現地へのアクセスは、それが若者の活動であれ、難民とともにする活動であれ、再建や社会心理的援助など、もっと具体的なプロジェクトの手段によって、あるいは、地元 グループを支援する役割に踏み込むことによって、要求され、獲得されている(「オーストリア市民平和活動」がいつもやっているように)。 ある紛争状況の中では、地元の活動家たちによって受け入れられるために、そのような取り組みが必要なのかもしれない。

2. 紛争についての対話に人々を集めることは、明快で公然たるアイデンティティ、ならびに、彼らの紛争に関して話すために彼らのアイデンティティに基づいて会う、という人々の心構えを必要とする。あるいはコソボは例外として、旧ユーゴスラビアでは、この取り組みが、紛争の傾向を弱めるよりはむしろ強めるかもしれないので、あまり賢明ではないように思われる。そこでは、 (コーシャトが多元共同体の社会活動と呼んでいたもので、トレーニングや他のイニシアチブの中に見つけることができる) 他の共通の目標を遂行するために、彼らのアイデンテイテイを無視して、人々を集めるような取り組みの方が、よりよく機能しているように思われる。 その理由はおそらく、民族のアイデンティティに沿った緊密な連携が、ごく最近発生し、それが戦争自体の体験に強くつながっていたこと、そして、多くの人々、特に多民族企業に、より参加しそうな人々が、彼らのアイデンティティをもう一度背後に隠す方をより好むからであろう。

3. いくつかのCPSsは、ボランティアをパートナー団体と一緒に配備しているが、他のCPSsは、資金提供者が望むのであれば、公式の地元のパートナーとは緩やかなつながりを持つだけの独立したチームを設立する方を好んでいる。どのようなアプローチが、より優れていて、より成功しそうだというような指標は何もない。特定の地域の紛争状況や、紛争路線に関して活動することを狙っているパートナーの存在の方が、より問題のように思われ。そして、しっかりした地元のパートナー団体を持っているかどうかが、その路線を乗り越えることをさらに難しくしたり、不可能にするだろう。

保護の機能を実現し、他の機関や当局側への扉を開くために、地元の当局側とすでに存在している国際的活動団体の両方との良好な現地の関係を築き上げることが非常に重要であると思われる。

トレーニングと準備の問題、そして平和サービスで活動している人々の資格の問題は、職員とトレーニングでの章で扱われる。年齢と資格の両方に関連した人々の範囲は、かなり広いように思われるし、現地に出かける前に参加すべきトレーニングの期間は、数週間から数カ月間といろいろである。個人的な円熟度および、もう一つ別の文化と交流し順応する能力について全般的に強調している以外には、現地プロジェクトが、ある種のトレーニングや技能の故に、よりうまく行ったとか、より多くの影響力があったとかいうことを示す明確な兆候はない。時には、他のやり方がまわりにあったように思われる。ほとんどのCPSプロジェクトの幅広く開放的な性格は、プロジェクトを現地に適合させ始めるために、多くのボランティアが(稀な慢性病に苦しむ人のための心理療法士であるというような) 特別な技能や知識を利用するのを容認して来た。(トラウマ療法あるいはその病気を持っている人々のための自助グループ)。

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