のじれん・現場からの声
 

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現場からの声

7月8日(木)

7/3(土)深夜、救急搬送があった。

運ばれたSさんは、定年退職後、3ヶ月ほど前からハチ公前に住んでいた。それ以前は10年以上、某放送協会で清掃の仕事をしていたそうだ。

支援のPさんによると、その日の夕方、調子が悪いのを心配した野宿仲間が、児童会館前にSさんを連れてきていた。しかしすでに食欲がなく、炊き出しの雑炊も食べることが出来なかったようだ。そのときPさんは支援のKさんと相談し、様子を見て、もし良くならなければ、月曜日の朝、福祉行動のときに一緒に福祉につれて行こうという話をしていた。

その後、10時30分頃に、Pさんがのじれんのパトロールで見回りに行ったときには、体に震えが来ているような状態だったのだが、本人の「迷惑かけたくないので救急車はいい。病院には行きたくない」という言葉で、とりあえず、その場は引き上げることにした。

しかし、11時30分頃に再び様子を見に行った時には、さらに状態が悪くなっており、何人かの野宿仲間も心配してまわりに集まっていた。Sさんもいよいよ苦しくなったのか、今回は「救急車を呼ぼうか」という問いかけに小さくうなずいた。そこで、すぐに救急車を呼ぶことにした。119番には仲間のFさんが電話した。

その日、私はちょうどバイクで来ていたので、支援者がだれも同乗できない時のため、バイクで救急車の後からついて行く係だった。最初はやはり身内でないとだめということで、Pさんが同乗しようとしたところ、一旦は断られた。しかし「前日にも渋谷から仲間が救急搬送されたが、結局、すぐに入院できず、その夜、公園で危うく死にかけるところだった」という話をして、また同じことを繰り返すのかと言ったところ、ようやくOKが出たのだそうだ。(という次第でPさんが同乗できたが、一人よりは二人ということで私も後からついていくことにした)

とりあえず救急車に乗れれば何とかなると思っていた。ところが、もちろんそのときは知る由もなかったのだが、これが長い夜の始まりとなるのだった。

まず、最初の病院に着くまで、相当な時間を要した。救急隊員の方も一所懸命問い合わせてくれるのだが、土曜ということもあってなかなか受け入れ先がない。30分くらいもたったころだろうか、ようやく行き先が決まった。池尻大橋の病院だそうだ。近い。良かった、これで安心だ。

病院に着くと宿直の医師の診察を受けた。診察が終わり、ほっとしたのもつかの間、入院体制がないという。実はSさんは、長い間風呂に入っていなかった。つまり、かなりのダニ、虱がいる。からだをきれいに洗わないと入院は無理なのだが、その病院には設備がないという。がっかりだ。思わず支援のPさんと顔を見合わせた。仕方ない、次の病院を探すしかない・・・。

それはそれとして、この病院の診察にあたった初老の医者の言うことがふるっていた。曰く「ホームレスなんかやっていて社会に迷惑をかけているとは思わないかね」私は耳を疑った。これが、具合の悪い病人に向かって言う医者の言葉だろうか。Sさんは答えられずにもじもじしている。そこで私は「それは差別発言じゃないですか」と強く抗議した。医者は何かぶつぶついっていたが、それ以上何も言わず黙ってしまった。

この日のSさんもそうだったが、相当具合が悪いのに野宿者が救急搬送を拒む理由はこういった医療関係者の無理解な態度にあるのではないだろうか。医務室の壁には「癒す医療、慈しむ看護」と書いた紙が張ってあった。「おいおい、立派な標語がお題目にならないようにしてくれよ」と思った。

次の受け入れ先を探す間、その病院で点滴を打ってもらいながら待つことにした。すでに時計は2時を回っている。しばらく待っていると、救急隊員の方がドアから入ってきた。ようやく受け入れ先が決まったようだ。今度は深川の病院だ。うーん、遠い。Sさんの容態が心配だ。たらいまわしされている間に不測の事態がおきないだろうか。でもしょうがない、われわれは深川に向かうことになった。

その病院は川沿いにあった。救急車に少し遅れて私が病院に着くと、バイクの音を聞いたPさんががっかりした様子で出てきた。ここでも受け入れてもらえないらしい。

中に入ると、Sさんがストレッチャーに乗せられて、待合室の廊下にいた。なんでも、体を洗うために服を取ったところ、ダニ、虱の量があまりに多く、普通に洗っただけではダメで「薬浴」という処置が必要だと、そばにいた看護婦さんが教えてくれた。この病院にはそれが出来る設備がないと言う。看護婦さんの申し訳なさそうな態度でそれが本当であることがわかった。また、病院探しをするのか。それにしてもSさんの病状が心配だ。

小1時間も経ったころ、ようやく次の病院が決まった。一度断られたところに再度問い合わせた結果だった。ここで救急隊が替わる。新しく来た隊員の人はなにやら上っ張りを着ている。虫が多いことがわかった関係上、完全防護の救急隊に交替ということだ。こうなってみるとSさんの扱いは伝染病患者のそれに近い。救急車ももっと立派なのに乗り換えて次の病院に向かう。

M病院に到着。ここがどうやら終点らしい。

Sさんも処置室に入ったきり出てこない。ドアの隙間からなにやら、体を洗われている様子が見え隠れする。いろいろ質問もされているようだ。我々も(といってもほとんどPさんが)質問に答える。さすがに設備の整った大きい病院だけあって、対応もきちんとしている。Sさんもコミュニケーションの取れる人なので、比較的スムーズだ。

そうこうしているうちに朝の6時になった。お医者さんがでてきて我々に話をしてくれる。まだ検査してみないとよくわからないが、入院治療が必要、とのこと。よかった、とりあえず入院できることを確認するために朝まで付き合ったので、これで役目は果たせた。

前にも書いたように、前日にも救急車で運ばれた仲間が、病院の対応のまずさから、いったん追い出され、近くの路上で一夜を明かしたうえ、翌朝やっと入院できたということがあったばかりだったからだ。しかもその仲間は、腹水がたまっている上、肝硬変の疑いまであるという重症だったにもかかわらず、だ。

だから今回も、とにかく入院を見届けるまでは絶対帰れなかったのだ。

Sさんは年齢も65歳を超えているので、今後、生活保護を受けることになるだろう。それにしても、普段からいかに清潔にすることが大切かということを思い知った。Sさんは幸い大丈夫だったが、入院に一晩かかってしまっては、死んでしまうような病気の人だっているはずだ。いま問題になっているシャワーにしても「病院に行く前に浴びさせてやるから文句無いだろう」というのが渋谷区の福祉事務所の言い分なのだが、人間、いつ病気になるかなんてわかれば苦労しない。また、夜、救急車で運ばれるような重病の人にどうやって区役所でシャワーを浴びろというのだろうか。それができないことなど、小学生でもわかりそうなものだが・・・。

今回のSさんの一件は、渋谷区の福祉が言っていることが、いかに机上の空論であるかが証明された出来事、といってもいいだろう。(高)

(後日談)月曜日に、Sさんのお見舞いに行った。Sさんは、だいぶ元気を取り戻していた。また、きれいに体を洗って、髪の毛を短くしたSさんは、白髪のかわいいおじいさんだった。彼のことを本気で心配して、児童会館前まで連れ言ってくれた渋谷ハチ公前の仲間、特にTさんに是非、大丈夫だと伝えてくれと言われた(彼の話によると、この1ヶ月くらいは、ずっとTさんが、Sさんの代わりに、エサ取りをしてくれていたそうだ)。帰りにハチ公前に寄ると、そのTさんに会うことが出来た。Sさんが無事に入院して、だいぶ元気になったことを伝えると、Tさんはとてもうれしそうだった。

今回、このTさんがいたからこそ、Sさんは助かったのかもしれない。(P)

 


(C)1998,1999 渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合
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