のじれん・通信「ピカピカのうち」
 

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結成一周年総会
基調

[In English] 始めに

一、はじめに

1998年の活動の中で形成されてきた新しい諸条件を受けて、私たちのじれんがこれからどこに向かおうとしているのか/向かうべきなのか、その方向性を具体的に見定めたい。

活動は常に状況に左右されるが、状況の変化に有効に対応するためにも、方針の明確化・共有化は不可欠である。今までののじれんに欠けていたのは、中期的なヴィジョンを具体性を持って検討する創造的な分析能力だった。その弱点を克服するためにも、単なる「総会資料」に終わらせることなく、関係者全員が十分共有化しうる/すべきものとして位置づけたい。

二、現状分析

1、一般的状況

(1)1998-99の野宿者問題

企業が解雇や常雇いの臨時雇いへの切り替えによって不況下での存続を図ろうとしている以上、現在の4.6%、300万余の大量失業状態が短期間で改善される見込みはない。最近の報道によれば、そのうち半数近くが20代、30代の青年層であり、渋谷で顕著に見られた若い野宿者の増加は、より一層深刻化していくことが当然に予想される。また、40代後半から50代にかけての野宿者を取り巻く状況は相変わらずで、流動化を強める若年労働者層に仕事を奪われる形で、こちらも当然増加の傾向を強めていくだろう。

したがって、昨年の結成集会時の現状分析に次の補足と修正を加える必要がある。(1)補足:野宿者高齢層には高齢者対策としての意図を持った福祉的雇用創出が必要であること。(2)修正:好況への転化があったとしても、単に不安定雇用が増大するだけと見込まれる以上、若い野宿者の固定化が予想されるということ。

(2)社会状況:マスコミ・地域住民

他方、不況の長期化により野宿者問題に対する理解は相対的に深まっている。

マスコミレベルではもはやこれを個人の嗜好の問題として取り上げる視点は影を潜め、不十分ながらも社会的な問題として扱おうとする姿勢が出てきている。単に衣料や食事の支給によって片づく問題ではないという認識が、一部にではあるが、広まり始めてもいる。

しかし生の野宿者の現状を脱色して伝えるマスコミの報道姿勢には超えがたい限界性があり、総論としては「かわいそう」だが、目の前にいると「こわい、汚らしい」という小市民的な利己的反応を打破してはいない。野宿者に直接対峙している商店主や地域住民が、野宿者をある種の被害者として扱うマスコミ報道を苦々しく思っていることは間違いなく、双方の視線を気にする自治体が両者の間で右往左往を繰り返す図式は今後も変わらないだろう。

(3)行政

最近の国レベルでの動きは、野宿者問題の深刻化によって窮地に立たされた自治体からの突き上げによって始められている。自治体からの要望はどれも大同小異で、(1)野宿者問題の国レベルへの「格上げ」、(2)全国一律の対応の設定、(3)補助金の支給、(4)より簡便な排除のための法整備、といったものだが、要するに眼目は、野宿者問題というこの新しい問題、様々な管轄や法体系の狭間に落ち込んでいて、そうであるがゆえに置き去りにされている一方でまた規制も難しいこの問題を国家システムの中に統合し、管理を容易にすること、にあると言っていい。

では、野宿者を単なる保護と規律の客体に陥れようとするこの動きに対して、野宿者の主体性を擁護すべきのじれんは、現在どのような状況にあるのか。

2、のじれんの現状

1998年ののじれんは対行政闘争に終始してきたと言ってよい。度重なる福祉事務所との交渉、生活保護獲得闘争、美竹公園植栽工事をめぐる公園課との交渉、児童会館闘争、「自立支援センター」開設を求める全都実の行動等々。日常活動に付加されるもの、あるいは日常活動を活性化するものとして取り組まれてきたのは、基本的に対行政闘争だったのであり、それが日常活動での重点の置き方をも決定してきた。

しかし、こうしたのじれんの方向性に別角度からの新たな光を投げかけたのが集団野営だった。集団野営を通じて形成された仲間の結束は、「仲間とともに作る」ことを掲げてきたのじれんにおいて初めて、行為主体としての仲間を現実化した。ここで初めて、のじれんの活動において反映されるべき仲間の意志が実体化したと言っていい。

1999年に入ってからののじれんの活動が対行政闘争の枠組を逸脱し始めたのは、この仲間の意志に呼応しようとしたことがもたらした必然的な帰結である。そしてそれはいくつかの外的要因を呼び込んだことで、この数ヶ月間で一気に加速した。一つは、麻企画闘争を契機とした就労活動の焦点化と労務班の立ち上げ。もう一つは、野宿者の就労支援に理解を持った有志の登場による自助活動への展望の開け。これらの活動は対行政闘争に結びつく側面を大きく抱えつつも、必ずしもその帰結に全面的に依存しないだけの「幅」を持っている。そして仲間の主体性を鼓舞するのは、これらの展望が持つ、行政への依存に還元しえない可能性の余剰部分であるように見える。

そして、こうした活動の重点の移行は、他の活動分野にも影響を及ぼさずにはおかない。たとえば、福祉活動において生保獲得後のフォローの必要性が改めて浮上してきたのは、明らかに上記の動向と関連を持つ。要保護者に限らず、就職した仲間が何らかの形で現場に還流してくる関係性が築かれなければ、相互扶助に基づいた自助組織としての側面は安定しない。全体として、集団野営後ののじれんには、行政の言う「自立(=下層労働者への復帰)」とは異なる、多様な意味での「自立 autonomy」に向けた質的変化とそれに対応できる態勢が求められていると言えるのではないか。もちろんそれは各人の就労による屋根の確保と矛盾しない。

とはいえ、展望を先走らせすぎると分析の客観性を失う。冷静に言えば、現在ののじれんはそうした展望がほの見える地点にようやく立ったというにすぎない。労務活動はスタート地点から依然一歩も進んでいないし、就労支援活動も特定有志の個人的レベルを脱していない、生保後のフォローに至っては昨年時よりも後退しているし、集団野営も惰性化しつつある。しかもそう遠くない時期に国レベルでの行政からの大規模な反撃が予想される。つまり、現在ののじれんは新たな展望を垣間見つつも、そこへ至るかどうかはきわめて不安定な、新しい段階への萌芽状態にあると総括できるように思う。

では、この「芽」を育てるための次の一歩をどう打つか。

三、全体方針

1、はじめに

軸になる発想は、やはり児童会館組の結束と主体性をどう生かすか、ということになるだろう。今後起こりうる問題としては、「端境期」に向けて増える仲間を受け容れる柔軟性、「内部問題」を処理する自治機能と、行政・地域住民・警察に対する防衛、ということになるだろうが、受動的にこうした問題一つ一つに対処していこうとするだけでは展望は開けない。やはり新しい展望へ向けた活力の中に、そうした諸矛盾を解消していく、という行き方が必要だろう。

2、児童会館の現状

現在児童会館組が抱えている問題は、仲間の能動性が、集団野営で互いに支え合いつつも、最低限生き抜いていく以上のものへと踏み出せないことにある。

たとえば、仕事の増える年度末(3月期)に児童会館組の仲間が互いにこぞって日払い仕事に就いたが、労働能率の高い若年層に分が多く、それも週3-4日仕事に就けるのがせいぜいだった。とは言え、これは越冬終了後の彼らにとって生活能力の回復と就労の意欲をかき立てることとなった。この機会に何らかのステップを踏めるか否かがカギとなってくる。

こうした中、「児童会館組」と呼ばれる集団野営の仲間たちには、理想的な就労が無理ならば、むしろここで仲間といることを選ぶ、といった志向性が生じている。達成感のない労働で疲れるくらいならば、仲間といたい、食えないわけでもないし、ということだろう。若い野宿者が多いにもかかわらず就労実績が芳しくないのは、どうもこうした理由による。のじれんはこれを仲間のわがまま、贅沢としてではなく、現実的な状況/規定性からの解放=当然の人間的欲求の発露として捉えるべきだろう。仲間は充実感のある労働/希望を持って働くことを求めている。

5-6月の「端境期」は、仲間たちに「絶望」をもたらすのに十分なほど深刻である。結局、日払いに必死でありついても、その次へと繋ぐ展望がない以上、「全てはムダ」と思うのは当然のことだろう。就労の選択条件がきわめて厳しいのだ。日払いすら現場に行く交通費が捻出できないで諦めざるを得ない。まして週払いともなればその間の交通費や生活費とさらに輪がかかる。現場仕事で汚れた体を洗うこともできず、替えの下着もなく、食うや食わずでどうやって一週間もの間、仕事に通えようか。そのためのじれんは、行政に「路上脱却への支援、法外援護金の柔軟な活用」を求めてきた。しかし、就労・自立に向けて一定程度認めさせたこれら「対策」(「総会資料」〈対行政闘争一覧〉参照)は決して十分でなく、路上から一歩も踏み出せない状態が依然として続いている。

3、新たな方向性---就労支援プロジェクト

とすればその方向性は、(1)仲間の結束の維持、新たな展開の担保としての共同性とその活性化――新たな仲間の獲得、(2)日払い仕事などの希望が持てずまた無味乾燥な仕事であっても、仲間と一緒にやることで一定程度それを補完すること――就労、児童会館からの踏み出し、生活能力回復の意識化、後述する各展開過程の仲間相互の交流と現場への還流、に見出されるべきだろう。

その方向性を、以下のように、各層・各意識レベルに対応した形で具体化させる。

(1)若年層:バラック(路上脱却村)構想

若年層は、中高年層に比べれば比較的就労機会も多い。選り好みできないまでも、日払い・週払いの仕事などに行って、日銭を稼ぐことは可能である。これを仲間による就労基金の積立に用い、仲間の支えなどを行う中で、より居住性・生活性に富んだ共同生活空間を意欲的に自分たちで形成していく。これが路上脱却のための過渡的バラック建設である。

若年層の精力的で活発な動きは、仲間全体にいい意味での影響を及ぼし、仲間全体を活性化するだろう。

(2)中年層:アパート(就労支援宿泊所)構想

常雇い(月給仕事)には定住が条件となり、アパート賃貸には定職が条件となる。また、日払い仕事は若い層と厳しく競合しなければならず、生活保護受給の可能性も低い。

この中年層へは、常雇いに絞った集中的な就労支援態勢の確立が必要である。就職活動をバックアップし、常雇いに就職できれば、すみやかにアパート等の生活基盤を整備していく。

それには困難な現状に立ち向かい、確固たる意志で就労から路上脱却を実現し、さらには現場の仲間たちと経験の交流を担えることが条件となる。しかしまた、その分集中的な支援態勢を組むことができ、また、成功した場合に仲間たちへもたらす影響は相当なものを期待することができる。

(3)高年層:児童会館コミュニティ活性化構想

日払い仕事すら現状では非常に困難な状況にある高年層には、目下の最善の策として東京都の「自立支援センター」を挙げることができる。「センター」建設は難航しているが、5-6月に予定されている「暫定自立支援事業」へ高年層が優先的に入所することで公的支援をフルに活用する。そして、若中年層とも交流を絶やすことなく、意欲的に脱却へ向けて前進していく。

しかし、「自立支援センター/事業」は少数枠であるため、漏れる仲間も多く出ると予想される。そういった仲間のためには、有志支援ルートからの仕事を優先して回していくことで、他の層との不均衡を少なくする。

さらに、児童会館組の多数を形成する年齢層として、主体的にコミュニティーを運営しながら、より大きな仲間の輪を作りだし、各層・各発展過程の拠り所・担保となる要の位置を占めることが期待される。

(4)新しい層

仲間と一緒に日常的に共同の取組を行い、結束の必要性と自治意識を共有する。

このように各層・各意識レベルに対応しつつ、全体として発展的な空気を呼び込む諸方策を取り混ぜ、一部に提起されている仲間主催のノミ市や事業構想なども延長線上に見据えつつ、まずは具体的なことから一歩を踏み出していく。

公的な法外援護策の不十分性を指摘しつつこれを利用し、拡充を求めながら行政が追いつかない現状・カバーしきれない杜撰さを乗り越える仲間の取組を支援する。また、資金的・技術的準備に着手し、仲間の求めにできる限り呼応する態勢を整え、仲間自身がすでに行っている自前の就労基金積立など、自力での立ち上がりをバックアップする。さらに、こうした取組を社会的に訴え、支援者をさらに増やしていく広報活動にも力を入れていく。

もちろん、これらの活動は日常的な取組や、対行政に向けた闘いの弱体化をもたらすようなものであってはならない。

こうした意欲的で相互扶助的な野宿者の活動を社会的にもアピールし、また、このような自前・自力の活動を成功させて力を付けることは、かえって行政の無策を浮き彫りにしていくことにもつながっていくだろう。

 


(CopyRight) 渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合
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