「甲斐性なしでなんで悪いんや!!」
―渋谷の仲間たちの自立への歩み―
下川雅嗣
<1.はじめに>
私は、渋谷の野宿者と関るようになって、まだようやく1年3ヶ月くらいしか経
っていない。もっと長い期間、渋谷で野宿をされている諸先輩方、そして支援・
運動家の人達の目が恐いが、この1年3ヶ月で私が経験し、見てきたことをもと
に、私の個人的視点から、のじれんの歩みを振り返り、渋谷の仲間たちの自立に
向けての今後の歩みを探って行きたい。私個人の関りの浅さ、運動に対する未熟
さから、ピントのずれたこともあるだろうから、批判は歓迎する。また、何らか
の議論、考察の材料にしていただければ幸いである。
最初に、実際に仲間と関るようになった頃の第一印象を述べておこう。私は以前
から渋谷をいつも通っていたが、足早に通りすぎるのと、実際に知り合いになろ
うと思って、話しかけるのとでは、すべての見え方が違っていた。例えば、年配
の人だけでなく、私より若い人がかなり多くいること、そして多くの人々が、真
剣に仕事を探し、より人間らしい生活の実現をめざして必死の努力をしていると
いうこと、仲間同士の間にいろいろな人間関係があること。また、のじれんと言
う団体の第一印象もかなりユニークだった。これは、野宿者とその支援者で構成
される野宿者問題の当事者団体であるが、野宿者と支援者との境界があまりない
ように思えた。つまり、のじれんの運動の方向性の決定は、野宿者自身の選びが
大事にされており、野宿者自身の主体的な取り組みになりつつあること(実際に
は、支援がかなり強くイニシアティブを取ることも多いが、それでも野宿者自身
のイニシアティブが最も尊重されるべきというコンセンサスは皆持っている)、
そこでは、野宿者は援助される人でなく、いろいろな可能性を持ち、よりよい社
会を築いていくための『仲間』であるように思えた。そして彼らは、お互いを大
切にし合っているし、新しい仲間を大切にしようと心がけている。例えば、私が
始めて行った時は、ある仲間は、私のことを今日から新しく渋谷で野宿をするよ
うになった仲間と思って、丁寧に、寝るためのダンボールの組み方や、渋谷での
生活のコツを教えてくれた。
実際には、私は寝る家があったが、その時、彼らと
一緒なら、私でも渋谷で生き延びることができるとなんとなくほっとしたことは
印象に深い。こののじれんの仲間は本当のコミュニティー≪共同体≫を形成しつ
つあるように思えた。私が偏った背景の中でこれまで育った所為かもしれない
が、これまでの日本での経験では、豊かな人がそうでない人に対してかわいそう
だから何かしてあげるといった社会福祉的な発想が強くて、このような活動のあ
り方――コミュニティーをつくりながら、自分達の力で新たな生活空間を切り拓
いていこうとするような動き――を見るのは始めてで、非常に新鮮だった。ま
た、日本の社会で急激に増えている野宿者の厳しい状況の中で、逆にこのような
運動が日本の社会に生まれているというのは、これからの日本社会にとっての大
きな光のような気がした。
<2.渋谷の野宿者たちの新しい歩み>
事実、この1年間で、仲間達は、自分達の力であらたな生活空間を切り拓くため
に、いろいろなことを思いつき、その一つ一つに挑戦してみた。その中には、成
功もあったが、多くの失敗も経験した。しかしながら、この挑戦自体が、日本に
おける野宿者運動にとっての新しい地平を開いてくれる可能性を持つものと私に
は思われる。
一年前までののじれんの運動は、炊き出しと夜間パトロール、そしてこれらによ
って仲間づくりをやりながら、その結束をもって、対行政闘争によって仲間の利
益(強制立退きの阻止、生活保護、医療、福祉、就労支援の獲得など)を獲得す
るというのが中心だったと言う。これに新たな光を投げかけたのは、98年末から
始まった『集団野営』の開始である。この集団野営というのは、毎晩、20人くら
いの仲間が、東京都立児童会館前に集まってダンボールハウスを作り、「エサ
(食事)」を分け合って、一緒に泊まり、朝になったら、片付けて、掃除をすると
いう行為である。この集団野営は、98年末の越冬期間中に起きた『児童会館問
題』(野宿者追出し工事:ピカピカのうち第4号参照)をきっかけに都との交渉の
結果、はじまった。当初は、越年期間中のみの予定であったが、越冬期間が終わ
る際に、仲間がまたバラバラに戻って行くのを嫌がり、仲間自身の強い望みでこ
の集団野営を続けることとなり、それ以後1年以上にわたって続いている。ここ
から計らずも仲間の強力な結束が生まれ、コミュニティーが形成され、そのコミ
ュニティーを基盤としたより積極的な自立的運動への芽が生まれてきたのであ
る。すなわち、既存の社会システムの中において、住居・仕事を得ることができ
ず、非人間的な生活を強いられている野宿者が、行政闘争によって行政から何か
を勝ち取ろうとするだけでなく、もっと積極的に、仲間の結束と仲間自身のアイ
デア、創意工夫によって、より人間らしい生活(就労・収入機会の拡大、居住環
境の向上、生活の楽しみ、そして仲間のつながり)をつくっていこう、すなわち
既存の社会の中に、新しい空間を切り拓いていこうとする方向性である。
以下、これまでいろいろと挑戦してきた試みの一部を紹介する。
新たな方向性の中心は、就労(支援)プロジェクトであった。この就労プロジェク
トには、既存の社会システムにおける就労を支援するだけでなく、新たな就労・
収入機会をつくりだすことも含まれる。そして、そのプロジェクトにおいて、こ
だわり続けたかったのが、コミュニティー意識と自分達の創意工夫であった。
週払いや、月払いの定職をみつけるのは、20代の若い人でも野宿労働者にとっ
ては非常に難しい。さらに、仕事を見つけたとしても、寮付きの仕事でもない限
り、すぐにアパートを借りるわけにはいかない。賃金は、普通その週末、月末ま
たは翌月に支払われるので、それまでの食費、仕事に行くための交通費さえ、彼
らには用意することが出来ないのである。路上で生活をしながら、毎日仕事に行
くのは、普通の生活をする人々が想像するより困難なことである。例えば駅やビ
ルの入り口に寝ている人は、人々が居なくなった頃にダンボールを敷き、始発電
車の前には片付けなければならない。またいつ何時、誰に襲われるかわからず、
安心して熟睡することができない。そして、エサ取りのために、夜中に街に出て
行かなければならない。さらに冬は何と言っても寒さで眠れずに、夜通し歩かな
ければならない時もある。つまり、次の日に仕事をするだけの体力の回復がなさ
れないのである。一人で路上生活をやっている場合、仕事に行っている間に、例
えば毛布等の所持品をどこに隠しておくかも大きな問題である。また、新しく就
いた仕事場において、野宿者であることがばれるといろいろと差別的発言や実際
の差別を受けることも多々あるようである。そして彼らが就く事のできる仕事に
は、無味乾燥でやりがいのない仕事も多く、これらの仕事上での精神的重圧につ
いて、話す相手がいないと、それを乗り越えるのはなかなか難しい。児童会館前
での集団野営においては、夜10時から朝6時半頃までは、仲間と一緒に、かなり
安心して眠ることができるが、それでも種々の問題はあり、定職を続けるだけの
体力と精神力を維持するのは至難の業のようで、途中で挫折した仲間もいる。
これらのことから、のじれんでは、路上から仕事に通うことの負担を軽減し、か
つ無味乾燥な仕事をやらざる得ない場合に、戻ってくるコミュニティーの暖かさ
を維持するために、昨年の5月下旬から、バラック構想・アパート構想を開始し
た。アパート構想は、のじれんとして2Kのアパートを一室借り、そこに、中年
層の仲間が月給の定職を見つけた際に、何人かで共同生活をしながら、仕事に通
うという計画だった。敷金・礼金及び最初の一ヶ月の生活費は、のじれんの方で
一時的に立替え、月々の家賃に加えてその立替え分を返却するというプランだっ
た。しかし、残念ながら、この計画は現在挫折してしまった。定職を見つけたと
いえど、まだ不安定な状況で、返済金や家賃を背負う重圧、そして、最初は、失
敗覚悟で始めたプロジェクトであるにもかかわらず、支援を含めたまわりの仲間
たち、そして当人自身が、成功させなければといつのまにか思うようになり、過
大なストレスを溜め込んでいったことなどが失敗の原因でないかと思われる。
一方同じく昨年5月に始まったバラック構想は、現在も進行中である。これは、
主に若い仲間で、週払い程度の定期的な仕事のある人たちが中心となっていて、
代々木公園内に、テントでなく、もっと居住性のよい、かつ移動可能な(月一度
の強制撤去のため)きちんとした共同生活のための家(バラック)を自分達で建
てるのである。手始めに4棟のバラック(1棟の建設費約4万円)を建設した。その
際、食事は皆で取れるようにコミュニティー団欒のスペースも用意した。このバ
ラック構想は、いろいろな問題に直面しながらも、今年1月からは、バラックの
周辺に新たにテントの家をつくり、拠点となるコミュニティーの拡大を図ってい
る。(ピカうち第5,6号参照)
さて、仕事を見つけた場合の話しを先にしてしまったが、実は仕事さがし自体が
非常に難しい。そのために、のじれんでは、やはり昨年の5月から毎日曜日の就
労相談を開始した。このユニークさは、支援だけでなく、先に仕事を見つけた仲
間など、その難しさを本当に知っている仲間自身が同席し、一緒に相談にのる点
である。この就労相談は、今年1月より就労・生活相談と名を変えた。何も仕事
の問題に限らず、仲間の生活上のすべての問題に、仲間自身が中心となって相談
に乗って、一つ一つ仲間の問題を解決して行こうというのである。(ピカピカの
うち第6号参照)
ところで、就職情報誌等でどうにか可能性のありそうな仕事を見つけたとして、
実は、仕事を見つけるための面接に行く交通費さえ手に入れるのは難しい。現
在、仲間が日雇い等の仕事を見つけた場合、また後に述べるように、仲間による
事業の収益が上がった場合、そのうちの一部を彼らのコミュニティーの基金とし
て積み立てをして、実際に面接の交通費程度の貸出を行っている。このコミュニ
ティー基金は、原則として仲間自身によってその積立方法、用途は決められてお
り、就労支援の要素を超えて、例えば、集団野営の際に、仲間の団欒のためのお
茶・コーヒー代などにも支出されている。まさに、第三世界のスラムで、現在流
行になっているマイクロクレジット(小規模貯蓄・信用グループ)に通じるもの
がある。
仲間達でこれまで創出してきた新たな就労・収入機会としては、まず、仲間達に
よる弁当・お菓子を作り(仲間の中には、元プロの料理人も何人かいる)が挙げ
られるであろう。これまで、いろいろな集会で、この弁当隊が出動し、販売事業
を行ってきた。最初は、野宿者問題関連の集会が多かったが、徐々に、出動範囲
は、それ以外の催し物へと広がって行っている。(ピカピカのうち第6号参照)
また、宮下公園等を中心にほぼ毎週のようにフリーマーケットに参加し、そこで
カンパ物資等(野宿者が直接に利用できないもの)の販売を仲間たちが行ってい
る。これはもちろんいろいろな支援者からのカンパ物資なので、その収益の大部
分は、のじれんの活動資金に入り、それらは炊出しの材料費購入費用等に使われ
ているが、一部は、実際にフリーマーケットで販売をやった仲間のちょっとした
小遣い銭、そして、先に述べた仲間の基金の積立金に利用される。実は、このフ
リーマーケット販売事業は、将来的には、仲間達自身が日々、街を廻り、拾って
きたゴミの中から売れそうなものを売り、そこから収益をあげる機会にできない
かと考えているが、なかなかまだ実現には至ってない。
また昨年の夏の大イベントとしては、仲間の発案で『のじれんTシャツ』の製
作・販売事業を行った。これは、アイデア、オリジナルなデザインは、仲間の発
案であるが、原宿のデザイナー2人に専門的な協力をお願いし、仲間とデザイナ
ー、さらにはTシャツプリント会社といった連携の中で行われた本格的なもので
あった。仲間は、様々な打ち合わせ、作業をデザイナーたちと一緒に行い、ま
た、仲間とTシャツプリント会社との関係は、援助的な協力関係でなく、仲間が
プリントをプリント会社に外注するといった正式な顧客関係であった。またすべ
てのプリントをプリント会社に外注したのではなく、一部は、仲間自身の手作り
プリントのTシャツも作成した。販売は、通信販売も行ったが、夏祭りなどの機
会を利用した仲間自身による直接販売が、仲間にとっては一番楽しかったようで
ある(当初の予想に反して、飛ぶように売れた!!)。ただし、本格的なものとい
っても、今回の試みは、Tシャツを約100枚製作・販売(ほぼ完売)しただけで、
実は今年の夏には、もっと大量に本格実施を行う予定で、その試験的実施に過ぎ
ない。(ピカピカのうち第6号参照)
また、昨年来、山梨のある農家と契約して、忙しいときに仲間で一緒に農作業の
手伝いにも行っている。そのうち一人の仲間は、永住のつもりでその農家から土
地と一軒家を借りて、住み込んでいる。しばしば、仲間自ら収穫した野菜が、炊
出しの材料になったりもする。(ピカピカのうち第5号参照)
その他にも、草刈や荷物運搬、NGOの事務所仕事の手伝い、清掃作業などを請
け負ったりもしている。さらに広くそのような仕事の受注先を開拓しているとこ
ろである。ただし、これらの仕事は、一人で行うのではなく、仲間が共同で行う
とうことを大切にしている。読者の皆様で何か心当たりがある人は是非、ご連絡
ください。
これらの収益は、今のところ微々たるものであるが、何も自分達では出来ないと
思いこまされていた仲間達にとって、仲間と一緒に一つ一つ何かを作り上げてい
くことによって、失われた人間としての尊厳を少しずつ取り戻すことには、大き
な役割を果たし得ると思う。そしてなんと言ってもその共同の試みのプロセス自
体がわくわくするほど楽しい(私もこの楽しさを一緒に味わわせてもらってい
る)。この楽しいということは、非常に重要な要素であると思う。この種の運動
を持続・拡大させるためには、それが楽しい、面白いということが一つの大きな
条件である。
実は、先に、この新しい歩みにおいて、成功もあったが、多くの失敗も経験した
と書いた。次の話しにうつる前に、ここで、この失敗について、一言私見を述べ
ておきたいと思う。正直に言うと、アパート構想は崩壊し、フリーマーケットや
弁当作り、そしてちょっとした仕事の請負を細々とやっているのが現状と言えよ
う。私は、これらの様々な事業について、結果の成功・失敗は本質的ではないよ
うに思う。結果の成功も失敗もうまく対処さえすれば、仲間のづくりに役立つは
ずだからである。しかし、この約半年の試みで、学ぶことのできた最大の失敗
は、上に書いたこの「楽しい・面白い」ということを大事にできなかったことに
あるように思う。たしかに、当初、仲間たちがいろいろなアイデアを出し合っ
て、それを実行に移して行くとき、皆わくわくして、楽しんでいた。しかし、悲
しいかな、いつのまにかに、私を含めた支援も仲間たち自身も、つまり全体の雰
囲気が、いろいろな事業に対して、成功すること・失敗しないことに縛られるよ
うになり、プロセスを楽しむ余裕を失って疲れていったように思う。私たちすべ
てが日本の社会・文化で育ってきたと言うことをもっと深刻に捉えるべきだった
のかもしれない。つまり、私たちは、野宿者も含めてまじめすぎるのではないだ
ろうか。何か具体的な事柄を始めたときに、その結果のみを目的にして、それを
達成しようとあまりにもまじめなのである。その結果でなくてプロセス自体を楽
しむことがとても下手だったような気がする。結果が出せないときに、そのプレ
ッシャーを強く感じすぎて、笑えなくなるのである。支援が仲間のペースを考え
ずに、先走りし過ぎた面もあるのかもしれない。もちろん最初は、皆、新たな試
みが楽しいからやっていたのだと思う。しかし、次第にその結果が目的となっ
て、プロセスそのものを楽しめなくなったのかもしれない。そして、結果を出す
ことが目的になれば、そこからおのずと仲間自身が、再び、「きちんとやる仲間
の方が良い」という既存の社会の価値観にのみこまれてしまうことになる。この
既存の社会の価値観にのみこまれてしまうと、それこそ、国のホームレス対策と
同じように、「良いホームレス」と「悪いホームレス」の分断を作りかねない。
本来のじれんの仲間が、切り拓こうとしていたはずの新しい空間とは、この既存
の社会の価値観にのみこまれない空間だったはずなのに、である。次にこの新し
い空間とは何か、もう少し考えて見たいと思う。
<3.『のじれん』の切り拓くいていこうとしている新しい空間とは>
一般に野宿者達は、既存の社会秩序の三角形の最下層に位置していた人達が、そ
こからさえもこぼれ落ちて野宿に至った人達と言われる(図参照)。そして従来の
野宿者対策・支援でしばしば言われる、野宿者の『自立』とは、暗黙に、その既
存の社会秩序の最下層(労働者または生活保護受給者)への復帰を意味している
ように思う。これ以外の「自立」の道はないのだろうか。のじれんの仲間が今切
り拓きたいのは、まさにそれ以外の道の可能性である。同じ自立でも、既存の社
会秩序の最下層に戻ろうとするのではなくて、既存の社会の中に、新しい空間を
切り拓いていこうとしているのである。
この新しい空間とはどのようなものだろうか。この空間とは、新しい人間関係に
基づいた生活の場であるように思う。このように私が考えるようになったきっか
けの話しを以下に分かち合って見る。
野宿者たちが野宿に至った要因を挙げ連ねようとすれば、社会・経済的原因、社
会制度上の欠陥、心理的,家族関係的要因など、数限りなく上げることが出来
て、その要因が彼らの責任ではなく、社会の歪を彼らが一手に引き受けている、
というような説明をするのは簡単だし、普通の人々を野宿者運動の見方につけよ
うとするときには、往々にしてそのような説明をする。しかしながら、その根本
はなんであろうか。あるとき、のじれんの何人かでこれについて話したことがあ
る。最後に、この10年以上?、野宿者と共に歩んできた支援のKさんの答えを聞
いたときに、衝撃を受けた。彼は、少し考えて、「彼らが甲斐性なしだから
だ。」と答えた。それまで、私自身は、野宿者を支援するものとして、なぜか一
番言ってはいけないと思っていた答えだった。それは私自身が、「甲斐性なしで
はいけない。すなわち、きちんと社会適応できる人間でないといけない、また、
あまり自分の弱さを表に出さずに、きちんとした生活を、忍耐力を持ってやらね
ばならない」という枠組の中から自由になっていない証拠だった。もちろん、私
は、頭では、人間は、その能力や働き、またきちんと社会に適応できるかできな
いかに関らず、すべての人に偉大なる価値があるはずであることは、わかってい
る。にもかかわらず、ほとんど無意識のレベルで、社会の中にきちんと適応する
ことを、その人間を測る尺度として大事にしていたのかもしれない。Kさんは、
続ける。「甲斐性なしでなんで悪いんや!」。その通りである。今の既存の社会
秩序の中では、その中できちんと生活できない人、つまり甲斐性なしの人は、落
ちこぼれてしまう。しかし、なぜそれで悪いのか。甲斐性なしでも、また今の社
会秩序の中できちんと生活できない人でも、お互いを大事にし、真の意味で、社
会に貢献する可能性は多く持っているのである。というよりも、そのような人こ
そ、真の意味で社会に貢献しうるのかもしれない。一方、その呪縛・枠組から抜
けることが出来ずに、甲斐性なしと思われて、無価値と思われるのを恐れ、落ち
こぼれまいとして、どんなに多くの人が苦しんでいることか。「のじれん」の仲
間が切り拓こうとしている新しい空間とは、この「甲斐性なし」でも、仲間との
つながりの中で、人間として幸せに生きていける生活の場なのである。
<4.おわりに――仲間づくりは手段でなく目的――>
先に、のじれんの様々な自立のための事業の試みを紹介した。しかしながら、
「のじれん」の仲間が切り拓こうとしている新しい空間が、「甲斐性なし」で
も、仲間とのつながりの中で、人間として幸せに生きていける生活の場だとする
ならば、これらの事業が成功するか失敗するかは、本当は問題ではない。皆、今
の社会の枠組においては、甲斐性無しなのだから失敗を繰り返すことのほうが多
いだろう。にもかかわらず、お互いを受け入れあい、何か他の仲間の役に立とう
とし、助け合い、新しいものを目指して創意工夫を続けている姿勢、そしてその
プロセスを楽しむことこそが大事なのだと思う。それさえお互いが認め合えば、
成功も失敗も仲間づくりに役立つはずである。そのような仲間づくりはそれ自体
が目的であって、決して他の目的の手段ではないのである。しかしながら、目に
見える目的達成を大事にする、現代日本の精神性の中にいると、その価値観に飲
み込まれて、この順序が逆転する危険性を常にはらんでいるように思う。だから
こそ、この目的と手段の順序をはっきりさせておくことは大事である。いろいろ
な事業を大きく展開し、成功させるために、仲間づくりが重要なのではなく、仲
間づくりのために、仲間の発案でいろいろな事業に取り組んでいくこと(しかも
楽しく)が、成功失敗の結果に関らず、役に立つのである。何もこれは、のじれ
んの新しい方向性に限られることではなくて、従来から行っている行政闘争の場
でもそうだと思う。行政闘争で結果を出すために、仲間づくりが重要というので
はない。仲間づくりのために、仲間が一緒に行動して、共通の利益を獲得する行
政闘争の場が役に立つのである。このように、仲間づくり、そしてそのプロセス
を重視して(楽しみながら)、一歩一歩歩んで行くことによって、はじめて今の私
たちが予想だに出来ない(つまり、既存の社会の価値観を超える)新しい結果が
生まれてくるのかもしれない。現在、問題と思われている野宿者こそが、この閉
塞感あふれる日本社会に新しい希望と可能性をもたらすのかもしれない。
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