のじれん・通信「ピカピカのうち」
 

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インドネシア、起きなさい


バンバン・ルディアント

 その昼、二人のインドネシア人の夫婦、イネム(婦)とワルディヨ(夫)の目が輝いている。彼らは普段お金を稼ぐために交通信号の十字路のところで物乞いをしているが、どうして今インドネシア全体が苦しい状態の中にあるのにその二人は嬉しそうに見えるのか、と私は疑問に思っていた。

 確かに、四年間ぐらいインドネシアに帰らなかった私は、去年帰った時よほどびっくりした。1997年から今年にかけてインドネシアの経済危機がますます大変になりつつあり、その二人のような人々の生活も厳しくなる。例えば、以前一番安い一gの米は1,200ルピア(60円)だったのに今は5,000ルピア(250円)になった。砂糖は前一`700(35円)ルピアだったのに、今は1500ルピア(75円)になった。4年前の一日の生活費は5,000ルピア(250円)で充分であったのに、今は最低な一日の生活費のために少なくとも15,000ルピア(750円)になった。

 しかし、イネムとワルディヨにはそれらの苦しみ状態に対する心配があまり見えなかった。調べてみると、彼らの子供が生まれたばかりということがわかった。その二人にとって何よりも子供が生まれたことは感謝すべきものである。経済危機があっても、貧乏な生活の中にあっても、それを祝うべきであると彼らの心を読むことがやっとできた。が、それらの理由をわかっていても、安定した生活の中にいる私は、彼らの生活の状態を見てみると、依然いろいろな疑問を拭うことができなかった。……彼らは貧乏なのにどのように子供を育てるのか、物乞いしながら太陽の厚さの中で赤ちゃんを連れて行くのか、また子供が病気になったら彼らは子供を守ることができるのか、ということである。インドネシアの場合は福祉保護という制度がないため、病気になると病院に行ってもお金がなければ治療を受けられるはずはない。



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 生活上の問題は実際に福祉保護だけではない。国からの保険の制度がないため保険会社と契約を結ばない限り、いろいろな生活上の問題が起こったら、自分の貯金で解決するしかない。そうすると、貯金なし現金なし財産なしの貧しい人々は生き残るために自分の力で生活上の苦しみと闘うしかない。

 現在、その戦いが激しくなり、しかも全国において失業者の人数もどんどん増えてくると共にその生きるための闘いがますますきつくなっている。それゆえ、誰が「貧乏人」であるかと聞かれれば、その答えはやはり「ワタシタチ」であるインドネシア人ということになるだろう。結局、インドネシアでは貧しい人々だけが苦しんでいるのではなく、今や殆どのインドネシアの人々が苦しんでいる。お金なし仕事なし、そういった状態はだんだん強盗や暴動などの原因となっている。イネムとワルディヨのような「小さな人々」にとっては、多分そのようなよくない闘いが当然だと思われるのかもしれない。

 このごろ、インドネシアについての情報が日本のニュースによく出ていた。殆どのニュースの内容は、インドネシアの経済危機や治安状態について述べたものだった。私が日本で暮らしているインドネシア人として、それらのニュースを聞いたときに一番悲しく感じるのは、どうして全国の人々が苦しんでいるのに皆が一致するのはなかなか難しいのか、ということである。しかも、ある一部のグループが自分の利益のため又政治の闘いを勝つために宗教や部族などの対立を作ったり、貧乏人に僅かなお金を与えて彼らを利用しながら内乱を起こしたりということをやっている。それゆえ、まったく政治と関わりなく人々、一日の生活のためだけに精一杯がんばっている貧しい人々などはいつも犠牲となってしまう。あくまでも、結局犠牲になるのは「小さい人々」である。

 広い面積をもつインドネシアには確かに様々の状況があり、政府が国を管理するのは簡単なものではない。事実としてはインドネシアは一つの国であるが、13,600の島々の中に260族ほどの部族があり、一つの部族と他の部族はまったく違う文化、言葉を持っている。それに加えて、これまでの国の経済発展において、よく発展してきたところと発展させられていないところの違いによって、いくつかの島の人々は独立運動を起こしたり、インドネシアから離れたいという傾向が強くなってきた。

 今のインドネシア国内の現象を考察してみれば、いつかはインドネシアの治安状態、経済発展はよくなるだろうと、皆はそのような希望をもっているだろう。けれども「小さい人々」にとっては、いつ普通の生活の上での苦しみがなくなるかということ、それが一番望まれていることに違いないと思う。国においてどうしてこんなに長い危機が続いているのか、そういったことは彼らの頭の中にあまり疑問に思われないかもしれないが、それよりも今日は食べることができるのか、ということのほうが多分確実に彼らの心配事ではないか。

 同じ苦しみの状態の中にいる多くのインドネシアの人々、と言っても、その苦しみに対する見方はいろいろある。確かに、それぞれの立場、事情に応じて反応が様々あり、要求するもの、期待されているものも違う。例えば、イネムとワルディヨにとって、今彼らが一番望んでいることは政治家がよく国の為に働くこと、又はインドネシアの選挙がよい結果を満たされるということより、自分たちの子供をどのように養うのかという不安、自分の子供は大きくなったら親よりもっと立派な人物になるようにという期待が、きっと彼らの主な心配事だろう。



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 生まれたばかりの赤ちゃんはイネムとワルディヨにとって、宝物であり、希望を持たせるキッカケとなる。確かに、彼らは多くのインドネシアの人々と同じように苦しんでいるが、自分たちの苦しみにおいて、まだ希望がたっぷりとある。それは、誕生したばかりの赤ちゃんを幸せにすることであろう。

 もし、インドネシアの政府と多くの党のリーダ達が皆国に対してイネムとワルディヨと同じような気持ちを持っていれば、つまりどのようにインドネシアの国をよい方向、幸せな状態に導くかということしか考えないであれば、きっと将来インドネシアもよい住みどころになりうるだろう。



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(CopyRight) 渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合
(のじれんメールアドレス: nojiren@jca.apc.org