野宿生活に接して
時計を見ると午後4時を少し回っていた。外では朝から雨が降っていた。少し気分が重い。今日は、夕方から炊き出しボランティアに行く約束があるのだ。「雨だから無いか」そんな思いも頭をかすめたが、もしやっていれば、約束を破ることになるので、仕方なく腰を上げた。
児童館につくと、前に公園がある。確かこの場所のはずだ。それらしい人がいるので聞いてみると、どうやらやっているようだ。後で聞くと「炊き出しは雨だからといって止める訳には行かないんだ」と言われ、当たり前だ、と反省した。雨だから食事を摂らないなんて人、いるわけがない。野外で暮らす大変さをさっそく実感した。
食事の準備を開始する。公園のベンチの藤棚のような所にシートをかけて雨除けにして、その下でみんなで料理開始だ。プロパンコンロにおおなべをかけて雑炊を作る。100人分の雑炊だ。明かりも無いうす暗い中で手際良く野菜を切り、味付けを見て、調理をどんどん進めて行く。
結構危険な作業でもある。しかし、みんなは楽しそうだ。雑談しながら和気あいあい、作業をする。みんなが明るいから作業のつらさもあまり感じないで済んだ。
作った食事をみんなで食べたあと、食事の後片付けをする。かさなんてさせないので、雨がコートにしみて冷たい。みんなで公園の倉庫に炊事道具をしまう。靴が泥だらけだ。「早く家に帰って風呂に入りたい」と思った。しかし、一緒に片づけている仲間は、この後、児童館前に寝る人、自分の段ボールハウスに帰る人、駅の地下道に行く人、さまざまだが、もちろん風呂になんて入れない。それを考えるときついなんて言っていられない。
片づけが終わって児童館前にもどると、そこには、コンクリートの床の上に段ボールを敷いて寝床が作られていた。「こんなところに寝るんじゃ寒いんじゃないか?」と思ったが、ここがまだどれだけましなのか、後で分かることになるのだが・・・。
児童館前でみんなと話をしていると「ちょっと集まってくれ」と言う声がする。行ってみると、これから公園等で段ボールハウスに寝泊まりしている仲間に声をかけに行くのだという。“パトロール”コースにはいくつかあって、配属されたのは「区役所コース」だった。区役所を中心に一体をぐるりと回って声をかけ、同時に人数を調べるのだ。
しばらく歩くと公園についた。目をこらすと、隅のほうに段ボールハウスがある。近くに行く。真っ暗でじめじめしていて、おまけに寒い。こんなところに人間がいるのか!?かつて「独特の哲学があって野宿している」と言った自治体の首長がいたが、こういう所を実際に見て言っていたのだろうか。多分、見ていたらそんなことは言えないだろうと思う。それぐらいに過酷だ。
一瞬「健康で文化的な生活」という文句が頭をかすめる。「どこかの国の憲法に、そんな文章があったっけ」と錯覚するくらい、今、自分がいる所が遠い世界に思える。先ほどのコンクリートに段ボールを敷いた寝床がどれだけましか、思い知った。
公園を後にして、われわれパトロール隊は区役所に向かった。区役所の建物のひさしの下には、やはりたくさんの人がいた。公園に比べると湿気が無いだけましか。しかし、やはり真っ暗で寒い。表通りの派手なネオンと喧騒をくぐってきた後では、なんとも恐ろしい地の底の穴蔵のようだ。しかし、公園はもっとひどかった。ここには、まだ空きスペースがあるのになぜみんな来ないのだろうと思ったが、聞いてみると、ここは朝の6時頃には警備員に追い出されるとのこと。
寝ている人に、話かけてもみんな寡黙だ。無理も無い、はたからみてもここから抜け出すのは難しそうだ。その上、追い立てられ、蔑みの目で見られ、必要以上の仕打ちを常に受けてきているのだ。この状態から立ち上がる事の出来る人間なんてそうそういないだろう。多分自分にはできない、と思う。そもそもそんなことの出来る人間だったらこういう状態に陥る事もないだろう。ここにいるのはごく普通の人たちばかりなのだから。
これが私の初日のボランティア体験だった。このことから何を感じるかはひとそれぞれだろう。しかし、間違いなく言えるのは、野宿者の人々に関する限り基本的人権なんていうのは単なる絵空事にしかすぎないという事だ。文明国だと思っていた日本に、まだ、こういう場所もあるのだ。何か自分が申し訳ない事をしているように思えてしょうがなかった。
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