のじれん・通信「ピカピカのうち」
 

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Report From Osaka

 「シェルター」政策の破綻と「通販生活」記事への抗議


各地から:
 (編集部より:株式会社カタログハウス発行の全国誌『通販生活』2003年春号は、「『ホームレス自立支援法』を考える」と題してホームレス対策に関する論評記事を掲載しました。
 この記事は「長居公園仲間の会」のメンバーからの取材を一部その素材としながらも、「自立支援法施行を受け、今後ホームレスを「支援する側」となる市民や> 行政の声を中心」(上記記事)として書かれたもので、野宿者に対する一般市民の偏見を助長する表現を多く含むものでした。

 今号のこのコーナーでは、大阪「長居公園仲間の会」から届いた大阪・長居公園の近況報告を兼ね、同団体が「のじれん」その他9団体と連名で、カタログ社宛てに出した抗議文を掲載します。

 公正を期するためには『通販生活』の記事本文を掲載するのが本筋ですが、紙幅の都合上、また発行部数の多い雑誌ですので、直接お手に取られてご覧になられた読者も多くおられるかと考え、割愛をやむなしと判断致します)。

大阪近況報告:「シェルター」政策の破綻と『通販生活』記事への抗議
「長居公園仲間の会」中桐康介





 大阪・長居公園より、簡単ですが現況を報告します。

 長居公園では、2001年12月に開設されたシェルターが今年度末に閉鎖されます。
既に昨年夏から新規入所の受付は打ち切られ、施設の縮小がはかられていました。

 一方、シェルター開設が公表されたころから、長居公園の周辺地域でも商店街や電車の高架下などで仲間の追い出しがすすめられ、野宿できるエリアが縮小していましたが、この失業情勢の中で次々と労働者が路上・公園へと追われる状況に変化はありませんでした。

 そうした中で、「長居公園仲間の会」テント周辺でこの秋冬、テント数が3倍に増加し、最大27張りを数えました。
 もちろん長居公園では、公園事務所により新規にテントを張ることは厳しく規制されていますが、職員やガードマンの妨害をはねのけて、仲間同士で守りあいながら建てるわけです。

 新しくテントを張った仲間の中には、以前シェルターに入っていた仲間、自立支援センターに入っていた仲間、周辺地域で追い出しにあった仲間などがいました。
 つい最近失業して、行き場を失っていた仲間もいます。市内に都合三箇所ずつ設置されたシェルター・センターを退所した仲間には再び路上に戻った仲間も多く、行き場を求めています。テントはまだまだ増える可能性があります。

 大阪城公園でもシェルターが設置されましたが、入らない人は入らない。
 今でも200張り以上のテントが残存し、仲間が生活しています。

 これは、大阪市の「対策」が中途半端なものである以上、避けられない事態です。
今日の情勢における選択肢として「強制排除」は取り得ません。
 ホームレスの存在を地域住民から隠匿するための「屋根」と「囲い」を作ればそれでいい、という安易な発想のもとに「シェルター」を設置して、仲間のテントを追い散らすというやり方の限界は、誰の目にも明らかにされているわけですが、市行政には「次」の方針がまるでありません。

 仲間の住み抜く意思と、それを支える団結が、大阪市の見通しの甘い「対策」を破綻に追い込んだのだと言えます。
 そのような状況の中だからこそ、地域住民に対して「対策」の欺瞞を暴き伝えていくこと、野宿者が地域の一員として地域のなかで生きていく道を探っていくことが非常に重要な課題となっているのです。

 折りしも、株式会社カタログハウス発行の全国誌『通販生活』2003年春号は、「『ホームレス自立支援法』を考える」と題してホームレス対策に関する論評記事を掲載しました。

 この記事は「長居公園仲間の会」のメンバーからの取材を一部その素材としながらも、「自立支援法施行を受け、今後ホームレスを「支援する側」となる市民や> 行政の声を中心」(同記事より抜粋)として書かれたもので、野宿者に対する一般市民の偏見を助長する表現を多く含むものでした。

 『通販生活』は定期購読者のみで127万人の読者を抱え、それ以外に一般の書店やコンビニでも販売しており、その影響力はとても無視できるものではありません。

 『通販生活』の記事が、仲間の相互に支えあう取り組みや支援の活動に対する誤解を生むことを懸念し、「仲間の会」では記事の内容に厳重抗議するとともに、『通販生活』次号誌面に謝罪文あるいは追加取材があった上での訂正記事の掲載を求めています。

 抗議文は全国からの134個人・9団体の連名でカタログハウス社に送り届けました。
 『通販生活』編集部から誠意ある対応を引き出し、謝罪文・訂正記事を勝ち取ることは、長居公園の仲間たちのみならず、全国の仲間たちにとって死活の課題なのです。


<『通販生活』編集部あて 抗議文 >

 貴社発行の『通販生活』2003年春号に掲載されました記事「ミセスの学校1 「ホームレス自立支援法」を考える」は、野宿者に対してきわめて差別的な内容・表現があり、結果として重大な人権侵害を伴うものであると指摘し、強く抗議するとともに貴誌誌面に謝罪文もしくは訂正記事の掲載を求めます。

      抗議要旨

 @ 記事は予断と偏見に多く基づくものであること

 貴社通販生活編集部は野宿者問題をおよそ「自立できない野宿者が地域住民に多大な迷惑を及ぼしている問題」と把握し、野宿者を権利の主体・社会の構成主体と見るのではなく、「救済」あるいは「対策」の一方的な対象物とみなしておられるようです。

 野宿者問題は、近畿弁護士連合会も2002年11月29日の人権擁護大会における「野宿生活者の人間としての尊厳確保を求める決議」のなかで規定しているように、野宿者の「人間の尊厳に関わる人権問題」なのです。
 記事中に「ホームレス問題の現実」として多く引用されている近松氏と森田氏の意見は、予断と偏見に基づくものであると指摘せざるを得ません。

 「行政が空き缶集めを生業と認めること自体が間違いです。ゴミ袋をあさられて住民は迷惑しているのです(近松氏)」

 「毎日働く意欲はあるのか、仕事への責任感はあるのかなどを確かめないで、一律に『勤労意欲がある』とするのはおかしい(近松氏)」・
「本音は『自分たちのことは放っておいてくれ』というものなのです(森田氏)」
・ 「なるべくしてなった自業自得の人も多い(森田氏)」
・ 「キリギリスからアリには、簡単になれないのです(森田氏)」
 
 これらの主張は、野宿生活の困難さ、また野宿生活から脱却することの困難さに思いをはせることのできない、頑なな思考から生み出されているものです。

 編集部の皆様が、現実の野宿者の生活のなかに一歩足を踏み入れられ、空き缶回収の労働に従事する労働者や日がな一日公園のベンチで過ごさざるを得ない労働者らの生活に触れられますと、近松氏らの主張が誤りであることに即座にお気づきになられることと思います。

 こうした主張が地域に蔓延することと、少年らが野宿者を襲撃し、死に至らしめる事件や、野宿者自身が人生に絶望する中で自死に追い込まれる事件が後を絶たないなど、野宿者の権利と生活は日々危機に瀕していることとは無関係ではありません。

 これらの意見を無批判に「現実」として掲載されたことは、読者の野宿者に対する偏見を助長するものであり、結果著しい人権侵害を引き起こすものであって、重大な誤りです。

 A 失業‐野宿の責任を当事者個人に求めることは誤りであること
野宿者が増加した理由を「失業」としていますが、なぜ失業情勢がもたらされたのかを問わないまま、失業‐野宿を個人的責任としてのみ把握しておられることも重大な誤りです。

 失業‐野宿を労働者に強いてきた責任は不況が長期化する中で有効な失業対策や社会保障体系の整備を怠ってきた行政にあります。
 政府は今なお「構造改革」を叫び、社会保障の切り捨て、雇用の不安定化を促進する政策を採っており、今後も失業者は増加すると見込まれています。

 失業の理由を、また「自立できない」理由を個人の資質にのみ求めることは、「救済すべき」野宿者と「すべきでない」野宿者の分類を招来します。これは差別の固定化です。「対策」から排除され、権利を奪われた野宿者を最終的に待ち受けるのは路上死でしかありません。


 先の近弁連決議には「「自立の意思」を強調して経済的に自立できないものを支援の対象から排除することがあってはならないことは当然である。
 
 同法(ホームレス自立支援法)にいう「自立」を一般労働市場における経済的自立のみを意味するものと解釈することは妥当ではなく、「自立」とは、地域社会の中で自らの意思決定のもと人間らしい生活を営むという意味での精神的人格的自立、社会的自立をも含んだ多義的 な概念として解釈すべきである」とし、「したがって、支援事業は、稼働能力のない者も含めた全ての野宿生活者を対象に行われるべき」であり、「『自立不能者』とのレッテルを貼って支援の対象から排除するようなことは断じて許されない」とあります。

 B 当事者・支援者側への取材が不十分なこと

 ホームレス自立支援法は、「国の責任」を明記したことは一定評価できるものですが、「基本方針」「実施計画」ともこれから策定されるものであって、その内容も明らかではありません。

 目下、全国の当事者・支援者側では国・自治体への要望をまとめる議論を行っているところです。
 安定した住居の確保の面でも、安定した雇用・就業機会の確保の面でも、様々な案が当事者の側から提起されています。
 また「ホームレス法」の枠組み自体の限界性についても問題が提起されています。「自立支援法」を論ずるに当たって、それら当事者側に対する取材が不十分であることは重大な問題であると考えます。

 大阪市の「ホームレス対策」について、「その成果が十分に挙がっていない」とされていることのついての問題点を指摘できます。

 @「対策」が就労に結びつかないのは、公的就労の拡充など就労の受け皿を用意していない行政側の問題であること

 A「対策」の目的について、市の「対策」は、施設管理の適正化が本質的な目的であって、「就労自立」はもとより野宿者の権利や生活のためのものではなく、野宿者に対
しては一方的に「自立」を押し付け、実質的に退去を強制するものであったこと

 B「対策の目的」、「自立とは何だ」という議論が、支援・当事者側で積み重ねられていますが、何を問題とし、どのような対策が図られ、どのような効果が期待され、どのような結果があったのかといったことについて、記事では近松氏らの予断と偏見に基づく視点に沿って論じられており、当事者・支援者側の視点がみられないこと、などです。

 とりわけ記事において重要なのは、仮設一時避難所や自立支援センターへの入所を選択しなかった当事者や、退所後再び野宿に戻った当事者からの取材が行われておらず、大阪市の自立支援事業が当事者にとってどのようなものだったのか一切記述がないことです。
 
 野宿者の権利と生活を支えるためには、野宿者の立場から「対策事業」のあり方の問題点を問い返していく視点が不可欠です。

 C 生活保護法の違法運用に触れていないこと

 現行の生活保護の運用状況に極めて大きな問題があることにも、記事ではふれていません。
 住居にもその日の食にも事欠く野宿者が、福祉事務所の窓口に相談に訪れても「まだ若いから」とか「働けるから」といった理由で追い返されているのが現実です。

 入院・施設入所後に、保護が必要な状態であるにもかかわらず、保護の継続がなされないで、再び野宿に追いやられている例も後を絶ちません。
 そのようななかで多くの野宿者が、野宿状態の継続から健康の悪化、そして路上死へと追い詰められているのです。

 生活保護法の運用適正化を怠ってきた行政が無数の路上死者を生み出し続けてきたのであり、その責任は重大です。
 また記事では、生活保護を次々に認めたら財政上の負担になりすぎるといいますが、大阪市では自彊館をはじめとする福祉施設・厚生施設の利権構造が巨額の財政支出を生み出していることを看過しています。近弁連の決議においても、「これら(生活保護法の)違法運用の蔓延は、野宿生活者増大の大きな原因のひとつとして指摘」しています。

 D まとめとして

 野宿者問題とは、この記事に見られるように、野宿者が権利の主体としてではなく、「対策」「救済」の対象物として見られ、「対策」が偏見と差別に糊塗されているという問題です。

 またそのようななかで日常的に野宿者の権利が侵害され、生活と生命が脅かされているという問題です。
 とりわけ、野宿者は「自立していない」者とみなされ、「対策」のなかで「自立」を強要され、「対策」に乗らない者は社会的に抹殺されるという問題です。

 「就労自立」「居宅自立」「経済的自立」などはせいぜい「自立のありよう」のひとつの形態でしかありません。
 野宿者問題の解決とは、明確に言いまして、誰一人として野宿者の権利と生活が脅かされることのない状態であり、それ以外ではありません。

 就労することや、生活保護を受給することはそのための手段でしかなく、テントで生活しながらアルミ缶拾いを生業としながら生きることも同様です。
 もちろんそれはきわめて困難な道でもあります。この道の過程では様々な課題に向き合うことが必要とされます。

自立とはどういうことか、労働とは、福祉とは、社会的連帯とは、生活とは、責任とは、家族とは、財産とは、自由とは、安全とは、人間の尊厳とは、教育とは、地域とは、経済とは、発展とは・・・。

 換言すれば、野宿者問題は市民社会が問い返すべきさまざまな内容の課題を含んだ問題であり、ここから学ぶべき点を多く引き出すことこそが社会的な課題なのです。
 「建て前」や「きれい事」ではないからこそ、野宿者の現実の生活のありのままの姿に目を向けることが大切なのではないでしょうか。

 多くの野宿者は、地域社会の偏見のなかにさらされながらも、現実に地域で生活しています。
 行政は「自立支援」と称して隔離施設(仮設一時避難所や行路病院など)への収容を推し進め、「公共施設管理の適正化」の名の下にテント・小屋の存在のみを問題化し排除を進めようとしています。

 これは一時的な“問題隠蔽”には奏功したとしても根本的な解決には決して至りません。問題のすり替え・隠蔽ではなく、まずは現実に存在する野宿者とその生活の在り様を地域が受け入れること、野宿者が地域社会の中で地域とともに生きる道を模索することこそが重要だと考えます。

 差別の現実に向き合えないかたくなな市民感情が問題であり、変わるべき、真に精神的自立を獲得すべきは地域社会のほうなのではないでしょうか。
 記事は多くの野宿当事者・支援者が取り組んでいる地域社会の理解を促す試みを無に帰すものです。

 以上のことから貴誌に掲載されました記事は、野宿者に対する偏見と差別を著しく助長するものであると認めざるを得ません

 。広範な読者を有する貴誌として、その社会的責任は絶大です。私どもは、貴社におかれまして以上の点を十分に検討されたうえで、貴誌誌面上に謝罪文もしくは追加取材があった上での訂正記事を掲載されることを強く求めるものです。
 その際には、謝罪文もしくは訂正記事の内容を事前に私どもに伝えてくださることをあわせて求めます。

十分に検討され、2月17日内までに返答を頂きたい。

2003年2月12日

134個人、および以下9団体が連名
日雇全協山谷争議団/反失業闘争実行委員会
山谷争議団支援共闘会議
山谷労働者福祉会館活動委員会
日本脳性マヒ者協会全国青い芝の会
滋賀障害者解放センター
釜ヶ崎パトロールの会
野宿労働者の人権を守る会
長居公園仲間の会
のじれん

 


(CopyRight) 渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合
(のじれんメールアドレス: nojiren@jca.apc.org