仲間たち!我々の辞書から「敗北」という文字を拭いさろう
松井 純
秋風が吹き紅葉が赤く染まり散る頃、我々仲間たちにも冷え切った風が頬に伝わり序々に厳しい冬の訪れを肌で感じる。
そして12月、一般社会がクリスマスで賑わい浮かれている。
そんな最中今年は、行政たちは何の越冬対策も講じず廃止し、仲間たちに厳しい現実を押し付けて来ている。
しかもこの越年期間は何処の役所も開いておらず、お金も無ければ病院にも行けない、寝る場所もない我々に「野たれ死ね」とでも言うのか。
仲間たちの生命などどうでも良いのか!我々の頼みの綱でもある人の生命を護るべき、福祉を行うべき機関が己の手は汚さずに黙っている。仲間たちの生命が奪われていくのを、ただ黙って静視しているような機関を、どうして福祉と呼ぶことが出来るだろうか?
行政に対する仲間たちの怒りはつのっている。この怒りの矛先を、我々は仲間たちの固い団結を通じて、行政に断固としてぶつけなければならない。
そういう時こそ、この越年・越冬闘争で新しい仲間と結びつき、来るべき強いられる課題と向き合い、その闘いに備え、仲間たちが持っていべきはずの武器、「権利」そのものを、確固とした態度で、媚びることなく要求し、はねかえされても退かず立ち向かい、決して跪かないことである。
そして最後に、それぞれが持っているであろう心の中の参考書(経験)を駆使して、己の引きだしを確実に出し合えば、きっと我々の求めている何かに辿り着き、仲間たちの言葉の辞書から「敗北」という文字はやがて消えるであろう。
2002年12月28日
越年・越冬闘争突入!
今年も我々にとって大事な越年・越冬闘争が始まった。
越年は、新しい仲間たちの顔ぶれも多く支援者も新しく来る者、久しぶりに見かける者がそれぞれにあり、そこでは誰もが越年の始まりを実感する。
今年は体制を組むのに例年になく労力を費やした。
今年はやや全体的にまとまる事で、各担当者にかかる負担も減らされるようにみえるが、やはりどこかで個人が負担を負わなければならないことが予測される。
連日の炊き出しとパトロールに加えて、集団野営ほか拠点の防衛と、この長い越年を、無事乗り切ることができるか不安が募るばかりである。
しかしそれでもなんとか、我々の拠点となる宮下公園にテント(物資倉庫)が、仲間たちの手で着々と組み立てられ、少しずつ物資も担ぎ込まれ、段取り良く順調に越年の体制が整ってきた。
仲間たちも徐々に集まり、マキ割りに精を出し、焚き火を取り囲こんで暖をとる。大晦日には、越年始まって以来?の紅白完全中継(連日の映画上映は昨年、パトロールで途中までしか見れなかった仲間もいたが、今年は時間を早めて、最後まで観覧出来るようにした)。
例年は機材の調子が悪く上手くいかなかった映画上映。
今年も初めはてこずりつつも、結局は上手く上映することができた。これで無事に新年を迎え、仲間たちと新年の祝杯を交わす事が出来る。
明けて元旦の朝から小雪の降るなか餅つき大会の準備が慌ただしく始まる。今年も90kgのもち米を蒸して、仲間たちと交代で掛け声を掛け合い、一日かけて団結もちつき大会をやりぬいた。
今年の越年は天候が思わしく無く、有り難くも無い小雨交じりの雪がちらつき、やがて大雨が降り注いだ。その影響は物資テントが崩壊寸前になるというかたちで直撃した。
真夜中に降る雨の中で、みんなズブ濡れに成りながらテント補修作業に取りかかった。
1/5
今日、長かった越年も最終日を迎える。やっと終わると言うべきだろうか?
どこか複雑な心境である。
延期に延期が重なった書き初め大会も、どうにか最終日にやる事が出来た。
夕方には衣料配布と医療相談が行われた。どうにか越年を遣り抜く事が出来、あとは最後の大仕事、撤収作業が終われば、それぞれ普段どおりの生活が控えている。長い越年集中期間、それぞれみんな頑張ったと思う。
この越年で培った成果がこの一年をどのようなしかたで現れるのか、次はそれが問題であろう。
今年は、医療班においても、救急搬送が連日のようにあり現場と病院の往復であった。表に表れにくい労苦を担った仲間たちにも「お疲れ様でした」と言わせてもらおうと思う。
今年もいろいろとありましたが、この越年の成果が、どのような姿で表れるかは、これからのあらゆる闘いの中で見えてくるものだと思います。
陰ながら支えてくださった支援と仲間の皆様ありがとうございました。お疲れ様でした。
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