のじれん・通信「ピカピカのうち」
 

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 特集:2002−2003越年・越冬闘争基調



 1 今期越冬・越年闘争の位置
 
  渋谷での本格的な越冬・越年闘争は今年で6回を迎える。
  今期越冬の特徴は第1に「ホームレス特別措置法(特措法)」制定下初めての越冬  であり、第2に都の「路上生活者」越冬対策 が廃止される中での越冬である。
   今夏成立した「ホームレス特別措置法」 以降、厚生労働省からは自立支援センター ・シェルタ−がすでにある地域はまず入所ありきの通達が全国へなされた。
 
 
 また、国土交通省からは全国の公共地管 理者へ「不法占拠」への「積極的な」適正化 の通達がなされ、各地で追い出しの動きが活発化し始めている。
 また、「特措法」に基づく各自治体の基本計画を推進するため来年1、2月に実態調査の実施をすることが発表された。
 
 渋谷では実態調査に先行する形で代々木公園での一斉清掃に便乗し、警察権力による写真撮影を含む身元調査が行われた。
 警察も当の代々木公園管理事務所も実態調査に先立って野宿者の状況把握のためと平然といってのけた。
 
 都の路上生活者対策は自立支援センターの本格的な稼働以降シェルター開設に伴い、シェルターを経由してのセンタ−入所パターンが固定化し、生保希望者も就労希望者もまとめてまずシェルター収容・空き待ちが前提化しつつある。

 そして今期越冬ではついに95年以来の都の路上生活者越冬対策なぎさ寮が廃止された。越冬を前にした対渋谷福祉事務所団体交渉では、保護課課長が渋谷区サイドの責任も明確にしないまま、「シェルターがありますから」と発言した。
 
 都の路上生活者への総合的な対策の切り札だった自立支援センターはその機能不全が指摘されている。シェルタ−開設により「対策の拡大・拡充」どころか越冬対策の切り縮めへと至り、今秋の『ミツエ建設』争議に見られるようにセンターを通じたケタオチ飯場への野宿労働者供給という事態へと進行しつつある。
 
 以上の特徴点を踏まえ、年末期、労働者が飯場や現場から締め出されてドヤ代・サウナ代も持たず多数路上に放り出される。
 行政の窓口も締まり体を壊した労働者は真冬の路上で野垂れ死にを強いられる。
 この失業・アブレ−野宿−野垂れ死には、制度によってもたらされる攻撃である。

 この野垂れ死に攻撃を許さず仲間を死の縁から防衛し、年を越え冬を乗り切る仲間の協働と団結を作り固めていこう。
 そして、この制度的現状をそのものを打ち破っていくことをもって仲間のもとに春を呼び込む闘いとして位置付けていくべきだろう。

 2 野宿労働者をめぐる情勢
 
 それでは現状=野宿を生み出す原因は何なのだろうか?
 まず、端的にいって野宿の原因は失業・アブレに求められるだろう。それは個人の甲斐性の問題としてでは無く、また単純に景気変動における不況にのみその根拠が求められるものでもない。

 現在の失業問題は不況克服や景気回復では解決され得ない。それはなぜだろうか?歴史を紐解いてみよう。
 戦後の体制動揺期、政府は失業対策事業や生活保護をはじめ社会保障制度などにより体制にとっての不安定要因・矛盾の緩和を図る。
 政府は60年代エネルギ−政策の転換により膨大に排出された炭坑離職者や農業政策による農民層の賃金労働者化とその都市流入によって高度経済成長に必要な労働力を生み出し資本に提供する。

 またその端的な現れとして労働力貯水池である全国の寄せ場が政策的に肥大化されていく。
 必要な労働力を必要な期間必要な数だけ必要な場所へといつでも調達することができるシステムを政府が制度的に保障した訳だ。
 この労働力流動化政策と一対をなすものとして非効率産業部門を廃棄し戦略的効率的産業部門を育成する産業構造政策(スクラップアンドビルド)が進められた。

 また政府は東西冷戦を基調とする国際情勢を背景にケインズ主義的経済政策を実行した。
 財政出動により「不況克服・失業者救済・完全雇用」を実現させるとしたが、70年代資本主義経済の矛盾が深刻化・表面化する中で破綻する。
 
 これに代わり80年代新自由主義と呼ばれる経済政策が登場する。これは一言で言えば市場原理を社会の隅々まで浸透させる弱肉強食の論理である。
 具体的には政府の財政支出を抑えるため、福祉制度を解体し社会保障費を抑え教育や医療・公共料金の個人負担を高める一方、逆進税制による大衆負担を高めて企業減税を行い、企業活動の規制緩和を進めるなどの政策である。

 当然失業は増大し、貧富の差は拡大する。この社会不安・矛盾をセーフティーネット論などと基本的に個人の責任にすり替えながら低コストで処理していく。
 また社会不安の激化には警察権力の強化など強権的抑圧による対処も用意される。80年代以降の臨調行革路線から小泉構造改革にいたる流れそのものである。

 90年代東西冷戦崩壊により世界市場化が急速に進み、国際競争に生き残れる資本育成・産業構造再編のため(ITなどハイテク部門の育成の一方、ローテク部門の縮小・破棄)資本による労働者へのリストラ・首切り・大合理化の嵐が吹き荒れている。

 資本にとって自由な活動を保障するためのさらなる労働力流動化策は膨大な不安定雇用の労働者を生み出し続け、失業率は記録的な数字を塗り替え、不安定就労者1000万人、完全失業率5.5%、失業者370万人に達した。

 相対的過剰人口と呼ばれるこれら不安定就労者や失業者は経済のグローバル化の中で資本にとっての新たな蓄積・発展のテコとなっている。
 資本は労働者に仕事の奪い合いをさせながら労働者の諸権利を奪いさり労働条件を切り下げていく。
 この中でより就労困難な人々から隅へ隅へと追いやられて行く。
 仕事から排除され社会や家族からも切り離され野宿を余儀なくされる。そして人知れず野垂れ死にへと追い込まれていく。

 明らかに政策的に・制度的に失業者が生み出されている。
 そして失業・アブレの長期化から野宿・野垂れ死にを強制されていく。ゆえに野宿の最大の原因は失業にある。そして失業の原因は制度にある。
 先にも述べたがこれは基本的に景気回復で解決する問題ではない。構造的矛盾からくる根本的な問題なのである。
 
 それではこのような野宿者増大の根拠を踏まえた上で野宿労働者が生き抜くためにいかに闘い、そして野宿労働者の運動はどのような経過をたどり、現在いかなる地点にあるのだろうか。

 3 野宿労働者をめぐる現状
 
 現在、都内6000名以上の野宿労働者は、90年代バブル崩壊以降、年を追うごとに増大していった結果である。
 まず、山谷圏から顕著化する。
 そして90年代半ば新宿において尖鋭化し、徐々に周辺に拡大・広域化し、特に渋谷は90年代後半都内でも断トツに野宿労働者数が急増した。

 失業労働者は野宿を余儀なくされ、野宿生活の長期化の中でテントをはって、生存圏を防衛するため追い出し排除に抵抗した。
 政府−行政は当初、排除一本槍で野宿という生活形態をのみ問題とし、なぜ野宿へと追い込まれていったのかということは問題化させない姿勢を貫いてきた。
 しかし野宿労働者の公共地からの強制排除は社会的関心を呼び起こし野宿の原因である失業の問題を浮上させずには置かない。

 そこで政府−行政は対策を転換し始め「自助努力」を基調とする対策を打ち出すことで対策を通じた実質的な排除へと対応をシフトさせていく。
 野宿の責任を個人の責任に還元しそこから自立するための一人一人の努力が強調される。
 
 この流れが都の自立支援センター・シェルター路線であり、大阪・長居公園におけるシェルター問題であり、名古屋・白川公園シェルター問題である。

 そしてホームレス特措法成立により全国的に規定されたホームレス対策路線である。 この路線は失業の責任を一人一人の責任に転嫁し、失業・野宿へと至る構造は問題とされず、その存在形態ー現象形態から公園適正化が前面に押し出されていく。

 そして、自助努力の名の下、仲間を包囲していく。これが人々を処理していく過程の現段階である。
 政府−行政は巧妙に対策を練って、民間活力の導入と称して運動側をも取り込みながら失業問題の浮上を抑えつつある。
 野宿問題プロパーとしてのみ描き出そうとしている。

 我々は運動上の反省として、このような政府・資本の地域を越えた巧妙な戦略に引きずられる形で、その本質を見抜くことができずに自ら対策路線を推進していった。

 結果、運動上の混乱に陥っている現状を真摯にとらえ直し、根本的問題への対抗基軸を浮かび上がらせていくため、団結形成を準備していかなければならない。
 個別の問題として切り縮められてしまうような質ではなく層としての野宿労働者の運動をである。現段階は野宿労働者の処理過程とそれへの対抗基軸の形成へ向けての準備段階の間にあるだろう。

 4 渋谷野宿労働者の状況
 
 渋谷の野宿労働者運動−のじれんの運動において、野宿の根本原因−失業問題に手掛けるためのこちら側の課題、そして方針につこいての論議は、遅まきながら始まったばかりである。

 これまでの、特に大阪・長居公園追い出し問題−シェルター問題以降ののじれんの運動について、その総括や方針を持たないまま進められた活動は、現場での混乱として現れた。
 本来ならば我々自身が進めてきた東京での対策推進路線の総括を踏まえた上で、今後の運動について展望を導き出し、方針を打ち出していかなければならなかったのだが、まだまだのじれん全体において議論が深められたわけではない。

 しかし我々は、特措法下、これまでの運動に現れた混乱とその反省に立った論議を深め、方針と実践をもってかかる局面を切り拓いていかなければならない。
 我々は特措法制定直後の夏まつりを、失業問題をテーマとして掲げ、やり切った。
 そして秋、東京・代々木公園において公園側=東部公園緑地事務所による立ち退き工事問題が浮上する。

 その経過は後述するが、一方的な、しかも冬の間の立ち退き・移転に対し、当該野宿労働者は当然のように反発した。
 のじれんとしては、前回工事の際、対応できなかったことを真摯にとらえ返し、追い出しと闘う陣形の形成に取り組んだ。

 そしてその後の仲間の粘り強い闘いは、公園側の当初の目論見をはね返した。度重な公園側との団体交渉で、春の移転、代替地の問題などこちら側の要求をのませ、そして仲間共通の課題である画期的な仕事出しを勝ち取った。

 追い出しを仲間全体の問題としてとらえ、話し込みや寄り合いで仲間の声をまとめながら結束を固めていく中で、仲間の団結した力は行政を突き動かすことができることを、代々木公園の闘いは立派に証明した。
 
 特措法下、初めての本格的な冬を目前とし、渋谷において野宿の仲間に対する締め出しの動きが強まりつつある。ここで代々木公園の闘いを具体的に振り返ってみたい。

 5 代々木公園立ち退き工事問題に対する闘い
(省略:本誌掲載の「代々木公園工事立ち退き問題の経過報告」を参照)

 6 今期越冬・越年闘争の目的と方針
 
 野宿の仲間は、厳寒の季節としての冬によって、野垂れ死にを強いられるのではない。野宿さえしなければ寒さのために誰も命を落とすことはない。
 そもそも極寒のこの時期に何故野宿をしなければならないのか。野宿労働者を必然的に生み出し、野宿に封じ込める社会構造、「制度としての冬」が仲間を殺そうとしているのではないか。
 
 12月7日、渋谷において「冬」に仲間を殺させないための闘い、越冬闘争に突入した。
 今越冬闘争は、
 1仲間の生命は仲間の力で守り抜く!
 2一人の仲間も殺されてなるものか!
 3排除、追い出しを許すな!
 4居宅保護と公的就労を勝ち取るぞ!
を、目的(スローガン)として闘われる。
そのための方針は以下の3つである。

 1仲間同士の団結の力で、仲間の生命と健康を守ろう!
 
 パトロール、医療態勢の強化。炊き出し準備=協働炊事の活性化。児童会館集団野営態勢の強化。
 年末年始は、12月28日突入集会、29日の宮下公園拠点設営を皮切りに、宮下を拠点に、児童会館を集団野営の陣地に、1月6日の朝まで(宮下拠点は5日撤収)越年闘争が展開される。連日、炊き出し(夜のみ)、代々木・渋谷・広域パトロール、医療、(12月30日と1月5日に医療相談)、イベントが取り組まれる。集中した協働作業を通じて野宿の仲間同士の、仲間と支援者との新たな関係性を構築していこう。
 2春に向け、公的就労要求の具体的な準備を!
 
 公的就労要求の具体的な準備として、学習会や聞き取り活動を通じ、仕事の問題について仲間同士の議論を深めていきたい。年明けにも始まる国の実態調査をにらみつつ、越年闘争期間中、聞き取り活動の項目を整理するためにも意識性をもった話し込みをしていく。
 3共通の課題を仲間全体の問題としてとらえ、全都、全国の仲間と結びつこう!
 
全都、全国の仲間との階層的運動陣形の構築を目的とした、具体的方針を打ち出していかなければならない。
 そのためにこの冬、各地の仲間、団体との議論を深め、単なる交流にとどまらない共闘関係を築いていこう。
 越年期は、東京駅の仲間に対し、山谷対策の臨泊(去年多くの仲間がはねられた)について呼び掛けを12月28日、山谷争議団/反失実、四ッ谷おにぎり仲間と合同で行う。

 全ての仲間たち!
 
 春を見据え、仲間の団結で冬を乗り越えよう!
 仲間共通の利益の獲得のため、全都、全国の仲間と結びつき、階層的運動の布陣を築き上げよう!


 


(CopyRight) 渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合
(のじれんメールアドレス: nojiren@jca.apc.org