『原風景』 木村正人
大学入学を機に上京後、住み込みで新聞配達をしていたときのことだ。当時、私は朝三時起きで朝刊を配り終えるとラッシュに揺られて大学に通い、午後の授業が終わると夕刊の配達のために急ぎ帰宅、という毎日を過ごしていた。
早朝、寝不足の上、三百部の新聞にチラシをはさみ入れ、それを自転車の前のかごと後ろの荷台に積みわけ、自分の担当する区域に向かう。
寝起きで頭を働かせようもなく、それをほとんど惰性でやる。月末の十日間は更に集金業務に忙殺された。
集金が九割終わるまで給料は貰えない。だがお世辞にも払いの良い地域ではなく、やくざまがいの客の取り立てに神経をすり減らすこともあった。
仕事中心の生活に耐えられず、私とともに働き始めた6人の同期の学生のうち、ふたりは文字通り夜逃げして郷里に帰った。
そんな生活を抜け出す為に、どうしてもまとまった金が必要だった。
授業料を大学に収めるのに新聞社から金を借りていた。食べるための金はもうそれ以上削りようがなかったから、銭湯に行く日を減らし節約した。
仕事の後は流し場で冷水を浴びた。室温が温もるにはまだ季節が少しだけ早く、汗に濡れた服を脱ぐとそれだけで少し身震いがした。
どういうわけでその水の冷たさに私は耐え得たのか、記憶は遠い。水道の水でこすりつける石鹸は泡立ちにくく、労働にしぼられた贅肉のない痩躯を、握りしめた石鹸のかけらがほのかな匂いで覆っていった。
六畳の畳に小さな平机と布団がひいてあるだけの部屋。小さな流しがあったがトイレは共同で古い木造の建物だった。たわんだ木枠の窓からすきま風が吹く。
古びた網戸も、おそらくは私の越してくる随分前から破けていて、夏の夜などそこから入ってくる蚊になやまされた。黙っていても汗の吹き出るような熱帯夜に、私はいつもほとんど裸で寝ていて、実際虫に刺されることなどには構ってもいられなかったのだが、うとうとしかけた頃あの嫌な羽音に目を覚まされるのには、ほとほと参らされた。
その年の夏は記録的な猛暑が続いた。熱さと蓄積した疲労に風邪をこじらせて寝込んだが、仕事は無理にでも続けざるを得なかった。
休めば、私の代わりに配達をしなければならない他の連中に迷惑をかけるし、次の休みがなくなって大学の講義にも行けなくなる。結局、あとで皺寄せが来るだけだ。
そう思い、誰もいない早朝の通りで私はふらふらと自転車をこぎつづけた。団地を一棟配り終えるたび、コンクリートの壁に顔を押しつけ頭痛をしのいだ。だが熱が下がらなくなって五日後、私は販売所で倒れた。
貧窮な暮らしの中で、私はその貧しさに心を奪われぬよう、かえって無感動を装っていたかも知れない。平生、人との会話さえ努めて避けるきらいがあった。
話せば弱気なことを吐き出しそうでこわかった。来る日も来る日も、早朝に昇る大きな朝日と黄昏に暮れていく夕日を、駆け上がった団地の階段の陰から眺めた。そこに見るいつも大らかな風景だけが自分を奮い立たせるよすがだった。
新聞を配り終えた帰り道、いつも通る公園のベンチにひとりの男が住んでいた。薄汚れて彩色のわからない衣服を何枚も重ね着して夜気をしのいでいたようだ。
つばのよれた登山用か何かの帽子をいつも目深にかぶり、伸びきった髭と長髪が顔を隠していたので、年齢すら定かではなかった。ベンチに座ったその男は私が横を自転車ですり抜けるとき、きまってちらと顔を上げ、黙って私を見送った。
何かしらの表情をそこに浮かべるでもなく、彼はただ珍しくもないそこらの野良猫でも見るような目つきで通り過ぎる私に視線を向けた。そして私はいつもそれをわざと無視した。
いつからか知らない。私は販売所に内緒で、余りのスポーツ紙をその男のベンチにこっそり置き捨てるようになった。
その新聞を読みふける男の姿を何度か目にした。たとえつまらない無意味な記事でも、それでつらい時間を忘れて過ごせたらいい。私は、あるいは男の身上に自分自身を重ねあわせて、つまらぬ憐憫を抱いていたのかもしれない。
自分と彼を隔てるものが一体何か、私にはもはや言い当てることができなかった。
私は私が自分に対して禁じていた労りの声を、彼に向けることで代償していたのかもしれない。
下手な同情など、困難な状況にある者の感情を余計傷つけるだけだと気付いていたから、そういつまでも自問しながら、それでも私は毎朝同じことを繰り返し続けた。だが私の気はいつまでも晴れなかった。
その公園である日私は遠巻きに、鳩に餌をやるあの男の姿を認めた。男は手にパンを握っていた。私は最初、空腹であろう男がそのパンを自ら食しないのかといぶかしんだ。
千切って放られたパン切れに、灰色をした鳩があさましく群がっていた。自らを抑止する術も知らず、欲望の赴くがまま群れ蠢くその動物の姿は私にとって、憎むほどに厭わしく、醜く思えた。
日々の暮らしのなかから湧きあがってくる雑多な思いをただ抑制することによってだけ自らを律していた、その頃の私にはつまり、まだ自分自身の生活と切り離された沈着した視界がなかった。
嫌悪感に耐えきれず通り過ぎようとしたその時ふと、パンを投げている男の顔が目に映った。男は黙って鳩の群れを見つめて確かに微笑みを浮かべていたのだ。時間がとまった、ような気がした。
私は、そのまるで執着のない穏やかな微笑みを、今でも大切に思い、記憶している。
2000年4月3日 回想録より
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