韓国を訪れて
EAE第一弾・日韓相互派遣より
以下は、韓国を訪れた仲間たちの感想です。(編集部)
「居住権」でつながろう
市崎和宏(東京・新宿中央公園チロリン村)
1.シェルター(「自由の家」「希望の家」)
シェルター、東京にないから最初はとまどったよね。比較できないんだから。強いて言えば(最近東京に幾つか建てられた)自律支援センター(に似ている)。だけどとにかく入ってる人の表情が全然違う。日本は恥ずかしいけれど遅れちゃっている。長居なんかも(シェルターはつくられはしたがそれらは)オリンピック(招致の)名目で、保護するという発想がない。シェルターを排除のためにつくっている。向こう(韓国)なんかは路上生活者もそうだけれど、それも含めて、生活に困窮している人のためにそういうのをつくっている。追い出しもないみたいだ。若者なんかも入ってたねえ、韓国の施設には。高齢者も多いけど。日本だと若者が野宿者を襲撃したりするのに。
(韓国には)テントがなかったね。日本では公園に多いんだけど、ほとんどいなかったね。韓国の仲間はそれで「自然を守ってる」んだって。公園などでは寝ない。彼らには入りたい施設があるんだから。生活保護の額が低いからそんなのも取らないで、みんなシェルターに入る。ただ向こうは、入らない人は悪いという見方をしていた。自由の家にいる仲間が、野宿者層に対して「なまけもの」って言っていた。日本ではそんなこと考えられない。
韓国の仲間に言わせれば、仕事はなんぼでもある。年齢で差別されたりすることもない。賃金は土方で(「土方」って韓国では軽作業のことを指すみたいなんだけど)、大体5千円から7千円って言ってたかな。(教会の炊き出しであった高齢の)ああいう仲間、日本ではまず使ってもらえない。
ただね、シェルターがもし日本に出来ても、自分は入りたいとは思わない。今までなんとか自分でやってきたからね。けど入りたいという仲間ひとりでもいるならつくっていいと思う。ただそれを口実に排除やるというなら、絶対反対。
2. 統一村の撤去民運動
自治組織になっているところ。みんなで廃材なんか集めてきて、大体200人くらいの街が出来ている。それも驚いたのが、ずっと田舎の方とかっていうんじゃなく、ビルとかがどおんってあるオフィス街の真ん中にあるんだ。近くの地域の市場なんかに働きに行ってるみたい。日本だと新宿とか商店街の人とかがうるさいし、銭湯行ってもいやがられるくらいなのに。
電気も入ってるしガス、水道も。下水だけが自分たちで掘ってやってるから、雨が降ったとき大変だって言ってた。電気、最初は電線から黙って引いてきてたんだけど、電気会社に文句言われて、じゃあ金払うからってメータを付けさせた。だから今じゃ公認というわけ。
みんなの役割分担がしっかりしていたなあ。理事とか、婦人部副会長とか。所帯持ちの人、子供がいるってところもある。集会場があって、みんなでやろうということはそこに集まってみんなで決める。ところが、そういうところに出てこない人もやっぱりいる。そこで聞いてびっくりしたんだけど、集会に出てこない人はコミュニティから追い出しちゃうんだって。運動に出てくるから仲間で、出てこない奴は仲間じゃないだとか、日本ではそんなこと絶対ないけど、向こうではそういうふうにやっちゃうんだって。ただそれには理由があって、すごい金がある生活してるのに、そこにいて土地の権利を(手に入れたあとで、)売ろうなんて奴らがいるらしいんだ。集会に出てこないのはだいたいそういう人。だから本当に厳しい人だけがそこに住めるように、そういう奴らの家はもう住めないように壊しちゃう。新しく家つくるときは、会議でみんなで決めるんだって。
自治組織って、もうひとつの町だよね。日本ではそこまであんまりやれてない。あれはすごいよ。でも不法占拠だから、一番困ってるのは居住権が無いこと。つまり住所がとれない。今それを勝ち取れるようにやってる。理事長が言ってたよ。とにかく団結だ、と。
こういう形の運動は日本ではあまり記憶にないし、実を言うと最初はどうしてこういったところと交流するのか、接点がわからなかった。でも交流を深めていく中で、それは「居住権」なんだということがわかった。
3.石山窟
それから再開発撤去地域の仮設住宅の話。彼らが追い出され、高層住宅が建つ予定地は3年も4年もほっぽりだしでさら地のままだけど、仮設(って言ってもプレハブとかじゃなく、そこらにあるアパートと同じような住宅)を勝ち取った。建物の造りも入る人の家族構成によって違う。同じ年頃の子供で男女がいる場合は部屋がひとつ多い。
住んでいる人が、地域を巻き込み、地域外まで広げて運動していく。これは大いに学ぶべきだと思う。ああいうふうにやれたら最高だろうな。自分達の運動ってのは、地域住民との温度差がある。差別意識もある。シェルターを作る上でも地域を巻き込んでね、ホームレスを地域社会の問題として理解してもらうことがもっと必要だと思う。同じ社会で共存していけるために。帰ってきてみんなにちょっと報告したら、そんなの無理だって、笑われちゃったけど(笑)。
そこでは組合運動もやってた。民族衣装をつくって売って...、結局失敗はしたけど。大阪の長居でも仕事共有したりやってるらしいけど、それをもっと拡大したような取り組み。「自由の家」でやってる、あれも(※雇用創出の取り組みとして、公共事業に働きに出る「自活公共勤労事業」と、共同出資組合型の「自活共同体型事業」との二種類があり、どちらも政府援助を受けている。)ちょっと面白い試みだなと、俺は向こう行って話聞いてて思ったけどね。日本じゃ職安なんか行っても仕事がない。組合的なこと日本でもやれたらどうかなあと思う。
今後「居住権」のたたかいが、どういう展開になるか興味がある。日本でも色々な形で運動が拡がってきてはいるけど、運動体のスタンスが違うことが原因で、仲間同士が交流することができなくなるのであれば、それは結局は仲間にとっての不利益だ。そういう意味では、今回は韓国でいろんな仲間と交流できてよかったのではないか。
*****
良すぎるサービスに異議あり!
山内勇志(大阪・扇町公園)
1.「自由の家」(ソウル)
設備、サービスともに日本よりはるかに立派だった。三食付き,漢方の針治療、医療相談室の設備や防犯、食堂などの運営の一部を仲間がやっている。これはよい点。逆の悪い点は、ポリがいる。説明では仲間が犯罪に巻き込まれないようにといっていたが、仲間の監視のためではないのか?
一番の問題はシェルターの仲間が野宿している仲間のことを「怠け者」といっていること。それに説明してくれた仲間がシェルター内の「優等生」ばかり。シェルターの本音が聞けない。またシェルター内での「仕事」を持っていない仲間もいる、その人たちの声がもっと聞きたかった。
2. 「希望の家」(ソウル)
仲間の話が聞けなかった。(実際は聞いたかもしれないが、覚えているのは)「活動家」の話ばかり。運動の歴史には興味がない。
3. パトロール
めし、ラーメン、お菓子などを置くというのはすごい。日本でもやりたいが金がない。教会が動いているからできるのだろう。でも、飯を配っているだけで何の意味もない。何のためのパトロールなのかわからない。日本の場合ビラを撒き、情報を与えるというところは意味がある。
「与えるだけ」というのが「気に入らない」。配る方は(自覚はないかもしれないが)「上から」与えるだけで、もらうほうも「下から」もらっている。「もらう」に負い目があるから、何か言いたくても言えないのではないか。配る方も、(もっと仲間自身に)活動に参加してほしくても、(仲間に対して)上からものを言うと言う感じになるから言えないのでは?パトロールの代表者が何で(活動を)するのかを伝えていない。なんで食事を配るのか、わからない。
4. ソウル、チョッパン地域
日本のドヤとはちょっと違う。「旅館」ではない。戦前の屋根裏を貸していたのにそっくりだった。チョッパンの中に医療設備がある(※チョッパン街に無料診療所があった)のにはびっくりした。
5. テジョン
チョッパンの一時保護所を仲間のために開放している、日本にもほしい。シェルターのことはあまり覚えてない。
(※教会での炊き出しについて)教会でこんなしょうもないことをやっているのか、と感じた。ただ黙って食事を出し、黙って食べて帰るだけ。話も何もしない(※実際は食事の前に説教などがあったはずだが、私たち一団はそれにまにあわず、配食を手伝うに終わったので、このような印象が残ってしまった。ただし、食事する仲間同士にあまり会話がみられなかったのは事実)。
6. ビニルハウス村(統一村)
いいものを食わしてもらった。電気、水道、ガスを引いているのがすごい。日本でもできないのか?建物が石だから電気が引けるのか。ブルーシートだと漏電する。電気を引く方法を詳しく聞きたかった。
日本の野宿とは違う。仕事をもちながら家がないので占拠した。(と言う印象)。日本とは状況が違う。安定した収入がないとできない。野宿者というより「ホームレス」だ。日本の野宿より、(日本の)戦後のバラックの方が近い。
7. 撤去地域(石山窟)
仮設住宅とはいえあれだけのものが建てられる住民の力がすごい。交渉によってはあれだけのものを勝ち取れる。日本も学ぶべき。
自分たちで事業をおこすのはすごい。
低所得者のための運動を指揮するために活動家が自ら住民となってやるのは、日本ではまだできていない。今後は日本でもやるべきだ。
8. ソウルでの座談会
日本の説明の時間が短すぎた。きっちりと支援と打ち合わせをするべきだった。カンさんの話ももっと聞きたかった。釜ヶ崎運動についてももっと話したかった。
9. 当事者との会話から
炊き出しで三食とも喰えるし金ももらえる。仕事をしたという意志はあるけど、教会の援助のせいで、切羽詰って仕事を探すことができなくなるのでは?
10. 全体の総括
韓国においては、運動家たちの力によって低所得者たちの施設やサービスが充実しているように見える。最初は運動で勝ち取ったシェルターだが、運動家も行政にのっかってシェルターに入るように進めたため、シェルターの中に入っている人の考え方に行政側のものが入っているような気がする。自由の家に入っている仲間が、(路上で暮らし続ける仲間に対して)同じ仲間なのに自分たちと同じ生活をしないというところをもって「なまけもの」と言っている。そういうところは、行政のイデオロギーが入っていると思う。
長い間仕事がないが、それでも自立したい人は、共同作業などもやっているが、炊き出しなどで三食、小遣い付の生活では、あまりにもサービスがよすぎる。それが長い間続くと働く気力がなくなるのではないのか。低所得者、シェルター内の仲間、それと路上で野宿している仲間の間での差別意識がおこるのでは?
活動家が行政サイドに立てる(政治決定的なプロセスに参与できる)のはすごい。でも役人になったら活動をやっていた時に見えていたものが見えなくなるのではないのか?そこをどうするのだろう?
カンさん(韓国側唯一の当事者)の話がほとんど聞けなかった。
聞き手:内山(釜ヶ崎パトロールの会)
*****
パトなら負けない!
西野 隆(東京・渋谷代々木公園)
1.シェルター
「自由の家」は、ぼくからしてみればまあいいなと思ったんだけど。皆和気あいあいとしていたし。部屋は大人数だけど、でもゲームなんかして楽しそうでしたよねえ。自由の家というだけあって、希望の家よりもやっぱり自由な感じがしました。針灸もできるし、仲間が職員もやっている。自主管理をやってる施設なんて日本にはないでしょう。でも仲間が仲間を管理している印象も少しありましたね。なかには野宿している人は(人間的に)だめだとかいう人もいたし。やっぱし、職員とかやってると天狗になったり、幅を利かせたりっていうのあるんじゃないですか。そう言えば大田(テジョン)のシェルターの人も、やっぱし路上の仲間を差別してましたねえ。シェルターにはいると、逆に「なんだお前らは路上にいて」という気持ちになってるのかもしれない。
ほんとのところは、仲間にしかわからないという気はします。駅の地下道であった仲間なんかからは、よくない噂も聞きましたし。おんなじ職場で働いている同僚が、自由の家から来ているって事で、給料が安くなってるとか。
出入り自由なところはすごくいいと思いますよね。それに政府が認めてるんだから。お金もらえて食事三食でるっていうんなら、管理の仕事とかやってもいいなあ。うん、やりたい。日本の施設なんて、出入りが自由でないどころか、ごはんのおかわりもできない。それでも、もし「なぎさ」(東京の冬季緊急一時保護施設)が通年やっていたら、入りたい。欲を言えば、住所と保証人が確保できるような通年施設が欲しい。
2.援助のありかた
韓国行って疑問に思ったのがパトロールのやり方でした。仲間と十分に接していないのでそれが残念。ただラーメンとかヤクルトとか置いてくるだけ。ぼくらがやっているように、具合聞いたり、声かけたりしない。(支援の母体として)教会があるから、それに国からも援助がおりててそれで運営できているのはうらやましい。日本でも国や市と協力できたら、ほんとだったらいいんですよね。そうしたら広報とか書いてお金集めたり、カンパもらったり、そういう支援の負担も減ると思いますけどね。
(黙っていても物をくれるような)支援があるというのはどうなんですかね。それで(もらうだけの立場にある仲間が)怠けてしまうという側面もあるかもしれない。ただ支援がいなければセンターとかの情報を知らない人も出てくるんですよね、きっと。(だから路上に支援は必要だけれど、援助の形についてはよく考えなくちゃいけない)。パトの形からいうと日本の方がずっと進んでいる。
3.居住権の獲得を目指すコミュニティー運動
それから統一村(トンイルチョン)。あれはすごいねえ。(経済)難民のつくったビニルハウスと聞いてたけど。ビル街のど真ん中に村があって、それも市とのやりとりの中で勝ち取ったって。ホームレスという印象を受けなかったです。電気、ガス、水道もひっぱって。日本だとすぐ警察がくる(笑)。すごいですよね。日本でもやって出来ないこと無いんでしょうけど、難しいんでしょうねやっぱし。でも名古屋にもきちっとコミュニティーをつくっている仲間はいましたねえ。おなじ占拠でも代々木はいまだにほったて小屋。やっぱり決断力かな。団結かなあ。
石山窟(トゥルサンマール)というところにも行きました。高層住宅が建つっていうんで、追い出しとかされて、仮設住宅と、それから高層が建ったらそこに入居できるという権利も勝ち取った。でもバブルで建設会社がだめになっちゃって、(建設予定地は)ずっとのざらし。でも自治会があって、婦人会があって、集会場があって、共同事業までやっている。試行錯誤して一度失敗はしたけれど、これからまたどうやって仕事のことを考えていくのか、ぼくらが帰る二日後もそのことで話し合いだ
そうです。
―――――――
余録
(インタビューが終わったところで、傍らで聞いていた他の仲間との会話が始まりました)。
よこちゃん「事業、事業って言ってたけど、事業って何よ。渋谷でもフリマ(フリーマーケット)とかTシャツ(作成・販売)とかやってる。それとおんなじじゃないの」。
西野「そうなんだけど、けどやっぱし、ううん、彼らの事業みたいに給料とか払ってというまではなかなかいかない」。
よこちゃん「そんなことないよ。缶(空き缶集め)だって事業になるんだ。コーポレーションだよ。夢、夢。少しでも金になるから、少しずつ、それでやっていって進歩してけばいい」。
代々木公園にテントを張って暮らしているよこちゃんと西野さん。彼らは街中に捨てられている空き缶を回収し、それを売って稼ぎを得ています。彼らが最近取り組んでいるのが、缶集めをしている仲間数名での共同貯蓄と共同炊事。彼らは自分たちの取り組みを、空き缶JV(Joint Venture:共同事業)と呼んでいます。渋谷地域を代表して韓国を訪れ、帰国した西野さんも加わり、東アジア交流で得られた体験を、早速自分たちの生活の中に生かそうと頑張っています。
|