「2000−2001年の渋谷越冬越年闘争は、渋谷区城を遠く超えた世田谷、大田、東京駅、神田・御茶ノ水の広域パトロール、宮下公園に医療テント、物資テント他数棟のテントを出現させ、毎日朝から120食配食した全日越年、東京各地、及び大阪の仲間と全国八地域の越年行事を駆け回った越年全国交流などなどで、例年以上に賑やかで慌しいものとなった。この越年期に出会った仲間も多く、その多くは2月以降の長居公園支援、そして現在の渋谷の活動の中核をなしている。そう、越年とは最も厳しい時期を仲間同士の支え合いで乗り切ることで、その後一年間の仲間の繋がりの基礎を作る「仲間作り」の要でもあるのだ。越年に携わった仲間の声を聞くことで、越年の雰囲気を感じ取って頂きたい。
越年感想集
パトロールはもう生活の一部!」
くま
私は越年越冬に今年初めて参加しましたが、楽しく、また、疲れた正月でした。
私は7年間正月を一人でむかえてきました。しかし21世紀、新世紀の正月を多人数でむかえたことは、とてもうれしかったです。
新年1月1日宮下公園では、もち付き大会が行われました。もちを付く人は、いるのですが、相の手をやる人がいなく、12回位もちを付きましたが、私一人でやることになり、最初は楽しくやっていましたが、最後はもうへとへとでつかれました。でも、もちを打つ人達が楽しそうに打っているのを見ると自分もがんばるぞ、と気合を入れてやりましたが、もち付きが終わったころにはバテバテでした。その日から私はスタッフの一員となり、いろいろな仕事をしました。主に材料切りが私の仕事だったけど、盛り付けなどあとはこまこましい仕事などもやりました。私自身きらいな仕事ではないので出来ることは積極的にやりました。(迷惑もかけたけど)ハプニングなども回りのスタッフと力を合わせて乗り越えることが出来ました。
また私は夜のパトロールに参加させてもらいました。私たちの質問に答えてくれる人、怒る人、いろいろな人がいました。だけどみんな同じ状況の中で、多少の違いはあるけれど、みんな野宿をしている生活は同じなのだから、問いかけに素直に、そして、自分に素直になってほしいと思いました。
今、日本の国は完全に汚れてしまいました。国を守る政治家が国を守らず自分のことを守るようになったからだ。上に立つ人間がダメだから、下にいる人間が動く時なのだ。その先頭に立ってやるのが、われわれ野宿生活をしている私達が、もっと大きな仲間の輪をつくり、われわれで革命をおこせる、と私は参加して思いました。
私自身これからもいろいろな面でがんばっていきたいです。
今年のお正月は、
最高に、楽しく、
最高に、疲れました。 以上。
題名 のじれんとの出逢い
ペンネーム ドナルド&プーさん(♂27歳 ♀30歳)
私達がのじれんの越年闘争を知ったのは大晦日の夕刻でした。この日は朝から何も食べてなく、公園の片隅でダンボール生活をしていた私たちに、ポツポツと雨が降ってきました。とりあえず雨をしのぐため移動しようと公園を歩いていると大勢の人が火を囲んで話をしていたので、少し離れた所を通りすぎようと思ったとき器を片手に食べているのが目に入り、思わず列に並んで器を受け取りました。その中は、温かいビーフシチューでした。一杯のビーフシチューを二人で分け合い食べ終わったので器を返しに行くと、「年越しそばは11時頃でいいのか。」という声が聞こえてきたので、一度その場を離れて、今度は年越しそばを目当てに公園に戻りました。すると公園ではカラオケをしており、皆楽しんでいました。そして紅白歌合戦を聴きながら年越しそばを食べ除夜の鐘を聞き新年を迎えたのです。
私たちが輪に入れずに階段に座りこんでいると、何人かの人が声をかけてくれて、いつしか熱い焼酎を持って同じ炎を囲み楽しんでいました。
時が過ぎ、皆それぞれの寝床へ帰っていき、どうしようか考えていると一人の人から「寒いからよかったら俺の所においでよ。」と声を掛けられ朝まで三人で話をしていました。1月4日まではいろいろとやっている事を聞き、どこも行く所がないならないなら居ればいいからという事で越年闘争に参加するようになりました。
元旦の朝食が終わり片付けになると、洗い場のスタッフが不足している為誰か手伝ってほしい、というので手伝ううち、その後4日までの間スタッフとして仲間になっていきました。
こうして私達はのじれんの越年闘争を知る事になったが、野宿生活をしている人は好きでしてる訳でもない、それに今でも汚い、くさいというイメージを持っている人が多いかも知れないが、一年中同じものを着ている訳ではないし、この寒い中でも冷たい水で洗濯をしているのです。それぞれに事情があり、少し人と接するのが苦手なだけに思えます。
こうした‘野宿生活をしている人の生活と居住権をかちとる自由連合’である「のじれん」の活動はとても重要だと思います。
今回の越年闘争では、炊き出し、映画上映、将棋、オセロコーナー、カラオケ大会、餅つき、深夜には代々木や渋谷を中心にパトロールもしていました。そのほかにも様々な活動をして野宿者の支援をしています。
人間として生きている誰もが、少しでもいい生活を望んでいると思います。しかし、いつ自分が野宿生活をすることになるかは誰にも分からないことです。野宿生活をしている人は、ゴミではなく一人の人間です。同じ生活を経験して理解してほしいとは言わないが、こういう人達もちゃんと生きて生活しているということをわかってほしいです。1、答えてくれた人、遠藤さん
(12月24日の薪運びから最終日までずっと参加)
Q,スタッフとして越年に参加しての感想を聞かせてください。
―全体的にスタッフの人数不足を感じた。例えば、焚き火に使う薪をトラックで運びその薪を所定の場所まで運ぶ作業を三度行うにあたり、最初はスタッフがとても少なくて作業がはかどらず苦労した。途中から徐々にスタッフが増え、作業が楽になったが、初めから必要な人数を確保したほうが良かったのでは、と思う。
スタッフの役割分担をはっきりさせたほうがいいと思った。指示も的確に出せ、スタッフや現場の混乱も防げたと思う。
パトロールスタッフの人数に合わせて場所・回数を調整したほうが良かった。スタッフに過度の負担が掛かったように思う。特に、深夜パトロールそれ自体がハードであるのだから。他は満足です。食事も良かった。1月4日に越年越冬が終わった時、充実感がありました。
…いつも穏やかな遠藤さん。インタビューの時も穏やかにゆっくり答えてくださいました。ありがとうございました。
2、しもとり ひろしさん(12月28日〜最終日まで)
Q,スタッフとして越年に参加しての感想を聞かせてください
―今回の越年越冬の炊き出しでは、様々な職業の人やユニークな人間が集まり、初対面のメンバーもたくさんいたが、それぞれがよく受け入れあっていた。それは、お互いに対する深い思いやりがあったからだと思う。どん底からやっている人間の深い思いやりが。
Q,洗い場で特に責任を持って働いてくださいましたが、いかがでしたか?
―途中、疲れがたまって倒れてしまったが、もともと嫌いな仕事じゃないので苦にならなかった。ただ、いろいろな人が手伝ってくれたが、洗い場を手伝うなら手伝うで、最後までやってほしい。途中でいなくならないでほしい。自分に都合のいいように手伝うのではなく、状況を見て、必要に応じての手伝いをしていただきたかった。自分に与えられた責任を全うする、ということ。私がパトロールに参加しなかったのは、炊事関係での自分の責任を全うしたかったからだ。
Q,今年はどんな年にしたいですか?
―今年は自分に責任を持って、変なプライドを捨てて新しい人生を始めたい。自分に素直になりたい。素直が一番!人間は持ちつ持たれつなのだから、初心ワスルベカラズ、絶えず反省の心・初心にかえる心もっていたい。そして、仕事面でのよきパートナーに出会えるように祈っている。これから、階段を一段一段上っていきたい。生まれ変わったつもりで、一日一日を大切に生きてゆきます。
…いつもきっちりと仕事をしてくださるしもとりさん。仕事に対する誠実さが時に自分を苦しめたのだと伺いました。今年はそれらが実を結びますように…。
仲間のまつさんより―彼の気性、控えめなところがとても好きだ。自分は長年路上生活
をしてきたけれど、数少ない素晴らしい仲間だ。今、数人で一緒に飯を食っている。寂しいから誰かに何かしてあげたい。一人で食べるとうまくない。みんなで食うとうまい。でも、他の仲間にはこの生活から早く足を洗ってほしい。また、私たちの生活のつらさや困難を分かってほしい。路上生活している人は、仕事がないわけではなく、人とのコミュニケーションが下手だから、例えば職場で失敗をして怒られた時、困難に遭ったとき、耐え切れず諦めてしまう、逃げてしまうのだと思う。
3、Tさん(12月28日〜1月4日まで)
Q,炊事班の料理長として越年の全日程に参加しての感想を聞かせてください。
―渋谷で越年の炊き出しをするのははじめてでした。その前は1000人〜1200人規模の新宿で4年間、越年の炊き出しに参加していました。今年は、最初渋谷の炊き出しに参加するつもりはなく、ただ食べるだけのつもりでした。それが,180人〜200人ほどの
炊き出し3食とパトロールメンバーへの夜食の1日4食を預かる炊事班の料理長として全日程参加することになりました。その間睡眠時間は1日1,2時間。楽ではなかったです。しかし,炊事スタッフに最初に材料の切りつけの指示をするとすぐ理解してくれ、後はよくやってくれました。周りの人間が、洗いものでも何でもやってくれたことを本当に感謝しています。味については80%の満足度です。最後のカレーが納得できなかったから。来年は、是非、食べた人の我々の仕事に対する反応を知りたいので、食事に関するアンケートをとっていただきたいです。新宿ではいつもアンケートをとっていました。
雨も降らず、無事終わってよかったです。
…終始ニコニコしてインタビューに答えてくれたTさんでした。しごとっぷりもプロフェッショナルでした。
僕が僕であるために!〜彼女募集中〜
大泉誠さん(26歳)O型
野宿者の多さにあらためて驚いたよ。今年の越年はイヴェントも多かったし、いろんな仲間にも会えた。仲間積極的だったねえ。むかしは祭りもショボかったのにね、いやこれは書かなくていいよ、書くなっつーの(笑)。パトロールに参加して、テントがずいぶん増えたのに気づいた。それでも元気な仲間が多かったのはうれしかった。(祭りで一番面白かったのは何だった?)カラオケとー、なんだろうねえ、みんなでやったカラオケ、料理づくりとかね、あともちつき、以上。(カラオケは何を歌ったの?)尾崎豊のForget-Me-Not。(賞はもらえた?)いやあ点数なしだった。へへ。あと面白かったのはねえ、地方から来ているいろんな仲間が参加してて、それが楽しかったな。
世間の風はつめたいからなあ、もっと世界が暖かくなってほしい。ホームレスって聞くと、一般の人はまだまだ白い目で見る人が多いから。(聞き取りは木村正人)
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