しずパト
(野宿者のための静岡パトロール)からの報告
―地方都市における
野
宿者への行政の対応を中心に―
<1.しずパトとは>
昨年末、アムネスティや死刑廃止フォーラムのなかま4名とともに始めた野宿
者のための静岡パトロール(しずパト)の活動もまもなく1年を迎えようとして
いる。現在の活動内容は、月一の定例パトロールと生活保護申請などに関する個
別相談をベースとして、夏祭りや秋祭り、越冬期の炊き出しなど徐々に活動の枠
を広げつつあるところである。ちなみに、秋祭りや先日行った越冬炊き出しには
フードバンクからいただいた米を使わせてもらった(感謝)。
しずパトの第1の活動目的は「であい」である。日常的に切り離されている野
宿者と「普通の人々」との関係をつなぎ直す「であい」を創り出すこと。そし
て、家のあるないに関わらず、新たな「であい」の中で、もう一つの自由な自分
の生き方の可能性を見いだしていくこと、自由な社会の有り様を想像/創造して
いくこと、これがしずパトの目的である。パトロールの際にゆで卵やお茶を配っ
たりしてはいるが、これも新たなであいを創り出すための小道具に過ぎない。
「であいは自由な社会のたまごです」をスローガンにゆっくりあせらず、あまり
高い志を持たずに、活動に取り組んでいる。
<2.定例パトと静岡における野宿の現状>
定例パトロールは毎月第二金曜日に、駅とその北側の駿府公園までの市の中心
部のみで実施している。参加者は増減ある者の約20名前後。一回のぞいてみよ
うという感じの学生の参加者が多いので不安定である。
毎回パトロールでであう野宿のなかまは約60名。当初の印象では高齢者と女
性が多いと感じたが、高齢者を優先して生活保護を勝ちとってきたこともあり、
現在の統計では他地域に比べ目立った特徴はない。野宿のなかまの半数が地元、
少なくとも県内出身である。土建関係の職についていた者でも、寄せ場経験者は
ほとんどおらず、市内の建設会社等の寮(飯場)ぐらしをしてきた者である。高
齢者の中には子どもに家から追い出されたなど子どもとの折り合いが悪く野宿に
至った者も多い。
年齢の若い方では、昨年末と年始に見かけた20歳の女の子が最年少であり、
30歳代も数名いる。沼津で親兄弟一家全員がずっと野宿暮らしをしてきたとい
う32歳の男性もいる。
<3.静岡市福祉事務所との闘い>
生活保護申請など個別相談・支援には、数名の有志のみで対応している。今後
はパト参加者のなかから個別支援を行いうる者を養成したり、元野宿者で生活保
護を勝ちとったなかまの協力を得たり、野宿者だけでも申請できるようなマニュ
アルの作成などを行い、個人への負担の集中を軽減し、より着実な福祉行動を展
開していきたいと考えている。
静岡市で野宿状態のままからの生活保護申請を初めて勝ちとったのは、今年の
7月21日、Mさんである。Mさんが申請を決意するまでにも若干時間がかかっ
たが、申請時から開始決定まで、本当に苦しい闘いを強いられた。Mさんが初め
て一人で福祉事務所を訪れたときには、切符をやるから帰れと一点張りで、追い
払われた。これがそれまでの静岡市福祉事務所の野宿者への対応であった。
Mさんと笹沼が静岡市福祉事務所の窓口に出向き、生活保護を申請したいと言
ったときの職員の対応が、どうしようもないほどひどかった。対応した某若手職
員はいきなりさげすむような目つきをした。そして、申し込み票の住所欄に新静
岡センター(バスセンター)と書き込み、ここに野宿しているというと、住所の
ないようなやつには生活保護は出せないから帰れ、と威圧的に追い払おうとして
きた。それでも生活保護は住居のない者にも適用されるものだ、住居がない要保
護者には宿所提供施設などで住宅扶助を出すことになっているでなはいか、など
と食い下がると、奥の方から中堅職員が加えタバコで出てきて暴力的な言辞を吐
きつつ追い払おうとした。それでも生活保護法には現在地保護があり、住居のな
い者も保護を受けることができるはずだなどといって粘ったところ、ようやく主
管が出てきてイスに座って相談ということになり、ついに申請を行い受理させる
に至った。
しかし、その後福祉事務所に調査の経過と保護の見通しを尋ねに出向いたとこ
ろ、係長クラスの職員らがでてきて、「居宅がないから申請は却下の意向であ
る」などとふざけたことを言い出した。そしてなんとそもそも住居がないから保
護の要件を満たしていないので調査も行っていないというではないか。にもかか
わらず「要保護性はあるが居宅がないから申請は却下だ」などと寝ぼけたことを
平然として言ってのけたのである。あきれはてるほど法に無知で、憲法・生活保
護法を愚弄してはばからない静岡市福祉事務所との消耗する闘いはこうして始ま
った。
現在までのところ、われわれの支援で野宿からの生活保護申請を行ったのが1
1名、その内保護開始決定されたのは6名、却下1名、調査中が4名である。こ
れまで保護が開始されている者については、申請後こちら側で身内などに保証人
になってもらうなどしてアパートを確保したものである。アパートに入居が可能
となった時点で決定、入居日から保護の開始となっている。礼金敷金も支給され
ている。これは大阪市などのなかまから見ればうらやましいと思われるかもしれ
ないが、静岡市は申請日からではなく、入居日からの保護開始という全くもって
違法・不当な運用を行っており、あくまでもホームレスには保護をやらないとい
う立場を貫こうとしている。これについては近々行政不服審査請求を行う予定で
ある。
そこで、現在申請中の者については敢えてこちらでアパート契約を行わず、福
祉事務所に住居の確保又はその支援を行わせる方針をとり、「居宅がないから却
下」という違法・不当な運用を粉砕すべく闘っているところである。
12月1日に福祉事務所宛に質問書を出し、要保護性、補足性に照らし保護の
実施要件に欠けるところがないにも関わらず、「居宅がないため却下」と再三主
張してきているが、その根拠法規は何か、「居宅がない」ことが保護の欠格要件
となるのか、を問いただした。福祉事務所側は15日までには書面で回答すると
返答したにもかかわらず、11日時点で来週にならないと回答できないなどと悪
あがきをして引き延ばしをはかっている。
悪あがきの要因の一つは頼みの綱の県が、「生活保護の運用においてホームレ
スと一般の人とを切り分けてはいない」、「居宅の有無は保護の要件ではない」
とはっきり認めたことにある。7月にも県の生活保護室主事に問い合わせを行っ
たが、その際には居宅のない者には保護を適用しない、それは少なくとも自分が
生活保護行政に携わってきた30年来の方針であると回答していた。しかし、そ
の後国との協議を行ったのであろう。明確に見解を変更していた。この間の全国
行動などで静岡の違法な生活保護行政を再三厚生省に訴えたことが効いたのかも
しれない。
来週中には市福祉事務所から質問書の回答を受け取り、同時に要望書を提出す
る予定である。要望書では生活保護行政の改善要求に絞り、とりわけ、宿所提供
施設を設置しろとか、身内が無く保証人のなり手がいない場合にも住居を確保で
きるような措置をとれといったような、住宅扶助の給付方法に関わる要求に焦点
を当てた。
施設の設置や民間住宅契約の公的保証制度の導入などは長期的に取り組まねば
ならない課題であり、今後も苦しく長い闘いを強いられることになろう。ある支
援のなかま(失業者組合の幹部)はもう逃げられないんだよと言っていたが、
「ゆっくりがんばらずに」というしずパトのモットーを守り通すことができるか
不安なところである。
もう一つ、しずパトにとって緊急性もある課題は、野宿者に対する医療差別へ
の取り組みである。
福祉事務所の対応のひどさもさることながら、市立病院など医療機関の対応も
きわめて劣悪なものである。確かに一般の人々に対する対応も悪いので、野宿者
に対してのみひどいということはできないところもあるが、われわれが目の当た
りにしたところからいって、明らかに野宿者に対しては差別的な劣等扱いが行わ
れていた。
12月9日(土)に越冬第1弾炊き出しでカレーをなかまに振る舞ったのだ
が、その最中に一人のなかま(70歳男性)が血を吐いて倒れた。救急車を呼ん
だところ市立病院に運ばれた。隊員がその際「今日は内科は市立病院しかないの
ですが」とかいうようなことを言った。なかまの間でもあそこは悪いとの評判で
悪い予感はしていたのだが、案の定点滴を打つだけで帰れという。本人は土気色
してふらふらしていつまた倒れるか分からない状態であるにもかかわらずだ。
このまま放り出してまた倒れたらどうするんだ、死んだらどう責任とる、医療
過誤になるぞなどと医者を追及したところ入院させると譲歩した。しかし、看護
婦らやソーシャルワーカーの猛烈な反対に遭ったらしく、もう一人の医師の応援
も頼んで、入院はだめだと言い出した。そこであらためて交渉し何とか救急ベッ
ドに一泊させ翌朝消化器系の医者の診察を受けさせるということで妥協した。
福祉事務所の連中よりはまともな印象を受けたが、これまた今後相当厳しい闘
いを強いられそうである。
<4. 浜松市田町駐輪場強制排除阻止闘争報告
>
最後に、のじれんをはじめ全国のなかまの支援で勝利を収めた、浜松市におけ
る田町駐輪場排除阻止闘争とその後について簡単に報告したい。
9月5日に警告文を張り出し、一方的に田町駐輪場に野宿するなかまに退去を
強要しようとした浜松市に対して、なかま全員参加によって一連の抗議および要
求行動を行い見事勝利を勝ちとった。
しかし、この勝利には全国のなかまの支援が不可欠であった。交渉の場で土木
管理課長に全国のなかまの抗議FAXを読み上げさせ、浜松市の強制排除が国連
の社会権委員会で追及されることになっても良いのかと迫るなど支援を活用させ
ていただいた。
交渉では、そもそも駐輪場などという寝るのに相応しからぬところで野宿せざ
るをえないのは、住居を含め最低生活を保障すべき義務を負う浜松市がその義務
の履行を怠っているからではないか。市の違法な不作為による危難を避けるため
野宿している人々を強制排除することは二重の違法行為であると追及した。
その結果、土木管理課長は、住居の確保をしない限り、退去をお願いすること
はしないと明言した。それに対し福祉事務所の側は、退去期日に指定された9月
19日までに住居を含む生活保障を行うことは不可能であると答え、ついに土木
管理課長から当日の「退去強制」は撤回するとの回答を引きだした。そして直ち
に警告文等を撤去することを確約させ、交渉終了後駐輪場に赴き、職員による撤
去作業を見届けた。
その後再び市役所に戻り、当日の交渉に参加したなかまの生活保護申請を行
い、翌日には全員の申請を完了した。その際、面接担当者が住居がない場合は申
請は受け付けず相談だけだとか寝ぼけたことを言っているので課長を呼びつけ、
交渉での確認事項をあらためて確認させ、申請を受理させた。
ところが、数日後、なかまの一人にアパートへの入居日を申請日とするといっ
たことを職員が言っているとの情報を聞きつけ、それは公文書偽造だ、刑事告訴
するぞと抗議行動を行った。申請日については実際に申請した日とするというこ
とで確認させることができた。しかし、「居宅がない場合には保護を適用しない
ことになっている」、「住居の確保はそちらでやってくれ」といったことを繰り
返した。これに対しては交渉及び申請時に住居確保のための援助を約束したでは
ないかと追及したが、かたくなな態度をとり続けた。
実際には、すべてのなかまがアパートに入居または施設に入所(75歳で痴呆
性の1名)し、無事保護が開始された。60歳前のなかまには就労指導が行われ
ているが、従来浜松市で行われていたように3ヶ月以内に職を見つけてこいとい
った期限はつけられていない。
田町駐輪場自治会のなかまとは年内に会合を持ち、自治会の解散と新たななか
まの会の立ち上げを行う予定である。
<5. おわりに>
寄せ場もドヤもない地方都市での野宿者支援、対行政闘争には大都市にはない
困難が伴う。しかし、他方では、日常的に接する野宿者数が60名ほどという点
では、顔が見える関係を作りやすく、一人一人とじっくり話し込んだり、個別支
援を時間をかけて行うことができるなどのメリットもあるのも事実である。ま
た、パトロール参加者も、アムネスティや死刑廃止の活動を行っている者、失業
者組合活動に取り組む者、子どもの虐待に取り組む者、フリースクール運営に関
わる者など多彩な顔ぶれがそろっており、野宿者問題に多様な観点から関わるこ
とを可能としている。野宿者問題自体が社会諸問題の集約ともいってよいもので
あるだけに、その解決への方向性を見いだしていくためにも、こうした多様な関
わり方には大きな意義があるといえよう。
こうしたメリットも活かし、全国のなかまの応援を支えにして、厳しい闘いを
「ゆっくりあせらず、がんばらず」の精神で乗り切っていきたいと考えている。
(笹沼弘志・しずパト事務局)
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