この少年に出会ったのは、毎週土曜の炊き出しの後パトロールで渋谷駅周辺 をぐるっと巡回している最中だった。
渋谷パトの際、有難いことに毎週パン屋さんの支援者から差し入れがあり、 それを持って野宿の仲間の寝床に声をかけて回るのである。渋谷は本当に野宿 地が少なく、数少ない野宿場所に夜9時から12時くらいに寝床を敷き、早朝に は撤収してどこかで体を休めるなり、仕事を探すなり、雑誌を拾って日銭を稼 ぐのである。
野宿地はますます、追い出し行政、警察権力、ガードマンの嫌がらせにより 狭められてきた。しかし、当の仲間が反撃するだけの物心両面に渡る支援を、 我々いのけんは全くできなかったことは、やはり指摘されなければならない。 つぎつぎにダンボールハウスが撤去され、不必要な自転車置き場がやたらと増 え、屋根のあるところにはフェンスが仲間に対する悪意をむき出しに設置され た。その様な現状にもかかわらず野宿の仲間達は増える一方だった。やはり、 豊富なえさ場と呼ばれる残飯やコンビニ弁当の残り物がたくさん出る渋谷とい う街だからというのは、その理由の一つだろう。
そんな渋谷のえさ場の一つ、マクドナルドの残飯置き場に集まっていた仲間 の中に紛れてその少年はいた。我々には彼がホームレスであるとは当初理解出 来なかった。こんな苛酷な状況下、警察が四六時中徘徊するところで、小学生 の女の子みたいな少年が野宿をしているとは思わなかったのである。家出少年 には「大変だろうけど家に帰るしかないよ」としか言えず、彼、彼女らをフォ ローできる人脈も力量も我々にはなかったからだ。少年をそんな家出少年の一 人と思っていたのだ。パンをあげて「家に帰るしかないよ。」という我々に、 彼と心を通わすことはできなかった。パトロールの集約の時も「仕様がないよ、 俺たちにできることなんて、限られているんだから」ということになった。し かし気にはなっていた。
暫く後、彼が渋谷の仲間の寝床で、仲間たちに助けられながら野宿している ことがわかった。何でも、ポリに補導されかけて逃げているところを仲間が助 けてあげたのがきっかけとかで、見た目は女の子みたいな少年がたくましく路 上で生き抜いているのには正直驚いた。しかし、当時、営団地下鉄締めだしの 攻防や、越冬闘争ための準備、毎週くりだしてくる本庁指導の警察による厳戒 体制、炊き出し妨害の渋谷区土木部の執拗な嫌がらせなどにより、てんてこま いで彼のフォローどころではなかった。少年自身もその状況を見て、これはや ばいと思ったらしく接触を避けていた。「いのけんは助けてくれる人たちと思っ たけど、百人くらいのポリ公がいるのを見て渋谷も長くいられないなとおもっ た」とのことである。これに加えて、土木は20人、営団は30人以上の体制で我々 を毎週包囲していたのであるから、そう思うのもムリはない。だが、やはり、 仲間の支えも限界がある。警察が嗅ぎ回り、うまく食い物にできないかと虎視 眈々の連中がうろつきだしたからだ。渋谷の仲間から「親方」と呼ばれ、仲間 達への面倒見がよく慕われている、ある仲間から相談を受けたのは越冬突入後 だった。「俺もいままでいろんな相談されたけど、こんな若い相談者は始めて だ」と持ち込まれた時、これは本腰あげなきゃイカンなと思った。これまで仲 間達が支えてきた「仲間」の一人を、支えきれなくなっていのけんに相談して きたのに、我々が支えることを放棄するわけにはいかなかったからだ。まさに 暗中模索だった。なぜなら我々は児童福祉法すらろくに読んだことがなかった からだ。
渋谷では初の本格的な越年闘争を控え、バタバタしている最中、とりあえず 支援者の家で緊急保護をすることにした。四六時中フォローはできるわけもな く、不安だったが、なんと仲間達がいれ代わりたち代わり少年の面倒をみてく れた。食べ物や服や、なけなしの小遣いを持って、なによりも精神的なフォロー をしてくれたのだ。「子はかすがい」というが、この少年の支えを通して支援 と仲間の信頼関係は強化された。今越冬は、支援と仲間がまさに一体となるべ く結成された冬のり実により担われた訳だが、見事なまでにその力が闘いのす べてにわたり発揮された。昼夜のない活動はあまりにハードであったが、その 充実感は、なにものにもかえられないものだった。
この少年の家出歴は17回にも渡り、昨年の夏二ヵ月くらい、渋谷に程近く我々 も毎週パトロールをして仲間とつながっている代々木公園で野宿をし、その時 も代々木公園の仲間達が寝床や食べ物をよく世話してくれたという。警察に呼 び止められても「塾の帰りです」「住所は○○区○○番」と切り抜ける知恵を 持ち、何よりも、家庭や社会に疎外された者同士、野宿者のひとりとして仲間 の中で生きていく人間関係の機微を弁えたしっかりものだった。家庭環境をあ まりつまびらかにすることはできないが、母子家庭の長男である彼は、幼少の 頃より母親の暴力に晒され続けた。長く伸びたストレートの髪の毛の下に、殴 られたハゲが至る処に見られ、腕には刃物で切りつけられた傷跡が何箇所もあ り、「血まみれで掃除、選択、炊事をやって、兄弟の面倒をみないとまた殴ら れる」という状況下、学校にはろくに通わせてもらえなかったという。
まずは彼と生活や遊びを通じて心を通わすべく、一緒に遊び、食事を作り、 話をした。彼は、本当に素直で利発ないい子だった。すぐに打ち解け、我々の ことを信頼してくれた。しかし、話が込んでで辛い精神状況に追い込まれるこ とになったとき、彼は自意識を失い、目も虚ろに棒をふるい回して暴れ出した。 暫くあと冷静になった時、そのことをまったく憶えていなかった。「急に頭が 痛くなりキレた、そんな自分が恐い、前にも知り合いを同じ状況でメチャクチャ にやったことがある。」と彼は言った。その場に居合わせた大人の女性でも抑 えられないくらいの状況だった。我々は事態の深刻さに改めて気付き、手探り で各方面にあたった。しかし児童相談所という行政回路はあてに出来なかった。 彼は前に二度、児相に一時保護されたが、一度は警察経由で親に入所をさせら れ、その次は自分で児相に一時保護を申し込んだ。「母親の処にはもう二度と 戻さないでくれと頼んだが、だめだった。」そして帰ればより以上の仕打ちが 待っていたのだ。すぐ逃げ出し、渋谷で野宿を始めたのだ。「渋谷、代々木公 園の仲間はみんなやさしく気遣ってくれた」
まさに彼の居場所は路上以外になく、子供であるということが四面楚歌、八 方ふさがりに彼を囲い込んでいた。我々は予想以上に打つ手のなさを痛感させ られることになる。これまで亭主にひどい目にあわされ逃れたり、風俗関係で 借金まで作らされ暴力団につけ回されるなどの深刻な路上の女性問題に出会っ たり、関わったりしてきたが、それ以上といっても過言ではないくらい子供を 巡る状況は厳しいというのが正直な感想だ。
まず、法的な手段を探るべく、児童虐待問題に詳しいみなとみらい法律事務 所の弁護士が忙しい中で時間をつくって下さり、細かく話をきいていただいた 上で、やはり児相をキチンと叩いて、本人が安心できるような誠意を示させ筋 道をつけていくしかないということが解った。また、日本では数少ない、児童 虐待に苦しむ子供と親の問題に実直にあたってこられたこどもの虐待防止セン ターの方のご協力、ご尽力を得て、道をきりひらく方途が得られ、彼のフォロー を本当に大変忙しい中、支えてくださるという幸いなことがあり、更に、横浜、 寿の生活福祉センター所長で、アルコール依存やアディクション問題と呼ばれ る心と体の問題、それを生み出す社会システムの問題に詳しく、第一人者とし て活動されている村田さんの心強い協力までも得られることになり、超強力な 布陣で児相の課長と、かつて彼の担当であり親元へ返すことをやらかした職員 を呼び出して、話し合いを二度もった。彼らも即座に非を認め、誠実な態度で 謝罪をした。そして今後の方向を出させた上で、我々ときっちり話し合いなが ら本人の同意に基づき、ことをすすめていくことを確認し、彼は児童相談所職 員と我々と村田さんらに付き添われて一時保護所に入所した。彼を我々が緊急 保護してからだけでも一ヵ月以上を要したが、前記の強力な支援、協力を下さっ た方々とを知り合うことができ、行政側の態度をきっちり改めさせ、これまで 多数あったであろう同様の事態を、今回の取り組みが歯止めかけ、変えていく 一歩となったはずであり、とても実り多いものだった。
しかし、彼の問題はそこから始まるのである。母親は家へ連れ戻そうと考え ている中、あきらめさせなければならず、必要とあらば法的手段も辞さないと いうことを彼は腹にくくらなければならなかった。又、彼自身の負ってきた深 い精神的痛手は、我々との遊びの中で描いた絵にさえ散見することができる有 様だった。すなわち、脳天に包丁がささり、股間にナイフがつきたてられ血ま みれの人間の絵が、彼のよくかく4コマ漫画に繰り返されるのである。現在の 世相と照らし合せた時に、実にギクッとさせられるではないか。そのため我々 は一時保護所の環境を拝見し、保護所の責任者と何度も話し合い、児相との連 携の中で毎週面会を重ねフォローしてきた。徐々に彼も落ち着き、同年代の入 所者らと遊び、学びながら、食欲も旺盛に育ち盛りらしく、この二月三月の間 におどろくほど発育した。女の子の様だった顔だちは、ひげもうっすらと生え、 「チンチンに毛が生えた(笑)」り、背も4センチものびてたくましくなって きた。つい先頃やっと施設入所が決まり、集団で生活しながら学校にも通い、 精神的治療も継続していくことが、本人の納得づくで了解された。先々楽しみ な限りである。我々も長期的に彼を支えてゆきたいと思っている。
まとめに入るにあたって、これまで彼と路上で出会い、そこから始まり学ば されたことのいかに多かったことか。アダルトチャイルドという言葉を耳にし た。今度とも彼のフォローは必須であり、深い心の傷は癒されることなしには すまないことがわかってきた。彼の生育とともに我々自らも益々学ぶことが多 いだろう。それが楽しみなのだ。
底辺下層ー野宿者問題という『シングルイシュー』は単に野宿者の健康や医 療、生活と居住、就労ー経済問題、歴史性ー階級矛盾、はたまた福祉問題といっ た個別領域に切り縮めて解釈しても始まらない横断性を有し、底辺下層労働者ー 野宿者にこの社会のひすみを集中させてきたがゆえに、その個別切断面はえげ つないほど端的に矛盾が析出される。深く鋭く切り込むほどに、『トータルイ シュー』として社会変革の必要不可欠さを突きつけてくるのだった。
個別課題ー領域の総和を組織や思想が統一し、『根本的解決を領導』するの ではなく、個別課題が複雑に絡み合う地下茎に、人々が水脈を穿つように、連 合する様な運動論が実践的にこの社会に刻印されるべきなのではないだろうか。 それはまさに各方面で活動されている一線の人々との本当の意味での連携と、 単に政治的数合わせのそれではない、幅広い人脈との相互の信頼関係に基づく 連帯の必要性をはっきりと認識させるのであった。
今回この一人の少年を通じて様々な問題が提起され、それを多くの仲間と共 に分かち合い、そして学んだことの大きさははかり知れないものがある。少年 に出会ったことを逆に感謝したいくらいなのだ。
――わかちあってこそ価値がある。