十月十八日,大阪・道頓堀で寄せ屋労働者,藤本彰男さんが襲撃・虐殺されて, 二ヶ年を迎えた.二年前のこの「事件」はかなりの人々に注目された.しかし, それが「殺した若者の問題」として葬り去られていく中で,同じような襲撃が その後も各地で数多く起こっている.二年の間,何ら変わっていない野宿者差 別と,そこから生まれる襲撃を弾劾し,またこのような状況のもとで未だ安ら かに眠ることができない藤本さんに対し,我々のなすべきことを確認していく 中で追悼の意を表す「10・18藤本さん虐殺二ヶ年弾劾・追悼行動」が同実 行委によって持たれ,釜パト,いのけん,学生などが参加した.
大阪府庁前広場での弾劾集会.ここには東京・神戸からもアピールを持って駆 けつけてくれ,札幌からも連帯アピールが寄せられた.また,当日は参加でき なかったが,ビラを見て,「亡くなる」直前に藤本さんに出会ったことを話し てくれた仲間もいたとのことである.各々が「事件」への思いを語った後,シュ プレヒコールで締めくくった.
皆で道頓堀へ向かい,追悼行動をする.藤本さんを文字通り見殺しにした大阪 府警は,歩道上を移動する間にも嫌がらせを続け,「亡くなった」人に花や線 香を供えようとすることすらも妨害した.このような弾圧は,殺した藤本さん をもう一度殺す行為に等しい.奴らはそれでも飽き足らず,今なお野宿者排除 =生存権の剥奪を続けている.しかし我々はこのような不当な弾圧をはねのけ て行動をやり抜き,また道行く人々も共に花を手向けてくれた.
二年前のことを言われて思い出す人は少なくない.しかし,それがその人にとっ て「自分とは関係のない誰かの死」であれば,いつかは忘れてしまうであろう. この日の橋の上での混乱(?!)は,そのような風化を全面的にせき止めるこ とはできなくとも,その流れを変える岩くらいにはなれたのではないかと思う.
大阪では十月二十四日から三十一日に「なみはや国体秋季大会」が開催され, 天皇・皇后が来るというので,例によって野宿者追い出しの動きがあった.以 下にその状況を報告したい.
国体のための追い出しの動きを知ったのは,十月十二日のパトロールの時のこ とである.国体開会式の会場となっている長居公園の仲間から,ポリ公が来て, 「いずれ公園局も回ってくることだからテントをたたんで出てくれ」と言った とのことを聞き,翌日緊急に長居公園での寄り合いを持ち,十六日に南部方面 公園事務所との団交を持つことが決まった.
団交には長居公園の仲間の他,大阪城公園の仲間,野宿者ネットワーク,いの けん,釜パト,総勢二十四人が参加した.約一時間にわたる交渉の結果,以下 の二点を確認させた.
しかし 1 については,「こちらで撤去はしないが,ご協力いただけるようお 願いしては回る」と言って憚らなかった.「テントをコンパクトにした状態」 などという,極めて主観的なものを押しつけようとするのである.自らがテン トで生活している訳でもない者に,どうして「コンパクト」とやらの基準を設 定することができようか.
こうして表立った追い出しは阻止できたものの,国体期間中あるいは開催直前 の行政及び警察の動きとして,現時点で確認しているだけでも,
などがあり,実際にテントの数が減っているところもあった.
団交での公園事務所側の発言にも見られるように,国体開催時のみならず,今 後は「お願い」等の形で個別に切り崩すことによって路上・公園から排除する というやり口が予測される.仲間のさらなる力強い団結をもってこれに反撃し ていきたい.