96-97 渋谷越年まつり

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福祉の窓口の休みが最も長いという今回の越年期,渋谷では,こ れまでより一歩踏み込んだセンパイ同士のつながり,センパイと支援のつなが りを求めて越年の行動に取り組んだ.これまで単発のイベントになってし まっていた大晦日の越年まつりを,今回はもう少し大きな越冬期間,あるいはもっ と長期的な展望の中に位置づけようと,十二月二十八日には渋谷でははじめて の医療相談を行ない,年明けの一月四日に炊き出し,一月六日には福祉行動を 行なった.この一連の行動は相互に影響しあって,その後の大きな流れを作る ことになったと三月になったいま思っている.

さてその今回の越年まつりは,とにかく暖かだった天候に助けられたというし かない.ま,それでも大成功は大成功だ.

まつりの内容は昨年を踏襲するという方針を立てたので,もう要領はわかって いるとばかりに,十二月中に数回予定した支援者の会議にはまったくといって いいほど人が集まらなかった.確かに買いだしなど手際よくこなすのだが,肝 心の「なぜまつりなのか」「何を目指すのか」などを話し込むことができなかっ た.

当日は例年のように多くのセンパイたち,支援が宮下公園に集まった.既に 「大晦日は宮下公園で」というのが浸透しているようで,今年の広報に接する ことなくやってくる人たちもいる.これじゃ来年もその次もやめられないな.

準備はトラックから会場に資材を搬入し,調理用のカマドを作り,照明を木に 取り付け,ビデオ上映用のスクリーンを吊し,医療用のテントをブルーシート で囲って作る.建設現場で働いてきたセンパイたちが見てられないよとばかり に手伝ってくれる.発電機を動かそうとしたところが,調子が悪くてエンジン がかからない.ああ事前に点検しておくんだった,これがなくてはカラオケも ビデオ上映もできない.途方に暮れていると,渋谷で暮らしているセンパイが 自分の発電機を貸してくれることになった.やれやれ.

六時にドラム缶の廃材に点火してまつりの始まり.雑炊の調理にはこれまた数 人のセンパイが参加している.元調理人が何人もいるのだ,味付けにもうるさ い.今年もちゃんと数えることができなかったが,食事を配るころにはセン パイ・支援合わせて百五十名くらいいたのではないだろうか.

そのあとは,昨年も盛り上がったカラオケ.ところがここでもトラブルが発生 した.レンタルしてきたカラオケセットのCDがどれもこれも傷だらけで, これと思う曲が選択できないのだ.みんな期待していただけに非常に残念だっ た.これが怒りに変わらなかったのは,今年の大晦日が暖かで過ごしやすかっ たからだろう.(後日談・返却の際に文句を言って無料になった.当 たり前だ)

年を越えるころには餅つきを行なった.これがまた盛り上がる.センパイも支 援もつきたがって,交代しながらみんなでつく.黄な粉をまぶしたり,汁をか けて雑煮にしてみんなで食べる.今年は十分な数を作ることができた.

後はドラム缶の火を絶やさないようにして,上映されるビデオでも見な がら朝まで過ごす.今年は暖かだったからか,朝まで宮下公園で過ごすセンパ イたちは例年より多かった.この暖かさのおかげか,特に具合の悪い人も出な かった.

毎年,支援とセンパイとの交流が少ないということが反省点として挙げられる. 今回は準備の段階や調理などにセンパイも支援も加わるという形ができて,い くらかましになったものの,もっともっと話し込み・交流があってもいい.そ の原因の一つは,はじめに書いたように,我々支援の側が「なぜまつりなのか」 「なぜ参加するのか」という認識を深くすることができないまま当日 に臨んでしまっているということがあるのではないかと思う.事前の会議,事 後の総括会議とも参加する人が少なかったし,当日のみ参加してくれた支援の 人たちとも,それ以降の関わりを十分作れていないことは本当に残念だ.

最後に,米などの食糧,タオル・石鹸や衣料品,そして現金のカンパを寄せて くださった方々に感謝の意を表します.

もう一つ.いのけんは,年末だけでなく一年中渋谷・代々木で活動しています. いつでも皆さんの参加をお待ちしています.


いのけん通信第 14 号(Mar. 22, 1997)
(c) 1997 町田ナツオ,渋谷・原宿 生命と権利をかちとる会
inoken@jca.ax.apc.org

$Date: 1997/08/12 14:52:35 $ 更新

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