外務大臣 池田行彦 殿
国連人権委員会は 1993 年 3 月 10 日に,「ホームレス」,あるいは適切な 住居を持たない人々に対する強制立ち退き行為を重大な人権侵害と明言する決議を 満場一致で採択しています (1993/77 号).また,それを防ぐ「究極の法的責任は 政府にあること」を強調しています.そして,日本国政府もこの決議に参加し, 賛同しています.
「決議」は「条約」と違い法的拘束力を持っているわけではありませんが,この 決議の非公式訳文を作成された日本福祉大学教授の穂坂光彦氏は,日本国が, 住宅や立ち退きに関わる権利を含む「経済社会文化的権利に関する国際条約」 を批准していることに触れて,「決議の精神が法的効力を持つその他の 国際的協約にも反映され,それらの協約を批准した国がさらに当該決議にも 賛同しているとき,その決議に違反することは極めて難しいと理解される」 との見解を示しています.日本国が,この決議に違反するような行為を実施, あるいは黙認することは道義的に許されないと考えるべきです.
ところが現在,東京都は野宿生活を強いられている人々が,ただですら生命の 危機にさらされているこの厳冬期に,「動く歩道」建設を名目とした大規模な 「ホームレス」強制立ち退きを強行しようとしています.(「動く歩道」の 建設予定地である新宿西口地下道 B 通路では,雨露・寒さをしのぐために, 現在百数十名の人たちが生活しています)
この「動く歩道」設置に関して,東京都は「(都職員の)通勤に便利」(10 月 20 日の青島都知事発言)とか,「高齢者や障害者の利便を図る」などの理由を 挙げています.しかし実際には,「動く歩道」の利用によって短縮される 時間はわずか 15 秒であり,さらに障害者団体からは「『動く歩道』は便利では ない.工事をするなら階段にスロープをつけるなど,現実に困っていることを 理解してほしい」などの声があがっています.このように実際的な効用の ほとんどない「動く歩道」に固執する東京都の目的は,もはや「ホームレス」 の追い出しにあると言わざるを得ません.
考えてみて下さい.「動く歩道」の建設には 13 億円もの巨費が税金から 投じられています.毎年の維持費もばかにならないでしょう.他方,東京都は これまで「ホームレス問題」に対する実効的な施策を何一つ行なってきません でした.ただ追い出しのためだけに,このような本末転倒な奇策を実施しようとする 東京都の姿勢に,私たちは強い憤りを感じています.
また,東京都は港区芝浦に臨時保護施設を設けることで「追い出し」のイメージを 薄めようとしていますが,この施設は2ヶ月だけの一時的なもので,3月末に なれば,人々はまたそこからも追い出されるのです.さらに,その臨時保護施設 のある場所は,陸地と橋一本のみでつながった,倉庫ばかりの「離れ小島」です. このような隔離収容施設に押し込められてしまえば,社会との接点はほとんど 失われ,仕事に就こうにも,その機会は事実上奪われたも同然です.
直接,強制立ち退きの対象にならなかった「ホームレス」の人々に対する 心理的圧迫も無視できません.実際に 1994 年 2 -- 5 月にかけての大規模な 強制立ち退き以降には,「ホームレス」どうしのトラブルが激化し, 殺人事件が起こる事態となりました.(因みに,この時期の寒さによる死者は, 新宿だけでも十数名と言われています.)
住む家を失ってしまったことの理由は,人それぞれ実に様々なものがあります. 理解の乏しい人々は「『ホームレス』個人の責任だ」と言うでしょう. しかし,だからといって,生存の権利までが一方的に脅かされていいはずは ありません.
このように,東京都が行なおうとしている行為は,国連人権委員会によって極めて 批判的に規定された強制立ち退き行為にあたることは明らかです.したがって, 日本国政府は国連決議を尊重する立場から,東京都に対して,「動く歩道」 設置計画を中止するよう求める道義的責任があると考えます.
以上の理由から,私たちは日本国政府,とりわけ国連中心主義を高々と掲げつつ 人権委員会に出席した外務省に対して,今日中にも東京都が強行しようとしている 暴力的かつ違法な強制立ち退きを中止させるためのあらゆる行為を速やかに 実施するよう訴え,その旨,緊急に申し入れます.
1996年1月12日