伝えられるところによると、 南京大虐殺を記述した書籍「The rape of Nanking」について、 斉藤邦彦駐米大使が、「非常に不正確な記述が多いし、一方的な見解が多い。 ああいう本が出され、 ある程度の注目を浴びるのは幸せではない」という見解を表明したという。 この発言に対し、ワシントンの中国大使館報道官の反応を、 5月10日付けの朝日新聞は「同報道官は米国人女性作家、 アイリス・チャンさんによる同書について、 『現地で多くの証人に取材し、 大量の資料を読んで犯罪行為を明らかにしている』としたうえ、 『対中侵略の歴史を正確に認識するのは中国関係の重要な政治的基礎である』 と斉藤大使を批判した」と記している。
このような報道に接し、私たちは、 駐米大使という日本外交の屋台骨を担うべき人物が、 かくも浅はかな歴史認識しか持ち合わせていないことに、 恥ずかしさとともに、深い憤りを禁じえない。
そもそも、日本のA級戦犯を裁いた極東国際軍事裁判所は、 南京において日本軍が中国人の一般人と 捕虜20万人以上を殺害したという事実を認定し、 その責任者である松井石根大将に絞首刑の判決を下した。 そして、1951年のサンフランシスコ講話条約第11条において「日本国は、 極東軍事裁判所、 並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し」た。 日本は、極東軍事裁判所の判決を受け入れ、 大虐殺の事実を承認したというのが、国際的な常識である。
時あたかも、侵略戦争の最高責任者のひとりである東條英機を賛美する映画 「プライド−運命の瞬間」が、封切られんとしていた時期である。 国内外から激しい批判が集中した、 この映画の封切りに符合したかにも見える斉藤大使の発言は、 日本外交の対外的信頼を失墜させるものである。
悲しいかな、日本では“南京大虐殺はデッチ上げ”とか“先の戦争は聖戦だった” という歴史観が大手を振ってまかり通っている。 日本とアジアの歴史認識は、ますますその乖離を深めている。 このような状況下、日本の外交官のトップに位置する人物が、 日本とアジアの人々との間に不信をあおるような行為をなすことは、 断じて許されない。 斉藤駐米大使の発言は極めて不見識、不適切なものであると言わざるを得ない。
批判は記載事実について具体的であらねばならないことはもとより、 自らの定見に基づくものでなければならない。 少なくとも右翼政治家ではないはずの政府、行政官僚が根拠も示さず、 一方的な言いがかりを平然と行ない、 これを少しも恥と感じないかに見えるその傲慢さはまさに驚くべきことである。 敗戦以降、日本の道義は地に墜ちていまだ復せずというべきか、 まことに嘆かわしい次第である。
このような歴史についての無知、利権のみに聡い近視眼的自己正当化発言は、 平和を求める日本国民の名誉を毀損し、 ひいては大局的な国益を損なうものであり、 斉藤大使と行政府の猛省を求めるものである。
速やかに上記に対する釈明と謝罪を要求するものである。
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